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おうちに帰っても四六時中子どもといる訳にはいきませんで、車に乗ってちょっとお散歩の感覚で近所をフラリ。<br />途中カーナビで「西行法師の墓」というのを見つけて行ってみたら、こりゃ紅葉がすごいことになっておりました。<br />あの有名な西行がこんな近所で没していたのかという驚きと、極彩色に染まる紅葉にもう立ち尽くしておりました。<br />わざわざ京都に行かなくてもこんな立派なお寺さんがあるやん…。

これぞ紅葉、南河内の秋色に染まるお寺さん

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2014/11/23 - 2014/11/23

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コタ

コタさん

おうちに帰っても四六時中子どもといる訳にはいきませんで、車に乗ってちょっとお散歩の感覚で近所をフラリ。
途中カーナビで「西行法師の墓」というのを見つけて行ってみたら、こりゃ紅葉がすごいことになっておりました。
あの有名な西行がこんな近所で没していたのかという驚きと、極彩色に染まる紅葉にもう立ち尽くしておりました。
わざわざ京都に行かなくてもこんな立派なお寺さんがあるやん…。

旅行の満足度
4.0
観光
4.0
同行者
カップル・夫婦(シニア)
一人あたり費用
1万円未満
交通手段
自家用車 徒歩
旅行の手配内容
個別手配

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  • 西行法師は某国営放送の平清盛が主人公の大河ドラマで、平清盛と同じく北面の武士として鳥羽上皇に仕えた佐藤義清ですが、思う処あって武士を辞めて出家し西行と名乗りました。北面の武士というのは超エリートで簡単に辞めてしまうんですね、現代のサラリーマンにはとても真似ができません。なので人気があるのでしょう。そんな西行が眠っているお墓があるというのは知ってましたが、こんな立派なお寺さんとは。軽い気持ちで立ち寄ったので、この紅葉を見てたまげました。やはりここ南河内は歴史だけは古いです。

    西行法師は某国営放送の平清盛が主人公の大河ドラマで、平清盛と同じく北面の武士として鳥羽上皇に仕えた佐藤義清ですが、思う処あって武士を辞めて出家し西行と名乗りました。北面の武士というのは超エリートで簡単に辞めてしまうんですね、現代のサラリーマンにはとても真似ができません。なので人気があるのでしょう。そんな西行が眠っているお墓があるというのは知ってましたが、こんな立派なお寺さんとは。軽い気持ちで立ち寄ったので、この紅葉を見てたまげました。やはりここ南河内は歴史だけは古いです。

  • 弘川寺は真言宗のお寺さんで役行者が開祖ということはやはり修験道、西行はなぜに修験道に関係するお寺さんで終焉を迎えたのでしょうか。<br />しかし、すごい数の紅葉の木です。<br />西行は「花のもとにて春しなむ」と歌っておりますので、このお寺は桜のお寺でもあるそうです。春にも来ないといけません。

    弘川寺は真言宗のお寺さんで役行者が開祖ということはやはり修験道、西行はなぜに修験道に関係するお寺さんで終焉を迎えたのでしょうか。
    しかし、すごい数の紅葉の木です。
    西行は「花のもとにて春しなむ」と歌っておりますので、このお寺は桜のお寺でもあるそうです。春にも来ないといけません。

  • 本堂の裏山に西行が籠もったという西行堂があります。その西行堂に登る階段から本堂を見下ろすとこのような一面紅葉です。

    本堂の裏山に西行が籠もったという西行堂があります。その西行堂に登る階段から本堂を見下ろすとこのような一面紅葉です。

  • もう見とれておるしかないです。

    イチオシ

    もう見とれておるしかないです。

  • 紅葉の葉の下から日の光を見上げると最も美しいかと。

    紅葉の葉の下から日の光を見上げると最も美しいかと。

  • 向かい側に建つお堂にも紅葉。

    向かい側に建つお堂にも紅葉。

  • 西行堂の建つ裏山の中腹まで来ますと、本堂方面の紅葉がスクリーンのように輝いております。

    西行堂の建つ裏山の中腹まで来ますと、本堂方面の紅葉がスクリーンのように輝いております。

  • この小さいお堂が西行堂です。昔ここに西行が庵を構えて住んでいて最期を迎えたという地です。

    この小さいお堂が西行堂です。昔ここに西行が庵を構えて住んでいて最期を迎えたという地です。

  • さらに階段を登って数分も行くと西行法師の墓と墳丘です。

    さらに階段を登って数分も行くと西行法師の墓と墳丘です。

  • お寺の方に下りてくると太陽が顔をのぞかせ、紅葉のグラデーションが見事になっておりました。この弘川寺には西行に関する展示も行われておりました。

    お寺の方に下りてくると太陽が顔をのぞかせ、紅葉のグラデーションが見事になっておりました。この弘川寺には西行に関する展示も行われておりました。

  • 次に向かうは本来の目的地である千早赤阪の赤坂城。ここは楠木正成生誕の地、楠公は戦前の日本人にとっての鑑です。後醍醐天皇とともに鎌倉幕府を倒し建武の新政をやってのけた人物です。後に足利尊氏率いる北朝方が勝利し朝敵とされましたが、この人の清廉さは人の心に残っていたことから朝敵の汚名をそそぎました。明治になって一躍ヒーローになり今でも皇居外苑に立派な銅像があります。但し、戦後は皇国史観の柱であったことから評価が変わり、大日本帝国の戦争推進に利用されたとみられるに至っております。然しながら、傑出した人物に違いありません。

    次に向かうは本来の目的地である千早赤阪の赤坂城。ここは楠木正成生誕の地、楠公は戦前の日本人にとっての鑑です。後醍醐天皇とともに鎌倉幕府を倒し建武の新政をやってのけた人物です。後に足利尊氏率いる北朝方が勝利し朝敵とされましたが、この人の清廉さは人の心に残っていたことから朝敵の汚名をそそぎました。明治になって一躍ヒーローになり今でも皇居外苑に立派な銅像があります。但し、戦後は皇国史観の柱であったことから評価が変わり、大日本帝国の戦争推進に利用されたとみられるに至っております。然しながら、傑出した人物に違いありません。

  • 楠公生誕の地の近くの小山の上が赤坂城跡となっております。ここでは建武の新政直前に鎌倉幕府への謀反を企てた後醍醐帝に従う楠公が幕府軍と戦っております。

    楠公生誕の地の近くの小山の上が赤坂城跡となっております。ここでは建武の新政直前に鎌倉幕府への謀反を企てた後醍醐帝に従う楠公が幕府軍と戦っております。

  • 赤坂城の下には千枚田(棚田)が広がっております。今では赤坂城跡よりもこの棚田の方が有名です。

    赤坂城の下には千枚田(棚田)が広がっております。今では赤坂城跡よりもこの棚田の方が有名です。

  • 晩秋の夕刻ということで誰もいませんでした。ここも田植えの前の水が張られた時に来てみたいところです。<br />

    晩秋の夕刻ということで誰もいませんでした。ここも田植えの前の水が張られた時に来てみたいところです。

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