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湖国三大祭の一つ、大津祭り<br /><br />天孫神社の氏子町内から、「曳き山元祖」の西行桜狸山を先頭に13基<br />旧大津の町内を華やかに巡行<br />各曳山にはからくり・豪華な織物の幕類や彫刻・金具、天井画などで飾られていました<br /><br />指定の場所でコンチキチンの音に合わせて「からくり」が作動<br />終われば粽・てぬぐいのばら撒きで「京都・祇園祭」とは違う曳山を体験しました<br /><br /><br /><br /><br />表紙                天孫神社前に13基勢ぞろい

湖国三大祭・大津祭り「前編」

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2014/10/12 - 2014/10/12

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4

35

十三の白髭

十三の白髭さん

湖国三大祭の一つ、大津祭り

天孫神社の氏子町内から、「曳き山元祖」の西行桜狸山を先頭に13基
旧大津の町内を華やかに巡行
各曳山にはからくり・豪華な織物の幕類や彫刻・金具、天井画などで飾られていました

指定の場所でコンチキチンの音に合わせて「からくり」が作動
終われば粽・てぬぐいのばら撒きで「京都・祇園祭」とは違う曳山を体験しました




表紙                天孫神社前に13基勢ぞろい

同行者
一人旅
交通手段
JRローカル 私鉄 徒歩

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  • JR新大阪駅から快速でJR大津駅に来ました<br /><br />駅前に曳山の巡行順に提灯が並んでいます<br /><br />右から{くじ取らず」西行桜狸山〜狸々山まで13個

    JR新大阪駅から快速でJR大津駅に来ました

    駅前に曳山の巡行順に提灯が並んでいます

    右から{くじ取らず」西行桜狸山〜狸々山まで13個

  • 大津祭り<br /><br />大津の旧市街地を13基の曳山が巡行コース<br /><br />途中、所定の場所でからくりの披露が特徴です

    大津祭り

    大津の旧市街地を13基の曳山が巡行コース

    途中、所定の場所でからくりの披露が特徴です

  • 大津駅前・中央通りを天孫神社へ向かいます<br /><br />大津市のマンホール

    大津駅前・中央通りを天孫神社へ向かいます

    大津市のマンホール

  • 天孫神社へ着きました

    天孫神社へ着きました

  • 境内・神楽舞台

    境内・神楽舞台

  • 天孫神社・拝殿<br /><br />祭神 彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)<br />   国常立尊(くにとこたちのみこと)<br />   大己貴尊(おおむなちのみこと)<br />   帯中津日子尊(たらしなかつひこのみこと)<br />創建 延暦年間<br />社格 国史見在社論社・旧県社<br />別名 四宮神社<br /><br />はじめは琵琶湖湖畔にあったが、文明年間(1469〜1487)<br />に現在の地に移る<br />明治維新までは「四宮神社」と称し、明治初年に現在の社号に<br />

    天孫神社・拝殿

    祭神 彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)
       国常立尊(くにとこたちのみこと)
       大己貴尊(おおむなちのみこと)
       帯中津日子尊(たらしなかつひこのみこと)
    創建 延暦年間
    社格 国史見在社論社・旧県社
    別名 四宮神社

    はじめは琵琶湖湖畔にあったが、文明年間(1469〜1487)
    に現在の地に移る
    明治維新までは「四宮神社」と称し、明治初年に現在の社号に

  • 境内・手水舎

    境内・手水舎

  • 天孫神社正面鳥居<br /><br />古伝によると大同3年に平城天皇が近江に行幸の際、当社を行在所として禊払され<br />近江守護佐々木定綱より社殿造営、新田奉納があり<br />豊臣秀吉が大津城築城の際、余材で修復<br /><br />社号は天孫四宮大明神などと称され、現在も一般に四ノ宮神社とも<br />呼ばれています<br />これは御祭神を四柱祀る為とか諸説あり<br />一宮が建部神社<br />二宮が日吉大社<br />三宮が多賀大社<br />四宮が天孫神社<br /><br /><br />

