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薬師寺

寺・神社・教会

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薬師如来と二つの塔

  • 5.0
  • 旅行時期:2011/08(約14年前)
大目付さん

by 大目付さん(男性)

奈良市 クチコミ:27件

薬師寺は「法相宗[ほっそうしゅう]」の大本山で、初め飛鳥の地に建てられていたが、平城遷都に伴い今の地に移された。
平成10年より世界遺産として登録された。

★薬師寺東塔は一見すると六重の塔のように見えるが、実際は三重の塔である。
各層に裳階(もこし)と呼ばれる小さい屋根が設けられているのであたかも六重の塔のように感じる。この屋根の層の律動的な美しさをフェノロサが『凍れる音楽』とよんだ。

★塔頂の相輪には水煙という飾りが付けられ、火災から守られるようにという願いが込められている。この水煙に透かし彫りされた24人の飛天は笛を奏で、花を蒔き、衣を翻し、祈りを捧げる姿で表されている。1300年の時を経ても今なおその美しさを後世に伝えている。

★西塔は享禄元年(1528年)に戦災で焼失し、現在ある塔は1981年に伝統様式・技法で再建された。塔の屋根の勾配は東塔よりも反っているが、これは数百年後のことを考え建てられたが故のことである。
再建に当たった棟梁、故・西岡常一はこう語っている。「東塔も元々は屋根の勾配が西塔と同じように反っていたが、時間と共に屋根瓦の重さで今の形と成ったと考えられていることから西塔も時間経過と共に東塔と同じ形になるように」考えて建てられている。

また、 金堂は享禄元年(1528)この地域の豪族の戦火に巻きこまれ、西塔などと共に焼け落ちてしまったが、その後豊臣家が金堂の仮堂を建て、その後本格的な金堂の再建に取りかかる手筈であったが、豊臣家滅亡により400年近く仮堂のままの状態だった。金堂の再建はずっと歴代薬師寺住職にとっては悲願中の悲願であったが、昭和42年(1967)住職となった高田好胤師が百万巻写経勧進による金堂再建を提唱。
全国に写経勧進に歩かれ、その結果昭和46年(1971)金堂の起工式を行い、そして昭和51年(1976)4月に白鳳時代様式の本格的な金堂として再建されることとなった。

◇ご本尊は白鳳時代に造られた『薬師三尊像』(国宝)である。

施設の満足度

5.0

利用した際の同行者:
カップル・夫婦
アクセス:
5.0
近鉄西の京駅から徒歩すぐ
人混みの少なさ:
3.0
イベントや行事により混み具合は左右される
バリアフリー:
3.0
見ごたえ:
4.0

クチコミ投稿日:2011/08/21

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