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芸術の都パリが生んだ幾多の巨匠画家が、その後南仏に拠点を移したことはよく知られている。南仏に巨匠画家の足跡を訪ね、彼らを魅了した南仏の魅力を探る事をテーマにした旅の第3弾は、マティス、シャガールが晩年居を構えたコートダジュールを訪ねる旅行記である。彼らの冠美術館のある中心都市ニースを拠点に、鷲の巣村ヴァンス、その隣村のサン・ポール・ヴァンスを巡った。

マティス、シャガールとコートダジュール ”巨匠画家の足跡を訪ねる南仏の旅 その3”

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2015/06/07 - 2015/06/09

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museumwandererさん

芸術の都パリが生んだ幾多の巨匠画家が、その後南仏に拠点を移したことはよく知られている。南仏に巨匠画家の足跡を訪ね、彼らを魅了した南仏の魅力を探る事をテーマにした旅の第3弾は、マティス、シャガールが晩年居を構えたコートダジュールを訪ねる旅行記である。彼らの冠美術館のある中心都市ニースを拠点に、鷲の巣村ヴァンス、その隣村のサン・ポール・ヴァンスを巡った。

旅行の満足度
5.0
同行者
カップル・夫婦
交通手段
高速・路線バス 飛行機
旅行の手配内容
個別手配

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  • ①ニース起点にヴァンス、サン・ポール日帰り旅<br /><br />ニースの北西の山麓に位置するヴァンス、サンポール・ヴァンスはマティス、シャガールが移り住んで創作活動をした村で知られる。ニースから日帰りで彼らの足跡を辿ることにする。<br /><br />・日程概要<br /> 1.  ニース市内で#90バスの乗り、ヴァンスに直行する。<br /> 2. マティスのプロデュースしたロザリオ礼拝堂見学<br /> 3.  ヴァンス旧市街散策<br /> 4.  ヴァンスから#400バスでサン・ポール・ヴァンスへ移動<br /> 5.  サン・ポール旧市街散策 昼食<br /> 6.  郊外にあるマーグ財団美術館見学<br /> 7. #400バスでニースへ戻る<br /><br /> 朝早めに出発すれば、夕方にはニースに戻ってこれる行程である。<br /><br /> 写真:ヴァンス旧市街の遠景、教会の尖塔を中心に鳥の巣状に発展した典型的な「鷲の巣村」の様子が判る。

    ①ニース起点にヴァンス、サン・ポール日帰り旅

    ニースの北西の山麓に位置するヴァンス、サンポール・ヴァンスはマティス、シャガールが移り住んで創作活動をした村で知られる。ニースから日帰りで彼らの足跡を辿ることにする。

    ・日程概要
     1. ニース市内で#90バスの乗り、ヴァンスに直行する。
     2. マティスのプロデュースしたロザリオ礼拝堂見学
     3. ヴァンス旧市街散策
     4. ヴァンスから#400バスでサン・ポール・ヴァンスへ移動
     5. サン・ポール旧市街散策 昼食
     6. 郊外にあるマーグ財団美術館見学
     7. #400バスでニースへ戻る

     朝早めに出発すれば、夕方にはニースに戻ってこれる行程である。

     写真:ヴァンス旧市街の遠景、教会の尖塔を中心に鳥の巣状に発展した典型的な「鷲の巣村」の様子が判る。

  • ②ヴァンス、ロザリオ礼拝堂<br />*ヴァンスへのアクセス<br />・ニースからヴァンスへは、ニース市バスが運行している。#90,#400の2系列があり、1時間程で到着する。前者はヴァンス直行便、後者は途中迂回して、サン・ポールを経由しヴァンスに至る路線である。<br />・#90はPASSが有効な路線であるが、#400のサンポールはPASSの料金体系から外れ追加料金が発生するので要注意。<br />・ニースには長距離バスターミナルはない。ヴァンス行き始発の停留所は、アルベルト1世公園横の「Albert 1er」である。カンヌ等ニースから西へ向かう長距離バスはここが起点となっている。<br /><br />・終点のヴァンスのバス停は正式には「Halte Routiere」という名で、旧市街の外れのロータリーで下ろされる。街外れといっても標識は整備されているので問題ない。<br />・ロザリオ礼拝堂はヴァンス旧市街と谷を挟んで北側の丘の中腹にある。バス停のロータリーからアンリ・マティス通りを右折し、マティス橋を渡って対岸に行き、徒歩10分ほどの右側にある。

    ②ヴァンス、ロザリオ礼拝堂
    *ヴァンスへのアクセス
    ・ニースからヴァンスへは、ニース市バスが運行している。#90,#400の2系列があり、1時間程で到着する。前者はヴァンス直行便、後者は途中迂回して、サン・ポールを経由しヴァンスに至る路線である。
    ・#90はPASSが有効な路線であるが、#400のサンポールはPASSの料金体系から外れ追加料金が発生するので要注意。
    ・ニースには長距離バスターミナルはない。ヴァンス行き始発の停留所は、アルベルト1世公園横の「Albert 1er」である。カンヌ等ニースから西へ向かう長距離バスはここが起点となっている。

    ・終点のヴァンスのバス停は正式には「Halte Routiere」という名で、旧市街の外れのロータリーで下ろされる。街外れといっても標識は整備されているので問題ない。
    ・ロザリオ礼拝堂はヴァンス旧市街と谷を挟んで北側の丘の中腹にある。バス停のロータリーからアンリ・マティス通りを右折し、マティス橋を渡って対岸に行き、徒歩10分ほどの右側にある。