    天孫神社正面鳥居

    古伝によると大同3年に平城天皇が近江に行幸の際、当社を行在所として禊払され
    近江守護佐々木定綱より社殿造営、新田奉納があり
    豊臣秀吉が大津城築城の際、余材で修復

    社号は天孫四宮大明神などと称され、現在も一般に四ノ宮神社とも
    呼ばれています
    これは御祭神を四柱祀る為とか諸説あり
    一宮が建部神社
    二宮が日吉大社
    三宮が多賀大社
    四宮が天孫神社


  • 天孫神社前に曳山がそろそろ集合 9:00<br /><br />4番・石橋山がやって来ました

    天孫神社前に曳山がそろそろ集合 9:00

    4番・石橋山がやって来ました

  • 驚きです、西行桜狸山を10人ぐら外人さんが曳いていました

    驚きです、西行桜狸山を10人ぐら外人さんが曳いていました

  • 西行桜狸山 (さいぎょうざくらたぬきやま)(鍛冶町)        (くじ取らず)<br /><br />大津祭の元祖となった曳山<br />慶長年間に加治屋町の塩売治兵衛が旧暦の9月10日の四宮祭礼に<br />狸の面を被って采を振って風流踊を踊ったのにはじまり<br />冶兵衛を乗せる屋台を町内で作り、氏子の町中を担ぎ歩き<br /><br />元和8年には年老いて冶兵衛の替りにからくりで腹鼓を打つ狸を<br />作り、屋台にのせ町中の氏子を練り歩き<br />寛永12年からは二輪の曳山となり寛永15年には現在の曳山の基となる三輪となる<br />明暦2年には、からくり腹鼓から、能を題材にした西行桜に替え<br />この年から、狸の姿をこしらえて曳山の屋根に立たせる<br />以後300有余年、<br />狸は屋根の上で日和見をし、祭日の天気を守護するといわれている

    西行桜狸山 (さいぎょうざくらたぬきやま)(鍛冶町)        (くじ取らず)

    大津祭の元祖となった曳山
    慶長年間に加治屋町の塩売治兵衛が旧暦の9月10日の四宮祭礼に
    狸の面を被って采を振って風流踊を踊ったのにはじまり
    冶兵衛を乗せる屋台を町内で作り、氏子の町中を担ぎ歩き

    元和8年には年老いて冶兵衛の替りにからくりで腹鼓を打つ狸を
    作り、屋台にのせ町中の氏子を練り歩き
    寛永12年からは二輪の曳山となり寛永15年には現在の曳山の基となる三輪となる
    明暦2年には、からくり腹鼓から、能を題材にした西行桜に替え
    この年から、狸の姿をこしらえて曳山の屋根に立たせる
    以後300有余年、
    狸は屋根の上で日和見をし、祭日の天気を守護するといわれている

  • 西行桜狸山<br /><br />鬼板の上の狸

    西行桜狸山

    鬼板の上の狸

  • 曳山の前で彦ニャンを抱く狸、のぼりを持つ狸(笑い)

    曳山の前で彦ニャンを抱く狸、のぼりを持つ狸(笑い)

  • 1番 湯立山(ゆたてやま) (玉屋町)<br /><br />最初は孟宗山(もうそうやま)と言われていたが、<br />寛文3年に湯立山と改称され<br />古来より天孫神社の神事に湯を奉るというならわしがあり<br />この曳山より奉じられる<br /><br />この曳山の形は拝殿を型どり、周りの様式は天孫神社の回廊を模してる

    1番 湯立山(ゆたてやま) (玉屋町)

    最初は孟宗山(もうそうやま)と言われていたが、
    寛文3年に湯立山と改称され
    古来より天孫神社の神事に湯を奉るというならわしがあり
    この曳山より奉じられる

