2016/06/23 - 2016/06/26
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winningさん
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昨年までで大分マイレージが貯まったので、それを使って色々と今まで行った事の国内各地を訪れようと思い、ゴールデンウィーク明けに福岡便を確保、それに合わせて有休も取り、後は行くだけと思ったら、ちょうどその頃九州を豪雨が襲った・・・
もしかしたら、キャンセルせんといかんかもと思い、日々天気予報を見て、状況を確認した所、どうやらピークは過ぎたようなので、せっかく取得できた3連休使って行って来ました福岡&佐賀。
目的は今回も百名城巡り。ワンパターンですみません。
福岡2城、佐賀3城の計5城を訪問予定。
最終日、飛行機の時間までに吉野ヶ里遺跡と佐賀城2つを巡ります。
まずは吉野ヶ里遺跡から。
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6/23 羽田⇒福岡(JL333便)→福岡・天神 [福岡ガーデンパレス泊]
6/24 福岡・天神→西唐津→名護屋城→唐津→大濠公園→福岡城→大濠公園→福岡・中洲川端 [デュークスホテル中州泊]
6/25 福岡・中洲川端→福岡・天神→大宰府(天満宮・正庁跡等)→紫→JR二日市→佐賀 [ホテルグランデはがくれ泊]
6/26 佐賀→吉野ヶ里遺跡
- 旅行の満足度
- 3.0
- 観光
- 3.0
- ホテル
- 3.5
- 交通
- 3.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 高速・路線バス JALグループ JRローカル 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
- 利用旅行会社
- 楽天トラベル
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-
佐賀の朝でございます。
ホテルのレストランから見る中庭の滝。
とても涼し気です。 -
朝食はこんな感じで。
右の6皿小鉢+アラカルト+米・味噌汁となります。
パンもあったかな。
美味しかったですよ。
時間が遅かった(9時少し前)というのもあるのか、食べてるの私だけでした。 -
食事してフロントロビー見たら、デスクに誰もいなかったので一枚。
この後、ホテルチェックアウトして、いざ吉野ヶ里へ。 -
佐賀から吉野ヶ里へはJRかバスの2択ですが、行きはバスを選択。
佐賀駅に連接した高架下のバスセンターへ。 -
西鉄バス40番西鉄久留米駅行きのバスにて移動。
佐賀駅バスセンターから1時間1本間隔で出ているみたいです。 -
佐賀駅より30分ちょっとで最寄バス停の田手・吉野ヶ里歴史公園南に到着。
寂れた所かと思いましたが、看板が見えるようにすき家とかマックがあったり、ショッピングセンターがあって、交通量も多く賑やかな場所でした。 -
降りたのは私だけでした。皆さん車なのかな。
久留米に向かうバスを見送って、吉野ケ里歴史公園に向かいます。 -
長崎本線の高架くぐった後で振り返ると、丁度特急らしき電車が通過してました。
-
怪しい雲が横切る中を真っ直ぐ進んで行きます。
周りは何もありませんが、道は立派です。
吉野ヶ里だからでしょうか。 -
バス停から歩く事3分程でこの看板。
この矢印は駐車場で、歩きや自転車で来た人の入口はもう少し先に。 -
バス停から5分程で、吉野ケ里歴史公園入口到着。
-
入口といっても、まだ入場ゲートまでは相当な距離。
ちょうど日が差してきて、暑くなってきた。きっつ〜。 -
3分歩いて入場ゲート到着。
自販機で入場料420円払います。
この受付に日本百名城のスタンプありました。 -
橋のたもとで入場券チェック。
天の浮橋と名付けられています。
青い髪のマスコットがお出迎え。
どうやら「ひみか」と名らしい。 -
川の向こうに建物がちらりと見えました。
それよりも気になる黒い雲。 -
どうやらあそこが入口のよう。
環濠入口となっていて、吉野ケ里集落の東にある正門とされている場所。
門の上には鳥の模型があるが、弥生時代の習俗的シンボルであったと考えられているそうな。
もっと細かい事は吉野ヶ里歴史公園のホームページに書かれていますので、是非読んでみて下さい(投げやり)。 -
入ってすぐの所にあった乱杭(らいぐい)もしくは逆茂木(さかもち)。
