2015/08/25 - 2015/08/25
167位(同エリア356件中)
杏仁豆腐さん
猛暑に見舞われた今年の夏も、すっかり涼しくなりました。
涼しくなった夏の終わりに、館林に出かけてみました。
まずは、館林の一つ手前の茂林寺前で下車し、茂林寺へ。狸がこぞってお出迎え。
そして、館林へ。閑散とした街中を歴史的な足跡を辿りながら散策です。
古い建物もけっこう残っていて、興味深かったです。
昼食は、やはり館林うどんです。
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- 私鉄
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茂林寺前を降りると、さっそく狸。
駅前からお寺までの道には、看板が立てられていて、1枚ごと、絵本のように「分福茶釜」のお話が描かれています。 -
茂林寺に到着。
お土産物屋さんが並んでいますが、開いている店は2,3軒。
お暇そうです。 -
こんな感じでした。寂れている空気に覆われていました。
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青龍山茂林寺。分福茶釜の寺として知られています。
応永三十三年(1426年)、大林正通大和尚によって開山された曹洞宗寺院です。
総門(通称黒門)です。
応仁2年(1468年)に建立されました。 -
寺伝によると、正通は諸国行脚の折、 上野国に立ち寄り、伊香保山麓で守鶴と出会います。この守鶴は、のちに茂林寺に分福茶釜を持ち込んだ老僧です。
応永三十三年、正通は守鶴を伴い、館林の地に来住し、小庵を結びます。応仁二年、青柳城主赤井正光(照光)は、 正通に深く帰依し、自領地の内八万坪を寄進し、小庵を改めて堂宇を建立し、青龍山茂林寺と号しました。正光(照光)は、 自ら当山の開基大檀那となり、伽藍の維持に務めました。大永二年には、後柏原天皇から勅願寺の綸旨を賜ります。 寛永十九年(1642)には、三代将軍徳川家光より二十三石四斗余の朱印を下賜されております。(HPより) -
総門から赤門へと続く参道には、21体の狸像がお出迎えです。
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山門(通称赤門)です。
元禄7年(1694年)の建立です。 -
ひときわ大きい狸。立派ですな。
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聖観音です。
上野国館林村大窪荘の高瀬善兵衛の娘が元禄元年(一六八八)病没し、その供養の為に江戸神田鍋町の太田久右衛門(藤原正儀)が鋳造し、高瀬善兵衛が元禄三年三月二二日に寄進したものです。 -
守鶴堂
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木の向こうには、本堂。
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本尊、釈迦牟尼仏像が祀られています。応仁2年に建立、享保12年に改築を行い、現在に至ります。
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お寺の中に入り、本堂でお参りをし、宝物館に進みます。
「分福茶釜」伝説の根拠となっている「茶釜」があります。
当山は分福茶釜の寺として知られております。寺伝によると、開山大林正通に従って、伊香保から館林に来た守鶴は、代々の住職に仕えました。
元亀元年(1570)、七世月舟正初の代に茂林寺で千人法会が催された際、大勢の来客を賄う湯釜が必要となりました。その時、守鶴は一夜のうちに、どこからか一つの茶釜を持ってきて、茶堂に備えました。ところが、この茶釜は不思議なことにいくら湯を汲んでも尽きることがありませんでした。守鶴は、自らこの茶釜を、福を分け与える「紫金銅分福茶釜」と名付け、この茶釜の湯で喉を潤す者は、開運出世・寿命長久等、八つの功徳に授かると言いました。
その後、守鶴は十世天南正青の代に、熟睡していて手足に毛が生え、尾が付いた狢(狸の説もある)の正体を現わしてしまいます。これ以上、当寺にはいられないと悟った守鶴は、名残を惜しみ、人々に源平屋島の合戦と釈迦の説法の二場面を再現して見せます。
人々が感涙にむせぶ中、守鶴は狢の姿となり、飛び去りました。時は天正十五年(一五八七)二月二十八日。守鵜が開山大林正通と小庵を結んでから百六十一年の月日が経っていました。
後にこの寺伝は、明治・大正期の作家、巌谷小波氏によってお伽噺「文福茶釜」として出版され、茶釜から顔や手足を出して綱渡りする狸の姿が、広く世に知られる事になりました。(HPより) -
先日、お亡くなりになった柳原良平氏の色紙。
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貴重な写真もありました。
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茂林寺を出て、駅に戻ります。
次の駅、館林で下車。駅前に狸。
巨人軍栄光の初V 不屈のG魂誕生の地 分福球場とあります。
巨人軍初Vの原点「分福球場」
巨人軍の球史に燦然と輝く伝統の球場が,館林駅から一つ南の茂林寺駅前の西側にあった。昭和十一年九月五日からの秋季キャンプは血のにじむ地獄のキャンプと言われ「暁の千本ノック」で徹底的に選手を鍛え直し,巨人軍初Vの原点となった「球場」として,いまも語り継がれている。七十三年前,巨人軍の歴史に一度だけ強烈に登場し,今は完全に姿を消した,伝説とロマンの「文幅球場」を館林市民として後世に語り継ぐことは多くの野球少年に夢と希望を与えるものである。ここに読売巨人軍七十五周年を記念し,当時の巨人軍選手の偉業を讃え,記念碑を建立する。
平成二十一年十二月吉日
ときの市民有志これを建つ -
館林の駅で、「まちなか散策ガイド」をいただきました。
これを見ながら、館林散策開始です。
わかりやすい案内です。 -
竜の井
城沼に棲む竜神の妻が、かつてここにあった寺を守るため、この井戸に姿を消したという伝説から「竜の井」と名付けられたと言われています。以前この一帯は善導寺の境内でしたが、昭和61年館林駅前広場の整備に伴って、楠町に移転したため、現在は本堂前にあったこの井戸と二本のイチョウだけが残っています。 -
水がコンコンと湧き出ています。
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毛塚記念館
毛塚家は江戸時代末期、丸木屋(まるきや)という屋号で造り酒屋を営んでいました。昭和29年に分福酒造と改称しています(現在、工場は野辺町)。館林旧城下町に残る本格的な町屋の建物で、平成10年に国の登録有形文化財に指定されました。かつては敷地内にある井戸から取水し、お酒を作っていました。
後ろにはマンション。 -
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井戸が残されています。
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青海天満宮