  • *マティスとロザリオ礼拝堂のエピソード<br />・マティスがニースの魅力に取りつかれ移住したのは1939年71歳の年、第二次世界大戦が没発した時期であった。<br />・移住後マティスは癌に侵され、2度の手術を受けた。看護師のモニクの手厚い看護で一命を取り留めたと言われ、再び絵筆をとれたのは彼女のお陰と恩を感じたという。<br />・戦火がニースにも及んだため、マティスは山間の地ヴァンスに移り創作活動を続けた。<br />・戦後しばらくした1947年に、戦火に見舞われたヴァンスの礼拝堂を復興するために、ステンドグラスのデザインの指導の話がマティスに舞い込む。その機会に看護師から修道女となってヴァンスに移っていたモニクと偶然の再会を果たす。<br />・モニクとの再会を運命に感じたマティスは、礼拝堂の復興のすべてを無償で請け負う決心をし、4年の歳月、ライフワークとして全力を傾注し、1951年完成を見た。<br />・その4年後の1955年マティスは世を去った事も有り、ロザリオ礼拝堂復興プロデュースは彼の集大成の作品と言われている。<br /><br />写真:ロザリオ礼拝堂の入り口と屋根に立つ三日月あしらった十字架<br /><br /><br />

    *マティスとロザリオ礼拝堂のエピソード
    ・マティスがニースの魅力に取りつかれ移住したのは1939年71歳の年、第二次世界大戦が没発した時期であった。
    ・移住後マティスは癌に侵され、2度の手術を受けた。看護師のモニクの手厚い看護で一命を取り留めたと言われ、再び絵筆をとれたのは彼女のお陰と恩を感じたという。
    ・戦火がニースにも及んだため、マティスは山間の地ヴァンスに移り創作活動を続けた。
    ・戦後しばらくした1947年に、戦火に見舞われたヴァンスの礼拝堂を復興するために、ステンドグラスのデザインの指導の話がマティスに舞い込む。その機会に看護師から修道女となってヴァンスに移っていたモニクと偶然の再会を果たす。
    ・モニクとの再会を運命に感じたマティスは、礼拝堂の復興のすべてを無償で請け負う決心をし、4年の歳月、ライフワークとして全力を傾注し、1951年完成を見た。
    ・その4年後の1955年マティスは世を去った事も有り、ロザリオ礼拝堂復興プロデュースは彼の集大成の作品と言われている。

    写真:ロザリオ礼拝堂の入り口と屋根に立つ三日月あしらった十字架


  • ロザリオ礼拝堂の表面入口<br /><br />極限まで削ぎ取った線描によるタイル画が玄関で迎える。<br />内部の壁画も同じタッチでシンプルながら勢いのある線画で統一されている。

    ロザリオ礼拝堂の表面入口

    極限まで削ぎ取った線描によるタイル画が玄関で迎える。
    内部の壁画も同じタッチでシンプルながら勢いのある線画で統一されている。

  • *ロザリオ礼拝堂外部写真(内部は撮影禁止)<br /><br />・建物は決して大きくない、極くシンプルで質素な平屋構造の教会である。<br />・礼拝堂内部は,外と同様壁も床も白が基調色で統一されている。正面にと左側の壁は細長い窓が施され、ステンドグラスがはめ込まれている。正面のステンドグラスは「Tree of Life」(命の樹)というタイトルで、厳しい砂漠の環境下で花を咲かせ実を結ぶサボテンの花と葉をデザインしたものである。<br />・ステンドグラスに使用したガラスの色は黄、緑、青の三色だけであるが、それを通して陽光が壁、床に彩を投影する。季節によって、時間の経過によって色合いが変化すると言う。まさに光の魔術師マティスの真骨頂ではないだろうか。<br />・一方、反対側の壁面にはタイルが張り付けられ黒一色の線描画が描かれている。テーマは祭壇横には聖ドミニク、礼拝室横は聖母子、マリアに抱かれたキリストが手を横にのばし、十字架をシンボライズしているという。後背部には十字架のキリストを中心に14の受難のオムニバス画が描かれている。マティスの極限まで単純化した黒一色の線画で、人物の顔に目鼻もない。晩年に到達した巨匠の究極の表現を見た観がある。<br />・面をとった矩形の祭壇座の中央には、対角線状に石の祭壇が置かれている。この空間配置も実にユニークである。祭壇上の燭台、十字架などの祭具にいたるまでマティスは一貫して調和を持ってデザインしている。<br />・礼拝堂の隅の壁の懺悔室に通じる白い扉もマティス模様が透かし彫りのように細工されていて目を引く。<br />・別室に、司祭の羽織るミサ服が展示されている。マティスデザインのマントはカラフルで最先端ファッションといってもおかしくない斬新さがあって感心してしまう。<br />・ロザリオ礼拝堂は、マティスの美意識満載の世界の二つとないユニークな教会で、見るだけで美しく楽しい気持ちとなる建物である。<br />・一方、細部までも徹底的に拘り通したマティスの熱い思いを強く感じる空間でもある。その熱い思いとは、癌を患って余命を意識せざるを得ない老画家にとって、最後の集大成ともいえる作品にするという強い意思ではないか。戦後の荒廃と混乱の中で、恩人との再開で関わることになった山間の小さな村の修道院の復興であるが、これこそ自分に巡ってきた運命の仕事なんだと。

    *ロザリオ礼拝堂外部写真(内部は撮影禁止)

