2014/03/06 - 2014/03/06
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entetsuさん
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軽井沢の「風越公園アイスパーク」で朝8:00からあった、日本カーリング選手権の試合を観戦するも、次の試合が15:40からという事で引き上げる事にして、再び上信越自動車道を走っていましたが、「富岡IC」を見て、ピ・ピピンと感じるものが・・・。
そうです、今年の6月のユネスコ世界文化遺産登録を目指す「富岡製糸工場」があるではないですか。
またまた、私の脳みそから指令!
「entetsuクン、これは観るしかないだろう・・・」
高速を降り、ナビと携帯で至急調査。
ICから10分足らずのところにあることが分かり、早速行ってみよう!
軽井沢での旅行記です↓
http://4travel.jp/travelogue/10864868
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- グルメ
- 4.5
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
上信越自動車道「碓氷軽井沢」IC〜「富岡」ICは、わずか20分ほどの距離。
ICから富岡製糸場までは10分ほど。
この選択は正しかった。
市営の宮本町パーキングに車を入れます。
建物は、「宮本町まちなか交流館」。 -
製糸場までの地図も分かりやすい。
なお、製糸場には駐車場はありませんので、近隣の駐車場に入れることになります。 -
旧家っぽいなまこ壁のある家の横の路地を通って・・・。
-
イチオシ
はい、到着。
10分程でしょうか。
「旧富岡製糸場」。富岡製糸場 名所・史跡
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正門から入場し、左手にチケット売場があります。
料金は500円。 -
時刻は12:40頃。
チケット売場の人が、「13:00からボランティアによる構内解説がありますので、それまでご自由に見学なさっていて下さい」とのこと。 -
売場の建物、結構年季が入っています。
後で聞きましたが、これは明治11年に出来た建物。
ずっと使われてきて、今も「事務棟」として現役です(驚)。 -
昔、郵便局や役場、駅の切符売場はこんな感じでした。
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片倉工業の記念碑。
詳しくは後で書きますが、「富岡製糸場」は明治5年(1872年)10月4日、官営模範工場の一つとして操業を開始。
官営工業の払い下げ令により、明治26年(1893年)に三井家へ払い下げられ、明治35年(1902年)には横浜の生糸商「原合名会社」(原富太郎〜横浜の「三溪園」を作ったことで有名)に渡り、昭和14年(1939年)には「片倉製糸紡績会社(片倉工業)」の所有となりました。
片倉工業は、昭和62年(1987年)3月5日まで、約115年間操業を続けました。 -
ここにある、明治8年(1875年)以前の建造物が全て国の重要文化財に指定されています。
・「繰糸所(そうしじょ)」
・「東置繭所(ひがしおきまゆじょ)」(東繭倉庫)
・「西置繭所(にしおきまゆじょ)」(西繭倉庫)
・「蒸気窯所(じょうきがまじょ)」
・「首長館(しゅちょうかん)」
・「女工館(じょこうかん)」
・「検査人館(けんさにんかん)」
・「鉄水溜(てっすいりゅう)」
・「下水竇及び外竇(げすいとうおよびがいとう)」
竇は汚水排出のための暗渠のこと。 -
今上天皇皇后両陛下が、一番最近「富岡製糸場」ご視察されたのは、2011.8.23のことです。
今年の2月14日、政府インターネットテレビで、「皇后陛下のご養蚕」という放送があり、世界遺産登録に向け地元には大きな後押しとなりました。
皇居の森に、今からちょうど100年前に建てられた「紅葉山御養蚕所」では、歴代の皇后によってご養蚕が行われてきており、皇后陛下はここで毎年蚕をお育てになり、繭を収穫されています。
かつて日本を代表する産業であった養蚕。
その古くからの姿が皇居の森で守り受け継がれています。
「富岡製糸場」の世界遺産登録は、単に「古い建物」の登録ではなく、養蚕に関わる広い意味での歴史や文化をひと括りにして、天皇家との関わりや古くは古事記にも記載のあった養蚕文化全体を登録しようというものです。 -
今上天皇皇后両陛下ご視察の様子。
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「事務棟」。
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イチオシ
「東置繭所(東繭倉庫)」。
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左・・・旧三号官舎(3号館〜事務所・休憩室)。
右・・・旧二号官舎(2号館)。 -
「富岡製糸場」の説明板。
入口正面の「東繭倉庫」中央入口から入ってすぐ右側にありました。 -
ボランティアガイドさんの説明まで時間がありますので、先に館内に入ります。
「原料課」。
昔のまんま〜。 -
パネルで、富岡製糸場にまつわる色々なことが説明されています。
-
ごく初期の「操糸機」。
繭玉をお湯で熱し、糸を巻き取る機械です。 -
DVDで説明を聞きます。
※沿革1
ペリー来航後、1859(安政6)年に神奈川・長崎・函館の3港を開港することによって開始された貿易では、生糸輸出がたいへん盛んに行われました。当時、欧米では蚕の病気が蔓延し、生糸が不足していたためです。
一方で国内の生糸の品質はまちまちであり、品質の悪さが指摘されるようになりました。欧米の生糸の品質に劣らない製品を生産するための模範製糸場設立が計画されることになりました。
