その昔、淀川を往来する船に酒や食べ物を売る小舟がくらわんか舟です
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- 旅行時期:2013/06(約11年前)
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by ねこにゃんさん(男性)
高槻・島本 クチコミ:59件
江戸時代、淀川は経済の中心地・大坂と都・京都を結び、さらに琵琶湖を経て東海や北陸地方とも通じる、物流の大動脈でした。大坂・伏見間の旅客専用船・淀川三十石船をはじめ、淀船・伏見船・過書船などの貨物船が、人々の生活と経済活動を支えていたのです。
それら淀川を往来する船に酒や食べ物を売る小舟(煮売茶船)を、くらわんか舟といいました。発祥地は柱本、関が原の戦い以後、徳川軍の物資補給に協力し、幕府から営業特権を与えられたといわれています。
「食らわんか、くらわんか」と呼びながら三十石船に漕ぎ寄せるさまは、当時の小説や浮世絵にも登場。広く知られた東海道の名物でした。
現在、柱本浜のあったあたりの淀川堤防には、発祥の地碑が建てられいます。
- 施設の満足度
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4.0
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 3.0
クチコミ投稿日:2013/07/02
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