    ・建物は決して大きくない、極くシンプルで質素な平屋構造の教会である。
    ・礼拝堂内部は,外と同様壁も床も白が基調色で統一されている。正面にと左側の壁は細長い窓が施され、ステンドグラスがはめ込まれている。正面のステンドグラスは「Tree of Life」(命の樹)というタイトルで、厳しい砂漠の環境下で花を咲かせ実を結ぶサボテンの花と葉をデザインしたものである。
    ・ステンドグラスに使用したガラスの色は黄、緑、青の三色だけであるが、それを通して陽光が壁、床に彩を投影する。季節によって、時間の経過によって色合いが変化すると言う。まさに光の魔術師マティスの真骨頂ではないだろうか。
    ・一方、反対側の壁面にはタイルが張り付けられ黒一色の線描画が描かれている。テーマは祭壇横には聖ドミニク、礼拝室横は聖母子、マリアに抱かれたキリストが手を横にのばし、十字架をシンボライズしているという。後背部には十字架のキリストを中心に14の受難のオムニバス画が描かれている。マティスの極限まで単純化した黒一色の線画で、人物の顔に目鼻もない。晩年に到達した巨匠の究極の表現を見た観がある。
    ・面をとった矩形の祭壇座の中央には、対角線状に石の祭壇が置かれている。この空間配置も実にユニークである。祭壇上の燭台、十字架などの祭具にいたるまでマティスは一貫して調和を持ってデザインしている。
    ・礼拝堂の隅の壁の懺悔室に通じる白い扉もマティス模様が透かし彫りのように細工されていて目を引く。
    ・別室に、司祭の羽織るミサ服が展示されている。マティスデザインのマントはカラフルで最先端ファッションといってもおかしくない斬新さがあって感心してしまう。
    ・ロザリオ礼拝堂は、マティスの美意識満載の世界の二つとないユニークな教会で、見るだけで美しく楽しい気持ちとなる建物である。
    ・一方、細部までも徹底的に拘り通したマティスの熱い思いを強く感じる空間でもある。その熱い思いとは、癌を患って余命を意識せざるを得ない老画家にとって、最後の集大成ともいえる作品にするという強い意思ではないか。戦後の荒廃と混乱の中で、恩人との再開で関わることになった山間の小さな村の修道院の復興であるが、これこそ自分に巡ってきた運命の仕事なんだと。

  • ③ヴァンス旧市街散策<br /><br />城壁に囲まれた中世の佇まいを色濃く残す、旧市街は30分もあればすべての路地を巡る事が出来る程、小さい。100m四方もないくらいである。写真は新市街から旧市街へ通ずる城壁の門(Porte du Peyra)である。門をくぐって、左側の円筒の構造物は噴水である。<br /><br />

    ③ヴァンス旧市街散策

    城壁に囲まれた中世の佇まいを色濃く残す、旧市街は30分もあればすべての路地を巡る事が出来る程、小さい。100m四方もないくらいである。写真は新市街から旧市街へ通ずる城壁の門(Porte du Peyra)である。門をくぐって、左側の円筒の構造物は噴水である。

  • ・ペイラ門の泉<br /><br />ペイラ門をくぐって城壁の中の左側にある泉。中世の頃遥々ヴァンスを訪れた旅人が喉を潤したであろう。澄みきった泉が変わらず湧き出している。

    ・ペイラ門の泉

    ペイラ門をくぐって城壁の中の左側にある泉。中世の頃遥々ヴァンスを訪れた旅人が喉を潤したであろう。澄みきった泉が変わらず湧き出している。

  • ・旧市街の石畳の街並み<br /><br />旧市街は石畳みの細い路地が迷路のように続く。Peyraの門をくぐり、城壁の内側に沿って、小路の両側に食料品店、衣料品店、レストラン等が軒を並べていて、活気がある。そこからちょっと路地に入ると写真のように中世の昔を偲ばせる佇まいが残っている。道幅は両手を横にのばせば届くくらい。ブラブラ散策が楽しい。<br />

    ・旧市街の石畳の街並み

    旧市街は石畳みの細い路地が迷路のように続く。Peyraの門をくぐり、城壁の内側に沿って、小路の両側に食料品店、衣料品店、レストラン等が軒を並べていて、活気がある。そこからちょっと路地に入ると写真のように中世の昔を偲ばせる佇まいが残っている。道幅は両手を横にのばせば届くくらい。ブラブラ散策が楽しい。

  • ・ヴァンス名物「クラクラン」<br /><br />旧市街のパン屋の店先で売っていた。ナッツと蜂蜜たっぷりの菓子。余りに巨大で、いかにもtoo much sweetな様子なので触手は伸びなかったが。

    ・ヴァンス名物「クラクラン」

    旧市街のパン屋の店先で売っていた。ナッツと蜂蜜たっぷりの菓子。余りに巨大で、いかにもtoo much sweetな様子なので触手は伸びなかったが。

  • ・旧市街の中心にある市庁舎前広場の朝市<br /><br />毎朝午前中には、中心の市庁舎前広場(クレメンソウ広場)でマルシェが開かれる。地元民の日曜品、食料から観光客用の土産物まで規模は小さいが何でも売っている。

