奇策 小田原一夜城
- 4.5
- 旅行時期:2009/06(約17年前)
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by 美良々橋モヨ子さん(男性)
小田原 クチコミ:3件
石垣山は、東海道線JR早川駅の西方2.5キロに位置し、小田原城までは目と鼻の先の僅か3キロの距離であり、標高257mの本丸からは小田原城や城下の様子が一望のもとに俯瞰できる。
石垣山は、もと笠懸山、松山などと呼ばれていたが、1590(天正18)年、豊臣秀吉が小田原北条氏の本拠小田原城を水陸15万(一説には22万とも)の大軍を率いて包囲したおり、その本営として総石垣の城を築いたので石垣山とよばれるようになった。
石垣の城は関東ではこの城が最初に作られたものになる。石垣は安政の地震、関東大震災でかなりの石垣が崩壊してしまいましたが、大手口にある南曲輪外壁によく残り、井戸曲輪の井戸を囲んだ高石垣は圧巻である。
穴太衆により野原積みされた石垣が地震により散乱するさまは、苔むした巨石など古城らしさを感じさせてくれる。
秀吉時代の大坂城、伏見城がほとんど原型を留めず、聚楽第や淀城が完全に失われている現在、秀吉の築城様式を伝えるのは石垣山城と肥前名護屋城(佐賀県唐津市)ぐらいしか残っていないことから、たいへん貴重な遺構と言える。
また天守あとからの小田原城下は絶景である。
- 施設の満足度
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4.5
- 利用した際の同行者:
- 家族旅行
- アクセス:
- 1.5
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- バリアフリー:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 5.0
クチコミ投稿日:2012/04/25
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