2014/06/01 - 2014/06/01
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kotetsupatapataさん
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何なんですか?最近の季節はずれの暑さは(;一_一)
連日の30℃越え・・ でもまだ湿度が低いので凌ぎやすいのは救いですけどね。
という訳でとある休日、わたらせ渓谷鐡道のトロッコ列車に揺られ足尾まで出掛けてきました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 私鉄
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土日を中心にわたらせ渓谷鐡道ではトロッコ列車を運行しています。
今日は大間々駅10:54発の「トロッコわたらせ渓谷号」に乗車します。
長野の自宅から2時間強で着きました 意外に近かったね〜
時刻等の詳細は
http://www.watetsu.com/ -
トロッコは予約制なので、地元の旅行社で整理券を予約しました。
座席は大間々駅で先着順で選べます。
小生達は案外早く着いたので、進行方向右手川沿いの窓側をGetできました。
1日乗車券1,850円も合わせて購入です -
既にトロッコがスタンバイしていました。
先頭車両を見たかったのですが、ホームからはみ出していたのでここでは見る事ができませんでした。 -
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トロッコは4両編成で、中ほどの2号車&3号車がトロッコ車両で1・4号車は普通の客車タイプでした。
雨天時や寒い時は客車の方がいいのでしょうが、今日は絶好の?トロッコ日和です。 -
トロッコ車両です
動いている時はいいのですが、止まっている時は暑かったです(汗) -
10:54出発です。
終点の足尾までは1時間半ほどの行程です -
途中神戸までは進行方向の右側に渡良瀬川が寄り添います。
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皆さん乗り出してますね〜
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列車の旅の醍醐味といえば・・ 駅弁(^。^)y-.。o○
車内では「トロッコ弁当 930円」と「やまと豚弁当 1030円の2種類が販売されてます。
小生は「やまと豚弁当」を購入 タレが絡んで美味しかった〜 -
えっ?『峠の釜めし』も売っとるの?
いいえこれは途中の横川SAで購入したものです(*^_^*)
というか途中で捨てるわけにもいかず、この後ずっと重い釜めし持って歩いていました(涙) -
それにしても吹き抜ける風が気持ちいい〜(*^。^*)
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途中の神戸(ごうど)ですれ違いの為しばらく停車です。
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ようやく先頭車両とご対面(*^_^*)
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神戸を出るとすぐに草木トンネル(5,242m)という長いトンネルに入ります。
トンネル通過の間トロッコ車両の天井がライトアップされます -
トンネルを抜けると鉄橋を渡ります
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草木ダムの上流です
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沢入(そうり)駅に到着です
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もう一編成のトロッコ列車『トロッコわっしー号』とすれ違います
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沢入から先は進行方向の左手に渡良瀬川が流れています
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このあたりの川の中に転がる白い大きな石は花崗岩(御影石)で、清流の澄んだ青い色とのコントラストの美しさは渡良瀬川独特のものです。
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「通洞選鉱所」
選鉱所は、坑内から採掘された鉱石を選り分けて、製錬所へ送る役割を担っていました。
本山、小滝、通洞の主要坑口にはそれぞれ選鉱所がありましたが、大正10年までに通洞選鉱所に集約されました。当時の最新鋭の設備が配備され、金属鉱山の選鉱所のモデルとして国内外で高く評価されました。
現在はリサイクル事業の事務所が入っているようです -
「通洞変電所」
通洞変電所は、大正中期以降、足尾銅山の使用電力を管理する中枢機能を果たしました。鉱山事務所である足尾鉱業所近くに位置し、鉱業所が取り壊された今も変電所として使用されています。 -
終点の一つ手前の通洞で下車します
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通洞駅から徒歩5分「足尾銅山観光」に着きました。
昔添乗員だった頃、小学生の林間学校で散々来て以来十数年ぶりです。 -
トロッコに乗って出発!
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=足尾銅山=
足尾銅山は、1610年(慶長15年)百姓二人が鉱床を発見、幕府直轄の鉱山として本格的に採掘が開始されることになった。
足尾に幕府は鋳銭座を設け、銅山は大いに栄え、足尾の町は「足尾千軒」と言われるような発展を見せ、当時の代表的な通貨である寛永通宝が鋳造されたこともある。
江戸時代にはピーク時で年間1,200トンもの銅を産出していた。その後一時採掘量が極度に減少し、幕末から明治時代初期にかけてはほぼ閉山状態となっていた。明治4年(1871年)には民営化されたが銅の産出量は年間150トンにまで落ち込んでいた。
その後1881年(明治14年)に待望の有望鉱脈を発見。その後探鉱技術の進歩によって次々と有望鉱脈が発見され、当時の明治政府の富国強兵政策を背景に、銅山経営は日立銅山、別子銅山とともに急速な発展を遂げた。
しかしこの鉱山開発と製錬事業の発展は、足尾山地の樹木が、坑木・燃料のために伐採され、掘り出した鉱石を製錬工場から排出される大気汚染による環境汚染を引き起こした。荒廃した山地を水源とする渡良瀬川は洪水を頻発し、製錬による廃棄物を流し、足尾山地を流れくだった流域の平地地にが流れ込み、水質・土壌汚染をもたらし、広範囲な環境汚染を引き起こした。足尾鉱毒事件である。1891年(明治24年)田中正造による国会での発言で大きな政治問題となった。1890年代より鉱毒予防工事や渡良瀬川の改修工事は行われたものの、鉱害よりも銅の生産を優先し、技術的に未熟なこともあって、鉱毒被害は収まらなかった。
1973年(昭和48年)2月28日をもって採鉱を停止し、銅山発見以来360余年の銅山を閉じた。 -
トロッコに3分ほど揺られ、ここからは歩いて見学
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坑道の長さは昭和の閉山までの間に、銅山内部には鉱石の採取のため縦、横に数多くの坑道が掘られました。通洞抗口からは、電車坑道のレールが奥へ6.5?続き、途中から様々な所へ坑道が続いていきます。坑道全体は上下に延びながら何層にもつながっていて、上に20番(約600m)、下に16番(約540m)もの高低差を持っています。また、全部の坑道をつなぎ合わせると「総延長は約1,200?」にもなり、これは東京から九州博多までの距離に相当します。
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江戸時代の頃の鉱夫の様子
当たり前ですが全て人力です -
暗いよ〜(>_<)
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以前訪れた時からCGなどを用いた解説などかなりリニューアルされていました。
ただお土産屋と食堂は昔のまま。 良く言うと「昭和の雰囲気が残されている」 悪く言うと・・ ショボい(涙) -
通洞からは普通列車で大間々へ戻ります。
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大間々駅近くの高津戸峡を散策
奥に見えるのが「はねたき橋」です -
緑が目に沁みます
でも暑い・・ -
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帰りの高速から見た浅間山
好天に恵まれ楽しいドライブでした(*^_^*)
ただもう少し気温が低ければ・・ なんて言ってますが、真夏ならこんな気温の日が毎日(;一_一) 今から思いやられます・・
=おしまい=
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