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平泉・・・と聞くと、真っ先に「中尊寺」が頭に浮かぶが、ガイドブックで写真を眺めていた時に、まずはここ!と私が惹かれたのは「毛越寺(もうつうじ)」だった。大きな池をたたえた美しい浄土庭園の風景写真に、一目で惹かれてしまったのである。<br /><br />毛越寺は、平安時代に、東北の地に絢爛な黄金文化を花開かせた奥州藤原氏によって建てられたもののひとつ。<br /><br />争いがなく平和な、仏の住む清浄な世界(=浄土)をつくりあげようという理念のもとで建造された平泉の寺院や庭園の数々・・・。<br /><br />残念ながら、毛越寺の往時の建物は、全て焼失してしまっているが、浄土庭園と、平安時代の伽藍遺構はほぼ完ぺきに残っており、「平泉~仏国土(浄土)を表す建築・庭園および考古学的遺跡群~」のひとつとして、2011年に世界遺産に登録されている。<br /><br />そして初夏には、その浄土庭園を、あやめが彩るという。<br /><br />どうせ行くなら、あやめの時期に!と思い、今年のあやめは、毛越寺に・・・とに決めていた。<br /><br />しかし・・・体調を崩してしまったため、なかなかでかけることができない。あやめの状況をお寺に問い合わせたところ、3番花が咲くところで、一番の見頃を迎えている・・・ということなので、お天気がよさそうな1日を狙って、ちょっとムリしてでも出かけることにした。<br /><br />あやめの規模は、他に見に行ったことのあるあやめ園などに負けているかな・・・という感想だが、ほぼ完ぺきな形で残されている、往時を偲ばせる大伽藍遺構にかなり魅せられて、大満足した1日だった。<br /><br />(毛越寺、観自在王院跡の説明文は、HPより抜粋したもの)

平安時代の優美な庭園で、あやめを愛でて・・・ ~世界遺産・毛越寺(平泉)~

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2014/07/02 - 2014/07/02

20位(同エリア929件中)

14

108

こあひる

こあひるさん

平泉・・・と聞くと、真っ先に「中尊寺」が頭に浮かぶが、ガイドブックで写真を眺めていた時に、まずはここ!と私が惹かれたのは「毛越寺(もうつうじ)」だった。大きな池をたたえた美しい浄土庭園の風景写真に、一目で惹かれてしまったのである。

毛越寺は、平安時代に、東北の地に絢爛な黄金文化を花開かせた奥州藤原氏によって建てられたもののひとつ。

争いがなく平和な、仏の住む清浄な世界(=浄土)をつくりあげようという理念のもとで建造された平泉の寺院や庭園の数々・・・。

残念ながら、毛越寺の往時の建物は、全て焼失してしまっているが、浄土庭園と、平安時代の伽藍遺構はほぼ完ぺきに残っており、「平泉~仏国土(浄土)を表す建築・庭園および考古学的遺跡群~」のひとつとして、2011年に世界遺産に登録されている。

そして初夏には、その浄土庭園を、あやめが彩るという。

どうせ行くなら、あやめの時期に!と思い、今年のあやめは、毛越寺に・・・とに決めていた。

しかし・・・体調を崩してしまったため、なかなかでかけることができない。あやめの状況をお寺に問い合わせたところ、3番花が咲くところで、一番の見頃を迎えている・・・ということなので、お天気がよさそうな1日を狙って、ちょっとムリしてでも出かけることにした。

あやめの規模は、他に見に行ったことのあるあやめ園などに負けているかな・・・という感想だが、ほぼ完ぺきな形で残されている、往時を偲ばせる大伽藍遺構にかなり魅せられて、大満足した1日だった。

(毛越寺、観自在王院跡の説明文は、HPより抜粋したもの)

旅行の満足度
5.0
同行者
一人旅
交通手段
新幹線 JRローカル
  • 仙台から平泉に行くには、一ノ関まで新幹線か高速バスという方法がある。<br /><br />バスだと安いけれど、一ノ関までは1時間ちょっとかかります。体調のことを考えて、高くつくけれど、30分ほどで行けて、気分も楽ちんな新幹線で行くことにしました。<br /><br />新幹線でもバスでも、一ノ関からJR東北本線に乗り、2駅め、10分ほどで平泉駅に到着です。<br /><br /><br /><br />

    仙台から平泉に行くには、一ノ関まで新幹線か高速バスという方法がある。

    バスだと安いけれど、一ノ関までは1時間ちょっとかかります。体調のことを考えて、高くつくけれど、30分ほどで行けて、気分も楽ちんな新幹線で行くことにしました。

    新幹線でもバスでも、一ノ関からJR東北本線に乗り、2駅め、10分ほどで平泉駅に到着です。



  • 平泉駅から毛越寺(もうつうじ)までは、徒歩でも10分くらいで近いです。<br /><br />中尊寺などへいくには、駅前バス停から出ている「平泉巡回バス るんるん」が便利です。だいたい30分毎に走っているようです。<br /><br />駅前ロータリーに出たところで、ちょうど「るんるん」が停まっていたので、乗っちゃいました。<br /><br />ほんの3分ほどで毛越寺に到着です。今は正午少し前。

    平泉駅から毛越寺(もうつうじ)までは、徒歩でも10分くらいで近いです。

    中尊寺などへいくには、駅前バス停から出ている「平泉巡回バス るんるん」が便利です。だいたい30分毎に走っているようです。

    駅前ロータリーに出たところで、ちょうど「るんるん」が停まっていたので、乗っちゃいました。

    ほんの3分ほどで毛越寺に到着です。今は正午少し前。

    毛越寺 寺・神社・教会

  • 今日は、あやめ目的もありますが、毛越寺の浄土庭園と伽藍遺構をじっくり見たいとも考えています。<br /><br />門を入ってすぐのところにある事務局の建物。<br /><br />

    今日は、あやめ目的もありますが、毛越寺の浄土庭園と伽藍遺構をじっくり見たいとも考えています。

    門を入ってすぐのところにある事務局の建物。

  • 先ずはあやめを見てから、ゆっくりと毛越寺境内を歩いてみたいと思います。<br /><br />「大泉ヶ池」を小舟で渡るのは・・・庭園お手入れの女性たち。

    先ずはあやめを見てから、ゆっくりと毛越寺境内を歩いてみたいと思います。

    「大泉ヶ池」を小舟で渡るのは・・・庭園お手入れの女性たち。

  • あやめ園は、出入口の門からは、一番奥の方にあるのですね。<br /><br />「大泉ヶ池」に沿って、あやめ園へ向かいます。境内の風景はあとでゆっくり・・・と思っているのに、つい美しさに足が止まってしまいます。

    あやめ園は、出入口の門からは、一番奥の方にあるのですね。

    「大泉ヶ池」に沿って、あやめ園へ向かいます。境内の風景はあとでゆっくり・・・と思っているのに、つい美しさに足が止まってしまいます。

  • あやめ園に到着です。<br /><br />正直、あやめだけで比べると、これまで行ったことのあるあやめ園のほうが、わ〜〜っ!すごい〜!という感じがします。<br /><br />でも、美しい浄土庭園をバックにしたこの光景・・・心が洗われるような気持ちになり、別格の美しさが感じられます。<br /><br />この光景を見たくて来たのですよね〜。

    あやめ園に到着です。

    正直、あやめだけで比べると、これまで行ったことのあるあやめ園のほうが、わ〜〜っ!すごい〜!という感じがします。

    でも、美しい浄土庭園をバックにしたこの光景・・・心が洗われるような気持ちになり、別格の美しさが感じられます。

    この光景を見たくて来たのですよね〜。

  • 毛越寺に来るのを、昨日にしようか今日にしようか、天気予報とにらめっこしながら判断したのですが、昨日はにわか雨もあり不安定なお天気で、今日は日焼け止め必須の快晴となり・・・今日にしてよかったかな。

    毛越寺に来るのを、昨日にしようか今日にしようか、天気予報とにらめっこしながら判断したのですが、昨日はにわか雨もあり不安定なお天気で、今日は日焼け止め必須の快晴となり・・・今日にしてよかったかな。

  • あやめ園自体、そんなに気合の入った凝った造りではありません(お手入れはきちんとされています)。あやめだけ突出しているわけでなく、周りの庭園と自然に調和した雰囲気です。

    あやめ園自体、そんなに気合の入った凝った造りではありません(お手入れはきちんとされています)。あやめだけ突出しているわけでなく、周りの庭園と自然に調和した雰囲気です。

  • 毛越寺の花菖蒲園(ガイドブックなどではあやめ園となっていますが・・・)は、昭和28年、町民の発案により、現「開山堂」前に植えこんだのが始まりです。<br /><br />翌29年には、明治神宮より100種100株を分譲してもらい、以後、たくさんの人々からの寄進などにより、種類や株数も増え、現在では300種3万株の花菖蒲園となっているそうです。

    毛越寺の花菖蒲園(ガイドブックなどではあやめ園となっていますが・・・)は、昭和28年、町民の発案により、現「開山堂」前に植えこんだのが始まりです。

    翌29年には、明治神宮より100種100株を分譲してもらい、以後、たくさんの人々からの寄進などにより、種類や株数も増え、現在では300種3万株の花菖蒲園となっているそうです。

  • 紫陽花に比べると、あやめに対する思いは少ないので、たくさん種類はありましたが、目についたところをざっくりとだけ・・・。<br /><br />やっぱり1番花が咲き始めた時が一番フレッシュでキレイかも・・・。

    紫陽花に比べると、あやめに対する思いは少ないので、たくさん種類はありましたが、目についたところをざっくりとだけ・・・。

    やっぱり1番花が咲き始めた時が一番フレッシュでキレイかも・・・。

  • 池とあやめの光景を30分ほど楽しんだ後、いよいよ境内を周ってみようと思います。

    池とあやめの光景を30分ほど楽しんだ後、いよいよ境内を周ってみようと思います。

  • 毛越寺境内の図です(毛越寺HPより)。<br /><br />あやめ園は、一番奥にある「開山堂」の前にあります。<br /><br />入る時にもらったマップの順路に従って、臨池伽藍跡と浄土庭園を周っていきたいと思います。