    ・旧市街の中心にある市庁舎前広場の朝市

    毎朝午前中には、中心の市庁舎前広場(クレメンソウ広場)でマルシェが開かれる。地元民の日曜品、食料から観光客用の土産物まで規模は小さいが何でも売っている。

  • ・ヴァンス大聖堂<br /><br />市庁舎の隣にある大聖堂、過剰な装飾もない素朴な建物である。ここにお宝がある。

    ・ヴァンス大聖堂

    市庁舎の隣にある大聖堂、過剰な装飾もない素朴な建物である。ここにお宝がある。

  • ・シャガールのモザイク画<br /><br />ヴァンス大聖堂で見逃してならないのは、礼拝堂の後部の一角にひっそりと掲げられているシャガールのモザイク画である。聖堂内部に特別な案内も説明もないので、うっかりすると見過してしまう。<br />タイトルは「モーゼの発見」。白いタイルを基調として、シャガールとしては抑制の効いた色遣いですばらしいモザイク画である。<br />入場無料、観覧料もとらない。特別なものではなく日常の祈りの場に切り離せないものとなっているということであろう。

    ・シャガールのモザイク画

    ヴァンス大聖堂で見逃してならないのは、礼拝堂の後部の一角にひっそりと掲げられているシャガールのモザイク画である。聖堂内部に特別な案内も説明もないので、うっかりすると見過してしまう。
    タイトルは「モーゼの発見」。白いタイルを基調として、シャガールとしては抑制の効いた色遣いですばらしいモザイク画である。
    入場無料、観覧料もとらない。特別なものではなく日常の祈りの場に切り離せないものとなっているということであろう。

  • ④サン・ポール・ド・ヴァンス<br /><br />写真はサン・ポール・ヴァンス旧市街の遠景である。ヴァンスからバスで4ストップ、約10分程度の距離。ヴァンス同様典型的な「鷹の巣村」の景観であるが、異なる点は城壁に囲まれた旧市街の外は急峻な崖になっていて新市街の展開の余地がなく、周囲の自然に囲まれて中世の村だけが孤立して残っているところである。

    ④サン・ポール・ド・ヴァンス

    写真はサン・ポール・ヴァンス旧市街の遠景である。ヴァンスからバスで4ストップ、約10分程度の距離。ヴァンス同様典型的な「鷹の巣村」の景観であるが、異なる点は城壁に囲まれた旧市街の外は急峻な崖になっていて新市街の展開の余地がなく、周囲の自然に囲まれて中世の村だけが孤立して残っているところである。

  • ・村の入り口のカフェと憩いの場ペタンク場<br /><br />地形的な制約で中世の村が純粋培養で残された美しい街で、多くの芸術家がこの村を愛したという。村の入り口にあるカフェは、イヴ・モンタンが経営していたという。彼はこの村が気に入りシモーヌ・シリョーレとの結婚披露をここで行ったようだ。

    ・村の入り口のカフェと憩いの場ペタンク場

    地形的な制約で中世の村が純粋培養で残された美しい街で、多くの芸術家がこの村を愛したという。村の入り口にあるカフェは、イヴ・モンタンが経営していたという。彼はこの村が気に入りシモーヌ・シリョーレとの結婚披露をここで行ったようだ。

  • ・城門にある大砲座<br /><br />旧市街に入る城門の脇には、村を敵の侵略から守る大砲座が残されている。

    ・城門にある大砲座

    旧市街に入る城門の脇には、村を敵の侵略から守る大砲座が残されている。

  • ・サン・ポール・ド・ヴァンス旧市街<br /><br />サン・ポールの旧市街は丘の頂にある聖堂を中心に南北に細長いラグビーボールのような形をしている。南北に一本石畳の路が貫いていて、これがメインストリートになっている。メインから葉脈状に路地が存在している。鷲の巣村のなかでも美しい村と知られるサン・ポールは多くの観光客が訪れるので、16〜17世紀の村の佇まいを保存しつつ、整備は行き届いていている。写真はメインストリートの街並みで、細い石畳の小路の両側に中世の館を改造したレスタラン、カフェ、ギャラリー、土産物店が並ぶ。

    ・サン・ポール・ド・ヴァンス旧市街

    サン・ポールの旧市街は丘の頂にある聖堂を中心に南北に細長いラグビーボールのような形をしている。南北に一本石畳の路が貫いていて、これがメインストリートになっている。メインから葉脈状に路地が存在している。鷲の巣村のなかでも美しい村と知られるサン・ポールは多くの観光客が訪れるので、16〜17世紀の村の佇まいを保存しつつ、整備は行き届いていている。写真はメインストリートの街並みで、細い石畳の小路の両側に中世の館を改造したレスタラン、カフェ、ギャラリー、土産物店が並ぶ。

  • ・旧市街の泉<br /><br />メインの路と分岐路地との合流点にはフォトジェニックな泉がある。

    ・旧市街の泉

    メインの路と分岐路地との合流点にはフォトジェニックな泉がある。

  • ・家々の壁には色とりどりの花があしらわれていて美しい。

    ・家々の壁には色とりどりの花があしらわれていて美しい。

  • ・路地裏の街の風景<br /><br />メインストリートから別れて路地に入ると人通りはめっきり減り、落ち着いた佇まいが感じられる。住宅のほか裏通りに敢えて店を構える専門店もある。

