2016/06/04 - 2016/06/04
941位(同エリア1777件中)
三峯霧美さん
日本橋七福神めぐりは人形町の駅を中心にぐるりと神社だけで構成されています。
お正月は色紙に御朱印を貰ったり、宝船にのせる御神像を集めたりして、どこの神社も行列ができるほどの人気があり、全行程4時間以上かかるそうです。
松の内が過ぎても2社を除いて、社務所が開いていて御朱印を頂くことができるので、地元の友人との待ち合わせの間に決行しました。
順番に関係なく、人形町の駅から近い順にぐるりと回り、途中ランチを取って、一周3時間ちょっと、コレド室町で友人と会い終了しました。
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同行する友人と待ち合わせは地下鉄人形町A3出口、そこから東へ180m 通りを二本入ったところ
末廣神社 毘沙門天 勝運災難除
祭神 倉稲魂命 うがのみたまのみこと
武甕槌命 たけみかづちのみこと末廣神社 寺・神社・教会
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境内左側に、ちゃんと手水舎があります
1675年社殿修復時に古い末廣扇が発見されたので、氏子の人たちが喜び末廣神社としたそうです。 -
1617年に幕府から許可を得て、葭の沼地を開拓して造られた遊女町葭原(吉原)の氏神さまでした。
関東大震災以前は、別の場所にあったものを、震災後の区画整理でここに移動させましたが、東京大空襲で社殿を焼失、現在の社殿は戦後に作られたものです。 -
社殿のすぐわきに小さな社務所。
無人の茶ノ木神社の御朱印をこちらで頂きました。 -
御朱印は神社のものと、七福神詣のものと二つ頂きました。
二人分、合計4枚書いていただくので、ちょっと時間がかかります。
松の内に廻った経験のある友人によると、お正月も御朱印帳に書き入れがあり、行列になるので、とても時間がかかるそうです。 -
末廣神社から230m。浜町川緑地を突っ切って左を向くと鳥居があります。
2番目 笠間稲荷神社 東京別社 寿老人 長寿幸運
祭神 宇迦之御魂神笠間稲荷神社東京別社 寺・神社・教会
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江戸時代の2万坪にも及ぶ広大な笠間藩主牧野氏の下屋敷の邸内社でした。
廃藩後牧野公邸は本所に移転し、牧野家の願いによって笠間本社が奉祀するようになりました。 -
関東大震災で社殿消失し再建されますが、東京大空襲で再度消失。戦後復興にはかなりご苦労されたようですが、1953年に拝殿が再建されました。
社務所わきには、たくさんの狐さん。
きっとどこかのお宅に祀られていたお稲荷さんだったのでしょう。
都内にあった祖父母の家にも、お稲荷さんがありましたが、移転した時に「返した」といってました。 -
笠間稲荷は紋三郎稲荷と言われています。
落語「紋三郎稲荷」は笠間の家中の侍が、笠間から江戸屋敷に向かう時に、お稲荷さんの眷属の狐になりすまして、駕籠屋をだますという話です。 -
笠間稲荷からまっすぐ南東へ280m 松島神社に向かって歩いて行くと、小さな神社がありました。
七福神めぐりとは関係のない神社ですが、前を素通りってわけにはいきません。 -
元徳稲荷神社 宇迦之御魂神 商売繁盛 家内安全
綱敷天満神社 菅原道真公 学問成就 受験合格 (日本橋で唯一の天神様。)
弁財天
由緒書きが置いてありました。
元徳稲荷は墨田区立川の三ツ目通りの三ノ橋の袂にあるお稲荷さん。浜町の熊本藩の細川公が分霊してお祀りしたそうです。元徳稲荷は伊勢神宮外宮の豊受大神宮を分霊しお祀りしていたのが、いつの間にかお稲荷さんになったそうです。 -
ちょっと進んで、また浜町川緑地にぶつかったところの角にドイツパンのお店「タンネ」
イートインスペースがあり、全員昼食をとっていないので、ソーセージプレートランチ 550円(飲み物別)でお昼ごはん。タンネ 浜町本店 グルメ・レストラン
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マジョラムの香りが食欲をそそる、ソーセージにヨーグルトのサイドディッシュを注文、ミニパンが食べ放題でした。
パン&ソーセージはダイエッターには禁断の食べ物だけに、美味しかった(嬉し泣き)
あまり長っ尻になると、全部回り切らないので、出発! -
笠間稲荷から600m 新大橋通をちょっと脇に入ると、ビルの中に神社が。
3番目 松島神社 大黒神
祭神 稲荷大神 他13柱 -
鎌倉時代のこの辺りは入海で、松の木が生えた小島に現宮司の柴田家の祖先が下総国から移り住み、邸内に社殿を造営しました。常夜燈は東京湾の海路の目標としたと伝わっています。
1585年に松島稲荷大明神として一般公開、大正になって松島神社と改称されました。 -
やはりこちらも関東大震災と東京大空襲で資料ともども灰燼に帰したそうです。
「人形町のお酉さま」と言い、酉の市が行われます。
「良夢」というお札を枕の下に入れて眠ると、良い夢が見られると人気なんだそうです。 -