自分たちの集落を守るために造ったバリケードで、先が尖った棒状の木が斜めに隙間なく埋め込まれていました。
昔のアニメで、ここに尻が刺さったシーンがあったような、無かったような・・・ -
突然こんなものが出てきます。
当然作り物ですが、ビビリの人だと驚きます。 -
もう一発、作り物動物。
実際この距離でイノシシに出遭ったら、ヤバいです。
いや、ヤバいで済む話にならないと思います。 -
環濠入口を抜けると、櫓らしき建物が見えて来ました。
吉野ヶ里始まりましたという感じです。
ここは南内郭と呼ばれ、吉野ヶ里の「国」の「大人(たいじん)」達が暮らしながら、「国」の政治を執り行った場所と考えられています。 -
内郭の中に入る前に、そばにあった展示室にてお勉強・・・したはずなのですがあまり頭に入って来ません。
弥生時代まで時代が離れてしまうと、親近感というか共感できる点が少ないからイメージ湧かず架空の世界みたいな感じになってしまうんですよね。正直。 -
ここ吉野ヶ里は日本百名城として登録されていますが、正直誰が関わっているの?卑弥呼はここにいたの?と言った事が解明されていないので、中々入り込め無かったというのが正直な所。
まぁ難しい事考えずに、テーマパーク的な感じで見て行けばいいですかね。
という事で、南内郭の中へ入ります。
ここにも鳥いました。 -
柵に囲まれた広い敷地の中には、櫓と住まいが再現されていました。
これが日本における城の起源なんですね。 -
内郭内に幾つか櫓が建てられていて、そのうち二つほど登れるようになっているので、上に行ってみましょう。
-
すれ違うのがギリギリの階段の登って行きます。
エレベーターなんてあるわけありません。 -
上からは内郭全体を見渡す事ができますが、写真に収める事はできませんでした。
こちらは王の住まいを中心とした家々たちがあります。 -
内郭の外に目をやると濠が造られて、その外に集落があります。
ここは商人等市民が住んでいた場所とされています。 -
櫓の上のスペース。
一部弥生時代には無い材料も使われているようですが、見張り台としては十分すぎる位の広さがあります。この内郭には4つの櫓が建てられています。 -
濠は内郭の周りを囲むように造られていて、その外側を高い柵で囲んでいます。
よう造られてますね。
さて下に降りて家を見てみますか。 -
櫓の前に建てられているのは大人、つまり支配者層の人達が住んでいた住居。
竪穴式住居で、中に入る事ができます。 -
この柵に囲まれた中にあるのが王の住まい。
他の人達とはちょっと差がつけられています。
その周りには娘夫婦や妻の家が建てられていたとされています。 -
竪穴式住居の入口。
地面から少し降りた所に住まいがありました。 -
住居の中はこんな感じになっていて、当時の暮らしぶりを再現しています。
中の人は当然人形ですが、ちょっとリアルな感じです。 -
天井は高く、相当頑丈な造りをしています。
地位が高いからこそ住めたんでしょうね。 -
イチオシ
この南内郭で、もう一つ登れる櫓に登ってみた所、向こうに大きな建物が見えました。
あれがどうやら、北内郭にある主祭殿との事。次行きます。 -
イチオシ
これだけの住居再現するのも大変だった事でしょう。
それだけの事をする価値が、ここ吉野ヶ里にはあるのでしょうね。 -
イチオシ
北内郭全体図。
野球のグラウンドがすっぽり入る位の広さはあった様な感じでした。
では次の場所へ移動です。 -
北内郭行く途中でちょっと寄り道。
-
濠の下に降りられるという事なので、行ってみました。
これが集落の周囲に張り巡らされている濠です。
結構の角度があるので、ここに落ちたら上がるのは結構苦労する事でしょう。 -
南内郭と北内郭の間には、祭り・政治・儀礼に関する道具を作る場所が展示されていました。
ここは酒造りの家。
その他、養蚕・祭器・糸紡ぎ/機織りの家等がありました。 -
イチオシ
ここは北内郭への入場門。
ちょっとわかりずらいですが、中に入りずらくするために、折れ曲がった形状を取っています。
日本に残存している城にも良く見られる構造ですね。
城の起源という事が、ここに来てようやくわかりました。
柵も板張りになっていて、中は覗けないようになっています。
この門の上にも鳥います。 -
北内郭は国の「政(まつりごと)」の中心だった場所と考えられています。
敷地に入ると、主祭殿の建物が直ぐ視界に入って来ました。
早速上に上がってみます。 -
主祭殿の2階部。
祀りごとが開かれている様子で、王やリーダー、周辺の村の長が集まっている所が再現されています。