    ・路地裏の街の風景

    メインストリートから別れて路地に入ると人通りはめっきり減り、落ち着いた佇まいが感じられる。住宅のほか裏通りに敢えて店を構える専門店もある。

  • 路地と路地を繋ぐ目抜きは人がすれ違い出来ないほど細く、急な石段になっている。まさにラビリンスの散策で楽しい。

    路地と路地を繋ぐ目抜きは人がすれ違い出来ないほど細く、急な石段になっている。まさにラビリンスの散策で楽しい。

  • ・メインストーリートの南端<br /><br />旧市街は中央部か高い馬の背状の地形になっている。入口から路は登り坂、南噴水広場を過ぎると南に向かって下り坂になる。写真はメインストリートの南端の下り坂から城壁の南端の門を望む。その奥の木立は城外の要塞部である。<br />ビューポイントになっている。

    ・メインストーリートの南端

    旧市街は中央部か高い馬の背状の地形になっている。入口から路は登り坂、南噴水広場を過ぎると南に向かって下り坂になる。写真はメインストリートの南端の下り坂から城壁の南端の門を望む。その奥の木立は城外の要塞部である。
    ビューポイントになっている。

  • ・サン・ポール南端の展望台からの山側の風景<br /><br /> 南端の城門の外は要塞の見張り場があり、周囲の景色が見渡せるビュースポットとなっている。周囲を森にかかまれた孤高の城塞であることが分かる。<br />

    ・サン・ポール南端の展望台からの山側の風景

     南端の城門の外は要塞の見張り場があり、周囲の景色が見渡せるビュースポットとなっている。周囲を森にかかまれた孤高の城塞であることが分かる。

  • ・旧市街南端にあるセメンタリオ(共同墓地)<br /><br />要塞見張り場から海側に目を転ずると村の共同墓地がある。村の住民達の墓に混じって、サン・ポールをこよなく愛し、この地で没した知名人の墓もある。

    ・旧市街南端にあるセメンタリオ(共同墓地)

    要塞見張り場から海側に目を転ずると村の共同墓地がある。村の住民達の墓に混じって、サン・ポールをこよなく愛し、この地で没した知名人の墓もある。

  • ・マルク・シャガールの墓<br /><br />共同墓地の一角に、マルク・シャガールの墓がある。墓碑には3名の名前が刻まれている。VAVA CHAGALLはシャガールの2番目の妻、MICHEL BRODSKYは彼女の弟。美術好きとしてはしっかりと墓参りさせていただいた。<br /><br />*シャガールとサン・ポール・ド・ヴァンス<br />-ロシア、ベラルーシュ生まれで、生粋のユダヤ人であったシャガールは、1910年23歳の時パリに出る。その後ロシアとパリを行き来して絵の才能を磨いた。<br />-この時期は同時にロシアの10月革命、第1次、2次世界大戦の混乱の時期でもあった。ユダヤ人であるシャガールはナチスの迫害をさけるため最終的にはアメリカに亡命する。最愛の妻ベラは彼の地で亡くなった。<br />-戦後アメリカからフランスへ帰国し1950年南仏サン・ポール・ド・ヴァンスに居を構えた。お互いに意識し合うライバルであるマティスがヴァンスに居住し、ピカソもヴァロリスに滞在し、さながら南仏が新たなアートの中心地の様相を呈していたことも影響したと言われている。<br />-実際にシャガールが63歳での移住で、フランス国籍を取り、ヴァヴァ、ブロキーと再婚し、精力的に旅をし、多くの注文作品に恵まれて晩年かなり芸術家として充実した人生を送ったことになる。<br />-1973年(85歳)には在命中に、ニースに国立シャガール美術館が設立され、1985年(97歳)シカゴで展示するタペストリーの色の打合せをのあと息を引き取ったというエピソードがある。<br />-戦時期はユダヤ人として迫害されたが、作家の生涯を通して見れば「愛の作家」と称賛され、生前にゆるぎない名声を獲得し、死の間際まで制作に従事したという類まれな恵まれた芸術家人生を送った人である。

    ・マルク・シャガールの墓

    共同墓地の一角に、マルク・シャガールの墓がある。墓碑には3名の名前が刻まれている。VAVA CHAGALLはシャガールの2番目の妻、MICHEL BRODSKYは彼女の弟。美術好きとしてはしっかりと墓参りさせていただいた。

    *シャガールとサン・ポール・ド・ヴァンス
    -ロシア、ベラルーシュ生まれで、生粋のユダヤ人であったシャガールは、1910年23歳の時パリに出る。その後ロシアとパリを行き来して絵の才能を磨いた。
    -この時期は同時にロシアの10月革命、第1次、2次世界大戦の混乱の時期でもあった。ユダヤ人であるシャガールはナチスの迫害をさけるため最終的にはアメリカに亡命する。最愛の妻ベラは彼の地で亡くなった。
    -戦後アメリカからフランスへ帰国し1950年南仏サン・ポール・ド・ヴァンスに居を構えた。お互いに意識し合うライバルであるマティスがヴァンスに居住し、ピカソもヴァロリスに滞在し、さながら南仏が新たなアートの中心地の様相を呈していたことも影響したと言われている。
    -実際にシャガールが63歳での移住で、フランス国籍を取り、ヴァヴァ、ブロキーと再婚し、精力的に旅をし、多くの注文作品に恵まれて晩年かなり芸術家として充実した人生を送ったことになる。
    -1973年(85歳)には在命中に、ニースに国立シャガール美術館が設立され、1985年(97歳)シカゴで展示するタペストリーの色の打合せをのあと息を引き取ったというエピソードがある。
    -戦時期はユダヤ人として迫害されたが、作家の生涯を通して見れば「愛の作家」と称賛され、生前にゆるぎない名声を獲得し、死の間際まで制作に従事したという類まれな恵まれた芸術家人生を送った人である。