江戸時代に入ると周辺を埋め立て大名屋敷を造営するために、全国各地から職人が呼び寄せられ、そのまま住まいを構え、それぞれの故郷の神様を合祀するように頼んだため14柱と多いそうです。
日付以外はゴム印です。頂けるだけで感謝。 -
松島神社から新大橋通りに出ると、新しくなった水天宮の本殿が見えてきます。
水天宮の角の交番も新しくなって健在ですが、以前は一階に並んでいた雑然とした商店は無くなってしまいました。
代わりに、直線で構成された綺麗な通路になっています。水天宮 寺・神社・教会
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4番目 水天宮 松島神社から210m
祭神 天御中主大神 あめのみなかぬしのおおかみ 安徳天皇 建礼門院 二位の尼
今風の入り口です。建物は免震装置がついているそうです。
さすが安産の神様、妊婦さんやベビーカーを押した家族連れが沢山。 -
1818年久留米藩主有馬氏が国元の水天宮を分祀して江戸屋敷に祀ったことから始まります。
明治に入り赤羽橋から赤坂を経てこの地に移転しました。
やはり関東大震災で社殿が消失しましたが、ご神体は新大橋に避難して難を逃れ、1930年に社殿が完成。
この新しい社殿は1967年の権現造の社殿を作り替えたものです。 -
寳生辨財天 江戸時代に、久留米藩主 有馬頼徳公が寳生流能楽の技を加賀藩の前田斉広公と競う際、辨財天に願をかけ、勝利をおさめたのでこの名がついたそうです。
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新しく今風な社務所で、巫女さんに御朱印を書いていただきました。
福犬の置物は、四半世紀前に我が家にもあった記憶が・・・。息子は元気に一人前になりました。感謝。 -
水天宮から、目と鼻の先、
5番目 茶ノ木神社 布袋様 水天宮から190m
ここは無人の神社です。水天宮に近いからか、参拝する方が多いです。
江戸時代、佐倉城主堀田家の中屋敷に祀られていたお稲荷さんで、お屋敷の周りはお茶の木が植えられていたので、お茶ノ木さまと親しまれていたそうです。
お正月の期間だけ、有人でご神体や御朱印のお世話があるそうです。茶ノ木神社 寺・神社・教会
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祭神 倉稲魂大社
明治以降、誰の手によって祀られてきたか判らないそうですが、現在は近隣の町内会がお世話しているそうです。
1960年に地下鉄日比谷線の建設により、一時移転した後、新社殿を建て、戻ってきたそうです。
周囲は最近できた建物に囲まれて、社殿の周辺も新しくなっているようです。 -
御朱印は、日本橋七福神の他の神社で頂けます。
布袋尊の一種類のみです。 -
新大橋通を蠣殻町交差点に向かって歩ていると、大きな銀杏の木のある神社がありました。
七福神めぐりに含まれていませんが、やっぱり素通りはできません。
銀杏八幡宮 中央区で唯一の八幡様銀杏八幡宮 / 銀杏稲荷神社 寺・神社・教会
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敷地内は舗装されていません、都内に住んでいた明治生まれの祖父が自宅敷地内は「泥を残しておくんだ」と言って、コンクリートを打つのを嫌っていたのを思い出しました。
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江戸時代、福井藩主松平家の邸内社で、創建は不明ですが、祭神を社殿にお祀りしたのが1775年で、当時樹齢300〜400年の大きな銀杏があったということです。
関東大震災で社殿と一緒に焼けて、枯死したそうです。
祭神 誉田別尊 -
隣には銀杏稲荷 創立は八幡宮より古いそうです。
祭神 豊受大神 -
6番目 小網神社 福禄寿 長寿 茶ノ木神社より400m
お正月の七福神めぐりは、ここからスタート。
色紙やご神体を乗せる船をここで手に入れて、回り始めるので長い行列ができていたそうです。「冬だから寒いんだよね」だそうです。
コレド室町からも近いので、参拝者が常にいます。小網神社 寺・神社・教会
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最近社殿を修造し、大きくなった植木等を整備して明るくなりました。
祭神 倉稲魂神 お稲荷大神
市杵島比賈神 弁財天
1466年に悪疫が流行って困っていたところ、網師の翁が海上で網にかかった稲穂を持ってこの地にあった庵を訪れます。
庵主は夢で翁を稲荷大伸と崇めれば悪疫は消滅すると告げられ、夜が明けると翁の姿はありませんでした。
翁を小網稲荷大明神と称え、祈願をつづけたところ、悪疫は治まったそうです。 -
関東大震災で社殿は崩壊、神職は御神体を持って新大橋に避難し、そこへ集まった人たちが、ご神体に加護を願ったところ、大勢の人が助かったそうです。
第二次大戦では戦地に赴いた氏子の出征兵士は全員生還し、東京大空襲の際も境内の建物は奇跡的に戦火を逃れたということで、強運厄除けにご利益があるということです。
ちゃんと神楽殿もあります。 -
明治の神仏分離で弁財天を祀る寺院と離れますが、その後、寺院は廃絶したため、弁財天は神社に戻ってきました。