    毛越寺境内の図です(毛越寺HPより)。

    あやめ園は、一番奥にある「開山堂」の前にあります。

    入る時にもらったマップの順路に従って、臨池伽藍跡と浄土庭園を周っていきたいと思います。

  • そして、こちらの掲示板に描かれているのが、毛越寺伽藍復元図。往時の毛越寺がどのようだったかを想像する大いなる助けとなります。<br /><br />それにしても・・・もうちょっと上手くわかりやすく描いてあればいいのに・・・と思ったのですが、一応画伯と呼ばれる方が描いた油絵みたいでした・・・。<br /><br />「南大門」から入ると、「大泉ヶ池」の中央の中島経由で、池の奥の「金堂円隆寺」まで橋が架けられていました。

    そして、こちらの掲示板に描かれているのが、毛越寺伽藍復元図。往時の毛越寺がどのようだったかを想像する大いなる助けとなります。

    それにしても・・・もうちょっと上手くわかりやすく描いてあればいいのに・・・と思ったのですが、一応画伯と呼ばれる方が描いた油絵みたいでした・・・。

    「南大門」から入ると、「大泉ヶ池」の中央の中島経由で、池の奥の「金堂円隆寺」まで橋が架けられていました。

  • あやめ園の後方にある「開山堂」。<br /><br />毛越寺を開いた慈覚大師円仁(794〜864)を祀るお堂です。慈覚大師は、天台宗第三代座主となり、生前の業績を称えられ、日本初の大師号を授けられました。<br /><br />大師像のほか両界大日如来像、藤原三代(清衡、基衡、秀衡)の画像が安置されています。<br />

    あやめ園の後方にある「開山堂」。

    毛越寺を開いた慈覚大師円仁(794〜864)を祀るお堂です。慈覚大師は、天台宗第三代座主となり、生前の業績を称えられ、日本初の大師号を授けられました。

    大師像のほか両界大日如来像、藤原三代(清衡、基衡、秀衡)の画像が安置されています。

  • 今日は天気がよすぎてコントラストが強く、全体をキレイに切り取るのが、すごく難しいです。

    今日は天気がよすぎてコントラストが強く、全体をキレイに切り取るのが、すごく難しいです。

  • 毛越寺には、往時の建築物は残っていないので、この「開山堂」の建物は、もちろん新しく造られたものでしょうが、ログハウス風で面白い建物です。

    毛越寺には、往時の建築物は残っていないので、この「開山堂」の建物は、もちろん新しく造られたものでしょうが、ログハウス風で面白い建物です。

  • 台形にカットされた木を使っているので、壁が三角形にでこぼこと立体的になっていて、遠くから見ると、縞模様のように見えます。

    台形にカットされた木を使っているので、壁が三角形にでこぼこと立体的になっていて、遠くから見ると、縞模様のように見えます。

  • 慈覚大師像。向かって左側に、藤原三代画像が置かれています。<br /><br />奥州藤原氏は、11世紀末から奥州を統べ、東北の地に絢爛な黄金文化を花開かせた豪族。<br /><br />家族を失った長い戦いのあと、平泉に移り住んだ初代・清衡(きよひら)は、敵味方の区別なくすべての霊を慰め、仏国土(仏の教えによる平和な理想社会)を実現するため、1105年に中尊寺の建立に着手します。<br /><br />そして、二代・基衡(もとひら)が、毛越寺の造営を開始し、三代・秀衡(ひでひら)が完成させました。<br /><br />当時の奥州では、金や名馬がたくさん産出され、藤原氏も、それらの交易で財を築きあげました。現存する往時の唯一の建物である中尊寺の金色堂からもわかるように、金や螺鈿を駆使した神社仏閣を数多く造り、のちに黄金文化と呼ばれるようになりました。<br /><br />秀衡臨終後、四代泰衡は、源頼朝の圧力により、庇護していた源義経を自害に追い込み、首を差し出しました。しかしながら、源頼朝は、鎌倉から大軍を率いて平泉に攻め入り、奥州藤原氏は滅亡します。<br /><br />その後、度重なる災禍により、建物は徐々に焼失してゆき、遂には全て失われ、庭園は田地に変わっていきました。<br /><br />毛越寺境内・・・浄土庭園は、昭和29年から5年間にわたって全面的に発掘され、その規模などほぼ全容が明らかにされました。その調査結果は、「吾妻鏡」(鎌倉時代の歴史書)などの古記録とも合致するものでした。<br /><br />日本庭園史上にも特に貴重な遺構として調査の上、旧観に復されました。

    慈覚大師像。向かって左側に、藤原三代画像が置かれています。

    奥州藤原氏は、11世紀末から奥州を統べ、東北の地に絢爛な黄金文化を花開かせた豪族。

    家族を失った長い戦いのあと、平泉に移り住んだ初代・清衡(きよひら)は、敵味方の区別なくすべての霊を慰め、仏国土(仏の教えによる平和な理想社会)を実現するため、1105年に中尊寺の建立に着手します。

    そして、二代・基衡(もとひら)が、毛越寺の造営を開始し、三代・秀衡(ひでひら)が完成させました。

    当時の奥州では、金や名馬がたくさん産出され、藤原氏も、それらの交易で財を築きあげました。現存する往時の唯一の建物である中尊寺の金色堂からもわかるように、金や螺鈿を駆使した神社仏閣を数多く造り、のちに黄金文化と呼ばれるようになりました。

    秀衡臨終後、四代泰衡は、源頼朝の圧力により、庇護していた源義経を自害に追い込み、首を差し出しました。しかしながら、源頼朝は、鎌倉から大軍を率いて平泉に攻め入り、奥州藤原氏は滅亡します。

    その後、度重なる災禍により、建物は徐々に焼失してゆき、遂には全て失われ、庭園は田地に変わっていきました。

    毛越寺境内・・・浄土庭園は、昭和29年から5年間にわたって全面的に発掘され、その規模などほぼ全容が明らかにされました。その調査結果は、「吾妻鏡」(鎌倉時代の歴史書)などの古記録とも合致するものでした。

    日本庭園史上にも特に貴重な遺構として調査の上、旧観に復されました。

  • 「開山堂」から眺めたあやめ園と、その向こうの「大泉ヶ池」。

    「開山堂」から眺めたあやめ園と、その向こうの「大泉ヶ池」。

  • 「開山堂」の裏手と横にも、小さめのあやめ園があります。

    「開山堂」の裏手と横にも、小さめのあやめ園があります。

  • 「開山堂」横のあやめ園を通り、出入口門の方・・・順路通りのスタート地点へといったん戻ります。

    「開山堂」横のあやめ園を通り、出入口門の方・・・順路通りのスタート地点へといったん戻ります。

  • 出入り口の門を入ったところにある「芭蕉句碑」。<br /><br />元禄2年(1689年)5月13日、高館(源義経が妻子とともに自害した場所)を訪れた芭蕉は、悲運の義経主従をしのび「夏草や 兵どもが 夢の跡」と詠みました。<br /><br />左の小さな碑が芭蕉の真筆といわれ、芭蕉の甥碓花坊也寥禅師によって建てられました。<br /><br />右の碑は、文化3年(1806年)に地元俳人素鳥たちによって建てられた副碑です。

    出入り口の門を入ったところにある「芭蕉句碑」。

    元禄2年(1689年)5月13日、高館(源義経が妻子とともに自害した場所)を訪れた芭蕉は、悲運の義経主従をしのび「夏草や 兵どもが 夢の跡」と詠みました。

    左の小さな碑が芭蕉の真筆といわれ、芭蕉の甥碓花坊也寥禅師によって建てられました。

    右の碑は、文化3年(1806年)に地元俳人素鳥たちによって建てられた副碑です。

  • よく見れば、文字かな・・・と思われるものが見えますが、ほとんどわかりませんね。

    よく見れば、文字かな・・・と思われるものが見えますが、ほとんどわかりませんね。

  • 毛越寺一山の本坊である「本堂」。平安様式の建物は、平成元年に建てられました。<br /><br />寺伝によると嘉祥3年(850年)慈覚大師(じかくだいし)が東北巡遊の折、この地にさしかかると一面霧に覆われ、一歩も前に進めなくなりました。<br /><br />ふと足元を見ると地面に白鹿の毛が点々と落ちているので、大師は不思議に思いその毛を辿ってゆくと、前方に白鹿がうずくまっていました。大師が近づくと白鹿の姿は霧のなかへ消え、やがてどこからともなく一人の白髪の老人が現れ、「この地は霊地であるから堂宇を建立するなら仏法が広まるであろう」と告げました。<br /><br />大師は、この老人こそ薬師如来の化身と感じ、一宇の堂を建立し嘉祥寺(かしょうじ)と名付けました。これが毛越寺の開山にまつわる話です。<br /><br /><br />

    毛越寺一山の本坊である「本堂」。平安様式の建物は、平成元年に建てられました。

    寺伝によると嘉祥3年(850年)慈覚大師(じかくだいし)が東北巡遊の折、この地にさしかかると一面霧に覆われ、一歩も前に進めなくなりました。

    ふと足元を見ると地面に白鹿の毛が点々と落ちているので、大師は不思議に思いその毛を辿ってゆくと、前方に白鹿がうずくまっていました。大師が近づくと白鹿の姿は霧のなかへ消え、やがてどこからともなく一人の白髪の老人が現れ、「この地は霊地であるから堂宇を建立するなら仏法が広まるであろう」と告げました。

    大師は、この老人こそ薬師如来の化身と感じ、一宇の堂を建立し嘉祥寺(かしょうじ)と名付けました。これが毛越寺の開山にまつわる話です。


  • 本尊の薬師如来像は、平安時代の作です。<br /><br />往時の建物は全て焼失してしまっていますが、仏像や工芸品など、発掘調査などで残っているものがあり、感慨深いものがあります。<br /><br />薬師如来の脇士は日光・月光両菩薩、さらにその周りに本尊守護の四天王が安置されています。<br /><br />