  • ⑤マーグ財団美術館(La Fondation Maeght)<br /><br />サン・ポール・ド・ヴァンスの北西の郊外にマーグ財団美術館がある。1964年にマーグ姉妹の個人コレクションを展示する美術館として開館した。20世紀の現代美術がコレクションの中心で、現代作家の企画展も催されている。<br /><br />ニース行きのバスでサン・ポール旧市街の入り口バス停「Saint Paul Village」の次の停留所「Fondation Maeght」で下車し、標識に沿って、丘を20分ほど登った森の中にある。<br /><br />美術館本体に絵画作品、周囲の庭に彫刻、オブジェが展示されている。所蔵作家はミロがメインで、ボナール、ブラック、ジャコメッティ、シャガール等の20世紀現代作家中心である。<br /><br />写真は、美術館の庭のミロのセラミックモザイクの壁<br />の壁<br />

    ⑤マーグ財団美術館(La Fondation Maeght)

    サン・ポール・ド・ヴァンスの北西の郊外にマーグ財団美術館がある。1964年にマーグ姉妹の個人コレクションを展示する美術館として開館した。20世紀の現代美術がコレクションの中心で、現代作家の企画展も催されている。

    ニース行きのバスでサン・ポール旧市街の入り口バス停「Saint Paul Village」の次の停留所「Fondation Maeght」で下車し、標識に沿って、丘を20分ほど登った森の中にある。

    美術館本体に絵画作品、周囲の庭に彫刻、オブジェが展示されている。所蔵作家はミロがメインで、ボナール、ブラック、ジャコメッティ、シャガール等の20世紀現代作家中心である。

    写真は、美術館の庭のミロのセラミックモザイクの壁
    の壁

  • ・ラビリンス・ミロ(ミロの迷宮)<br /><br />庭園の一部は、ミロの迷宮と称され、迷路のようにミロの立体オブジェを鑑賞しながら廻れるようになっている。

    ・ラビリンス・ミロ(ミロの迷宮)

    庭園の一部は、ミロの迷宮と称され、迷路のようにミロの立体オブジェを鑑賞しながら廻れるようになっている。

  • ・ミロのブロンズオブジェ「フォーク」<br /><br />庭園から遠くに地中海を臨む場所にミロ作の巨大なフォークのオブジェがある。<br />

    ・ミロのブロンズオブジェ「フォーク」

    庭園から遠くに地中海を臨む場所にミロ作の巨大なフォークのオブジェがある。

  • ・ジャコメッティ・コート<br /><br />美術館に隣接したタイル敷きの中庭はジャコメッティ・コートと呼ばれ、作家の特徴的な人体を極限的に細くデフォルメした彫刻作品が数作品並べられている。並んで写真を撮ることも可能な程、接近して鑑賞できる。

    ・ジャコメッティ・コート

    美術館に隣接したタイル敷きの中庭はジャコメッティ・コートと呼ばれ、作家の特徴的な人体を極限的に細くデフォルメした彫刻作品が数作品並べられている。並んで写真を撮ることも可能な程、接近して鑑賞できる。

  • ・ミロのオブジェのある池

    ・ミロのオブジェのある池

  • ・マーグ財団美術館室内展示<br /><br />美術館内は入口から向かって左側は企画展示スペース、右側が常設展示スペース、ミュージアムショップ、ライブラリーとなっている。<br />写真は常設展示スペースのスナップ、絵画、彫刻作品が混在展示されている。

    ・マーグ財団美術館室内展示

    美術館内は入口から向かって左側は企画展示スペース、右側が常設展示スペース、ミュージアムショップ、ライブラリーとなっている。
    写真は常設展示スペースのスナップ、絵画、彫刻作品が混在展示されている。

  • ・フェルナン・レジェの作品(財団所蔵)

    ・フェルナン・レジェの作品(財団所蔵)

  • ・マルク・シャガールの作品(財団所蔵)

    ・マルク・シャガールの作品(財団所蔵)

  • ・ジョルジュ・ブラックの作品(財団所蔵)

    ・ジョルジュ・ブラックの作品(財団所蔵)

  • ・サム・フランシス作品(財団所蔵)<br />ヨーロッパの現代作家だけでなく、アメリカのアンフォルメルの巨匠のコレクションもある。

    ・サム・フランシス作品(財団所蔵)
    ヨーロッパの現代作家だけでなく、アメリカのアンフォルメルの巨匠のコレクションもある。

  • ⑥マティス美術館ニース<br /><br />コートダジュールの中心都市ニースにマティス美術館がある。マティスの足跡を辿る南仏旅の集大成として是非訪れておきたい。<br /> シミエの丘と呼ばれる市街地の北東の閑静な住宅街にマティスが晩年移り住み、創作の拠点とした邸宅がマティス美術館として開放されている。<br /> 赤茶色の建物に黄色の窓枠のコントラストが印象的である。ジェノバ風の建築物だそうだ。<br /> 邸宅部分が常設展示スペース、写真手前の新設されたモダン地下構造物が企画展示スペースとなっている。<br /> 常設展示部は、マティスが絵画を学び始めたころの、古い作品から時系列に作品が展示されていて彼の独自の作風が確立されるにいたる経緯が示されている。<br /> マティス芸術の集大成として取り組んだロザリオ礼拝堂に関連する習作の展示室がある。<br /> マティスが当時使っていたり、絵画の題材にした家具調度品も展示されてる。

