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シポントは13世紀に地震により崩壊した町である。町はフェデリコ2世の息子マンフレートが新市街(今のマンフレドニア)を築いたので、彼の名を残した町に住民が移住していまった。<br />サン・レオナルド・シポント(San Leonardo di Siponto)教会は、その旧町区に残されたロマネスクの教会である。起源は11世紀に遡る。

サン・レオナルド・シポント(San Leonardo di Siponto)

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2014/02/22 - 2014/03/02

7位(同エリア24件中)

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クリス

クリスさん

シポントは13世紀に地震により崩壊した町である。町はフェデリコ2世の息子マンフレートが新市街(今のマンフレドニア)を築いたので、彼の名を残した町に住民が移住していまった。
サン・レオナルド・シポント(San Leonardo di Siponto)教会は、その旧町区に残されたロマネスクの教会である。起源は11世紀に遡る。

旅行の満足度
5.0
同行者
家族旅行
交通手段
レンタカー
航空会社
ANA
旅行の手配内容
個別手配

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  • 2014年の旅はアマルフィから始まって、バシリカータ、プーリア、アブルッツォ最後はフィレンツェで終わる長い旅であった。ここを訪れたのは2月26日。カンナエの古戦場を巡った後の事になる。<br />準高速道路のSP89の道路沿いにあるので、迷う心配はなかった。しかしながらこの道を行き交う車はかなりのスピードを出しているので、駐車場から教会に行くために、道路を横断するにはかなりの危険をようする。

    2014年の旅はアマルフィから始まって、バシリカータ、プーリア、アブルッツォ最後はフィレンツェで終わる長い旅であった。ここを訪れたのは2月26日。カンナエの古戦場を巡った後の事になる。
    準高速道路のSP89の道路沿いにあるので、迷う心配はなかった。しかしながらこの道を行き交う車はかなりのスピードを出しているので、駐車場から教会に行くために、道路を横断するにはかなりの危険をようする。

  • ビザンティン様式の教会に少し時代が下がったロマネスク盛期の扉口が残されている。13世紀の物であるが、深堀の優美な彫刻群が目を抜く。

    ビザンティン様式の教会に少し時代が下がったロマネスク盛期の扉口が残されている。13世紀の物であるが、深堀の優美な彫刻群が目を抜く。

  • 扉口の左右の側柱に彫られた獅子は、この教会の守り神になる。

    扉口の左右の側柱に彫られた獅子は、この教会の守り神になる。

  • ルネットにあるキリスト像は、左右に天使を従えている。周辺の装飾もかなり凝っている。

    ルネットにあるキリスト像は、左右に天使を従えている。周辺の装飾もかなり凝っている。

  • 側柱、獅子像の上には2頭のグリフォン。

    側柱、獅子像の上には2頭のグリフォン。

  • 扉口を取り囲む蔦文様に、絡みつくように様々な像が彫られている。

    扉口を取り囲む蔦文様に、絡みつくように様々な像が彫られている。

  • 左柱の下から上に、まぐさ石を挟んで、右柱になめる様に撮影した。

    左柱の下から上に、まぐさ石を挟んで、右柱になめる様に撮影した。

  • まぐさ石に彫られているロバに乗るアブラハムと天使。

    まぐさ石に彫られているロバに乗るアブラハムと天使。

  • 東方の三博士の礼拝。

    東方の三博士の礼拝。

  • マリアの顔が少し欠けているが、贈り物を渡すしぐさが可愛い。

    マリアの顔が少し欠けているが、贈り物を渡すしぐさが可愛い。

  • こちらはルネット上部の彫り物をアップにして撮影。

    こちらはルネット上部の彫り物をアップにして撮影。

  • こちらはアブラハムの横にあるドラゴン退治の聖ミカエル。

    こちらはアブラハムの横にあるドラゴン退治の聖ミカエル。

  • これは、左柱のマリア像を横から撮った。

    これは、左柱のマリア像を横から撮った。

  • ロマネスク好きなら、これだけでも見るべき価値があると思う。

    ロマネスク好きなら、これだけでも見るべき価値があると思う。

  • 内部はビザンティン様式、2つのドームを持ち、小さな三祭室の構造となっている。

    内部はビザンティン様式、2つのドームを持ち、小さな三祭室の構造となっている。

  • 寒いので筒型のストーブが置いてあった。

    寒いので筒型のストーブが置いてあった。

  • 細やかな細工を施した窓。

    細やかな細工を施した窓。

  • 浅いシリンダーの後陣。

    浅いシリンダーの後陣。

  • 軒送りの彫刻も面白い。

    軒送りの彫刻も面白い。

  • 西正面の扉口は閉まっていた。

    西正面の扉口は閉まっていた。

  • こちらにはあまり装飾が施されていない。

    こちらにはあまり装飾が施されていない。

  • 13世紀にこの教会は、ドイツ騎士団の所有物だったという。当時のドイツ騎士団はフェデリコ2世の中枢となる家臣団であった。プーリアには、その足跡が多く残っている。

    13世紀にこの教会は、ドイツ騎士団の所有物だったという。当時のドイツ騎士団はフェデリコ2世の中枢となる家臣団であった。プーリアには、その足跡が多く残っている。

  • この教会の見学の後、マンフレドニアに向かう。<br />東に数キロ行くと、もう一つの教会が見えてくる。

    この教会の見学の後、マンフレドニアに向かう。
    東に数キロ行くと、もう一つの教会が見えてくる。

  • サンタ・マリア・ディ・シポント(Santa Maria di Siponto)教会と呼ばれるこちらもビザンティン様式のロマネスク教会。記録には1248年(1249年とも)に献堂とある。

    サンタ・マリア・ディ・シポント(Santa Maria di Siponto)教会と呼ばれるこちらもビザンティン様式のロマネスク教会。記録には1248年(1249年とも)に献堂とある。

  • 残念ながらオフシーズンのこの期間は、敷地入口の門に鍵がかかっていて、ミサの行われる日曜日以外は閉鎖されている。

    残念ながらオフシーズンのこの期間は、敷地入口の門に鍵がかかっていて、ミサの行われる日曜日以外は閉鎖されている。

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この旅行記へのコメント (2)

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  • shinkaiさん 2016/03/23 01:37:51
    こんにちは!
    何と素晴らしい入り口の彫ですねぇ!!

    この教会は全体像を見ると、2つのドームがあって、この凄い入り口は北側、脇の入り口になるのですよね?
    で、西側の本来ならば正面になる入り口側は余り豪華でなく、
    そして内陣はどの部分に? ちょっと勘が狂って分らなくなりました、へへ。

    扉脇柱上部のあの部分、まぐさ石、というのを始めて知りましたが、なぜその名前なんでしょう?

    クリス

    クリスさん からの返信 2016/03/23 18:40:41
    RE: こんにちは!
    たしかに、この教会は特異な形をしていますね。クーポラが2つあって、本来は正面になる西側には大した装飾がなく、側廊にあたる脇にある北正面の入り口が豪華な作りになっている。ここを入ると、この部分が短い身廊である事がわかります。東側が主祭壇の内陣に当たるのですが、いかに小さな教会である事が感じられるのではないでしょうか。

    まぐさ石のまぐさとは、漢字だと「楣(木へんに眉)」となり建築構造上の横梁を眼の上にある眉(まゆ)「目を支える」に例えているようです。

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