    本尊の薬師如来像は、平安時代の作です。

    往時の建物は全て焼失してしまっていますが、仏像や工芸品など、発掘調査などで残っているものがあり、感慨深いものがあります。

    薬師如来の脇士は日光・月光両菩薩、さらにその周りに本尊守護の四天王が安置されています。

  • 朱塗りの柱や大屋根が特徴の平安様式の壮麗な建物です。

    朱塗りの柱や大屋根が特徴の平安様式の壮麗な建物です。

  • さて、ここからが臨池伽藍跡めぐりになります。<br /><br />境内には、往時の堂宇、廻廊の基壇、礎石、土塁などが遺されており、平安の伽藍様式を知る上で貴重な遺構として保存されています。<br /><br />まずは、広大な境内の入口である「南大門」跡。<br /><br />桁行(けたゆき・横、東西)三間(ま)、梁行(はりゆき・縦、南北)二間(ま)の平面形式をもった大きく立派な門でした。両脇に仁王像を安置し、正面に「金堂円隆寺」(毛越寺の中心的伽藍)の勅額を掲げていました。<br /><br />天正元年(1573年)合戦による兵火のために焼失しましたが、礎石12個が現存しています。

    さて、ここからが臨池伽藍跡めぐりになります。

    境内には、往時の堂宇、廻廊の基壇、礎石、土塁などが遺されており、平安の伽藍様式を知る上で貴重な遺構として保存されています。

    まずは、広大な境内の入口である「南大門」跡。

    桁行(けたゆき・横、東西)三間(ま)、梁行(はりゆき・縦、南北)二間(ま)の平面形式をもった大きく立派な門でした。両脇に仁王像を安置し、正面に「金堂円隆寺」(毛越寺の中心的伽藍)の勅額を掲げていました。

    天正元年(1573年)合戦による兵火のために焼失しましたが、礎石12個が現存しています。

  • 「南大門」を入ると、目の前には、東西(左右)に長い「大泉ヶ池」が広がります。「南大門」が、浄土庭園の南側、池の向かい側の「金堂円隆寺」が北側、右手が東、左手が西になります。<br /><br />海を表している「大泉ヶ池」は、東西約180m南北約90m、作庭当初の姿を伝えています。<br /><br />

    「南大門」を入ると、目の前には、東西(左右)に長い「大泉ヶ池」が広がります。「南大門」が、浄土庭園の南側、池の向かい側の「金堂円隆寺」が北側、右手が東、左手が西になります。

    海を表している「大泉ヶ池」は、東西約180m南北約90m、作庭当初の姿を伝えています。

  • 池のほぼ中央部に、東西約70m、南北約30m、勾玉状の「中島」があります。池の周辺や中島にはすべて玉石が敷かれています。<br /><br />昔は、「南大門」前から「中島」南まで17間の反橋、「金堂円隆寺」側から「中島」北まで10間の斜橋がかかっていた・・・と古記録に記されています。

    池のほぼ中央部に、東西約70m、南北約30m、勾玉状の「中島」があります。池の周辺や中島にはすべて玉石が敷かれています。

    昔は、「南大門」前から「中島」南まで17間の反橋、「金堂円隆寺」側から「中島」北まで10間の斜橋がかかっていた・・・と古記録に記されています。

  • パンフレットの順路に従い、池の周りを時計まわりに歩くことにします。<br /><br />池の西側に、「開山堂」とあやめ園が見えます。先ほどあの辺は見ましたが、再びあやめ園の方へ向かう形となります。<br /><br />池の中へ飛び出している岩を積み重ねたような部分は「築山(つきやま)」です。<br /><br />水面より約4mの高さに築かれています。水際から山頂近くまで、大小各種の石を立て、水辺に迫る断崖の景観が造りだされており、「作庭記」(日本最古の作庭書)に記されている「枯山水の様」の実例といわれています。<br />

    パンフレットの順路に従い、池の周りを時計まわりに歩くことにします。

    池の西側に、「開山堂」とあやめ園が見えます。先ほどあの辺は見ましたが、再びあやめ園の方へ向かう形となります。

    池の中へ飛び出している岩を積み重ねたような部分は「築山(つきやま)」です。

    水面より約4mの高さに築かれています。水際から山頂近くまで、大小各種の石を立て、水辺に迫る断崖の景観が造りだされており、「作庭記」(日本最古の作庭書)に記されている「枯山水の様」の実例といわれています。

  • 水面に空が写りこんで、神秘的ともいえる美しさです。<br /><br />仏の世界・・・すなわち浄土を地上に表現したと伝わる浄土庭園・・・。<br /><br />「大泉ヶ池」は浄水をたたえ、その周辺には、州浜、荒磯風の水分け、浪返しにあたる立石、橋のたもとをかざる橋引石、枯山水風の築山、遺水などの石組を配しています。<br /><br />この景観は、平安時代に書かれた日本最古の庭園書である「作庭記」に基づいて造られた、学術的にも貴重な庭園となっています。<br />

    水面に空が写りこんで、神秘的ともいえる美しさです。

    仏の世界・・・すなわち浄土を地上に表現したと伝わる浄土庭園・・・。

    「大泉ヶ池」は浄水をたたえ、その周辺には、州浜、荒磯風の水分け、浪返しにあたる立石、橋のたもとをかざる橋引石、枯山水風の築山、遺水などの石組を配しています。

    この景観は、平安時代に書かれた日本最古の庭園書である「作庭記」に基づいて造られた、学術的にも貴重な庭園となっています。

  • 龍の小舟が、池の東端のほうに浮かんでいます。

    龍の小舟が、池の東端のほうに浮かんでいます。

  • 風や光、ちょっとした角度・・・などで、水面や木々などの様子が微妙に変化します。<br />

    風や光、ちょっとした角度・・・などで、水面や木々などの様子が微妙に変化します。

  • あやめ園のあたりに戻ってきました。<br />

    あやめ園のあたりに戻ってきました。

  • あやめ園のある池の西側あたりでは、玉石を敷き詰めて、海岸のようになっています。

    あやめ園のある池の西側あたりでは、玉石を敷き詰めて、海岸のようになっています。

  • 「嘉祥寺(かしょうじ)跡」。<br /><br />「大泉ヶ池」の北西、「金堂円隆寺」の西に、杉並木に囲まれて、ほぼ「金堂円隆寺」と同規模の土壇があります。巨大な礎石が完存するこの建築跡は、古来より「嘉祥寺(かしょうじ)跡」として言い伝えられてきました。<br /><br />「嘉祥寺」は「吾妻鏡」にある嘉勝寺に相当します。<br /><br />この堂跡は、「金堂円隆寺」とほぼ同規模の正面七間(約27.9m)、側面6間(約22.5m)。やはり同規模同形式の左右の廊が付属することからみて、金堂なみに高い地位であったことがわかります。少なくとも基衡の「金堂円隆寺」建立以前から、「嘉祥寺」は存在していたとみられています。 <br /><br />本尊は、丈六の薬師如来。<br /><br />堂内の壁や扉には、法華経の教えが画かれていたといわれています。

    「嘉祥寺(かしょうじ)跡」。

    「大泉ヶ池」の北西、「金堂円隆寺」の西に、杉並木に囲まれて、ほぼ「金堂円隆寺」と同規模の土壇があります。巨大な礎石が完存するこの建築跡は、古来より「嘉祥寺(かしょうじ)跡」として言い伝えられてきました。

    「嘉祥寺」は「吾妻鏡」にある嘉勝寺に相当します。

    この堂跡は、「金堂円隆寺」とほぼ同規模の正面七間(約27.9m)、側面6間(約22.5m)。やはり同規模同形式の左右の廊が付属することからみて、金堂なみに高い地位であったことがわかります。少なくとも基衡の「金堂円隆寺」建立以前から、「嘉祥寺」は存在していたとみられています。

    本尊は、丈六の薬師如来。

    堂内の壁や扉には、法華経の教えが画かれていたといわれています。

  • 54個の礎石が残っています。

    54個の礎石が残っています。

  • 土を少し高く盛った土壇の上に建てられていました。

    土を少し高く盛った土壇の上に建てられていました。

  • 「嘉祥寺跡」から少し移動すると、基衡が建立したと言われ、また「吾妻鏡」にも記載されている「講堂」が建てられていた場所があります。<br /><br />今、「講堂跡」と伝えられる遺跡は、「大泉ヶ池」の北方、「金堂円隆寺跡」の西北方、「嘉祥寺跡」の東北方にあって、東西約83尺、南北約80尺のほぼ方形の土壇です。<br /><br />壇上には34個の礎石が完存し、土壇中央部のやや北寄りには、仏壇跡と思われる小高い土の隆起も残っています。 <br /><br />この基壇上に建てられていた講堂は、前面の庇柱筋が、「金堂円隆寺」の北面の柱筋とほぼ一直線上にあり、講堂が金堂と密接な関係を持っていたことがわかります。金堂と一体的に計画され、造営されたものと考えられます。 <br /><br />本尊は、胎金両部大日如来。<br /><br />講堂とは、仏法を説き、仏法を聴く堂舎でした。また、灌頂という密教儀式を行う奥羽の灌室であったといわれています。<br /><br />嘉禄の火災後に再建されましたが、天正元年(1573年)の戦による火災で焼失しました。

    「嘉祥寺跡」から少し移動すると、基衡が建立したと言われ、また「吾妻鏡」にも記載されている「講堂」が建てられていた場所があります。

    今、「講堂跡」と伝えられる遺跡は、「大泉ヶ池」の北方、「金堂円隆寺跡」の西北方、「嘉祥寺跡」の東北方にあって、東西約83尺、南北約80尺のほぼ方形の土壇です。

    壇上には34個の礎石が完存し、土壇中央部のやや北寄りには、仏壇跡と思われる小高い土の隆起も残っています。 

    この基壇上に建てられていた講堂は、前面の庇柱筋が、「金堂円隆寺」の北面の柱筋とほぼ一直線上にあり、講堂が金堂と密接な関係を持っていたことがわかります。金堂と一体的に計画され、造営されたものと考えられます。

    本尊は、胎金両部大日如来。

    講堂とは、仏法を説き、仏法を聴く堂舎でした。また、灌頂という密教儀式を行う奥羽の灌室であったといわれています。

    嘉禄の火災後に再建されましたが、天正元年(1573年)の戦による火災で焼失しました。

  • 奥まった堂の左右から、「大泉ヶ池」に向かって延びる廊があった場所は、今は広々とした芝生になっています。廊があったという跡は見ることができます。

    奥まった堂の左右から、「大泉ヶ池」に向かって延びる廊があった場所は、今は広々とした芝生になっています。廊があったという跡は見ることができます。

  • 「講堂跡」にほぼ隣り合って「金堂円隆寺跡」があります。<br /><br />基衡が万宝を尽くして建立した勅願寺で、本尊は雲慶作の薬師如来でしたが、焼失しています。<br /><br />毛越寺の中心伽藍で、東西に翼廊が出て南に折れ、東廊先端には鐘楼、西廊先端には経楼がありました(コの字型をしていたということです)。<br /><br />嘉禄2年(1226年)火災で焼失しました。<br /><br /><br />

