神戸ポートピアホテルのクチコミ(31ページ)
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初めてのあご脚付きの招待旅行はシェラトン・グランデ・トーキョーベイ・ホテルから始まり、翌年の2回目は神戸であった。
【神戸:ポートピアホテルに泊まって、北野異人館巡りを楽しむ。】
1992年6月16日~18日 (2泊3日)
<KOBE PORTOPIA HOTEL神戸ポートピアホテル>
〒650-0046 兵庫県神戸市中央区港島中町6-10-1
神戸ベイエリアを代表するシティホテルがこの神戸ポートピアホテルである。
神戸空港、JR・私鉄駅、神戸市街地へのアクセスも良い。ポートピア高層階から望む港町神戸の眺望は一段と素晴らしい。神戸最大規模を誇る746の客室、様々な料理を提供する13のレストラン、大小36の宴会場(最大2,000m²の大宴会場には約1,700名が入れると云う)と実に充実したホテルである。
本館は100mと高い。最上階である31階にはフランス料理「トランテアン」、30階にスカイグリルブッフェ「GOCOCU」、29階には中国料理「聚景園」、2階に鉄板焼「但馬」、ダイニングカフェ「SOCO」、バー「レスカード」。
南館には日本料理「神戸たむら」、串揚げ「SAKU」、鮨「すし萬」など客の多様な要望に応えている。
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【神戸・北野異人館巡り】
以下の地図にある異人館を代表的なものだけでもじっくり見て回るのは大変である。エキゾチックな神戸が好きで、1992年6月を最初に、その後、1997年10月、1998年8月、1999年7月、1999年12月といった風に訪れた。
北野は傾斜のある坂が高台に向かって幾つもある地域で、古くから貿易港として発展した神戸に良く似合う異人館が立っているのだ。
異人館は明治時代の貿易商人たちが自邸として建築したもので、それぞれが個性的な建物群で興味深く、多くの観光客が路地を歩いて楽しんでいる。
この町は外観だけでも見て回るのは楽しい。
北野の異人館の代表的なもの(ドイツ的な意味で)は以下のようなものだ。
<鱗(うろこ)の家(旧ハリヤー邸)>
明治38年(1905)頃、神戸旧居留地に外国人向けの高級借家として建設され、大正年間に北野町に移築された西洋館である。後にドイツ人R.ハリヤーの住居となった。旧ハリヤー邸よりも約3000枚の鱗(うろこ)のような天然石のスレートに包まれた外観の為、「うろこの家」という通称で知られている。
「うろこの家」は神戸・北野異人館の中でも、六甲山麓の山裾のひときわ見晴らしの良い高台に立っていて、神戸で最初に公開された代表的な異人館であり、外国人設計者による木造2階建て切妻屋根、黒桟瓦葺きの特徴的ある洋館だ。
<風見鶏の館(旧トーマス住宅)>
風見鶏の館は明治42年(1909年)頃にドイツ人貿易商ゴッドフリート・トーマス氏の自邸として建てられた。
建物の設計に当ったのは、ドイツ人の建築家ゲオルグ・デ・ラランデ。レンガの外壁と尖塔の風見鶏は北野異人館のシンボルとして人々に愛されている。
<ラインの館(旧ドレウェル邸)>
1915年に仏人J.R.Drewell ドレウェル 夫人の邸宅として建てられた。其の後永らくドイツ人が居住していたが、近年神戸市が所有者となり、一般に公開されるようになった。
大正初期の建築で、木造2階建下見板張りオイルペンキ塗りで、開放されたベランダ、ベイ・ウィンドー、軒蛇腹、よろい戸など、明治時代のいわゆる異人館の様式をそのまま受け継いでいる建物である。庭には蘇鉄や楠の大樹があり、心地よい緑陰をつくっている。ラインはドイツ人の「父なる川ライン」の事で、ドイツ人の異人館から名が付いたと思っていた。
「ラインの館」という名称は市民の愛称募集で入選した名前であり、「この館の下見板の横線(ライン)が美しいから」という由来から名称が決定したと聞いて驚いた。
(Wiki・神戸北野異人館HP参考)
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今にして思うと、初めての大阪、大阪単身勤務の唯一の楽しみは来阪した家内と、大阪、神戸、京都、奈良、ちょっと足を延ばして、松江、岡山、倉敷、和歌山、名古屋、三重などの観光が出来た事だ。
この時期のアルバムを見返してみると、写真や絵葉書、冊子の類いが貼られているが、コメント類が殆ど書いていない。
つまり私も家内もこの時期は多忙だったようだ。
(2022.10.08.編集加筆:以上は忘備録)
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