    ⑥マティス美術館ニース

    コートダジュールの中心都市ニースにマティス美術館がある。マティスの足跡を辿る南仏旅の集大成として是非訪れておきたい。
     シミエの丘と呼ばれる市街地の北東の閑静な住宅街にマティスが晩年移り住み、創作の拠点とした邸宅がマティス美術館として開放されている。
     赤茶色の建物に黄色の窓枠のコントラストが印象的である。ジェノバ風の建築物だそうだ。
     邸宅部分が常設展示スペース、写真手前の新設されたモダン地下構造物が企画展示スペースとなっている。
     常設展示部は、マティスが絵画を学び始めたころの、古い作品から時系列に作品が展示されていて彼の独自の作風が確立されるにいたる経緯が示されている。
     マティス芸術の集大成として取り組んだロザリオ礼拝堂に関連する習作の展示室がある。
     マティスが当時使っていたり、絵画の題材にした家具調度品も展示されてる。

  • 旧邸宅の地下を掘り込んで近代的な企画展示スペースが隣接して建てられている。ここには「花と果実」の大作が壁一面にかけられ、マティスのまつわる企画展示が開催される会場となっている。<br /><br /> マティスの作品の数は多くはないが、ロザリオ礼拝堂関連の資料等マティス愛好家にとっては見逃せない所となっている。

    旧邸宅の地下を掘り込んで近代的な企画展示スペースが隣接して建てられている。ここには「花と果実」の大作が壁一面にかけられ、マティスのまつわる企画展示が開催される会場となっている。

     マティスの作品の数は多くはないが、ロザリオ礼拝堂関連の資料等マティス愛好家にとっては見逃せない所となっている。

  • ⑦マルク・シャガール国立美術館<br /><br />同じくニースのシミエの丘の麓近くにシャガール美術館がある。こちら南仏に3か所ある国立美術館(ヴァロリスのピカソ美術館、ビオのレジェ美術館とニースのシャガール美術館)のひとつであり、シャガールの世界最大のコレクションを所蔵しているということで、愛好家にとっては必見のスポットである。<br /><br /> フランス国籍を取得したがロシア生まれの画家の、それも存命中に名を冠した国立美術館が開設された経緯は興味深いポイントであるので美術館カタログ等から引用して紹介しておきたい。<br /><br />-第2次大戦中ナチスから退廃芸術家と指名されたシャガールはフランス国籍を取得したが、占領下のフランスを離れニューヨークに渡る。「愛の画家」と呼ばれた象徴的存在であった最愛の妻ヴェガは彼の地で亡くなる。<br />-戦後フランスに帰国し、南仏ヴァンスに移住し創作活動をする。敬虔なユダヤ教徒であった彼はテーマを旧約聖書に取りシャガール流宗教絵画に回帰していく。<br />-1966年ルーブル美術館においてシャガールの戦後の聖書をテーマとした作品をまとめた「聖書のメッセージ」展が開催された。シャガールは出品した大型のタブロー17作品全部をフランス国家に寄贈した。<br />-時の文化大臣は、高名な作家でシャガールと親交の深いアンドレ・マルローであった。彼は直ちにこの連作を国家として所蔵するスペースの構築を決定した。<br />-シャガールが当時創作の拠点としていた南仏の中心都市ニースがシミエの丘の緑地帯をこのプロジェクトのために提供を申し出て美術館建設が始まる。<br />-1973シャガール美術館として開館、シャガールはその後の作品をすべて国に寄贈、彼の死後も遺族、財団として広範なコレクション活動を経て世界第一のシャガール作品を有する美術館となった。<br /><br />国立シャガール美術館ニースの見所を個人的見解で纏めると次の通りである。<br />①旧約聖書をテーマとした大作タブロー「聖書のメッセージ」全17作品の展示<br />経緯で紹介したが、主役は17シャガール風解釈の宗教が17作品で一堂に鑑賞できる。聖書について造詣の深くないものでも、古典の宗教がのような教条的なものは全然なく、シャガールの解釈宗教がの構成の自由さ、色彩の豊かさは絵画として充分楽しむことができる。<br />②美術館に併設されたオーディトリアムは3面のシャガール作の青を基調としたステンドグラスが美しい。<br />③外壁のシャガール作のモザイク作品(写真)<br />④企画展示スペース<br /> 訪問時はシャガールのタペストリー作品の企画展であった。タブローとは質感の一味ことなる作品を楽しむことができた。常設展示とは独立して充分な企画展示スペースがある。<br />⑤美術館の庭<br /> 整備された庭には花が植えられ、カフェもあり、鑑賞の後ニースの太陽のもとゆっくりと余韻に浸るのも良いだろう。<br />

    ⑦マルク・シャガール国立美術館

    同じくニースのシミエの丘の麓近くにシャガール美術館がある。こちら南仏に3か所ある国立美術館(ヴァロリスのピカソ美術館、ビオのレジェ美術館とニースのシャガール美術館)のひとつであり、シャガールの世界最大のコレクションを所蔵しているということで、愛好家にとっては必見のスポットである。

     フランス国籍を取得したがロシア生まれの画家の、それも存命中に名を冠した国立美術館が開設された経緯は興味深いポイントであるので美術館カタログ等から引用して紹介しておきたい。

