その昔、この周辺は菅原道真の領地でした。天暦年中(947~57年)に創建
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- 旅行時期:2013/05(約13年前)
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by ねこにゃんさん(男性)
門真・守口 クチコミ:165件
かって昔、この周辺は菅原道真の領地であったところで、901年(昌泰4年)道真が太宰府に左遷され、赴任途中に当地でしばらく滞在したと言われています。
道真は、宇多法皇の計らいで、自分の無実が証明されるかもしれないと、一縷の望みを持ち、ここで都からの沙汰を待ったが、一向にその沙汰もなく、筑紫へ下向することとなった。当地の地名である「佐太」はこの「沙汰」が訛ったといわれる。
道真は出立に際し、自身の木像と自画像を残し、この時楊枝を土に挿し、「わが身の無実の証拠として二葉の松となって生い栄えよ」と誓ったところ、程なく発芽し、見事な松の木に成長したと伝わる。(これと非常によく似た伝説が淀川の対岸の摂津市の三本松神社にも残されている。)
道真が太宰府でなくなってから50年後の天暦年中(947~57年)に、里人がその徳を慕い、道真が残していった木像を御神体として祀ったのが、当社の創建始まりです。
見ものは、大阪緑の100選に選ばれた庭、拝殿は1643年(慶安元年)当時の淀城主永井氏の再興による物です
国指定重要文化財-
●佐太神社本殿三社並びに指図版
●彩絵桧扇
●龍胆瑞花鳥蝶文彩絵扇箱
●色々威五十八間筋兜
●色々威胴丸(いろいろおどしどうまる)
●色々威腹巻(いろいろおどしはらまき)
-ユネスコ「無形文化遺産の保護に関する条約」代表一覧表への記載-
-国指定重要無形民俗文化財-
●佐陀神能
-府指定文化財-
●蛭巻薙刀
●大野太刀
●舞楽面
●鰐口
●線刻十一面千手観音鏡像
●着彩阿弥陀来迎図鏡像
●御供台
と見どころ満載です。
- 施設の満足度
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- アクセス:
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- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 4.0
クチコミ投稿日:2013/05/10
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