1. ホーム
  2. 国内旅行
  3. 東海地方
  4. 愛知県
  5. 一宮
  6. 一宮 観光
  7. 真清田神社
一宮×
旅行ガイド
観光
グルメ
ショッピング
交通
ホテル
旅行記
Q&A

真清田神社

寺・神社・教会

真清田神社 クチコミ・アクセス・周辺情報

一宮 観光 満足度ランキング 1位

クリップを編集する

ラベルを選ぶ

  • ラベルはまだありません

公開設定

真清田神社は尾張の国「一の宮」として崇敬をあつめた。鎮座は神武天皇と伝えられ、祭神は天火明命が祭られている。舞楽面(国指定の重文)。宝物館がある。 【料金】 大人: 200円 宝物館入館料 団体割引は30人から 大学生: 150円 宝物館入館料 団体割引は30人から 高校生: 150円 宝物館入館料 団体割引は30人から 中学生: 100円 宝物館入館料 団体割引は30人から 小学生: 100円 宝物館入館料 団体割引は30人から 備考: 拝観無料

ピックアップ クチコミ

  • 満足度の高いクチコミ

    一宮巡詣~尾張・真清田神社

    4.0

    • 旅行時期 2025/09
    • by +mo2さん

    何度か参拝している真清田神社。神武天皇33年の鎮座と伝わり、平安時代より尾張国の一宮として信仰されている神社で、「一宮市」...  続きを読むの地名もこの神社が由来となっています。 当社の鎮座する一宮市は、古くは木曽川の流域に沿っていました。流域は常に文化の形成に大きな役割を果たします。一宮の発展にも、木曽川の恩恵があります。今でこそ、繊維の街として有名ですが、もともとこの地域は、木曽川の灌漑用水による水田地帯として、清く澄んだ水によって水田を形成していたため、真清田と名付けられたといわれています。真清田神社の祭神は天火明命で、太陽を神格化した神様です。仕事運や出世運、開運厄除、子孫繁栄にご利益があるとされています。今回も御朱印、お札、交通安全のステッカーなど頂いてきました。  閉じる

クチコミ・評判 3ページ目

41~50件(全51件中)

  • 御朱印は朝の9時から

    • 4.0
    • 旅行時期:2014/11(約11年前)
    • 0

    名古屋駅から神社の最寄りの尾張一宮駅までは快速で10分で、名古屋観光のついでに行けます。神社は駅から歩いて8分です。御朱印...  続きを読むは朝の9時ごろから受付されてるみたいです。御朱印をもらう際には、参拝が済んだ旨を聞かれたので、参拝を済ませてからいただきましょう。  閉じる

    投稿日:2014/11/10

  • 一宮の神社

    • 3.5
    • 旅行時期:2014/09(約11年前)
    • 0

    一宮の真ん中に位置する真清田神社は古くからあり、そこから街が栄えたと言ってもいいくらいの神社です。御社殿は尾張造りだったそ...  続きを読むうですが戦争で焼けてしまったそうですが再興されています。木曽川の恩恵を受けた由緒ある神社です。  閉じる

    投稿日:2014/11/07

  • 一宮 真清田神社

    • 3.5
    • 旅行時期:2014/09(約11年前)
    • 0

    尾張の国一宮の由緒ある神社で、一宮駅からも徒歩圏内で参拝が出来る神社です。結構立派な社殿がありまた、結婚式や色々なお参りや...  続きを読む祈願ももちろんしてくださいます。何もない時はそこまで人の出入りがないので静かな神社です。幸せを呼ぶおみくじがありました。可愛く持ち歩きにいいです。  閉じる

    投稿日:2014/09/26

  • 明治天皇の水

    • 4.0
    • 旅行時期:2014/09(約11年前)
    • 0

    こちらの神社には明治天皇がお飲みになった井戸のお水があって、その井戸を覗くと鏡みたいに自分の顔が映ります。水に映ってると思...  続きを読むえない程キレイに映ります。
    ご社殿の隣には縁結びにご利益のある服織神社があります。こちらの神社は七夕が賑やかみたいです。  閉じる