    「講堂跡」にほぼ隣り合って「金堂円隆寺跡」があります。

    基衡が万宝を尽くして建立した勅願寺で、本尊は雲慶作の薬師如来でしたが、焼失しています。

    毛越寺の中心伽藍で、東西に翼廊が出て南に折れ、東廊先端には鐘楼、西廊先端には経楼がありました(コの字型をしていたということです)。

    嘉禄2年(1226年)火災で焼失しました。


  • 「吾妻鏡」に、金銀がちりばめられ、紫檀赤木等を継ぎ、万宝を尽くして・・・と記載があるほど、豪華絢爛なものだったようです。<br /><br />また「吾妻鏡」によると、毛越寺の最盛期には40以上の堂塔や500を超える僧坊があり、中尊寺をしのぐ規模を誇っていたそうです。伽藍の荘厳さは、吾朝無双(我が国では並ぶものがない)と評されました。

    「吾妻鏡」に、金銀がちりばめられ、紫檀赤木等を継ぎ、万宝を尽くして・・・と記載があるほど、豪華絢爛なものだったようです。

    また「吾妻鏡」によると、毛越寺の最盛期には40以上の堂塔や500を超える僧坊があり、中尊寺をしのぐ規模を誇っていたそうです。伽藍の荘厳さは、吾朝無双(我が国では並ぶものがない)と評されました。

  • 基壇は石造り壇上積です。

    基壇は石造り壇上積です。

  • 「金堂円隆寺」から、左右対称に翼廊が延び、それそれ「大泉ヶ池」の汀に向かって南に折れ進みます。<br /><br />東廊の先端に造られたのが「鐘楼」です。雨落溝が土壇をめぐり、その水は池に注ぐように造られています。<br /><br />土壇の礎石は、16個のうち13個が完存しています。<br /><br />

    「金堂円隆寺」から、左右対称に翼廊が延び、それそれ「大泉ヶ池」の汀に向かって南に折れ進みます。

    東廊の先端に造られたのが「鐘楼」です。雨落溝が土壇をめぐり、その水は池に注ぐように造られています。

    土壇の礎石は、16個のうち13個が完存しています。

  • 「鐘楼跡」には、ベンチが置かれ、休憩できるようになっています。

    「鐘楼跡」には、ベンチが置かれ、休憩できるようになっています。

  • そして、「金堂円隆寺」の西廊南端にあったのが「経楼」。「経楼」とは、経文を納める建物です。「金堂円隆寺」を中心に「鐘楼」「経楼」は全く対称の位置にありました。<br /><br />土壇並びに間、礎石の位置とも「鐘楼」と同じで、16個の礎石が完存しています。雨落溝も「鐘楼」のものと同じ造りですが、こちらの溝の排水は、暗渠によって池に注がれるようになっていました。<br /><br />

    そして、「金堂円隆寺」の西廊南端にあったのが「経楼」。「経楼」とは、経文を納める建物です。「金堂円隆寺」を中心に「鐘楼」「経楼」は全く対称の位置にありました。

    土壇並びに間、礎石の位置とも「鐘楼」と同じで、16個の礎石が完存しています。雨落溝も「鐘楼」のものと同じ造りですが、こちらの溝の排水は、暗渠によって池に注がれるようになっていました。

  • 「金堂円隆寺」の東側から流れ出る水路は「遣水(やりみず)」と呼ばれます。<br /><br />この「遣水」は、庭園の発掘調査中に、往時の姿のままに発見されたのもで、遣水の遺構は、奈良の宮跡庭園を除いては例がなく、平安時代の遺構としては、唯一のものです。<br /><br />「遣水」は、池に水を引き入れるための水路です。<br /><br />曲がりくねる流れの底に玉石を敷き詰め、水流の中に、水越し、水切り、水分けなどの石組みが配されています。平安時代の指導書「作庭記」の様式を余すところなく伝えています。<br /><br />

    「金堂円隆寺」の東側から流れ出る水路は「遣水(やりみず)」と呼ばれます。

    この「遣水」は、庭園の発掘調査中に、往時の姿のままに発見されたのもで、遣水の遺構は、奈良の宮跡庭園を除いては例がなく、平安時代の遺構としては、唯一のものです。

    「遣水」は、池に水を引き入れるための水路です。

    曲がりくねる流れの底に玉石を敷き詰め、水流の中に、水越し、水切り、水分けなどの石組みが配されています。平安時代の指導書「作庭記」の様式を余すところなく伝えています。

  • 「遣水」は80mほどの長さがあるそうです。

    「遣水」は80mほどの長さがあるそうです。

  • 玉石を敷き詰めた水路を通る澄んだ水は、「大泉ヶ池」に流れ込みます。

    玉石を敷き詰めた水路を通る澄んだ水は、「大泉ヶ池」に流れ込みます。

  • 「大泉ヶ池」に注ぎ込む途中に、小さな橋もかけられています。復元しているものなので、形は全然違えど、往時にもこの辺りに橋があったのでしょうか。

    「大泉ヶ池」に注ぎ込む途中に、小さな橋もかけられています。復元しているものなので、形は全然違えど、往時にもこの辺りに橋があったのでしょうか。

  • 「遣水」が「大泉ヶ池」に注ぎこむ部分。

    「遣水」が「大泉ヶ池」に注ぎこむ部分。

  • 説明文の看板には、こんな優雅な写真がありました。<br /><br />毎年5月第4日曜日に、平安時代の宴を再現した「 曲水(ごくすい)の宴」が開催され、平安の雅な情景が作り出されます。<br /><br />遣水に盃を浮かべ、流れに合わせて和歌を詠む・・・風雅な遊びだそうです。<br /><br />この宴、実際に見てみたいですね〜!

    説明文の看板には、こんな優雅な写真がありました。

    毎年5月第4日曜日に、平安時代の宴を再現した「 曲水(ごくすい)の宴」が開催され、平安の雅な情景が作り出されます。

    遣水に盃を浮かべ、流れに合わせて和歌を詠む・・・風雅な遊びだそうです。

    この宴、実際に見てみたいですね〜!

  • 「金堂円隆寺」の東側にあるのが「常行堂」。<br /><br />現在の「常行堂」は、享保17年(1732年)に、仙台藩主・伊達吉村公の武運長久を願って再建されたものです。<br /><br />浄土庭園の一部は水田などになってしまっていたものの、伊達藩は、遺構の礎石などの移動を禁止したり、杉の木を植えるなどして、保護をしました。<br /><br />堂は宝形造りの茅葺きで、須弥壇中央に本尊・宝冠の阿弥陀如来、両側に四菩薩、奥殿には秘仏としてあがめられている摩多羅神(またらじん)が祀られています。摩多羅神は修法と堂の守護神であり、地元では古くから作物の神様として信仰されています。奥殿の扉はふだんは固く閉ざされ、33年に一度御開帳されます。<br /><br />また、祭礼の正月20日には、古式の法要のあと、「延年の舞」が神仏に奉納されます。これは、中世より伝承されてきたもので、国指定の重要無形文化財にもなっています。<br /><br />・・・って、あれ〜〜?修復中じゃないの〜〜(-_-;)!?

    「金堂円隆寺」の東側にあるのが「常行堂」。

    現在の「常行堂」は、享保17年(1732年)に、仙台藩主・伊達吉村公の武運長久を願って再建されたものです。

    浄土庭園の一部は水田などになってしまっていたものの、伊達藩は、遺構の礎石などの移動を禁止したり、杉の木を植えるなどして、保護をしました。

    堂は宝形造りの茅葺きで、須弥壇中央に本尊・宝冠の阿弥陀如来、両側に四菩薩、奥殿には秘仏としてあがめられている摩多羅神(またらじん)が祀られています。摩多羅神は修法と堂の守護神であり、地元では古くから作物の神様として信仰されています。奥殿の扉はふだんは固く閉ざされ、33年に一度御開帳されます。

    また、祭礼の正月20日には、古式の法要のあと、「延年の舞」が神仏に奉納されます。これは、中世より伝承されてきたもので、国指定の重要無形文化財にもなっています。

    ・・・って、あれ〜〜?修復中じゃないの〜〜(-_-;)!?

  • 冠をいただく阿弥陀如来。<br /><br />こういうふうに、軽い気持ちで本尊などの像を写すって行為は、あまり褒められた行為ではないのでしょうか・・・よくわかりません。

    冠をいただく阿弥陀如来。

    こういうふうに、軽い気持ちで本尊などの像を写すって行為は、あまり褒められた行為ではないのでしょうか・・・よくわかりません。

  • 江戸時代の建物なんですね。工事シートや足場の中なので、こんなところまでしか見えません。

    江戸時代の建物なんですね。工事シートや足場の中なので、こんなところまでしか見えません。

  • 現「常行堂」の脇に、「地蔵菩薩」がありました。<br /><br />お地蔵さまは、餓鬼道の能化(仏菩薩)です。地蔵十益、地蔵二十八益というご利益がある仏さまで、手に持つ宝珠は如意の玉ともいわれ、このお地蔵さまを信仰すれば、願い事が心のままになるという意味だそうです。

    現「常行堂」の脇に、「地蔵菩薩」がありました。

    お地蔵さまは、餓鬼道の能化(仏菩薩)です。地蔵十益、地蔵二十八益というご利益がある仏さまで、手に持つ宝珠は如意の玉ともいわれ、このお地蔵さまを信仰すれば、願い事が心のままになるという意味だそうです。

  • 現「常行堂」の東側にある、「法華堂跡」と伝えられる遺跡は、寺域の東北隅部に位置し、5間11.8方形の土壇です。土壇には23個もの残存礎石があり、周辺の玉石敷面より1.5尺ほど高かったと思われます。<br /><br />享保年間に建築された現「常行堂」。創建以来、同じ位置にあるものと考えられてきましたが、発掘調査によって、往時の「常行堂」は、現在の位置とは違うことが明らかになりました。往時の「常行堂」の遺跡は、「法華堂跡」土壇の南に隣接しています。発掘調査時には大変に保存状態が悪く、残存している礎石もありませんでした。しかし、根石があり、存在が確認されました。<br /><br />「常行堂」「法華堂」はそれぞれ常行三昧、法華三昧という天台宗の修行の道場であり、渡廊で結ばれていました。<br /><br />慶長2年(1597年)、野火のため焼失しました。<br /><br /><br /><br /><br />