この模範製糸場で、外国人技術者による洋式製糸の指導と伝習工女の募集や、洋式機械製糸の導入による近代生産方式の確立を図るべく、官営模範製糸場の創立責任者を尾高惇忠、首長にフランス人のポール・ブリューナーを招き、建設候補地の視察を開始します。 -
ごく初期の繭から採った生糸を紡ぐ機械。
※沿革2
ポール・ブリューナーらは、秩父(埼玉)、富岡・下仁田・松井田(群馬)、追分・御代田・佐久・小諸(長野)方面を踏査し、富岡を最適地とし1870(明治3)年10月に建設が始まりました。
富岡が最適地として選ばれた理由は、以下のとおりです。
・生糸生産のための原料となる良質の繭が周辺の養蚕地域から得られる。
・製糸に必要な良質の水が、付近を流れる鏑川から得られる。
・蒸気機関を動かすための燃料となる石炭が得られる。
(亜炭が現在の高崎市寺尾町にあった金井炭坑から採掘された。)
・広大な敷地が確保でき、地域住民も製糸場建設に同意できた。
(当時は、県や町の土地ではなく、国有地であった) -
天井はこんな感じで、まさに当時のまんま〜。
※沿革3
こうして1872(明治5)年7月に製糸場のおもな施設が完成し、同年10月4日に操業が開始されました。
官営ではじまった富岡製糸場は、1893(明治26)年に民間の「三井」に払い下げられ、その後は「原合名会社」を経て1938(昭和13)年7月からは「片倉工業株式会社・富岡工場」として操業を行っていました。1987(昭和62)年に操業を停止しました。
製糸場内の現存する建物は、官営富岡製糸場当時のものが多く残っており、貴重な近代化遺産です。富岡製糸場売店 専門店
-
建物の北側にはこのような低層の建物があります。
-
官営で創業したころは、全国から生糸の生産技術を習いに来た人達の宿舎でしたが、その後はこの工場に勤める人の社宅だった建物。
そういえば、昔の社宅はこんな感じだった。
ホントに小さい頃、こんな家に住んでた時期もありました。
五右衛門風呂で・・・(笑)。
でも、S62年までこれが現役だったなんて。
凄い。 -
工場の全体図。
そろそろ、ガイドが始まりそうです。 -
13:00少し過ぎ、ボランティアのガイドさんによる解説が始まりました。
ボランティアさんは、何人かいらっしゃって、解説開始時間に集合場所に集れば参加できます。
別途ガイド料などはかかりません。
ガイドの開始時間は、9時30分・10時・10時30分・11時・11時30分と、午後1時・1時30分・2時・2時30分・3時・3時30分・4時です。
20名以上の団体客も事前予約をすると解説を受けられます。 -
入口入って正面の建物が、「東繭倉庫」。
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なんとも美しい。
文字通り、ここは繭を貯蔵していた倉庫。
外側の開き窓は鉄製で、、内側はガラス窓の二重構造となっています。
模範工場として、温度、湿度、耐火性を考慮した繭の保管倉庫となっています。 -
建物は「木骨煉瓦造」という工法で、礎石の上に立てられた木製の柱と、それを挟み込むようにして梁がわたされ、柱の間に煉瓦を積み壁が作られています。
写真からは分かりづらいですが、屋根は瓦葺です。 -
中門です。
-
イチオシ
堂々の「明治五年」!!
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「火元用心」「禁煙」。
昔のまんま・・・。 -
礎石(台石)は、現在の甘楽町小幡にある連石山から採掘しました。
礎石の上に、軒桁まで1本の通し柱が伸びます。
柱は33cm角で14m以上あります。
木材は近くの妙義山の奥地の官林から伐採され、鏑川を使い運ばれました。
また、礎石は、現在の甘楽町小幡にある連石山から採掘しました。 -
中庭側には、ベランダのような通路が取り付けられていて、今でも歩けるそうです。
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ガイドさんから、レンガの積み方の説明を受けます。
正面から見たときに、一つの列に長手と小口が交互に並んで見えるフランドル積みという工法です。
(明治期に「フランス積み」と誤訳されたそうです)
ガイドさんは大変熱心に説明してくれ、色んなことが、よーく分かります。 -
耐震性にも優れ、関東大震災、3.11東日本大震災でも無事でした。
しかも、交互になっていて、結果的に見た目も極めて美しい。
また、レンガの色がオレンジで美しい。
これはレンガ・瓦を、ブリューナーの指導で、現在の甘楽町笹森に窯をつくり焼成したためで、当時の日本の窯では温度が低く、現在よくみる赤い発色が出来なかったという事らしいです。怪我の功名(笑)。
ガイドさんによると、甘楽町笹森の窯で焼いたレンガの質は悪く、4割くらいは廃棄処分したそうです。
また、レンガのメジには、セメントの代用として漆喰を使いましたが、原料となる石灰は下仁田町青倉・栗山産のものでした。
徹底的に、今で言う「地産地消」にこだわっています。 -
「検査人館」にやってきました。
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先ほどの事務棟は、この建物の端に当ります。
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旧三号官舎(3号館)とも呼ばれます。
鉄骨レンガ瓦造ベランダ付・住宅風の建築です。
1階は竣工以来、事務所として使われていて、現在も片倉工業から寄贈された後、管理している富岡市役所「富岡製糸場課」のオフィスとして現役です 。
2階には貴賓室があり、大理石造のマントルピースは当時のもので、ソファーも当時のものとされています。 -
2号館との連絡部分は、のちに付設されたものだそうです。