時の左大臣藤原時平の陰謀によって、菅原道真は大宰府に左遷させられてしまいましたが、その際道真は「東風吹かば匂ひをこせよ梅の花 主なしとて 春な忘れそ」と詠い、4つの梅の実を枝に刺し投げたところ日本各地に散らばり根付いたそうです。その4箇所とは花久里梅(島根県)、飛梅(福岡県)、四季梅(香川県)、青梅(群馬県)で、それぞれに天満宮の分霊を勧請し菅原道真を祀っています。 -
塗り替え中でした。
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青海天満宮の前には古い木造の建物。
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街中に歴史的な建物も残っています。
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外池商店
屋号は和泉屋(いずみや)といい、江戸時代中期、近江の国(滋賀県)から移り込み、造り酒屋を営んでいましたが、明治33年には味噌、醤油の製造業に変わり、現在は酒の小売業を行っています。現在の店舗は、昭和4年に建てられたもので、毛塚記念館と同様町屋の特徴を備えています。
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敷地内にある蔵は、百々歳蔵と名付けられ、コンサートなど文化活動を行うことができるホールとして使用されています。
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旧二業見番組合事務所
二業とは芸者さんの置屋と料亭のことで、見番はそれらの取次ぎや料金の精算、取り締まりをしたところです。1階は事務所、2階は芸者さんの稽古場であった舞台付き36畳の大広間があります
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現在は本町二丁目東区民会館として地域のかたに利用されています。
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なかなかの建物です。
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青龍の井戸
江戸時代、この周辺には福寿院というお寺があり、その境内に青龍の井戸はありました。伝説では、第六代館林城主の徳川綱吉公の時代に、突然、清水が吹きあがり、中から女官姿の青龍権現が姿を現したことから「青龍の井戸」と呼ばれるようになりました。 -
さりげなく、街の道路沿いにあります。
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壁には葵の御紋。
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道を進むと、いい感じで古い建物が残っています。
味わい深いです。 -
カフェですね。
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鷹匠町長屋門
旧野辺町(三野谷)の豪農「松澤家」が利用していた長屋門を利用して、武家屋敷長屋門として、平成21年に新築したもの。長屋門は武家の屋敷門の一つで、長屋の間に門があることから長屋門といわれており、門の両側の部屋は使用人の部屋や物置として使われていました。 -
奥は駐車場になっていました。
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鷹匠町武家屋敷武鷹館
江戸時代、この周辺は鷹狩用の鷹を育成する鷹匠が住んでいたことから鷹匠町と呼ばれており、この鷹匠町にある武士の住宅ということで「武鷹館」と名付けられました(一般公募)。この武鷹館には、旧館林藩士住宅、長屋門、付属住宅が整備されており、このような建物は県内でも珍しく、平成11年に館林市指定重要文化財となっています。 -
今日は休館日でした。
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館林城土橋門
三の丸への入り口にあたる。藩士の通用門。
大正7年(1918年)に秋元家によって復元されました。昭和25年に秋元家から三の丸が町に寄付されることにり、その前年に土橋門は壊されてしまいました。その後、同じ場所に四本の柱と扉だけの黒い簡素な門(通称・黒門)が作られました。昭和55年強風で倒壊したため、昭和57年(1982年)新たに土橋門の復元が行われました。 -
土塁は江戸時代からのものです。蔀土居の上に鉄砲狭間のある土塀を復元してあります。
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田山花袋記念文学館
入館しました。中は、一人だけでした。 -
向井千秋きねん子供科学館
こちらは入りませんでした。 -
田山花袋記念文学館と道路を挟んで、館林市第二資料館があります。
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群馬県指定重要文化財の旧上毛モスリン事務所です。
明治41年から43年にかけて建てられた木造二階建の擬洋風建物で、上毛モスリン株式会社の本館の事務所として使われて来ました。
上毛モスリン株式会社は明治中頃、館林周辺の技術的伝統である機業を活かして設立された会社で、近代産業のひとつとして町の発展に大きな影響を与えました。 -
建物の特徴は洋風建築発達時の技法が取り入れられていることです。尺貫法を用いた入母屋造りで、内部構造は小屋組を基本とした和風の建物ですが、シンメトリー式(左右対称)の外観、張り出しの浅い屋根、上下開閉式の窓、柱・階段の手すり・天井などに見られる意匠等に洋風建築の要素がみられ、館林における当時の建物の発展の様子がうかがわれます。設計者、施行者は不明です。
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1階事務室。玄関から続く中央部に廊下を設けた廊下式で、左右に事務室を分けています。
正田貞一郎氏使用馬車があります。 -
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2階への階段
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2階事務室
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花ざかりの君たちへ2011のロケに桜咲学園学生寮として使われました。
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受電室の壁が残されていました。
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道標
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田山花袋旧居
