東西約500m、南北約3kmの大きな一乗谷朝倉氏遺跡
- 4.0
- 旅行時期:2009/04(約17年前)
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by さすらいおじさんさん(男性)
福井市 クチコミ:12件
一乗谷朝倉氏遺跡(いちじょうだに あさくらし いせき)は、福井市城戸ノ内町にある朝倉氏の居館、山城、城下町などの遺跡で足羽川(あすわがわ)支流沿いにある東西約500m、南北約3kmの大きな範囲の遺跡全体が国の特別史跡になっている。
一乗谷は、東、西、南を山に囲まれ、北には足羽川が天然の堀になっており、外敵から防御する場所としては最適で要塞都市として発展した。
一乗谷には足利将軍家の分家・鞍谷公方(くらたにくぼう)なども住んでいたことから10年も続いた応仁の乱(おうにんのらん1467−1477年)で荒廃した京都から、公家、高僧、文人、学者たちが避難してきた。一乗谷には京文化が開花し北ノ京とも呼ばれ、朝倉孝景(あさくらたかかげ1428−1481年)が領主時代の最盛期には人口1万人を超え、越前の中心地だった。
だが朝倉義景(あさくら よしかげ1533−1573年)が一乗谷城の戦い(いちじょうだにじょうのたたかい−1573年)で織田信長(おだ のぶなが1534−1582年)に敗れた後は衰退が始まり柴田勝家(しばた かついえ1522−1583年)が本拠を北ノ庄城に移した後は1471年から朝倉氏が5代103年間越前の国を支配した城下町は廃墟となっていた。
一乗谷は1967年から本格的な発掘調査が行われ、当主の館、武家屋敷、寺院、町屋、職人屋敷、道路まで町並がほぼ完全な姿で発掘されている。これほど大規模に戦国時代の街全体が残る遺跡は珍しく、日本史上重要な遺跡だ。
アクセス――― JR福井駅から京福バス浄教寺行き、「武家屋敷前」下車すぐ。
- 施設の満足度
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4.0
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.5
- 見ごたえ:
- 4.0
クチコミ投稿日:2012/12/30
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