    この曳山の形は拝殿を型どり、周りの様式は天孫神社の回廊を模してる

  • 2番 西宮蛭子山(にしのみやえびすやま)(白玉町)<br /><br />別名鯛釣山とも呼ばれ、万冶元年製作当時には宇治橋姫山と呼ばれていたが延宝3年に西宮蛭子山に替えられたと言われている<br />曳山に「エベッサン」が乗り<br />この町内は古くから毎年祭礼には、蛭子様を出して盛大に祀っていたが曳山に乗せるようになり<br />からくりもエベッサンの鯛釣りのようす<br /><br />曳山13基の中でも人気がある

    2番 西宮蛭子山(にしのみやえびすやま)(白玉町)

    別名鯛釣山とも呼ばれ、万冶元年製作当時には宇治橋姫山と呼ばれていたが延宝3年に西宮蛭子山に替えられたと言われている
    曳山に「エベッサン」が乗り
    この町内は古くから毎年祭礼には、蛭子様を出して盛大に祀っていたが曳山に乗せるようになり
    からくりもエベッサンの鯛釣りのようす

    曳山13基の中でも人気がある

  • 3番 月宮殿山 (げっきゅうでんざん) (上京町)<br /><br />別名 鶴亀山と呼ばれ、大津の曳山の中で、もっとも新しく<br />安永5年に作られた<br />製作当時は鳳凰白山と呼ばれていたが、寛政3年に月宮殿山に替わる<br />能楽「鶴亀」のうち、喜多流「月宮殿」にちなんで<br />

    3番 月宮殿山 (げっきゅうでんざん) (上京町)

    別名 鶴亀山と呼ばれ、大津の曳山の中で、もっとも新しく
    安永5年に作られた
    製作当時は鳳凰白山と呼ばれていたが、寛政3年に月宮殿山に替わる
    能楽「鶴亀」のうち、喜多流「月宮殿」にちなんで

  • 4番 石橋山 (しゃっきょうざん) 湊町<br /><br />江戸中期の元禄6年(ねりもの)が最初で、曳山の初代は宝永2年<br />(靫猿山・うつぼざる)であったが、延亮5年に能楽「石橋」に<br />よる名称に替わる

    4番 石橋山 (しゃっきょうざん) 湊町

    江戸中期の元禄6年(ねりもの)が最初で、曳山の初代は宝永2年
    (靫猿山・うつぼざる)であったが、延亮5年に能楽「石橋」に
    よる名称に替わる

  • 5番 郭巨山 (かっきょやま)(下小唐崎町・御在家町)<br /><br />別名 釜彫山と呼ばれ、中国の二十四孝説話に登場する郭巨の物語に因んだ曳山である<br /><br />大津祭で二ヶ町合同で所有する唯一の曳山

    5番 郭巨山 (かっきょやま)(下小唐崎町・御在家町)

    別名 釜彫山と呼ばれ、中国の二十四孝説話に登場する郭巨の物語に因んだ曳山である

    大津祭で二ヶ町合同で所有する唯一の曳山

  • 6番 殺生石山(せっしょうせきざん) (柳町)<br /><br />能楽「殺生石」より名付けられた約800年前、鳥羽院の寵愛を<br />受けた玉藻前という女官がいた<br />実は玉藻は白面金毛九尾の狐の化身であり、帝の命を奪い<br />国を滅ぼそうといていた<br />しかし、陰陽師の阿部泰親に見破られて東国の那須ヶ原に逃げ<br />上総介・三浦之介に退治され、殺生石と言われる石になった<br />通りがかりの玄翁和尚に懺悔して法力により成仏した

    6番 殺生石山(せっしょうせきざん) (柳町)

    能楽「殺生石」より名付けられた約800年前、鳥羽院の寵愛を
    受けた玉藻前という女官がいた
    実は玉藻は白面金毛九尾の狐の化身であり、帝の命を奪い
    国を滅ぼそうといていた
    しかし、陰陽師の阿部泰親に見破られて東国の那須ヶ原に逃げ
    上総介・三浦之介に退治され、殺生石と言われる石になった
    通りがかりの玄翁和尚に懺悔して法力により成仏した