    現「常行堂」の東側にある、「法華堂跡」と伝えられる遺跡は、寺域の東北隅部に位置し、5間11.8方形の土壇です。土壇には23個もの残存礎石があり、周辺の玉石敷面より1.5尺ほど高かったと思われます。

    享保年間に建築された現「常行堂」。創建以来、同じ位置にあるものと考えられてきましたが、発掘調査によって、往時の「常行堂」は、現在の位置とは違うことが明らかになりました。往時の「常行堂」の遺跡は、「法華堂跡」土壇の南に隣接しています。発掘調査時には大変に保存状態が悪く、残存している礎石もありませんでした。しかし、根石があり、存在が確認されました。

    「常行堂」「法華堂」はそれぞれ常行三昧、法華三昧という天台宗の修行の道場であり、渡廊で結ばれていました。

    慶長2年(1597年)、野火のため焼失しました。




  • 「大泉ヶ池」の北側に集まっている伽藍遺構はこれで全部です。<br /><br />あとは、池に沿って、「南大門」の方へ戻っていくことになります。池の東側沿いのこのあたりは、緑に覆われて爽やかで美しいです。なんか、水が流れていたような跡がありますね。

    「大泉ヶ池」の北側に集まっている伽藍遺構はこれで全部です。

    あとは、池に沿って、「南大門」の方へ戻っていくことになります。池の東側沿いのこのあたりは、緑に覆われて爽やかで美しいです。なんか、水が流れていたような跡がありますね。

  • 「東門跡」。<br /><br />往時は、築地塀が、境内の東端、南端を囲んでいました。東門から境内を出ると、観自在王院や車宿(くるまやどり)=牛車の駐車場 のある街路が現れます。東門から敷石道が、「金堂円隆寺」と「鐘楼」を結ぶ東翼廊に続いていました。<br /><br />陽射しが強いので、写真では、ふたつの礎石のうち、こちら側のひとつしか見えません。

    「東門跡」。

    往時は、築地塀が、境内の東端、南端を囲んでいました。東門から境内を出ると、観自在王院や車宿(くるまやどり)=牛車の駐車場 のある街路が現れます。東門から敷石道が、「金堂円隆寺」と「鐘楼」を結ぶ東翼廊に続いていました。

    陽射しが強いので、写真では、ふたつの礎石のうち、こちら側のひとつしか見えません。

  • 池に沿って、杉並木が続きます。この杉は、伊達藩が植えたものなのでしょうか・・・?

    池に沿って、杉並木が続きます。この杉は、伊達藩が植えたものなのでしょうか・・・?

  • 東側も、西側同様、玉石を敷き詰めた海岸になっています。

    東側も、西側同様、玉石を敷き詰めた海岸になっています。

  • 池の中へとゆるやかに突き出た辺りが「洲浜(すはま)」。<br /><br />広々とした海岸の砂州を表現しており、やわらかい曲線で入り江を形づくっています。<br /><br />他に比べて池底を特に浅くし、広々と玉石を敷き詰めているので、水位の昇降に応じてその姿が変化します。

    池の中へとゆるやかに突き出た辺りが「洲浜(すはま)」。

    広々とした海岸の砂州を表現しており、やわらかい曲線で入り江を形づくっています。

    他に比べて池底を特に浅くし、広々と玉石を敷き詰めているので、水位の昇降に応じてその姿が変化します。

  • 往時は、向こう岸に、豪華絢爛な伽藍が並んでいたのですね・・・。

    往時は、向こう岸に、豪華絢爛な伽藍が並んでいたのですね・・・。

  • ゆったりとした「洲浜」と、その向こうに見える岩の「出島と池中立石」とは、対照的な景趣となっています。

    ゆったりとした「洲浜」と、その向こうに見える岩の「出島と池中立石」とは、対照的な景趣となっています。

  • 「出島と池中立石」は、荒磯の風情を表現しています。<br /><br />毛越寺庭園で最も美しい景観の一つです。<br /><br />水辺から水中へと石組が突き出し、その先端の飛び島には約2.5mの景石が据えられ、庭の象徴として池全体を引き締めています。 <br /><br /><br />

    「出島と池中立石」は、荒磯の風情を表現しています。

    毛越寺庭園で最も美しい景観の一つです。

    水辺から水中へと石組が突き出し、その先端の飛び島には約2.5mの景石が据えられ、庭の象徴として池全体を引き締めています。


  • 伽藍の背後には、塔山が聳え、前面に「大泉ヶ池」が広がります。

    伽藍の背後には、塔山が聳え、前面に「大泉ヶ池」が広がります。

  • 飛び島の景石の周辺には、中小の石を荒々しく散らし、玉石を敷き詰めています。

    飛び島の景石の周辺には、中小の石を荒々しく散らし、玉石を敷き詰めています。

  • 東日本大震災で約8度傾いた立石と、出島付近を修復するため、池の水を取り除いた写真がありました。普段は見えない島の斜面にも、丁寧に玉石が並べられています。

    東日本大震災で約8度傾いた立石と、出島付近を修復するため、池の水を取り除いた写真がありました。普段は見えない島の斜面にも、丁寧に玉石が並べられています。

  • 参拝と庭園散策を始める前に頼んでおいた御朱印を引き取って・・・。

    参拝と庭園散策を始める前に頼んでおいた御朱印を引き取って・・・。

  • あやめ撮影もあったので、2時間半あまり経っていました。<br /><br />暑いし、疲れたし、さすがにお腹空いたし・・・出入口門を入ってすぐ「宝物館」の前にあるお休み処「松風庵」で、おそばでも食べよう〜〜。

    あやめ撮影もあったので、2時間半あまり経っていました。

    暑いし、疲れたし、さすがにお腹空いたし・・・出入口門を入ってすぐ「宝物館」の前にあるお休み処「松風庵」で、おそばでも食べよう〜〜。

  • 途中で、ポットの冷茶を飲みながら歩いたのだけど、ここで一気に冷茶を何杯も飲みまくってしまった・・・。やっぱり暑かったんだなぁ。

    途中で、ポットの冷茶を飲みながら歩いたのだけど、ここで一気に冷茶を何杯も飲みまくってしまった・・・。やっぱり暑かったんだなぁ。

  • そば茶プリンも食べちゃおう〜〜!

    そば茶プリンも食べちゃおう〜〜!

  • さて、一休みしたので、あとは「宝物館」を見るだけ。<br /><br />「宝物館」は、昭和52年に、鉄筋コンクリートで建てられました。<br /><br />毛越寺一山に伝わる平安期の仏像、書籍、工芸品、発掘遺品、延年の舞用具などを展示しています。<br /><br />内部は撮影禁止なので写真はありませんが、全部焼失してしまいながらも、発掘で出てきた貴重な物品や、平安時代や室町時代の仏像が残っていたのにはびっくりしました。

    さて、一休みしたので、あとは「宝物館」を見るだけ。

    「宝物館」は、昭和52年に、鉄筋コンクリートで建てられました。

    毛越寺一山に伝わる平安期の仏像、書籍、工芸品、発掘遺品、延年の舞用具などを展示しています。

    内部は撮影禁止なので写真はありませんが、全部焼失してしまいながらも、発掘で出てきた貴重な物品や、平安時代や室町時代の仏像が残っていたのにはびっくりしました。

  • 毛越寺は、国の特別史跡・特別名勝の二重の指定も受けています。

    毛越寺は、国の特別史跡・特別名勝の二重の指定も受けています。

  • 伽藍復元図で見ると、「大泉ヶ池」の隣に、規模の小さい同じような池と庭園と建物があるのがわかります。<br /><br />これはどこにあるのかな?と思っていたら、毛越寺に隣接する「観自在王院跡」という、平泉一連の世界遺産のひとつでした。<br /><br />お隣だし、無料で自由に入れるようなので、一応もうひと頑張りしていくか・・・。<br /><br />写真は、毛越寺と観自在王隠跡との間にある「車宿跡」。<br /><br />車宿は、牛車を格納するための建物です。南北に細長い掘立柱の建物が建っており、10輌の牛車を納めることができました。西側正面を除く三方は、壁によって囲まれていたと考えられ、床面は周辺部と同じ玉石敷きで、四周に雨落ち溝を巡らせていました。<br /><br />建物があったとされる場所にある木の柱のような印は、ここにこんな感じで建っていたと示すために、復元時に付けられたものと思います。<br /><br />この場所は、毛越寺の東土塁と、観自在王院の西土塁に挟まれた幅約30mの、玉石を敷き詰めた広場で、牛車を納めたり、牛をつなぐのに都合のよい場所だったとみられています。

    伽藍復元図で見ると、「大泉ヶ池」の隣に、規模の小さい同じような池と庭園と建物があるのがわかります。

    これはどこにあるのかな?と思っていたら、毛越寺に隣接する「観自在王院跡」という、平泉一連の世界遺産のひとつでした。

    お隣だし、無料で自由に入れるようなので、一応もうひと頑張りしていくか・・・。

    写真は、毛越寺と観自在王隠跡との間にある「車宿跡」。

    車宿は、牛車を格納するための建物です。南北に細長い掘立柱の建物が建っており、10輌の牛車を納めることができました。西側正面を除く三方は、壁によって囲まれていたと考えられ、床面は周辺部と同じ玉石敷きで、四周に雨落ち溝を巡らせていました。

    建物があったとされる場所にある木の柱のような印は、ここにこんな感じで建っていたと示すために、復元時に付けられたものと思います。

    この場所は、毛越寺の東土塁と、観自在王院の西土塁に挟まれた幅約30mの、玉石を敷き詰めた広場で、牛車を納めたり、牛をつなぐのに都合のよい場所だったとみられています。

