5重の水堀、本丸は4重6層の天守だったとされる福井城(結城氏北ノ庄城)跡
- 4.0
- 旅行時期:2009/04(約15年前)
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by さすらいおじさんさん(男性)
福井市 クチコミ:12件
福井城(結城氏北ノ庄城)は徳川 家康(とくがわ いえやす1542−1616年)の次男だったが人質として豐臣 秀吉(とよとみ ひでよし1537−1598年)の養子になり、将軍になれなかった悲運の武将といわれる結城 秀康(ゆうき ひでやす1574−1607年)が1601年から6年の歳月を費やし築いた勇壮な城だったと伝えられている。
関ヶ原の戦いでは会津の上杉景勝(うえすぎ かげかつ1556−1623年)牽制役として家康軍勝利に貢献した結城 秀康は1600年に下総(しもふさ・茨城)の結城藩(ゆうきはん)10万石から越前北ノ庄68万石に加増移封され建造した福井城は2km四方、5重の水堀、本丸は4重6層の天守を持つ立派なものだったといわれる。だが、1669年に焼失し以後再建されることはなかった。現在は石垣、内堀などの遺構が残り、本丸跡には福井県庁、県会議事堂などが建てられ城跡周辺は中央公園として整備されている。
アクセスーーー JR北陸本線 福井駅から徒歩5分
- 施設の満足度
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4.0
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.5
クチコミ投稿日:2012/12/31
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