2014/08/25 - 2014/08/25
26位(同エリア157件中)
ベームさん
8/25(月)、6日目。
今日はケルンからアーヘンに行きデュッセルドルフで泊まります。
アーヘンはケルンの西約70キロ、ドイツ最西端の町でベルギー、オランダに接しています。古くから温泉が湧く地でケルト人が定住し、ローマ軍の駐屯地となりゲルマンのフランク王国となる。フランス語でエクス・ラ・シャペル。
アーヘンはとにもかくにもここで生まれ亡くなったカール大帝(フランス名シャルルマーニュ)の町です。フランク王国カロリング朝ピピン3世(小ピピン)の子として742年に生まれ、768年国王になり814年の死までその治世が続きました。
その治世中は殆ど戦いに明け暮れましたが、最終的にはイギリス、イベリア半島、イタリア南部を除く西ヨーロッパの大半をフランク王国の領土としました。4世紀のゲルマン大移動以来続いた西ヨーロッパに安定をもたらしたのです。ヨーロッパの父といわれます。
800年にはローマ教皇レオ3世より「ローマ皇帝」の帝冠を受けます。もっともこれはローマ教会が東ローマ帝国(ビザンツ帝国)に対抗するためカール大帝を味方に引き入れようとする策とも言われます。
その大王国も843年カール大帝の孫の代に東、中、西フランク王国の3つに分割されてしまいます。当時長子相続の制度が無かったのです。今のドイツ、イタリア、フランスの起源となった国です。
文化的には多くの学者、知識人、聖職者をアーヘンに招き古代ローマの文化、芸術の復興を図りました。カロリング朝ルネサンスと呼ばれます。
11世紀頃作られた中世叙事詩「ローランの歌」はカール大帝がイベリア半島に攻め入った時の物語で、カール大帝の甥英雄ローランが主人公です。
写真はデューラー描くカール大帝。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス タクシー
- 航空会社
- ルフトハンザドイツ航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
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地図の左端です。Aachenと綴るのでどんな辞書でも最初に出てきます。
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アーヘン駅。
ケルン発9:47のRE。アーヘン着10:44。 -
アーヘン駅。
古都の駅らしいどっしりした構えです。 -
バーンホフ通りを行くと横に教会が見えたのでそちらの方に寄り道しました。
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聖マリエン教会。
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聖マリエン教会。
1858年創建、1953年再建。 -
大きなメインストリートテアーター通りにでました。
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通りの正面にテアーター、アーヘン市立劇場が道をふさぐように建っています。。
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9月21日からウエスト・サイド物語。
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9月27日からカフカの「審判」。
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反対側が正面です。
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その先にあるフリートリヒ・ヴィルヘルム広場のエリーゼン・ハレ。
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エリーゼン・ガルテン。
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何かの遺跡の発掘跡。
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エリーゼン・ガルテン。
公園の端にある噴水と彫像。
真中の人物が左の人物から何かを受け取り、一方右の人物に何かを渡しています。
お金でしょう。「金は天下の周りもの」という彫刻だそうです。 -
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アーヘン大聖堂が目の前に現れました。
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その横にあるフォイラン教会。
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フォイラン教会。先にこちらにお邪魔します。
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大聖堂周辺。
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ミュンスター・アポテーケ/大聖堂薬局。
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大聖堂の前に建つ像はいずれの時代かの大司教でしょう。
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大聖堂に参ります。
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周りを建物が取り囲んでいて全体像が撮れません。
これと次の写真はWEBから借用しました。
南面。 -
いくつもの建物がくっつき合っているようです。
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北面。
広場を挟んで市庁舎側から。 -
東、内陣側。
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全体像の模型。
中央、ドームを持つ八角形の部分が大聖堂の最も重要な場所で、カール大帝が最初に作った宮廷礼拝堂。786~805年。 -
複雑な外観を呈しています。786年カール大帝が宮廷礼拝堂を建築開始して以来長年にわたり時代時代の建築様式を取り入れて増改築された結果です。
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中心をなす最も古い部分宮廷礼拝堂。
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ドームを見上げる。
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礼拝堂の中心に下がる大燭台。
12世紀、バルバロッサこと赤ひげ王フリートリヒ1世の奉献。直径4.2m。 -
礼拝堂の天井。
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ドームの天井。大燭台の真下から。
八角形になっているのが分かります。
高さ32m。 -
タイル張りの装飾。
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華麗な装飾です。