  • 7番 孔明祈水山 (こうめいきすいざん)(中堀町)<br /><br />孔明祈水山略して孔明山とも呼ばれる<br />前身は鷹匠の練物であったが、元禄7年福聚山に替わり<br />宝永5年に釣狐山に、享保8年に浦島亀釣山となり、延亨5年に現在の孔明祈水山になった<br />中国、三国時代の蜀の軍師・諸葛孔明の故事から名をとる

    7番 孔明祈水山 (こうめいきすいざん)(中堀町)

    孔明祈水山略して孔明山とも呼ばれる
    前身は鷹匠の練物であったが、元禄7年福聚山に替わり
    宝永5年に釣狐山に、享保8年に浦島亀釣山となり、延亨5年に現在の孔明祈水山になった
    中国、三国時代の蜀の軍師・諸葛孔明の故事から名をとる

  • 8番 神功皇后山(じんこうこうごうやま)(猟師町)<br /><br />略して神功山とも呼ばれる<br />神功皇后は夫の仲哀天皇の急死後、遺志を継いで朝鮮・新羅・百済<br />高句麗の三国を征服したという<br />伝説上の人物、遠征前にまっすぐな針で鮎釣りをして戦勝を占い<br />「岩」に「三韓之王者」と刻み込んだ伝説を題材にした曳山

    8番 神功皇后山(じんこうこうごうやま)(猟師町)

    略して神功山とも呼ばれる
    神功皇后は夫の仲哀天皇の急死後、遺志を継いで朝鮮・新羅・百済
    高句麗の三国を征服したという
    伝説上の人物、遠征前にまっすぐな針で鮎釣りをして戦勝を占い
    「岩」に「三韓之王者」と刻み込んだ伝説を題材にした曳山

  • 9番 源氏山(げんじやま)(中京町)<br /><br />別名 紫式部山とも呼ばれ、紫式部が石山寺において想を練り<br />「源氏物語」を書いたという伝承に因んだもの<br /><br />曳山上層内部は石山寺に見立てた作りです

    9番 源氏山(げんじやま)(中京町)

    別名 紫式部山とも呼ばれ、紫式部が石山寺において想を練り
    「源氏物語」を書いたという伝承に因んだもの

    曳山上層内部は石山寺に見立てた作りです

  • 10番 龍門滝山(りゅうもんたきやま)(太間町)<br /><br />中国・黄河上流の、龍門山には魚が溯りえない難所の滝があり<br />この滝を登りきった鯉は昇天し龍になるという故事にならい<br /><br />別名 鯉滝山とも呼ばれている

    10番 龍門滝山(りゅうもんたきやま)(太間町)

    中国・黄河上流の、龍門山には魚が溯りえない難所の滝があり
    この滝を登りきった鯉は昇天し龍になるという故事にならい

    別名 鯉滝山とも呼ばれている

  • 11番 西王母山 (せいおうぼざん) (丸屋町)<br /><br />別名 桃山とも呼ばれ<br /><br />西王母は古代中国の伝説上の仙女で、中国の西方・崑崙山に住む<br />人面・虎歯・豹尾の仙人で、一般的には不死の薬を持つ仙女として<br />伝えれている

    11番 西王母山 (せいおうぼざん) (丸屋町)

