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静岡市では、来年度に「徳川家康公顕彰四百年記念事業」の開催予定があり徳川家と駿府(静岡市)との歴史的結びつきが深く、本日はJR静岡駅前から徒歩5分にある徳川幕府最後の第15代将軍・慶喜公の屋敷跡を見学する。<br />駿府とは、駿河国(するがのくに)の国府が置かれた都であり ⇒ 駿河国府中の略称です。<br /><br />この「徳川家康公顕彰四百年記念事業」は、平成27年に徳川家康公が亡くなられて400年の節目の年を迎えるため開催されます。<br />☆ 家康公死没 … 元和2年4月17日(1616年6月1日) 享年:75才。<br />駿府(静岡市)は家康公が「幼名:竹千代」と名乗り、今川義元公の人質として幼年期から居住して、晩年期には徳川幕府の将軍職を秀忠公に譲り、終生を過ごしたところでした。やがて天下人となった家康公により、駿府の城下町割りや安倍川の治水事業等が行われ、現在の市街地の原型が造られた歴史的には縁の深いところです。<br />その後は駿府城を居城に「大御所」として、江戸幕府に対して院政を敷いたゆかりの地です。<br />ちなみに、東京の「神田駿河台」とは家康公の死後、江戸幕府が駿府の役人を住まわせた事が地名の由来です。<br /><br />さらに慶喜公が、明治元年に謹慎中の身から水戸より駿府に移り住んだ屋敷跡は徳川幕府の代官屋敷でしたが、現在は料亭「浮月楼」として静岡市の中心街にあるにもかかわらず、敷地内には閑静な日本庭園(東海の名園)があります。<br />幕末〜明治初期の激動の時代に、自然風月を友として20年間を趣味に生きた慶喜公の半生の歴史を想い訪問する。

徳川幕府最後の第15代将軍・徳川慶喜公の 屋敷跡を訪ねて!

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2014/10/16 - 2014/10/16

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風 魔

風 魔さん

静岡市では、来年度に「徳川家康公顕彰四百年記念事業」の開催予定があり徳川家と駿府(静岡市)との歴史的結びつきが深く、本日はJR静岡駅前から徒歩5分にある徳川幕府最後の第15代将軍・慶喜公の屋敷跡を見学する。
駿府とは、駿河国(するがのくに)の国府が置かれた都であり ⇒ 駿河国府中の略称です。

この「徳川家康公顕彰四百年記念事業」は、平成27年に徳川家康公が亡くなられて400年の節目の年を迎えるため開催されます。
☆ 家康公死没 … 元和2年4月17日(1616年6月1日) 享年:75才。
駿府(静岡市)は家康公が「幼名:竹千代」と名乗り、今川義元公の人質として幼年期から居住して、晩年期には徳川幕府の将軍職を秀忠公に譲り、終生を過ごしたところでした。やがて天下人となった家康公により、駿府の城下町割りや安倍川の治水事業等が行われ、現在の市街地の原型が造られた歴史的には縁の深いところです。
その後は駿府城を居城に「大御所」として、江戸幕府に対して院政を敷いたゆかりの地です。
ちなみに、東京の「神田駿河台」とは家康公の死後、江戸幕府が駿府の役人を住まわせた事が地名の由来です。

さらに慶喜公が、明治元年に謹慎中の身から水戸より駿府に移り住んだ屋敷跡は徳川幕府の代官屋敷でしたが、現在は料亭「浮月楼」として静岡市の中心街にあるにもかかわらず、敷地内には閑静な日本庭園(東海の名園)があります。
幕末〜明治初期の激動の時代に、自然風月を友として20年間を趣味に生きた慶喜公の半生の歴史を想い訪問する。