    -第2次大戦中ナチスから退廃芸術家と指名されたシャガールはフランス国籍を取得したが、占領下のフランスを離れニューヨークに渡る。「愛の画家」と呼ばれた象徴的存在であった最愛の妻ヴェガは彼の地で亡くなる。
    -戦後フランスに帰国し、南仏ヴァンスに移住し創作活動をする。敬虔なユダヤ教徒であった彼はテーマを旧約聖書に取りシャガール流宗教絵画に回帰していく。
    -1966年ルーブル美術館においてシャガールの戦後の聖書をテーマとした作品をまとめた「聖書のメッセージ」展が開催された。シャガールは出品した大型のタブロー17作品全部をフランス国家に寄贈した。
    -時の文化大臣は、高名な作家でシャガールと親交の深いアンドレ・マルローであった。彼は直ちにこの連作を国家として所蔵するスペースの構築を決定した。
    -シャガールが当時創作の拠点としていた南仏の中心都市ニースがシミエの丘の緑地帯をこのプロジェクトのために提供を申し出て美術館建設が始まる。
    -1973シャガール美術館として開館、シャガールはその後の作品をすべて国に寄贈、彼の死後も遺族、財団として広範なコレクション活動を経て世界第一のシャガール作品を有する美術館となった。

    国立シャガール美術館ニースの見所を個人的見解で纏めると次の通りである。
    ①旧約聖書をテーマとした大作タブロー「聖書のメッセージ」全17作品の展示
    経緯で紹介したが、主役は17シャガール風解釈の宗教が17作品で一堂に鑑賞できる。聖書について造詣の深くないものでも、古典の宗教がのような教条的なものは全然なく、シャガールの解釈宗教がの構成の自由さ、色彩の豊かさは絵画として充分楽しむことができる。
    ②美術館に併設されたオーディトリアムは3面のシャガール作の青を基調としたステンドグラスが美しい。
    ③外壁のシャガール作のモザイク作品(写真)
    ④企画展示スペース
     訪問時はシャガールのタペストリー作品の企画展であった。タブローとは質感の一味ことなる作品を楽しむことができた。常設展示とは独立して充分な企画展示スペースがある。
    ⑤美術館の庭
     整備された庭には花が植えられ、カフェもあり、鑑賞の後ニースの太陽のもとゆっくりと余韻に浸るのも良いだろう。

  • ・「聖書のメッセージ」17作品は創世記、出エジプト記とソロモンの雅歌の3部構成となっている。<br /><br />写真は「楽園」 アダムとエヴァが禁断の果実を持っているのが描かれている。

    ・「聖書のメッセージ」17作品は創世記、出エジプト記とソロモンの雅歌の3部構成となっている。

    写真は「楽園」 アダムとエヴァが禁断の果実を持っているのが描かれている。

  • ・「楽園から追放されるアダムとエヴァ」<br />有名な楽園追放の寓話であるが、主題以外に」

    ・「楽園から追放されるアダムとエヴァ」
    有名な楽園追放の寓話であるが、主題以外に」

  • ・「ソロモン雅歌?」<br /><br />「聖書のメッセージ」17作の内、ソロモンの書いた愛の詩を題材にした「ソロモン雅歌」シリーズは5連作となっていて5角形の部屋で一覧できる形で展示されている。<br /><br /> 赤とピンクを基調とした画面が美しい。

    ・「ソロモン雅歌?」

    「聖書のメッセージ」17作の内、ソロモンの書いた愛の詩を題材にした「ソロモン雅歌」シリーズは5連作となっていて5角形の部屋で一覧できる形で展示されている。

     赤とピンクを基調とした画面が美しい。

  • ・「ソロモン雅歌?」

    ・「ソロモン雅歌?」

  • ・企画展示のシャガールのタペストリー作品

    ・企画展示のシャガールのタペストリー作品

  • ・聖書のメッセージ以外のシャガールコレクションに中から<br /><br />シャガール美術館は国立美術館で、展示内容は充実している美術館観覧のシステムも整備されている。世界各国のオーディオガイド、ガイドブックを取り揃えてあり日本語版もある。但しオーディオガイドを借りるには、パスポートの原本を預けなければならないので要注意である。コーピーは受け付けない。今回コピーがNGだったのはここだけであった。フランスでは公的なところで働く人は権威主義的で融通が利かない場面によく出くわす。<br /><br />オーディオを借りそこなったのは、こちらの落ち度もあるのも仕方ないとして、ニースとその周辺の村でマティス、シャガールという2大画家にスポットを当てた充実した時間を持てた。彼らが南仏の太陽と色彩に魅了されたのを現地で体感できたことと、2度の世界大戦が彼らに南仏を終の棲家にする選択をさせ、また晩年の創作活動に大きな影響を及ぼしているという思いを強く感じ旅であった。

    ・聖書のメッセージ以外のシャガールコレクションに中から

    シャガール美術館は国立美術館で、展示内容は充実している美術館観覧のシステムも整備されている。世界各国のオーディオガイド、ガイドブックを取り揃えてあり日本語版もある。但しオーディオガイドを借りるには、パスポートの原本を預けなければならないので要注意である。コーピーは受け付けない。今回コピーがNGだったのはここだけであった。フランスでは公的なところで働く人は権威主義的で融通が利かない場面によく出くわす。

    オーディオを借りそこなったのは、こちらの落ち度もあるのも仕方ないとして、ニースとその周辺の村でマティス、シャガールという2大画家にスポットを当てた充実した時間を持てた。彼らが南仏の太陽と色彩に魅了されたのを現地で体感できたことと、2度の世界大戦が彼らに南仏を終の棲家にする選択をさせ、また晩年の創作活動に大きな影響を及ぼしているという思いを強く感じ旅であった。

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