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与謝野晶子生家跡

名所・史跡

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大阪・堺市、与謝野晶子生家跡の碑(2007年6月12日)

  • 4.0
  • 旅行時期:2007/06(約19年前)
さすらいおじさんさん

by さすらいおじさんさん(男性)

堺 クチコミ:46件

大阪・堺市、与謝野晶子生家跡の碑(2007年6月12日)
与謝野 晶子(よさの あきこ1878−1942年)は堺の老舗(しにせ)和菓子屋「駿河屋」の3女。恵まれた少女時代を過ごし女学校時代は『源氏物語』などを読み耽った。歌集『みだれ髪』(1901年)で女性の自我と官能をおおらかに表現したのも『源氏物語』の影響が大きいだろう。日露戦争時の1904年には旅順攻囲戦に加わっていた弟を嘆いて『君死にたまうことなかれ』を『明星』に発表。さらに「天皇は戦争に自ら出かけられない」と唱い、国粋主義者であった大町桂月(1869−1925年)に批判された。だが晶子はひるむこと無く「歌はまことの心を歌うもの」と桂月の批判を一蹴した。日露戦争当時は「満州事変」後の昭和の戦争の時期ほど言論弾圧が厳しく無かったとは言うものの、「まことの心」で女性の官能を表現し、戦争批判したことは生身の人間として立派で革命的な女性文学者と言えるだろう。
与謝野晶子生家跡の碑は宿院電停から大小路電停方向に100mほど歩いた左側の歩道沿いにある。
旅行記;http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10159336/
(写真は与謝野晶子生家跡の碑)

施設の満足度

4.0

アクセス:
4.0
人混みの少なさ:
3.0

クチコミ投稿日:2007/06/25

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