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  • 徳川慶喜公の屋敷跡は、JR静岡駅から徒歩5分のところにあります。<br /><br />「 銀座 」・発祥の地 …<br />日本初の「銀座」〈江戸幕府直轄の貨幣の鋳造・発行所〉は、1601年に徳川家康公により京都・伏見に設置されました。<br />その後駿府城に移った家康公は、1606年駿府(静岡市)に「銀座」(西隣にある今の両替町)を設置しますが、その後江戸に移されましたので東京・銀座の原型は、もともと静岡にありました。<br />

    徳川慶喜公の屋敷跡は、JR静岡駅から徒歩5分のところにあります。

    「 銀座 」・発祥の地 …
    日本初の「銀座」〈江戸幕府直轄の貨幣の鋳造・発行所〉は、1601年に徳川家康公により京都・伏見に設置されました。
    その後駿府城に移った家康公は、1606年駿府(静岡市)に「銀座」(西隣にある今の両替町)を設置しますが、その後江戸に移されましたので東京・銀座の原型は、もともと静岡にありました。

    浮月楼 グルメ・レストラン

  • 現在は料亭「浮月楼」となり、会議や会合、パーティ会場、結婚式披露宴会場として利用されています。

    現在は料亭「浮月楼」となり、会議や会合、パーティ会場、結婚式披露宴会場として利用されています。

  • 入り口の石柱には、「徳川慶喜公屋敷跡」と表示されています。<br /><br />浮月楼は敷地面積約 2千坪と広く、市内中心街の一角を占めています。<br />かっては徳川幕府の元代官屋敷跡でしたが、当時の敷地面積は今の数倍もある広大な土地でした。

    入り口の石柱には、「徳川慶喜公屋敷跡」と表示されています。

    浮月楼は敷地面積約 2千坪と広く、市内中心街の一角を占めています。
    かっては徳川幕府の元代官屋敷跡でしたが、当時の敷地面積は今の数倍もある広大な土地でした。

  • 静岡市内には、今でも徳川家・家紋の「葵」(ミツバアオイ)にちなみ「静岡市・葵区」、「静岡市葵区・葵町」、「葵タワー」、中央郵便局内・「AOI館」など、徳川家と関係のある名称が多いところです。<br />☆ 静岡市の花 = タチアオイ<br />徳川家の家紋・丸に三つ葉葵は、フタバアオイを図案化したものですが、三つ葉葵とは架空のもので、本来は京都の葵祭に見られる賀茂氏の象徴であり、葵紋は賀茂神社の神紋(双葉葵・加茂葵)とされています。

    静岡市内には、今でも徳川家・家紋の「葵」(ミツバアオイ)にちなみ「静岡市・葵区」、「静岡市葵区・葵町」、「葵タワー」、中央郵便局内・「AOI館」など、徳川家と関係のある名称が多いところです。
    ☆ 静岡市の花 = タチアオイ
    徳川家の家紋・丸に三つ葉葵は、フタバアオイを図案化したものですが、三つ葉葵とは架空のもので、本来は京都の葵祭に見られる賀茂氏の象徴であり、葵紋は賀茂神社の神紋(双葉葵・加茂葵)とされています。

  • 正門を入ると浮殿があります。<br />最近では、同敷地内奥の「浮月ビル」の中にあるライブハウス・「GARDEN CAFE LIFE TIME」でジャズのコンサートも開催されます。

    正門を入ると浮殿があります。
    最近では、同敷地内奥の「浮月ビル」の中にあるライブハウス・「GARDEN CAFE LIFE TIME」でジャズのコンサートも開催されます。