    投稿日:2014/09/11

  • 七夕まつり

    • 3.0
    • 旅行時期:2014/07(約12年前)
    • 0

    一宮を代表する祭りである七夕まつりの際に訪れました。

    まつりのメイン会場の一つにもなっており、
    商店街である本町ア...  続きを読むーケード街を通って向かいました。

    アーケード街の飾りつけが見事ですが、
    神社内にも大型の吊り下げ飾りもなかなかです。

    夏のお祭りらしく、うちわの配布を行っています。
    しっかりとした作りのうちわなので、記念にもなりますよ。  閉じる

    投稿日:2014/11/28

  • 尾張の国の一宮

    • 4.0
    • 旅行時期:2014/01(約12年前)
    • 0

    JR尾張一宮駅あるいは、名鉄一宮駅から徒歩10分ほど。タイトルにも書いたように尾張の国の一宮として266年以上の歴史を誇る...  続きを読むお宮です。御祭神は天火明命で、この方は天照大神の孫に当たります。お宮に続く道は商店街であり、昔は三八市という市が開かれていたそうです。  閉じる

    投稿日:2014/01/03

  • 尾張国の一宮 風格のある神社です

    • 4.0
    • 旅行時期:2013/08(約12年前)
    • 0

    一宮駅から徒歩でも10分程度、駐車場も整備されています(短時間では魅了)。あまり有名ではないかもしれませんが、尾張国の一宮...  続きを読むです。ほとんどの建物は空襲で焼かれてしまったそうですが、楼門、本殿をはじめ、風格のある建物ばかりです。名古屋からでも一度はお参りしたい神社です。  閉じる

    投稿日:2013/08/15

  • 一宮市の名前の由来になった神社

    • 4.0
    • 旅行時期:2013/06(約13年前)
    • 0

    一宮駅から徒歩10分ほどにある神社です。
    私は近隣の町に住んでいますが、名前は子供の頃から知っていました。
    尾張国の一...  続きを読む宮で、市の名前「一宮」の由来になった由緒ある神社です。

    初めて行ってみて驚いたのが、結構立派な神社だということ。
    熱田神宮…とまではいかないけど、かなり立派な神社ですよ。

    結婚式場を併設しており、そちらの方でも有名です。
    また、車の祈願もやっています。
    数少ない一宮市の中のパワースポットです。  閉じる

    投稿日:2013/06/06

  • 眞清田神社〔神社〕

    • 4.0
    • 旅行時期:2013/05(約13年前)
    • 63

    眞清田神社(ますみだ じんじゃ)は、愛知県一宮市に所在する尾張國一之宮神社である。

    該社、御祭祀は、
    天火明命(あ...  続きを読むめのほあかりのみこと)
    の御1柱である。

    然るに、時代背景として、大己貴命(おおなむちのみこと)、若しくは、國常立尊(くにのとこたちのみこと)との記述物も存在し、なかんずく、鎌倉期から江戸末期迄は、國常立尊の存在が最有力とされたが、紆余曲折の上、明治2年(1869年)に現祭祀に確定された。
    現在、該社に於いて該日をして創建記念日に指定し、明治43年(1910年)からは新暦4月3日に桃花祭として神事執行される。

    神階に就いては、
    承和14年(847年)11月11日 従五位下(續日本後紀)
    仁寿 元年(851年) 6月24日 従四位下(日本文徳天皇實録)
    貞観 7年(865年) 8月21日 正四位上(日本文徳天皇實録)
    文治 2年(1186年)3月    正一位  (尾張國神名帳)

    康正元年(1455年)6月には、該社に盗賊一味が押入り、更に、放火の狼藉に及んだ為に、該社境内造営物、神寶、祭器一切が焼失した。
    再興は、資金不足が原因で、長禄年間(1457〜60年)から寛正年間(1460〜66年)の長期間に亙った。

    尾張の戦国新興大名 織田信長(おだ のぶなが)(天文3年(1534年)6月23日〜天正10年(1582年)6月21日)は、第106代 正親町天皇(おうぎまち てんのう)(永正14年(1517年)6月18日〜文禄2年(1593年)2月6日)警護を名目に永禄11年(1568年)に上洛したが、数度の天覧後、天正2年(1574年)3月28日に勅許に拠り、奈良正倉院に収納されている香木 蘭奢侍(らんじゃたい)の切片を入手し、信長自身が楽しむと共に家臣に分与したが、その分与を受けた1人たる 村井貞勝(むらい さだかつ)( ? 〜天正10年(1582年)6月21日)は、友人で一宮城主の人関長安(ひとせき ながやす)(天文31年(1552年)〜天正12年(1584年)に小片を再分与した。
    長安は天下の名香を自家に置くのは忍びずとして該社に奉納した。
    その後、該香は一時期所在不明とされたが、現在は該社宝物館に断片と称する物が現存する。