  • 一連の世界遺産、そして国の特別史跡および名勝に指定されている観自在王院跡は、二代基衡の妻が建立したといわれています。<br /><br />観自在王院とは、阿弥陀堂のことで、大阿弥陀堂と小阿弥陀堂がありました。<br /><br />大阿弥陀堂には阿弥陀如来、観音、勢至菩薩の三尊を安置し、堂内の四壁には京都の霊地名所を描き、仏壇は銀、高欄は磨金で出来ていたといわれています。いかにも女性の持仏堂らしい華麗な造りであったことがうかがわれます。<br /><br />発掘調査によると、観自在王院跡の全容は四囲東西約120m、南北約240mで、南北に長い長方形をしています。<br /><br />「南門」を入ると、復元された「舞鶴が池」。池は東西、南北ともに約90mで、ほぼ正方形です。池の中央南寄りには中島があり、池西岸に荒磯風の石組が置かれています。その北側には巨大な川石の石組があり、ここから滝のように水が流れていました。<br /><br />このように、観自在王院の庭園も、平安時代の「作庭記」の作法通りに作られていました。規模こそ小さいながらも、平安時代第1級の浄土庭園であったことがしのばれます。<br /><br />観自在王院は、天正元年(1573年)の兵火で焼亡。<br /><br />「舞鶴が池」を中心とした浄土庭園の遺構はほぼ完全な形で保存され、今は史跡公園として整備されています。<br /><br />公園となっているせいか、毛越寺に比べると開放的で、周辺の住宅も見えています。

    一連の世界遺産、そして国の特別史跡および名勝に指定されている観自在王院跡は、二代基衡の妻が建立したといわれています。

    観自在王院とは、阿弥陀堂のことで、大阿弥陀堂と小阿弥陀堂がありました。

    大阿弥陀堂には阿弥陀如来、観音、勢至菩薩の三尊を安置し、堂内の四壁には京都の霊地名所を描き、仏壇は銀、高欄は磨金で出来ていたといわれています。いかにも女性の持仏堂らしい華麗な造りであったことがうかがわれます。

    発掘調査によると、観自在王院跡の全容は四囲東西約120m、南北約240mで、南北に長い長方形をしています。

    「南門」を入ると、復元された「舞鶴が池」。池は東西、南北ともに約90mで、ほぼ正方形です。池の中央南寄りには中島があり、池西岸に荒磯風の石組が置かれています。その北側には巨大な川石の石組があり、ここから滝のように水が流れていました。

    このように、観自在王院の庭園も、平安時代の「作庭記」の作法通りに作られていました。規模こそ小さいながらも、平安時代第1級の浄土庭園であったことがしのばれます。

    観自在王院は、天正元年(1573年)の兵火で焼亡。

    「舞鶴が池」を中心とした浄土庭園の遺構はほぼ完全な形で保存され、今は史跡公園として整備されています。

    公園となっているせいか、毛越寺に比べると開放的で、周辺の住宅も見えています。

    観自在王院跡 名所・史跡

  • 「舞鶴が池」を一周してみます。

    「舞鶴が池」を一周してみます。

    観自在王院跡 名所・史跡

  • 池跡は、長く水田化していましたが、発掘調査により、池汀の敷石が見つかりました。また、転倒していた景石のいくつかを修復しています。<br /><br />池の中央の中島は、江戸時代に池が水田化した際に、島の周囲が削り取られましたが、発掘調査の成果に基づき、築造当時の姿に修復されました。<br /><br />また、文和5年(1355年)の銘を持つ鉄製宝塔が近世に至るまで、中島中央に置かれていました。この宝塔は、塔身と基台のみが残り、現在、毛越寺宝物館に保管されています。

    池跡は、長く水田化していましたが、発掘調査により、池汀の敷石が見つかりました。また、転倒していた景石のいくつかを修復しています。

    池の中央の中島は、江戸時代に池が水田化した際に、島の周囲が削り取られましたが、発掘調査の成果に基づき、築造当時の姿に修復されました。

    また、文和5年(1355年)の銘を持つ鉄製宝塔が近世に至るまで、中島中央に置かれていました。この宝塔は、塔身と基台のみが残り、現在、毛越寺宝物館に保管されています。

  • 池の東側にある「伝普賢堂跡」。<br /><br />柱間3間、約4.6m四方の方形建物の跡です。周囲には、約7m四方の低い基壇がみられます。発掘調査の結果、この堂は、池を埋めたてて建てられたことが判明しました。

    池の東側にある「伝普賢堂跡」。

    柱間3間、約4.6m四方の方形建物の跡です。周囲には、約7m四方の低い基壇がみられます。発掘調査の結果、この堂は、池を埋めたてて建てられたことが判明しました。

  • 「こちらも池の東側にある「伝鐘楼跡」。<br /><br />南北約4.5m、東西約3.2m、屋根は切妻造りの小建築、大小の石で、西および南基壇の側面を固めています。地上の礎石3個は、再建された建物の跡です。

    「こちらも池の東側にある「伝鐘楼跡」。

    南北約4.5m、東西約3.2m、屋根は切妻造りの小建築、大小の石で、西および南基壇の側面を固めています。地上の礎石3個は、再建された建物の跡です。

  • 毛越寺を気合入れて見た後なので、似たような雰囲気のミニ版浄土庭園・・・といった感じとしか言いようがありません。

    毛越寺を気合入れて見た後なので、似たような雰囲気のミニ版浄土庭園・・・といった感じとしか言いようがありません。

  • 池の北側には「小阿弥陀堂跡と中間遺跡」、「大阿弥陀堂跡」。<br /><br />発掘調査によると、「小阿弥陀堂」は、桁行約16.8m、梁間約7.2mの、東西に細長い堂で、屋根は入母屋造りと想定されています。<br /><br />大小2つの阿弥陀堂跡の中間には、東西約5.3m、南北約4.4mの方形の玉石敷があり、その周りに約3mおきに掘立柱列が南に廊下状に延びていました。これは、邸宅に付属する「泉殿」とそれをめぐる廊下とみられています。このことから、観自在王院は、貴人の邸宅を寺地として造営されたものと考えられています。<br /><br />「大阿弥陀堂」は、寺の主堂らしく、建物も最大でした。調査結果によると、約10.6mの方形の堂の周りに、幅約2mの庇か、まわり縁を巡らせていたらしいとわかりました。方形堂であるので、屋根は宝形造り。頂上に宝珠露盤を上げました。堂内には、約4.55m間隔で内陣柱が立ち、仏壇には本尊として阿弥陀像が安置されていました。<br /><br />写真にちょっぴり写っている現在の建物は、享保年間に大阿弥陀堂跡に再建されたものです。

    池の北側には「小阿弥陀堂跡と中間遺跡」、「大阿弥陀堂跡」。

    発掘調査によると、「小阿弥陀堂」は、桁行約16.8m、梁間約7.2mの、東西に細長い堂で、屋根は入母屋造りと想定されています。

    大小2つの阿弥陀堂跡の中間には、東西約5.3m、南北約4.4mの方形の玉石敷があり、その周りに約3mおきに掘立柱列が南に廊下状に延びていました。これは、邸宅に付属する「泉殿」とそれをめぐる廊下とみられています。このことから、観自在王院は、貴人の邸宅を寺地として造営されたものと考えられています。

    「大阿弥陀堂」は、寺の主堂らしく、建物も最大でした。調査結果によると、約10.6mの方形の堂の周りに、幅約2mの庇か、まわり縁を巡らせていたらしいとわかりました。方形堂であるので、屋根は宝形造り。頂上に宝珠露盤を上げました。堂内には、約4.55m間隔で内陣柱が立ち、仏壇には本尊として阿弥陀像が安置されていました。

    写真にちょっぴり写っている現在の建物は、享保年間に大阿弥陀堂跡に再建されたものです。

  • 古そうなお地蔵さまがひっそりと・・・。

    古そうなお地蔵さまがひっそりと・・・。

  • 池の西側にある「西門跡」。<br /><br />四脚門で、親柱を掘立柱とし、前後4本の袖柱は礎石が用いられていました。屋根は、棟を南北に通した切妻造りと考えられています。<br /><br />境内の西を限る土塁に開かれた唯一の門であり、規模としては大きなものではないですが、伽藍中心部に近いことなどから、日常の往来などに利用されていたと考えられます。

    池の西側にある「西門跡」。

    四脚門で、親柱を掘立柱とし、前後4本の袖柱は礎石が用いられていました。屋根は、棟を南北に通した切妻造りと考えられています。

    境内の西を限る土塁に開かれた唯一の門であり、規模としては大きなものではないですが、伽藍中心部に近いことなどから、日常の往来などに利用されていたと考えられます。

  • 境内の西を限るところに、南北に延びる「土塁跡」があります。ここを越えると、「車宿」です。<br /><br />境内の他の三方がどのようなもので囲まれていたかは明らかではないのですが、境内の西面だけは、この土塁によって限られていたことが発掘調査によって判明しました。<br /><br />土塁の高さは推測の域を出ませんが、騎乗の人からも望見できない約2.4m程度の高さに積まれていたと考えられています。<br /><br />土塁基底部の幅は3mあり、東側には、幅約60cmの玉石敷の雨落溝が設けられていました。<br /><br />この土塁の北端部分に、西門があり、土塁と門との間には、くぐり戸が設けられていたと考えられています。<br /><br />写真では、土塁の右が車宿、左が観自在王院境内になり、この土塁の手前に西門がありました。

    境内の西を限るところに、南北に延びる「土塁跡」があります。ここを越えると、「車宿」です。

    境内の他の三方がどのようなもので囲まれていたかは明らかではないのですが、境内の西面だけは、この土塁によって限られていたことが発掘調査によって判明しました。

    土塁の高さは推測の域を出ませんが、騎乗の人からも望見できない約2.4m程度の高さに積まれていたと考えられています。

    土塁基底部の幅は3mあり、東側には、幅約60cmの玉石敷の雨落溝が設けられていました。

    この土塁の北端部分に、西門があり、土塁と門との間には、くぐり戸が設けられていたと考えられています。

    写真では、土塁の右が車宿、左が観自在王院境内になり、この土塁の手前に西門がありました。

  • 「遣水、滝石組」。<br /><br />観自在王院の池に注ぐ「遣水」は、発掘調査によって明らかにされ、整備されました。<br /><br />流路は、毛越寺弁天池方面から引かれたもので、土塁と交叉する地点では、厚い板が4枚、木橋状に伏せられていました。<br /><br />「遣水」が池に注ぐ地点に、滝の石組が見られます。合計大小18個の石が力強く組まれ、「作庭記」にいう「伝い落ち」という姿を示しています。<br /><br />このほか、池の北西部の出島にも、遣水の跡が発見されていますが、その源流ははっきりしていません。