    別名 桃山とも呼ばれ

    西王母は古代中国の伝説上の仙女で、中国の西方・崑崙山に住む
    人面・虎歯・豹尾の仙人で、一般的には不死の薬を持つ仙女として
    伝えれている

  • 12番 猩々山(しょうじょうやま)(南保町)<br /><br />能楽の「猩々」より名付けられた<br />唐の金山の麓に高風という親孝行の若者が住んでいた<br />ある夜「揚子の町に出て酒を売れ、必ず冨貴の身となる」と言う<br />夢を見、この教えに従い酒売りをしたところ<br />次第に富貴となった、客の中で幾ら飲んでも平気な者がいるので<br />名を尋ねたら、海中に住む「猩々」と答え、立ち去った<br />高風は酒を持って、ジンヨウの畔で待っていると猩々が現れ、酒を飲み舞を興じ、高風の正直な心を賞でて<br />のめども尽きず・飲めども味の変わらない酒壺を与えたという話からきている<br /><br /><br />

    12番 猩々山(しょうじょうやま)(南保町)

    能楽の「猩々」より名付けられた
    唐の金山の麓に高風という親孝行の若者が住んでいた
    ある夜「揚子の町に出て酒を売れ、必ず冨貴の身となる」と言う
    夢を見、この教えに従い酒売りをしたところ
    次第に富貴となった、客の中で幾ら飲んでも平気な者がいるので
    名を尋ねたら、海中に住む「猩々」と答え、立ち去った
    高風は酒を持って、ジンヨウの畔で待っていると猩々が現れ、酒を飲み舞を興じ、高風の正直な心を賞でて
    のめども尽きず・飲めども味の変わらない酒壺を与えたという話からきている


  • 天孫神社前に13基の曳山が揃いました<br /><br />西行桜狸山を先頭に巡行待ち<br /><br />天孫神社前に勢ぞろいするのは「籖改め」(くじあらため)をしています<br />江戸時代には巡行路が決まっておらず、又順番を守らない事もあり<br />今では順番の確認・籤の確認し<br />所望(しょもう)祭りに貢献した人の家の前でからくりを披露する<br />軒先の御幣が目印です<br />

    天孫神社前に13基の曳山が揃いました

    西行桜狸山を先頭に巡行待ち

    天孫神社前に勢ぞろいするのは「籖改め」(くじあらため)をしています
    江戸時代には巡行路が決まっておらず、又順番を守らない事もあり
    今では順番の確認・籤の確認し
    所望(しょもう)祭りに貢献した人の家の前でからくりを披露する
    軒先の御幣が目印です

  • 石橋山の先導役さん<br /><br />後姿も中々ものです

    石橋山の先導役さん

    後姿も中々ものです

  • 最後の猩々山から写す

    最後の猩々山から写す

  • 曳山の車輪<br /><br />京都祇園祭の「鉾」より少し小さめでしょうか<br /><br />重さも、長刀鉾の人・懸賞品を含めた11,1トンより一回り小ぶりで<br />曳山だけで4〜5トン、車輪は3輪で方向転換をしやすいようになっています、車輪の後の「木」は前を持ち上げすぎてバランスが崩れて後ろ向きに倒れるのを防ぐ為の「転倒防止装置」で「猫足」です<br /><br /><br />大津祭は無料で粽・てぬぐいが撒かれる

    曳山の車輪

    京都祇園祭の「鉾」より少し小さめでしょうか

    重さも、長刀鉾の人・懸賞品を含めた11,1トンより一回り小ぶりで
    曳山だけで4〜5トン、車輪は3輪で方向転換をしやすいようになっています、車輪の後の「木」は前を持ち上げすぎてバランスが崩れて後ろ向きに倒れるのを防ぐ為の「転倒防止装置」で「猫足」です


    大津祭は無料で粽・てぬぐいが撒かれる

  • 西王母山の先導役さん<br /><br />扇子の桃の絵がらも・・・・・

    西王母山の先導役さん

    扇子の桃の絵がらも・・・・・

  • こちらの世話役さん<br />チョン髷に紋付・袴姿、時代を感じるネェ〜

    こちらの世話役さん
    チョン髷に紋付・袴姿、時代を感じるネェ〜

  • 幼子は被写体にグゥ〜

    幼子は被写体にグゥ〜

  • 曳山の先を歩き誘導していました「ご苦労さんです」

    曳山の先を歩き誘導していました「ご苦労さんです」

  • 大津祭まだまだ続きます<br /><br />大津・旧町内の巡行は後編で

    大津祭まだまだ続きます

    大津・旧町内の巡行は後編で

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この旅行記へのコメント (4)

