菅原道真が「沙汰」を待っていた場所に創建された佐太天神宮
- 4.0
- 旅行時期:2013/03(約13年前)
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by さすらいおじさんさん(男性)
門真・守口 クチコミ:25件
佐太天神宮は菅原道真の領地であったところで901年道真が太宰府に左遷され赴任途中に当地でしばらく滞在したと伝えられている。道真は宇多法皇の計らいで無実が証明されるかもしれないと一縷の望みを持ちここで都からの沙汰を待ったが一向にその沙汰もなく筑紫へ已む無く下向することとなったとのこと。当地の地名である「佐太」は菅原道真が待っていた都からの「沙汰」が訛ったといわれている。
道真は出立に際し自身の木像と自画像を残しこの時楊枝を土に挿し「わが身の無実の証拠として二葉の松となって生い栄えよ」と誓ったところ程なく発芽し見事な松の木に成長したと伝わっている。 道真が太宰府でなくなってから50年後の天暦年中(947~57年)に里人がその徳を慕い道真が残していった木像を御神体として祀ったのが佐太天神宮の創建とのこと。
- 施設の満足度
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4.0
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.5
- 見ごたえ:
- 4.0
クチコミ投稿日:2013/07/07
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