    天正13年(1586年)1月18日に、天正大地震(てんしょう だいじしん)が発生し、当時の文書に、
    該社本宮、楼門、廻廊、その他殿堂悉く転覆傾斜
    と記載されるほどの被害が生じた。

    更に、織田信長亡き後、天下統一を成し遂げた豊臣秀吉(とよとみ ひでよし)(天文6年(1536年)3月17日〜慶長3年(1598年)9月18日)は、全国の石高確認の為に検地を実施したが、尾張國に対しては天正18〜19年(1590〜91年)に実施したが、該検地実施中たる天正19年(1591年)に、該社神人達が秀吉の些細な命令違反を理由に、一宮村以下計7村の該社所領地没収の暴挙に出た為に、神人達の職を廃し散逸させた事から、該社神職が各地に逸散した事から俄に荒廃状態を呈した事で神職不在社になり、故に、別当神宮寺般若院僧侶が神務管理する仏主社従の状態になった。

    秀吉死後、慶長5年(1600年)10月21日に東西に別れ関ケ原に於いて雌雄を決する戦いが行われたが、東軍筆頭 徳川家康(とくがわ いえやす)(天文11年(1543年)11月3日〜元和2年(1616年)6月1日)は、前々日たる同月19日に該社に於いて小憩を兼ね、該社を参拝して戦勝祈願した。
    幸いにして、関ヶ原ノ合戦は東軍側圧勝に終わったが、戦勝後、報寶として家康は該社に対し200石神領を安堵した。

    荒廃を極めていた該社を再興させた功績者は、何と言っても、初代尾張藩藩主 徳川義直(とくがわ よしなお)公(慶長5年(1601年)1月2日〜慶安3年(1650年)6月5日)であろう。
    義直は、尾張藩に入府した際に、該社参拝の折に見た状態に驚愕し、寛永8年(1630年)に該藩の全面的助力に依り本殿以下の造営が実施され、同年11月3日に正遷座が斎行され、その際に、義直は兄で徳川第2代将軍 徳川秀忠(とくがわ ひでただ)(天正7年(1579年)5月2日〜寛永9年(1632年)3月4日)の病気平癒を祈願している。
    また、長らく神職不在であった該社に、義直は 佐分栄清(さわけ さけきよ)(元和9年(1623年)〜正徳元年(1716年)) を任命し明治維新まで佐分家が世襲宮司家となった。
    尾張藩は該社を重視し、第2代尾張藩主 徳川光友(とくがわ みつとも)(寛永2年(1625年)8月31日〜元禄13年(1700年)11月26日)も先例に倣い、承應2年(1653年)に旧礎を活用して勅使殿を造営し、此れらに拠り、寛文3年(1663年)4月に本殿以下の造営が竣工した。

    徳川家が朝廷に政権を返納し明治元年(1868年)に明治維新が成立したが、明治新政府は政教一致政策を採用し、神道を唯一の国教とし神仏分離政策を強行したが、該社は、南北朝期に南朝方に対し精勤していた事実も該社に幸運をもたらした。
    該社境内別当寺は、享保18年(1733年)5月に廃絶した東西神宮寺、般若院以外、当時は、剣正寺、福寿院、光徳寺、及び、菩薩院が存在したが、福寿院以外は全寺廃寺に決し、堂宇は破壊され本尊は移転を余儀無くされた物も在ったが、一部は海外に流失した物も在ったが、多くの仏像類は現在も所在不明とされる。
    然し、該社内に於ける困惑は少なからず発生していた様で、例えば、明治3年(1871年)6月には、聖徳太子父子三像をして仏像か神像かに就いて解釈が分れ、結局、同年9月に該像をして神像と解され判定された事から、該社に残存が決定し該像は神庫に収納された。

    明治24年(1891年)10月28日6時38分に、岐阜県大野郡根羽村(現 本巣市)を震源とする濃尾大震災(のうび だいしんさい)が発生し、震源地至近の一宮町では、全家屋2750戸中、2200戸全壊、230戸余半壊し、即死153名、重軽傷者250名余を出す惨事となった。
    該社被災では、拝殿、勅使殿、塀重門が倒壊し、井戸屋形が損壊被害が発生したが、何れも、明治26年(1893年)3月に旧材を活用して再建された。

