郡山城(こおりやまじょう)跡に近い近鉄郡山駅
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- 旅行時期:2009/10(約16年前)
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by さすらいおじさんさん(男性)
大和郡山・田原本 クチコミ:4件
近鉄郡山駅(きんてつこおりやまえき)は、奈良県大和郡山市の近畿日本鉄道(近鉄)橿原線の駅。郡山城(こおりやまじょう)跡まで徒歩10分で観光に便利な駅。
郡山城(こおりやまじょう)は、天王山の戦いで明智光秀の与力大名でありながら羽柴秀吉側に寝返って「洞ヶ峠の日和見」の故事となっている戦国大名筒井順慶(つつい じゅんけい1549−1584年)が1583年に天守閣を完成させている。
豊臣政権では秀吉の弟秀長の居城となり、江戸時代には郡山藩の藩庁が置かれ明治維新まで柳沢氏が城主だった。
豊臣秀長(とよとみ ひでなが1540−1591年)の時代には100万石の居城にすべく七重の天守閣の建造もおこなったが石材に乏しかったので天守台の石垣に墓石や地蔵まで用いられた。天守台の裏手、北側の石垣には、付近から徴用されて築城に使われた数多くの石地蔵が、石垣に組み込まれたまま城下の人々により祀られている。
石組みの間から奥を覗き込むと、逆さになった状態で石の間に埋もれている地蔵を確認することができ、これは逆さ地蔵と呼ばれている。お地蔵さまを石垣に使うとは豊臣秀長も乱暴なことをしたものだ。
明治維新の廃城令により1873年に郡山城は破却されたが石垣や堀は往時の姿を留めている。
城跡には遺構の他に、柳沢家初代郡山藩主吉里の父柳沢吉保(やなぎさわ よしやす1658−1714年)を祀る柳沢神社(本丸)、柳沢家時代の史料を保管する柳沢文庫(毘沙門曲輪)、郡山高校(二の丸屋形跡)などがある。
- 施設の満足度
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3.5
- 施設の快適度:
- 3.5
- バリアフリー:
- 3.5
クチコミ投稿日:2011/12/29
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