船に乗った弁財天で「万福舟乗弁財天」といい、財運が授かる「東京銭洗い弁天」もあります。 -
というわけで、御朱印は3種類あります。
こちらは神社の御朱印 -
一番歴史のある、弁財天と、七福神めぐりの福禄寿です。
今回の七福神めぐりは、御朱印を頂くのが二人。
一つ一つ丁寧に書いていただきました。 -
椙森神社に向かって歩いて行くと、赤いのぼり旗が立っています。路地を入ってみると、マンションの裏口・・というより、自転車置き場に「出世稲荷」と書いてある。
小網神社から550m出世稲荷神社 寺・神社・教会
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これ、一人だったら入れないかも・・・薄暗い自転車置き場を進むと、センサーライトが光って、奥に鳥居がありました。
「壊れてる」という張り紙のある乾燥機と洗濯機、スチールの物置に、どこに向かうかわからない階段、雑然と置かれたオリコンなど・・・とディープな感じですが、周辺は掃き清められて、ごみ一つ落ちていません。 -
鳥居をくぐると明るく、ちゃんと手水舎もあります・・・植木鉢がなんとも都会的。
ディープな空間です。
岩代稲荷神社も合祀されていており、岩代は近隣の旧町名だそうです。 -
出世稲荷神社 祭神 倉稲魂命
1617年北条家浪人数名が仮屋敷内に創建と伝えられ、江戸時代初代市川團十郎が日参し名を挙げたことから、出世稲荷神社と言われるようになったそうです。
1657年江戸振袖火事、1854年安政の大地震、1873年の火災、1923年関東大震災、第二次世界大戦まで、本尊の災禍を免れたそうです。
社殿は関東大震災で焼失し、この後参拝する椙森神社の拝殿の古材を削り直して使い1931年につくられました。 -
7番目 椙森神社 すぎのもりじんじゃ 恵比寿神 商売繁盛 小網神社から600m
水天宮に次いで境内の広い神社です。
創建は千年前ともいわれ、平将門討伐祈願や、太田道灌の雨ごい祈願などの記録が残っているそうです。
祭神 倉稲魂尊、素戔嗚尊、神大市比売、大己貴大神、四大神椙森神社 寺・神社・教会
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江戸時代には江戸三森(椙森・柳森・烏森)と言われ崇敬を集めていました。
社殿は関東大震災で焼失し、1931年に鉄筋入り耐震構造で再建。 -
富塚
江戸時代の富くじをしのび1919年に建てられ、1953年に再建
持ってきた宝くじを風で飛ばされないようにプラスチックケースに入れて当選祈願。
隣は手水舎ですが、運を水に流さないようにと、水かけ禁止です。 -
社務所は拝殿の隣、大きな木があるのでちょっと薄暗い。
昭和の香りのする白くて丸いブザーを押すと、奥から人が来てくれます。
御朱印をお願いすると、書いていただいてる間に、区のチャイムが鳴り響く。5時です。 -
日本橋七福神は、もう一社、恵比寿様の寳田恵比寿神社がありますが、そちらは松の内以外は無人です。
遅れて待ち合わせの友人から「どこにいる?」とLINEが入ったので、コレド室町の福徳神社前で落ち合うことにしました。
七福神めぐり、完了です。 ご利益あるかな? -
福徳神社 椙森神社から600m 友人と落ち合って、お参り。
春ごろから、いつでも御朱印がもらえるようになったのですが、5時を回ってしまったので、今回はじっくりとお参りだけ。福徳神社 (芽吹稲荷) 寺・神社・教会
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隣の敷地は、また再開発のようです。大型プランターに田植えしてありました。ミニ御神田です。
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祭神 倉稲魂命 日本橋という土地柄か、あちこち転々として、コレド室町の再開発でここに鎮座しました。やっと地面に戻ってきた。お参りする方も増えました。
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周辺は各県のアンテナショップがたくさんあって、名産品の宝庫です。ですが、三重にも島根にも、しじみ山椒は無かった。また、一畑百貨店の通販にお願いしよう。
騒がしい団体旅行客のおかげで、まっすぐ歩けない銀座と違い、こちらはゆったりとした時間が流れてます。コレド室町 ショッピングモール
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茅乃舎で買い出し、この日はそれほど混雑していませんでした。
茅乃舎 (日本橋店) 専門店
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夕食のために銀座に移動、この旅行記用に一応日本橋を撮影しておこう。
日本橋界隈は江戸時代に大名屋敷が作られ、その邸内社が残っているので、小さな神社がたくさんあります。
また機会があればディープな神社を巡ってみたいです。日本橋 名所・史跡
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