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  • mochanさん 2014/12/04 09:02:23
    さすが京の都に近いだけのことはありますね
    むしろ山車を含めた壮麗なお祭りの様子を京都に比べて、余裕をもって見れそうなところがいいですね。

    いい勉強になりました。

    要チェックですね☆
  • たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん 2014/10/13 02:23:35
    こんばんは。
    大津への殴り込みありがとうございます(笑)。
    あいかわらずのすごい描写、地元民真っ青です!と言うより大津祭りのことはすっかり忘れておりました(泣)。ちなみに来週19日は瀬田川合戦が執り行われます。また宜しければ、西軍総大将としてお見え下さい。休みの都合がつきましたら東軍の末端歩兵としてお待ちしたく思います♪

    ところでひとつつまらないことですが、多分たぬきさんがお持ちなのは「ひこにゃん」ではなく「ひこねのよいにゃんこ」ですね。今は実物ひこにゃん以外は確か参加できないと聞いていますので。なにやら著作権絡みとかで。

    また滋賀の広報を楽しみにしております。

    たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみさんでした。

    十三の白髭

    十三の白髭さん からの返信 2014/10/13 10:59:55
    RE: エッ!「ひこねのよいにゃんこ」・・・・・・・・
    > 大津への殴り込みありがとうございます(笑)。
    > あいかわらずのすごい描写、地元民真っ青です!と言うより大津祭りのことはすっかり忘れておりました(泣)。ちなみに来週19日は瀬田川合戦が執り行われます。また宜しければ、西軍総大将としてお見え下さい。休みの都合がつきましたら東軍の末端歩兵としてお待ちしたく思います♪
    >
    > ところでひとつつまらないことですが、多分たぬきさんがお持ちなのは「ひこにゃん」ではなく「ひこねのよいにゃんこ」ですね。今は実物ひこにゃん以外は確か参加できないと聞いていますので。なにやら著作権絡みとかで。
    >
    > また滋賀の広報を楽しみにしております。
    >
    > たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみさんでした。

    お早う御座います
    大阪は台風の影響で朝から突風の真っ最中です
    淀川河川敷を散歩しましたが、歩くのも一苦労ですよ

    ひこねのよいにゃんこの事は知りませんでした、年は取りたく無いですね〜
    暑作件絡みの事は新聞などで見た記憶がありますが

    瀬田川合戦が19日にありますか
    西軍の大将だなんて、足軽の末端でも参加してみたいですね

    時間と場所を教えて頂きたいのですが

    岩間寺に行くついでに寄るかな(予定が無ければね)
    訪問&投票 だんだん

    それじゃまた

                     〜十三の白髭〜

    たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。

    たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん からの返信 2014/10/13 23:56:50
    瀬田川合戦!
    十三の白髭さま

    こんばんは。昼間は大阪は凄かったんですか?
    滋賀の田舎は…時間で言うと21:00頃が風雨ともすごかったです。どうやら今は目の中でしょうか?虫の鳴き声すら聞こえてきます。まあ事故には気をつけないとですね♪

    仕事の合間に確か新聞チラシが入っていたのをデータ化しようと思っていたら、まさかの閉店時間繰り上げ。急遽閉店作業に駆り出されてしまいました。なので改めて。


    <平成26年度第2回 瀬田唐橋感謝祭「勢多唐橋東西大綱引合戦」募集要項>

    【綱引き募集要項】
    名称:平成26年度第2回 瀬田唐橋感謝祭「勢多唐橋東西大綱引合戦」
    主催:勢多唐橋東西大綱引合戦実行委員会
    共催:瀬田川流域観光協会