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内陣。1414年に造られました。
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中央祭壇。
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内陣のステンドグラスは高さ25mあり世界一だそうです。
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内陣にはカール大帝の聖遺物櫃が置かれています。
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カール大帝の聖遺物櫃。
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金箔の聖母マリアの浮彫。
祭壇の上に掲げられています。 -
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こういう衣服を付けた聖母子像、ケルン大聖堂でも見ました。
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カール大帝の玉座。大聖堂の宝物の中の白眉です。
2階の回廊にあるそうですが今回見られなかったのでWEBからいただきました。
1166年バルバロッサフリードリヒ1世がカール大帝の墓所を開いたとき、カール大帝は頭に王冠、手に王権のしるし金の玉と笏を持ちその814年の死から350年の間玉座に座り続けていました。
今ある大理石の玉座は10世紀中頃造られたもので、カール大帝がこの玉座に座ったわけではありません。が936年のオットー大帝から1531年のフェルディナント1世まで600年の間に30人もの神聖ローマ帝国皇帝が皇帝即位の証としてこの椅子に座って戴冠したのです。 -
西側ファサード。
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隣接する大聖堂宝物館に行きました。
フランク王国から神聖ローマ帝国シュタウフェン朝までの宝物などが展示されています。 -
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カール大帝の金の胸像。
1349年頃。 -
横から。
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金メッキされているので実際はこのようです。WEBより。
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金のカール大帝の右手上腕。
1481年頃。 -
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ロタールの十字架。
沢山の宝石がちりばめられています。1000年頃。
今でも特別な祭事に使われるそうです。 -
きらびやかな宝物類です。
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ライオンの形をした中世の広口の水差し。
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金金金、世界が金色に染まったような感じです。
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絵画もありました。
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左上:聖母マリアの死。
左下:?
右上:マリアのエリーザベト訪問。エリーザベトはマリアの従姉妹。マリアは受胎告知を受けた後エリーザベトを訪問する。エリーザベトも懐妊しており生まれてきたのが後の洗礼者ヨハネ。
右下:聖母被昇天。聖母マリアは死後天使たちにより天国へ導かれた行った。 -
聖母戴冠。
天国に召された聖母マリアは神により戴冠されます。 -
左上:受胎告知。
左下:キリストの神殿奉献。キリストの生誕40日目にマリアはキリストを神殿に連れて行き奉献しました。
右上:ヨアキムとアンナの金門の出会い、と思います。アンナは聖母マリアの母、ヨアキムはアンナの夫。アンナは無原罪のお宿りでマリアを孕みエルサレムの金門で互いに喜び合いました。
右下:なんの場面でしょうか。 -
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聖母子。
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愛嬌のある聖母子です。
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13世紀中頃のアーヘン、マリエン教会のTotenbuch、日本でいう過去帳でしょうか。
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大聖堂と右宝物館。
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大聖堂と向かい合う市庁舎。
王宮の跡地に建てられています。大聖堂側。 -
マルクト広場。
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マルクト広場と市庁舎。
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市庁舎。14世紀。
マルクト広場側。 -
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マルクト広場のカール大帝シャルルマーニュ。
王権の印の金の玉と笏を持っています。 -
今年2014年はカール大帝没後1200年にあたるので、カール大帝宝物展をPRする広報物をあちこちで見かけます。6月20日からだそうで私の訪問は少し早かったようです。
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市庁舎内部。
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カール大帝シャルルマーニュ。
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市庁舎3階から眺めた大聖堂。
こう見ると複雑ですね。真中のドームのある礼拝堂を中心に後から建て増されていったことが分かります。 -
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カールス・アポテーケ/カール薬局。
この町の老舗薬局はレーヴェンでもマルクトでもなくカールとかミュンスター薬局です。 -
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壁面にカール大帝の像。
これでアーヘン終わり。カール、カールの町でした。
時間がないので駅までタクシーを使いました。 -
アーヘン駅で見かけた車両。
今夜の宿デュッセルドルフに向かいます。タクシーまで飛ばしたのに予定した列車は電光掲示板で30分遅れの表示、DBはよく遅れてくれます。それにしても30分とは思い切ったものです。
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