    「遣水、滝石組」。

    観自在王院の池に注ぐ「遣水」は、発掘調査によって明らかにされ、整備されました。

    流路は、毛越寺弁天池方面から引かれたもので、土塁と交叉する地点では、厚い板が4枚、木橋状に伏せられていました。

    「遣水」が池に注ぐ地点に、滝の石組が見られます。合計大小18個の石が力強く組まれ、「作庭記」にいう「伝い落ち」という姿を示しています。

    このほか、池の北西部の出島にも、遣水の跡が発見されていますが、その源流ははっきりしていません。

  • 「遣水」。

    「遣水」。

  • 最後に、正面出入り口である「南門跡」。<br /><br />(南門)から入って、まっすぐ進むと「舞鶴の池」があります。<br /><br />観自在王院も、毛越寺同様、こちら岸から「中島」までと、「中島」から奥の建物までと、2つの橋がかけられていたようです。<br /><br />

    最後に、正面出入り口である「南門跡」。

    (南門)から入って、まっすぐ進むと「舞鶴の池」があります。

    観自在王院も、毛越寺同様、こちら岸から「中島」までと、「中島」から奥の建物までと、2つの橋がかけられていたようです。

  • もうすぐ16時になります。<br /><br />1時間に1本ほどの東北本線にちょうどよさそうなので、帰ります。<br /><br />キレイに整備された通りをまっすぐ進めば、駅です。

    もうすぐ16時になります。

    1時間に1本ほどの東北本線にちょうどよさそうなので、帰ります。

    キレイに整備された通りをまっすぐ進めば、駅です。

  • チャリに乗ったおじさんに、あの大の字は、めったにここから見えないんだよ、いいことあるよと言われました。<br /><br />毎年8月16日に、束稲山で平泉大文字送り火が行われているようです。

    チャリに乗ったおじさんに、あの大の字は、めったにここから見えないんだよ、いいことあるよと言われました。

    毎年8月16日に、束稲山で平泉大文字送り火が行われているようです。

  • さすがに世界遺産の町、道路がよく整備されていて綺麗です。

    さすがに世界遺産の町、道路がよく整備されていて綺麗です。

  • 平泉駅。

    平泉駅。

  • 毛越寺で、延年まんじゅうを、連れ合いへのお土産に買ってきました。なかなか美味しかったです。<br /><br />日本の世界遺産といえば・・日光山内には何度か行ったけど、これほど真剣に見たことはなかったなぁ・・・。旅行記を作りながら、あとからわかったこともたくさんあるし、すごく面白かったです。<br /><br />そのうち、中尊寺にもぜひ足を運んでみたいと思っています。<br />

    毛越寺で、延年まんじゅうを、連れ合いへのお土産に買ってきました。なかなか美味しかったです。

    日本の世界遺産といえば・・日光山内には何度か行ったけど、これほど真剣に見たことはなかったなぁ・・・。旅行記を作りながら、あとからわかったこともたくさんあるし、すごく面白かったです。

    そのうち、中尊寺にもぜひ足を運んでみたいと思っています。

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この旅行記へのコメント (14)

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  • 墨水さん 2014/08/11 22:33:57
    せめて・・・。
    こあひるこさん、今晩は。
    開山堂のコメントで「ログハウス調」ではなく、せめて「正倉院風」ぐらい書いて欲しかったな〜っ。(笑)
    校倉造りが正解。
    江戸時代、校倉造りの技法は失われていて、奈良から宮大工を連れて来るには幕府の許可が必要だったので、見よう見まねで宮大工が造った物と思われます。
    (大工達の努力を買ってやらねば。笑)
    伊達藩が毛越寺を、どう対処して良いか頭を抱えていた所が垣間見えました。
    「発掘」すると言う考え方がなかった時代、文献を集める事も儘ならなかった時代、「現状維持」が精一杯の選択だったことが、返って後世に残せた事は、一考に値しますね。
    今後、毛越寺をどう言う形で後世に伝えて行くかが肝心ですね。
    墨水。

    こあひる

    こあひるさん からの返信 2014/08/15 09:28:07
    RE: せめて・・・。
    墨水さん、おはようございま〜す!

    > 開山堂のコメントで「ログハウス調」ではなく、せめて「正倉院風」ぐらい書いて欲しかったな〜っ。(笑)
    > 校倉造りが正解。

    あはは〜〜!高床式の建物を見ると、正倉院みたいな・・・と連想できるのですが、校倉造りっていう言葉すら忘れていました〜〜。正倉院を見たことがないので、ああいう工法だっていうことにピンときませんでした。不勉強がお恥ずかしいです〜。でも調べてみたら、ログハウスも全くの間違いってわけでもないようなので、お許しを〜〜(笑)。

    > 江戸時代、校倉造りの技法は失われていて、奈良から宮大工を連れて来るには幕府の許可が必要だったので、見よう見まねで宮大工が造った物と思われます。
    > (大工達の努力を買ってやらねば。笑)

    なるほど〜。そうだったのですね。夏にはちゃんとすき間ができるのかしら・・?

    伊達家は、奥州藤原の血をひいているという説もありますので、失われた黄金時代への憧れや尊敬する気持ちがあったのかもしれませんね。今、あれだけの完璧な遺構を見ることができるのは、伊達藩のお蔭も大きいような気がします。

    また、色々教えてくださいね〜〜!勉強になりました!

    こあひる
  • fujickeyさん 2014/07/08 19:48:24
    復活しましたか?
    こあひるさん。

    こんばんわ。
    少し日が経ったので体調の方はもう復活していますでしょうか。
    夏本番に向けて体力つけていかなくちゃですね。

    平泉といったらわたしも中尊寺、を連想しました。
    中尊寺には行ったことはあるのですが、まだ子供の頃だったので世界遺産になるずーーっと前です(笑)ほとんど記憶も残っていません。

    毛越寺の方が静かそうだし、ゆっくり見て回れそうですね。
    そして水面に映る空と周りの木々の美しいこと!
    お天気がよかったのも幸いしていますね。
    こうやって見ると…旦那様の雨男パワーは本物ですね(笑)
    こあひるさんお一人ならこんなにいいお天気なのにと思ってしまいました。

    fujickey

    こあひる

    こあひるさん からの返信 2014/07/10 14:22:50
    RE: 復活しましたか?
    fujickeyさん、こんにちは!

    はい!7月の下旬からはいよいよ夏旅シーズン突入ですから、お家で大人しくして休養をとっています。もうほぼ回復しましたよ〜〜!ありがとうございます。

    平泉といえば、やっぱり中尊寺が一番の見どころでしょうかね。でも世界遺産になったのって割と最近なんですね〜。もっと前から・・・だと思っていたので意外でした。

    毛越寺は、建物が残っていないせいもあり、遺構と美しい庭園だけに集中できるので、ゆっくりと見て歩くことができました。秋ころに中尊寺に行ってみようと思っているのですが、もし中尊寺に行ったら、建物や美術工芸品などたくさん見るものがあって忙しくなりそうです。

    天気のいい日をねらって(ここまで晴れるとは思ってませんでしたが)出かけているので・・・ということもありますが、それでも、あの男が雨男・・・いや嵐を呼ぶ男なのは確実です。

    こあひる
  • chikuouさん 2014/07/06 23:42:22
    あやめ、花菖蒲、カキツバタ
     きれいな画像をありがとうございました。あやめ、花菖蒲、カキツバタの区別が私には今一つ分かりません。関西では、花が咲く時期が全く違います。あやめが5月ごろで、花菖蒲、カキツバタは6月ごろです。東北だから7月にあやめが咲くのかなとも思いますが、はっきりしません。

    こあひる

    こあひるさん からの返信 2014/07/08 10:33:55
    RE: あやめ、花菖蒲、カキツバタ
    chikuouさん、こんにちは!

    私も、アヤメ、カキツバタ、花菖蒲の区別はできない・・・見分け方の説明文もありますが、いつもあまり気にしないで見ています。

    「あやめ祭り」と称しても、花菖蒲がメインのところが多いような気がしますし、毛越寺でも「あやめ祭り」となっていて、ガイドブックでも「あやめ園」となっていますが、実際にはほぼ花菖蒲のようでした。

    東北でも、アヤメやカキツバタは5月ごろ・・・と、説明の看板にはありました。

    こあひる
  • みかりさん 2014/07/06 00:49:18
    こんなにも見所が・・・
    こあひるさん、こんばんは〜。

    体調は大丈夫ですか? 先月は色々忙しかったし、季節の変わり目でも
    あるので、疲れが出てしまったのかもしれませんね。

    あまり無理はしないで下さいね。

    毛越寺に行かれたんですね。私も2年前のサクランボの時期に
    中尊寺と毛越寺に行った時の事を思い出しました。私が行った時は
    アヤメ?花菖蒲?は、あまり咲いていなかったのですが・・・

    こんなに綺麗になるんですね。確かに、花菖蒲の名所は多いから
    お花だけなら、もっと感動する場所が沢山あるけれど、庭園や
    歴史的な背景を絡めて眺めると、素晴らしい風景だな〜と思いますよね。

    私は中尊寺がメインで毛越寺は夕方に慌ただしく立ち寄った感じだったので
    なんだかだだっ広い庭園だな〜と思いながら、眺めた気がしますが・・・

    色々と調べながら旅行記を書くと、歴史的な拝見なども知る事が出来て
    普通に周るより、ずっと楽しく思えますよね!
    私も、こあひるさんの旅行記で色々と知る事が出来ました♪

    今度は是非、中尊寺へ。沢山のお堂があり素晴らしい場所だと思いますヨ!

                                   みかり

    こあひる

    こあひるさん からの返信 2014/07/08 10:23:54
    RE: こんなにも見所が・・・
    みかりさん、おはようございま〜す!

    > 体調は大丈夫ですか? 先月は色々忙しかったし、季節の変わり目でも
    > あるので、疲れが出てしまったのかもしれませんね。
    > あまり無理はしないで下さいね。

    連れ合いには、遊びすぎ!と言われています。でもあと一息・・・といったところまで回復しました。もうすぐ夏の旅シーズンに突入するので、大人しくして体力温存しておかないと・・・。お心遣いどうもありがとうございます!!