    日時:平成26年10月19日(日)14時〜
    会場:瀬田の唐橋
    参加料5,000円(保険料/当日イベントでご利用頂ける金券1,000円 含む)
    募集人数 瀬田の唐橋を中心に東の方、西の方各100名(予定)を募集します。
    応募多数の場合は先着順とさせていただきます。
    参加者は、実行委員会よりご連絡いたします。
    参加資格中学生以上で健康な方、性別は問いません。
    服装綱引きに適した靴のみご用意下さい。衣装(甲冑デザインTシャツ)は提供いたします。
    交通・宿泊費参加者負担となります。(特別料金で宿泊できる提携施設もございます)

    申込方法 ■ 1.フォームでのお申込み
     こちらの綱武士申し込みフォームからお申込み下さい。
    ■ 2.FAX・郵送でのお申込み
     下記より申込用紙をダウンロードして頂き、必要事項ご記入の上、当実行委員会宛にFAXまたは郵送でお申込み下さい。
     〒520-0861 滋賀県大津市石山寺3-2-28 石山観光会館/FAX 077-534-9927
     勢多唐橋東西大綱引合戦 申込用紙ダウンロード(PDF)

    《 申込期限 勢多唐橋東西大綱引合戦当日まで 》
     ※平成26年9月20日(土)以降のキャンセルの場合は参加費の返却は不可となりますのでご了承下さい。
    問い合わせ先勢多唐橋東西大綱引合戦実行委員会 TEL077-537-1105

    瀬田唐橋感謝祭イベント案内

    瀬田唐橋東西大綱引合戦 瀬田唐橋14:00〜15:00
    大綱引合戦の様子 写真大綱引合戦の様子 写真
    瀬田唐橋上で行う、地元市民と全国から募集した綱武士による東か西かの天下の綱引対決。今年は一本勝負。

    <当日スケジュール>
    <必勝祈願・出陣> 12:45〜
    〔東軍〕源頼朝が前途の武運を建部大社で祈願し、後年、見事に成就させ右大将にまで上ったことから、建部大社にて祈願し隊列を組んで出陣。
    〔西軍〕山城国のある一族が謀反を起し掃部頭親能が幕府の命令で討伐に向かう時、石山寺で祈願し、見事に勝利したことから、石山寺にて祈願し船で出陣。

    <子供東西綱引合戦> 14:00〜
    大津市スポーツ少年団員による子供綱引合戦を大綱引合戦の前座として行います。<1本勝負>
    <東西パフォーマンス合戦> 14:20〜
    東軍は瀬田唐橋東詰沿岸より、西軍は中之島沿岸より、口上合戦を行います。
    <勢多唐橋東西大綱引合戦> 14:40〜
    東軍・西軍合せて200人による大綱引合戦。<1本勝負>

    <セレモニー> 15:00〜
    勝軍の表彰や両軍代表の挨拶など閉会のセレモニーが行われます。

    http://www.seta-karahashi.com/

    一応時間取りの内容は貼り付けました。それとwebのリンクと。
    場所は瀬田の唐橋になります。(石山駅から徒歩10分程度です)

    岩間寺ですか…、でも19日だと直行のバスがないんで、最寄りのバス停から歩くとなると…1時間はゆうにかかると思います。もし休みが取れればご一緒させて頂きたく思います♪

    それとしょうもない話で申し訳ないですが、「ひこにゃん」と「ひこねのよいにゃんこ」の簡単な見分け方ですが、「ひこにゃん」は基本3ポーズしかありませんん。「正座」「刀を抜く」「羽トビ」、なのでこれ以外はすべて「よいにゃんこ」になります。でもあの山車の中で気付かれるのはホントすごいです!この年にもなって「ひこにゃんファンクラブ」なんかに入っている情けないおっさんですが(笑)。

    それではまた!

    たかちゃんてぃむちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみさんでした。

十三の白髭さんのトラベラーページ

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