中央にいるのが王というのはわかりますが、左と右がどういう位置づけかは、ちゃんと解説読んでないのでわかりません。 -
主祭殿の3階部。
ここは祖先の霊のお告げを聞く祈りの場となっていて、その結果が2階の王やリーダーたちに伝えられたとの事です。
私占いは信じない方なのですが、こういうの見ると占いって歴史があって、信憑性あるものなのかなぁとも思ってしまいます。 -
イチオシ
外に出てきました。
一階部分は柱のみで、この前上野の国立西洋美術館と同じ、ピロティと呼ばれる構造取っています。
弥生時代に、こんな近代建築に通じるものがあるとは・・・たまたまですかね。 -
北内郭には主祭殿の他に、櫓とこのような高床式住居が展示されています。
-
北内郭の櫓から敷地内を見た所。
先ほどの南内郭とは違い、建物が密集しています。 -
北内郭から、北墳丘暮に向かいます。
大分天気良くなってきたかな。 -
途中には、甕棺(かめかん)という、九州北部に見られる特有の棺の模型が置かれていました。
素焼きの土器に亡くなった人の手足を折り曲げて入れ、土の中に埋める埋葬方法が取られていたそうです。
この吉野ヶ里近辺で約15,000もの数が埋められているとの想定だそうです。 -
イチオシ
途中、振り返って北内郭を見てみます。
敷地結構広いですね。 -
イチオシ
歩いていて大分汗かいてきました。
東屋のような所で少し休憩。 -
そしてこちらが北墳丘暮。
歴代の王様の墓が再現された場所です。 -
中はエアコン効いててさわやか〜。
発掘現場をそのまま展示したような形取っています。 -
中には本当に発見された甕棺をそのまま展示している所もありました。
だから一定の温度に保つ必要があったわけですね。
発掘物や、詳しい解説がなされていて結構見応えありました。吉野ヶ里歴史公園 (吉野ヶ里遺跡) 名所・史跡
-
さてこれでメインの場所は見たのですが、まだまだ広大な敷地が広がっています。
時間の許す限り見てみましょう。 -
まずは北墳丘暮のさらに北の方へ向かいます。
-
この辺りは甕棺暮列と呼ばれ、たくさんの甕棺が埋められている風景を再現しています。
ここはただ凸凹しているだけのように見せてますが -
実際はこんな感じで埋められてたんですよ、というのを再現しています。
この辺りは、王とか偉い人では無く、一般の人が埋められていたようです。 -
この先は、まだ発掘や施設準備中との事。
隣の林に抜け道があったので進んでみます。 -
抜け道の先には古代植物館がありました。
弥生時代に生息していた植物を中心に展示されていましたが、見るモノはそれ程多くなかったです。 -
公園内を無料の周遊バスがちょうどここに停まる時間だったので、これに乗って入口近くまで戻るとします。
-
門のそばまで行けたのですが、途中下車。
この田んぼでは赤米を育てているそうです。 -
この辺りは倉と市と呼ばれるエリアで、市が開かれたり、市の展示物を保管する倉庫が建てられていたエリアです。
-
イチオシ
この同じような建物が並んでいる場所は、クニの大倉という所で、重要な品が保管されていた場所とされています。
この写真だとわかりずらいですが、建物の周りを柵で囲んでいた事からそのような推測がされています。 -
公園内で一番高いと思われる場所に来ました。
多分全部見て周るには、あと2時間は必要と思われるので、これ以上の散策をギブアップして撤収します。 -
いや〜ホント広かったですね。
でも中々面白かったです。 -
最後、集落を抜けて
-
天の浮橋に戻ってきました。
帰りは電車で帰るので駅に向かいます。 -
駅へはこのような案内板があるので、迷う事ありません。
-
駅までの途中、こんなもの見つけました。
レース鳩? -
訓練中のレース鳩です。
昔、レース鳩アラシって漫画あったの思い出しました。
週刊少年チャンピオンに連載されてて、結構好きだったんだよなぁ〜。 -
と、そんなレース鳩話はどうでもよく、旅行の話に戻ります。
もう終わりだけど・・・
遠くに駅舎が見えてきました。 -
公園出てからゆっくり歩いて15分位ですかね。
吉野ヶ里公園駅到着です。
駅舎の一部は、公共のスペースになっていました。 -
タッチ式の改札が置かれてましたが、無人駅では無く駅員もいます。
頻度は、1時間に2・3本といった所でしょうか。 -
駅のシンボルはやはり吉野ヶ里遺跡の櫓の絵。
-
昨日と同じ機種かな。これに乗って佐賀戻ります。
城巡りもいよいよフィナーレ、残る1つ佐賀城に向かいます。
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