  • 広いロビーラウンジ。

    広いロビーラウンジ。

  • ロビーのラウンジからは、日本庭園の池と茶室が見えます。<br />慶喜公は池の水面に浮かぶ名月を眺めて、夜景の風情を楽しんだといわれます。

    ロビーのラウンジからは、日本庭園の池と茶室が見えます。
    慶喜公は池の水面に浮かぶ名月を眺めて、夜景の風情を楽しんだといわれます。

  • フロントのロビーは落ち着いています。

    フロントのロビーは落ち着いています。

  • 東海の名園といわれる、敷地面積2千坪の「浮月楼」の全景。<br /><br />庭園中央の池に浮かぶ名月から、「浮月楼」と名付けられたといわれる。

    東海の名園といわれる、敷地面積2千坪の「浮月楼」の全景。

    庭園中央の池に浮かぶ名月から、「浮月楼」と名付けられたといわれる。

  • フロントの奥には、遺品などを展示した「慶喜公歴史コーナー」がありました。<br /><br />慶喜公が謹慎中の水戸より駿府へ移籍するに伴い、多くの家臣や江戸の火消しなどが同行して、家臣団は牧之原の茶栽培の開墾に従事して、火消し団の頭領「新門辰五郎」は慶喜公の警護に当たるとともに、七間町に芝居小屋・玉川座を建て興行を行いました。

    フロントの奥には、遺品などを展示した「慶喜公歴史コーナー」がありました。

    慶喜公が謹慎中の水戸より駿府へ移籍するに伴い、多くの家臣や江戸の火消しなどが同行して、家臣団は牧之原の茶栽培の開墾に従事して、火消し団の頭領「新門辰五郎」は慶喜公の警護に当たるとともに、七間町に芝居小屋・玉川座を建て興行を行いました。

  • 慶喜公は、油絵、写真術、自転車、狩猟など多才な趣味をもっていました。<br /><br />その数々の絵画や写真作品は、現在でも高い評価を得ています。

    慶喜公は、油絵、写真術、自転車、狩猟など多才な趣味をもっていました。

    その数々の絵画や写真作品は、現在でも高い評価を得ています。

  • 当時ご愛用の自転車です。

    当時ご愛用の自転車です。

  • ハイカラな姿で、富士山を背景にして自転車に乗る慶喜公。

    ハイカラな姿で、富士山を背景にして自転車に乗る慶喜公。

  • ご愛用の写真の機材など。

    ご愛用の写真の機材など。

  • 徳川幕府の礎を築いた家康公と、最後の将軍・慶喜公を紹介した書物。<br /><br />ともに人生の最終期において、駿府(静岡市)に縁の深い両者でした。

    徳川幕府の礎を築いた家康公と、最後の将軍・慶喜公を紹介した書物。

    ともに人生の最終期において、駿府(静岡市)に縁の深い両者でした。

  • 池の対岸に浮かぶ茶室。

    池の対岸に浮かぶ茶室。

  • 屋敷跡に入り木造の「弓反り橋」を渡り、芝生の庭園に到る。

    屋敷跡に入り木造の「弓反り橋」を渡り、芝生の庭園に到る。

  • この庭園は、結婚式の記念撮影のためよく利用されます。

    この庭園は、結婚式の記念撮影のためよく利用されます。

  • 灯篭の景色に、日本庭園の風情を感ずる。

    灯篭の景色に、日本庭園の風情を感ずる。

  • 浮月楼の明輝館。

    浮月楼の明輝館。

  • 明治25年静岡の大火で全焼となりましたが、当時の復興建築された建物が今でも保存されています。

    明治25年静岡の大火で全焼となりましたが、当時の復興建築された建物が今でも保存されています。

  • 石碑「和寛」<br /> 最上部に慶喜公の書を彫り、浮月楼を題材にした漢詩と由来文が記されて<br />あります。

    石碑「和寛」
    最上部に慶喜公の書を彫り、浮月楼を題材にした漢詩と由来文が記されて
    あります。

  • 大木が水面に木影を映す。

    大木が水面に木影を映す。

  • 浮月楼の向い側には、静岡市美術館のある「葵タワー」や「静岡パルコ」などの大きなビルがあり、表通りから徒歩5分で直進するとJR静岡駅です。<br /><br />葵タワーは、2010年4月JR静岡駅前に地上25階建、高さ125mと、静岡市内でもっとも高い再開発ビルとして完成しました。<br />