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田山花袋が7歳から14歳までおよそ8年間を過ごした家です。
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木造平屋建て、玄関の土間に続いて三畳、左手に八畳二間、右手に四畳、裏に三畳の板間と土間の合わせて5つの部屋があります。
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とくにこの家は、花袋が館林の思い出を書き綴った作品『ふる郷』(明治32年刊)に”なつかしきこの家”と記されています。
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田山花袋胸像
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旧秋元別邸
明治時代後期に建てられました。
建物は、明治時代に上毛モスリンによって建てられたそうです。 -
旧木造平屋建てで、入母屋、瓦葺き、庭園側がほぼ全面ガラスの引き戸です。
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建物内部は公開されていませんが、窓硝子越しに内部を覗けます。
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昭和初年に増築された洋館です。
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洋館の裏には土蔵。
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秋元春朝 投網の像
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銀閣寺垣
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光悦寺垣
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尾曳稲荷神社に来ました。
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奉納記念物「手水鉢」
寛文元年(1661年)徳川綱吉は館林25万石の藩主となり、将軍家の権威を示すため城郭の大修築を行いました。
石垣工事に従事した江戸の石工頭が寛文5年に奉納したものです。450年前のもののようです。 -
田山花袋歌碑
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だいぶ歩きました。館林駅に向かいます。
途中の三桝家総本舗で落雁などを購入。 -
購入した麦落雁です。文政年間(1820年代)当家七代目 丸山与兵衛が刻苦研購入した究の末創製したそうです。
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里みやげ(なすの砂糖漬け)。
小茄子を厳選し、家伝の蜜に漬け込み、砂糖漬けにしたもの。 -
昼食は、うどん本丸でうどんをいただきました。
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なまずセット
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なまずの天麩羅。
身がすごく柔らかい。 -
落雁が一つついてきました。
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駅前に花山うどんがあります。
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うどん天下一決定戦2014完全優勝で2連覇。
今年はどうでしょう。
8/28(金)〜8/30(日)に東京・代々木公園で開催されます。 -
子鬼ひも川をお土産に購入。
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館林駅の西口に出ます。
正田醤油があります。 -
正田記念館。嘉永6年(1853年)に建てられた木造の建物。
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駅前に製粉ミュージアムがあります。
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新館では小麦雑学をクイズ形式で学べるコーナーや、ミニシアターで最先端の製粉工程を見る事が出来ます。
本館は、1900(明治33)年創業時の工場本館を解体し、1910(明治43)年に現在地に移設したものです。移設後は、事務所や記念館として活用されてきました。この本館が見応えがあります。 -
本館の内部の展示物
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本館から見た日本庭園。
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とても重厚な造りです。
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日本庭園
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最後にお土産をいただきました。
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これは、茂林寺で購入した茶がまくん。
館林の歴史を感じた一日でした。
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この旅行記へのコメント (1)
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- 黒田(温泉)さん 2015/10/14 11:10:39
- 偶然ですが・・・!
- 杏仁豆腐さん
おはようございます。
偶然のことですが、日本一暑い町「館林」の「正田記念館」に、
3年ほど前に行きました。
友人が病院に入院していて、さいたま市からお見舞いに行きました。
そのとき「茂林寺」+「正田記念館」にもよりました。
何故、「正田記念館」に立ち寄ったかと言いますと、私の元上司が
「正田さん」といい、「正田家」の分家の出身と、聞いていたから
です!
「正田家」、「正田記念館」、「館林」の町は、「正田家」を抜き
に考えられない所ですね!
大変驚き、感動して帰って来ました!
今又、杏仁豆腐さんの「旅行記」で「茂林寺」+「正田記念館」を
振り返らせて頂き、大変感慨深いです。
単なる偶然でしょうが、・・・そうとも思えない、「同じ観点」で
旅行している者の「眼」が、この「旅行記」を教えてくれた気が致
します。
これからも、よろしくお願いします。
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