大阪市営地下鉄谷町線「野江内代」駅より徒歩3分の野江水神社
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- 旅行時期:2012/02(約14年前)
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by さすらいおじさんさん(男性)
大阪城・京橋 クチコミ:40件
野江水神社は1533年、三好宗三(政長)がこの附近に榎並築城の際水害を被ったので、水波女大神を水火除難の守護神として城内に祀ったのが現在の社殿の位置と言われている。1583年、豊臣秀吉も大阪築城に際し水火除難の守護神として水波女大神を祀り国家泰平を祈願したをいわれている。1702年の大洪水では一面水海と化し住民が困窮していた時に快晴の祈願をしたところ雨がやみ洪水は減退したと伝えられている。1803年の大洪水にも当神社は無事であったと榎並八箇洪水記に絵で記録されている。現在の社殿は1883年の造営後修築を重ねたもの。三好 政長(みよし まさなが、1508−1549年)は三好勝時の次男で官位は越後守、後に出家し半隠軒宗三と称した。従甥にあたる惣領・三好元長とは仲が悪く、主君の細川晴元に讒言して一向一揆を起こさせて元長を討つ。以後木沢長政・茨木長隆らと共に晴元政権の重鎮となり、榎並城主として室町幕府料所河内十七箇所を元長に代わって代官として統治した。しかし1549年に元長の嫡男・長慶と河内十七箇所の代官職をめぐって対立、主君の晴元を味方に引き入れるのには成功したが六角義賢の援軍が到着する前に長慶と摂津中島の江口で合戦し討死した(江口の戦い)。これによって長年に渡って幕政を担ってきた細川政権は一挙に崩壊し消滅する。三好 政長は茶人としても著名で、天下三肩衝の1つ新田肩衝を所有し宗三と号した。後に今川義元や織田信長が所持した名刀左文字は、元々は三好政長の所有物だったので宗三左文字とも呼ばれる。
住所 大阪府大阪市城東区野江4丁目1-39 交通アクセス 大阪市営地下鉄谷町線「野江内代」駅より徒歩3分。
- 施設の満足度
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3.5
- 施設の快適度:
- 3.5
- バリアフリー:
- 3.5
クチコミ投稿日:2012/03/16
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