    浮月楼の向い側には、静岡市美術館のある「葵タワー」や「静岡パルコ」などの大きなビルがあり、表通りから徒歩5分で直進するとJR静岡駅です。

    葵タワーは、2010年4月JR静岡駅前に地上25階建、高さ125mと、静岡市内でもっとも高い再開発ビルとして完成しました。

  • 静岡市の町割りは、家康公の時代に駿府城を中心にして一定の基準により順次住所地番が付番され、今でも土地の登記簿台帳にはその名残りがあります。<br /><br />さらに、静岡市は江戸時代からの城下町として、町名が史跡や業種に由来するものが多いところです。<br />駿府城下町の葵区内では、今でも葵町、駿府町、駿河町、追手町、城内町、紺屋町、呉服町、七間町、城東町、茶町、土太夫町、大工町、大鋸町、上桶屋町、研屋町、屋形町、梅屋町、車町、通車町、金座町、銭座町、両替町、鷹匠町、伝馬町など、ほとんどが江戸時代からの古い呼び名の町名です。<br />

    静岡市の町割りは、家康公の時代に駿府城を中心にして一定の基準により順次住所地番が付番され、今でも土地の登記簿台帳にはその名残りがあります。

    さらに、静岡市は江戸時代からの城下町として、町名が史跡や業種に由来するものが多いところです。
    駿府城下町の葵区内では、今でも葵町、駿府町、駿河町、追手町、城内町、紺屋町、呉服町、七間町、城東町、茶町、土太夫町、大工町、大鋸町、上桶屋町、研屋町、屋形町、梅屋町、車町、通車町、金座町、銭座町、両替町、鷹匠町、伝馬町など、ほとんどが江戸時代からの古い呼び名の町名です。

  • 帰り道、呉服町通りのビルの谷間にある「小梳神社」(オグシジンジャ)に立ち寄りました。<br /><br />「小梳神社」は、家康公がこの地に駿府城を築かれて以来、府城の守護神としての信仰も加わりました。<br />

    帰り道、呉服町通りのビルの谷間にある「小梳神社」(オグシジンジャ)に立ち寄りました。

    「小梳神社」は、家康公がこの地に駿府城を築かれて以来、府城の守護神としての信仰も加わりました。

  • 家康公は、幼少時に今川家の人質(幼名:竹千代)として当神社の傍に住居し、日夜「武運長久」を祈願しました。<br /><br />やがて元和元年に「大阪夏の陣」が終り、天下を平定してこの駿府城に止まるにあたり、代々徳川家の守り神として伝わる「大巳貴命、天照大神二神」を小梳神社に合祀し少将井五所大神宮と称しました。

    家康公は、幼少時に今川家の人質(幼名:竹千代)として当神社の傍に住居し、日夜「武運長久」を祈願しました。

    やがて元和元年に「大阪夏の陣」が終り、天下を平定してこの駿府城に止まるにあたり、代々徳川家の守り神として伝わる「大巳貴命、天照大神二神」を小梳神社に合祀し少将井五所大神宮と称しました。

    小梳神社 寺・神社・教会

  • 徳川家康公と駿府との係わりの系譜。<br /><br />幼年期   … 6才~18才    今川家の人質時代に駿府に居住(幼名:竹千代)<br />青壮年期  … 17年間     浜松城主として天下取りの準備期間     <br />老年期   … 10年間     江戸幕府に対し「大御所政治」を執行する    <br />家康公は75年間の生涯の中で、40年以上を静岡県内で過ごしました。

    徳川家康公と駿府との係わりの系譜。

    幼年期   … 6才~18才 今川家の人質時代に駿府に居住(幼名:竹千代)
    青壮年期 … 17年間    浜松城主として天下取りの準備期間     
    老年期   … 10年間    江戸幕府に対し「大御所政治」を執行する    
    家康公は75年間の生涯の中で、40年以上を静岡県内で過ごしました。

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