    > 毛越寺に行かれたんですね。私も2年前のサクランボの時期に
    > 中尊寺と毛越寺に行った時の事を思い出しました。私が行った時は
    > アヤメ?花菖蒲?は、あまり咲いていなかったのですが・・・

    やっぱり、いくつかかけもちで周りますよね〜、ふつう・・・。毛越寺に言ったら、普通は中尊寺も・・・と思ったのですが、毛越寺だけでけっこう時間かかったので、中尊寺はどんなに時間かかるか・・・と。

    > こんなに綺麗になるんですね。確かに、花菖蒲の名所は多いから
    > お花だけなら、もっと感動する場所が沢山あるけれど、庭園や
    > 歴史的な背景を絡めて眺めると、素晴らしい風景だな〜と思いますよね。

    あやめや花菖蒲って、アップで撮るよりも、やや遠目で見る方が好きなので、バックの風景がキレイな所をつい狙いたくなっちゃいます。

    > 私は中尊寺がメインで毛越寺は夕方に慌ただしく立ち寄った感じだったので
    > なんだかだだっ広い庭園だな〜と思いながら、眺めた気がしますが・・・

    確かに重要な建物は全く残っていないので(新しく建てたものだけ)、だだっ広い庭園ですね〜(笑)。

    > 色々と調べながら旅行記を書くと、歴史的な拝見なども知る事が出来て
    > 普通に周るより、ずっと楽しく思えますよね!
    > 私も、こあひるさんの旅行記で色々と知る事が出来ました♪

    今までは、こんなに真面目に見学したことってなかったかも・・・と思います。帰ってきてから、あ〜そうだったんだ・・・なんて感じ。寺や神社の建物があると、ついそちらに気をとられて写真を撮ることばかりに気がいってしまうので、毛越寺のように、遺構の礎石くらいしかないと、周りの様子に目がいって、ゆっくりみることができたのかもしれません。

    > 今度は是非、中尊寺へ。沢山のお堂があり素晴らしい場所だと思いますヨ!

    中尊寺と毛越寺は、1日で両方は、私にはムリだと思っていたので、秋に花巻温泉へ行く際に、その帰りに寄ってみようと思っています。

    こあひる

  • ガブリエラさん 2014/07/04 22:24:47
    体調、大丈夫ですか?!
    こあひるさん☆

    こんばんは♪
    体調の方は、どうですか?!
    お返事は、いいですよー!!!

    あやめ、綺麗ですね♪
    紫って高貴で、凛としてて、素敵です(*^_^*)

    いつか、平泉行ってみたいです♪
    こちらのお寺も、そして中尊寺も、「るんるん」に乗っていってみたいな♪

    ガブ(^_^)v

    こあひる

    こあひるさん からの返信 2014/07/07 09:20:21
    RE: 体調、大丈夫ですか?!
    ガブちゃん、おはよ〜!

    さすがにだいぶ体調は回復してきました。っていっても、ひどい風邪ってだけなんですが・・・。

    ついでに、連れ合いにもひどい咳をうつしてしまいましたし(笑)。

    ガブちゃんのところから平泉は遠いけど、奈良には山ほど同じような時代のすばらしいものが残っていますからね〜〜!羨ましいです!

    毛越寺をじっくり見てきたら、俄然、奈良に行ってみたくなってきましたよ〜。

    こあひる
  • aoitomoさん 2014/07/04 18:21:40
    浄土庭園とアヤメのコラボ!
    こあひるさん

    世界遺産『毛越寺』と『あやめ園』のコラボ素晴らしく計画的です。

    青空の浄土庭園をバックにあやめ。
    初っ端からベストな写真、撮ってしまいましたね〜
    天気も良く風も少ない感じで池の反射も良くカメラ日和です。

    『毛越寺』の往時の姿は、想像するしか術がありませんが伽藍復元図の油絵が役に立つわけですね〜
    確かに、よく見る復元図とはちょっと違いますね。(笑)
    礎石が残っているのが凄いと思いました。
    もう復元してほしいです。(笑)

    『曲水の宴』
    これは見てみたいですね〜
    しかし、この日はカメラも多いでしょうね。

    『出島と池中立石』
    木のシルエットの後ろに見える出島と池中立石の写真がいいです。
    修復工事の写真も面白く貴重です。

    さすが世界遺産だけあって色々詳しい資料はあるんですね。
    でも世界遺産『毛越寺』ほとんど知らなかったのですが、また勉強になりました〜

    気合いの激写お疲れさまです〜
    (体調を崩しているというのに)

    aoitomo

    こあひる

    こあひるさん からの返信 2014/07/07 09:16:47
    RE: 浄土庭園とアヤメのコラボ!
    aoitomoさん、こんにちは!

    > 世界遺産『毛越寺』と『あやめ園』のコラボ素晴らしく計画的です。

    体調が悪く、予定していたよりも遅くなっちゃったのですが、結果的には狙った通りのお花のタイミングと、素晴らしい風景と、お天気に恵まれて大成功!でした。

    > 青空の浄土庭園をバックにあやめ。
    > 初っ端からベストな写真、撮ってしまいましたね〜
    > 天気も良く風も少ない感じで池の反射も良くカメラ日和です。

    順光だと、池や池に映る空が実際よりも青く、写真だとすごくキレイに見えます(笑)。

    > 『毛越寺』の往時の姿は、想像するしか術がありませんが伽藍復元図の油絵が役に立つわけですね〜
    > 確かに、よく見る復元図とはちょっと違いますね。(笑)
    > 礎石が残っているのが凄いと思いました。
    > もう復元してほしいです。(笑)

    ほんと・・・もし残っていたら・・・と何とも言えない気持ちになりますね。それを考えると、京都や奈良で残っているものは、やっぱりすごい〜〜ということですね。

    多賀城跡や福岡城(だったかな?)などでは、スマホやi-padなどを利用して、遺跡の場所にかざすと、そこに復元された建物が、まるでそこにあるように画面で見れる・・・ことができるそうですので、そういう・・・よりリアルな形でぜひ見てみたいですよね。あの復元画ではちょっとねぇ・・・。

    > 『曲水の宴』
    > これは見てみたいですね〜
    > しかし、この日はカメラも多いでしょうね。

    最近では、ちょっとしたイベントでも多くのアマチュアカメラマンが集まってくるので、きっとかなりの人が集まってきそうですね。日曜だし。見てみたい・・・けど、あんまり混雑しているのは嫌ですね。

    > 『出島と池中立石』
    > 木のシルエットの後ろに見える出島と池中立石の写真がいいです。
    > 修復工事の写真も面白く貴重です。

    ずいぶん手の込んだ庭造りをしているのだなぁ・・・と驚きました。見えない部分まで丁寧に造ってあるんですねぇ・・・。

    > さすが世界遺産だけあって色々詳しい資料はあるんですね。
    > でも世界遺産『毛越寺』ほとんど知らなかったのですが、また勉強になりました〜

    よくありがちなのは、名所にいっても、これは何なんだろう?何のためのもの?なんてよくわからないものも多い・・・。でも毛越寺では、さすがに、ひとつひとつの場所に、説明文の大きな看板が立てられていて、理解しやすくてよかったです。写してくれば、後から勉強するにも役立つし。パンフレットだと、カメラで手がふさがっているので、いちいち説明を開いて見るのが面倒ですので・・・。

    咳が、連れ合いにうつってしまい、ふたりでゴホゴホしています〜〜(~o~)。連れ合いは、風邪をひいても咳しているのを見たことないので、明らかに私の風邪がうつったみたいです。

    こあひる
  • 阿蘇美忍さん 2014/07/04 16:51:14
    こあひるさん、こんにちは♪(^・^)
    世界遺産・毛越寺♪(^0^)
    最高ですよね。
    実は、毛越寺の旅記を現在作成中でした。
    ですので、こあひるさんに先を越された感じですが♪
    さすが、こあひるさんらしい素敵な旅記に感動です。
    何か、私の旅記を出すのが恥ずかしい。(^、^;
    私が毛越寺を訪れたのは、6月28日でしたので花は七分咲きかな?
    でも、曇り空ながら雨には降られずに最高の参拝で御座いました。
    こあひるさんの時は、晴天でしたので暑くなかったでしょうか?
    でも、青空での撮影は最高ですね♪
    体調が今一と有りましたが、お加減如何でしょうかね?
    次回の旅記も楽しみにしています。
    尚、中尊寺の旅記も随時アップ致しますので御覧いただければ幸いです♪
    by,遊び人♪(^_^)

    こあひる

    こあひるさん からの返信 2014/07/06 12:03:08
    RE: こあひるさん、こんにちは♪(^・^)
    遊び人さん、こんにちh!

    > 世界遺産・毛越寺♪(^0^)
    > 最高ですよね。

    イメージ通りの・・・静かで神秘的に広がる池・・・そして平安時代の荘厳な建物を偲ばせる伽藍遺構・・・予想以上に惹きこまれてしまいました。私も平日だったので、そんなに混んでいませんでした。観光バスの人たちも、さっさと見てさっさと引き上げてしまう・・・という感じでした。

    > 実は、毛越寺の旅記を現在作成中でした。
    > ですので、こあひるさんに先を越された感じですが♪
    > さすが、こあひるさんらしい素敵な旅記に感動です。
    > 何か、私の旅記を出すのが恥ずかしい。(^、^;

    そんなことはないじゃないですか〜〜!私のは、自分の記録みたいなもので、どう端折ってよいのかわからず・・・だらだらと長いだけで・・・。遊び人さんのように、しゃきしゃきと要点を押えた旅行記が作れたら・・・とは常々思うのですが・・・。

    > 私が毛越寺を訪れたのは、6月28日でしたので花は七分咲きかな?
    > でも、曇り空ながら雨には降られずに最高の参拝で御座いました。

    私も、ほんとうならこの頃に訪れるつもりでしたが、体調が悪かったので、やや遅くなってしまったんです。お寺に問い合わせた時には、「早めですが見頃です」ということになっていた頃でしょうね。

    > こあひるさんの時は、晴天でしたので暑くなかったでしょうか?
    > でも、青空での撮影は最高ですね♪

    快晴過ぎて、少し暑かった・・・ですが、関東地方の暑さとは違うので、歩きまわるのに邪魔なほどではありませんでした。青空が水面に映って、なかなかステキな光景でした。

    秋には、中尊寺も見に行く予定にしています〜。

    遊び人さんの旅行記、またすぐに遊びに行かせて頂きます〜〜!

    こあひる

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