    大東亜戦争中、名古屋は三菱重工業を中心とした当時の我が国航空機製造企業が存在した事から、連合軍側の空襲攻撃重要都市の筆頭扱をされた為に度々攻撃を受けた。
    然し、当時は米軍に拠る攻撃は大都市部を標的にしたものと考えられていた為に、寧ろ、一宮市は疎開受入側都市とされ、昭和19年(1944年)1月に受入開始後、一宮市転入者は431世帯1580名を数えていた。
    然るに、同年12月ともなると一宮市は、警戒警報発令22回、空襲警報発令11回を記録し、最早、一宮の如き地方都市への攻撃すら最早避けられぬとの判断が主流となりつつあった。
    昭和20年(1945年)3月12日の名古屋空襲では、熱田神宮宮庁舎、斎館に焼夷弾が着弾全焼し、更に、同年5月17日の名古屋大空襲では、本殿、土用殿が被災全焼した。
    その為に、一宮市空襲実施時に於ける該社被災を懸念し、同年4月17日に防空様式の奉安殿設置が決定し、該地に駐屯していた陸軍一宮地方防衛隊の全面的協力を得て建設着手し、同年6月21日に竣工後に極秘裏に御霊代や寶物類を動座移動させていした為に、此れら所蔵宝物類は無事だった。
    一宮市は同年7月23日に北部地域に焼夷弾が投下され初被災が生じたが、同月27日21時40分に、事前の警戒警報発令も無く、いきなり空襲警報発令と同時に市中心部に爆弾焼夷弾が投下され、同日22時30分頃から該社境内に焼夷弾約200弾が投下炎上し、該市上水道施設が爆撃が原因で停電の為に断水状態になった為に、消火の為に送水する事すら叶わず、該社は神輿庫、寶蔵、及び、手水舎を除き、殆どの造営物が被災焼失した。
    全国の一宮神社で大東亜戦争中の空襲被害で、境内施設が壊滅に等しい甚大被害を受けたのは、該社以外では、大阪市中央区所在の摂津國坐摩神社(いかすり じんじゃ)が有る。

    該社社殿造営物は、尾張造(おわり づくり)と称するもので、尾張地域に所在する神社に見られる。
    平入切妻造の本舎正面に同幅庇を設置し、更に前方に延身した屋根が軒先まで曲線で覆い込む形態様式が特長とされ、同様例は、京都上賀茂神社、及び、下賀茂神社に類例を見る事が可能である。
    因みに、一宮市内には、もう1ヶ所、尾張國一宮大神神社が所在する。



    眞清田神社(ますみた じんじゃ)
    一宮市真清田1−2−1
    ?: 0586−73−5196
    9:00〜17:00
    東海道本線尾張一宮駅東口 徒歩8分
    http://www.masumida.or.jp/index.php  閉じる

    投稿日:2013/05/31

  • 真清田神社

    • 3.0
    • 旅行時期:2012/12(約13年前)
    • 0

    愛知県一宮市にある神社で一宮市民の氏神だそうです。
    一宮駅からはちょっと離れていますが歩けなくもない距離です。
    商店街...  続きを読むの突き当たりに位置しています。
    普段は閑散としていて静かです。
    4月の桃花祭りや七夕祭り、年末年始の時はとっても賑やかです。
    ここで結婚式も挙げられます。  閉じる

    投稿日:2014/07/03

41件目~50件目を表示(全51件中)

  1. 1
  2. 2
  3. 3
クチコミを投稿する

投稿写真

写真をもっと見る(127枚)

基本情報(地図・住所・アクセス)

施設名
真清田神社
住所
  • 愛知県一宮市真清田1-2-1
電話番号
0586-73-5196
アクセス
JR尾張一宮駅・名鉄一宮駅 徒歩 10分
公式ページ
詳細情報
カテゴリ
  1. 観光・遊ぶ
  2. 寺・神社・教会
登録者
横浜臨海公園 さん

※施設情報については、時間の経過による変化などにより、必ずしも正確でない情報が当サイトに掲載されている可能性があります。

このスポットに関するQ&A(0件)

真清田神社について質問してみよう!

一宮に行ったことがあるトラベラーのみなさんに、いっせいに質問できます。

  • +mo2さん

    +mo2さん

  • TOSHIさん

    TOSHIさん

  • kazuzukaさん

    kazuzukaさん

  • さるくさん

    さるくさん

  • りんた2011さん

    りんた2011さん

  • 藤崎遥さん

    藤崎遥さん

  • …他

このスポットで旅の計画を作ってみませんか?

行きたいスポットを追加して、しおりのように自分だけの「旅の計画」が作れます。
クリップ したスポットから、まとめて登録も!

周辺スポット

PAGE TOP