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ガラスも当時のもので、微妙に歪みがあって風合いとしてはいい感じです。
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暑い日本の夏にも対応するよう、風通しに配慮した建物だそうです。
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3号館の前にある建物。
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超、超懐かしい感じの電灯。
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しかし、よくよく残せたもんです。
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「女工館」。
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旧二号官舎(2号館)とも呼ばれます。
創業当時は、フランス人女性従業員(日本人工女の指導者)の宿舎、その後改造して食堂などに使用していたそうです。
女性が住んでいたので、2階の作りがおしゃれになっているとのことです。 -
レンガの色調とフランドル積みによるモザイク模様、柱の色のコントラストが美しい・・・。
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「繰糸場」(そうしじょう)です。
文字通り、繭から生糸を繰る工程です。 -
三角形小屋組という工法で建てられています。
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ここも当時のまんま。
工場内に入ります。 -
当時は電灯がなく、明かり採りのためにガラス窓が拡がっています。
日の出から日没までが就業時間ですが、実際にはフランス式の一日7時間勤務、また日曜休日という、明治初期としては画期的な勤務管理体制でした。 -
イチオシ
三角形小屋組で、明かり採りのためにガラス窓が建物を取り囲んでいます。
三角形で大幅に強度を増す事が出来るんだそうです。
ガラス窓のガラスはフランス製(当時の日本の技術では大量のガラスは作れなかった)で、そのまま現存しています。
今日のガラス板にくらべると歪みが目立ち、却って風合いがあります。
電気などが十分でなかった当時の動力は、蒸気機関のボイラでした。
つくられた蒸気で、機械を動かしたり、蛹の蚕を殺したり、蒸気管に通して水を加熱するのに使われ、このお湯で繭を煮ました。
-
創業当時は、フランス製の繰糸機が300台設置され、世界最大の工場だったそうです。
働く工女さんも300人。 -
片倉工業がS62年閉鎖した時に使われていた「繰糸機」。
創業当時は、工女さんが左右の列に並んでいた訳ですが、この機械は「繰糸」の行程は自動化されています。
しかし、繭を煮て糸を繰るという基本自体は同じです。 -
創業当時の繰糸機は、長野県岡谷市にある「蚕糸博物館」、フランスから取り寄せた蒸気機関は愛知県犬山市の「博物館・明治村」に保管されていて、実はここにはありません。あるのは、建物だけ。
ガイドさん、「この機に、里帰りさせて欲しいんですがねぇ」。
私も、そう思います。 -
「診療所」。
「富岡製糸場」は、近代的な製糸技術だけでなく、工女たちの就労条件や福利厚生、健康管理まで、全てが近代的な工場の一連のシステムが模範となりました。 -
明治の創業当時は別の場所にありましたが、戦後ここに建直しされ、S62年に閉鎖されるまで、片倉工業の施設内診療所として「現役」でした。
おそらく、日本で初めて工場内に診療所を持った施設だろうといわれているそうです。 -
こちらは、その入院施設(驚)。
-
「ブリューナ館」(旧・首長館)。
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イチオシ
ポール・ブリューナは、1840年6月30日にフランスのドローム県に生まれ、蚕糸業が盛んなこの地で育ち、フランスにおける絹織物取引の中心地であるリヨンで生糸問屋に勤めるようになりました。
後にエシュト・リリアンタール商会に移り、同社の横浜支店(蘭八商会)に派遣され、居留地内の事務所に勤務し、主に生糸の検査を担当していました。
明治に入り、政府により生糸の品質向上と生産改革のために製糸工場の建設が検討され、ブリューナに白羽の矢が立てられ、候補地の視察〜建設、機材の調達、技師の雇用、工場の運用を任されました。
ブリューナには月給600円に加えて賄金が毎年1,800円、合計9,000円の年俸が支払われており、一般的な日本人職工の年俸74円などと比べると、破格も破格です。
彼はここで、奥さんと住み、後に二人の娘さんも産まれました。
契約を終えて1876年(明治9年)2月15日に横浜港からブリューナ一家は帰仏しています。 -
この建物は、明治6年(1873)建築で、建坪320坪。
1000?以上ですから、庶民の感覚からすると・・・。
ここに、家族4人とメイドさんが二人、合計6人で住んでいたようです。
ここも、レンガが美しい。 -
回廊風ベランダで高床になっています。
床下に煉瓦造の地下室が3つあり、食料品貯蔵庫またはシェルターと考えられています。
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内部は、片倉富岡高等学園の校舎として使われていたため、大幅に改造されていて当時のつくりとは異なるようです。
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時代を感じます。
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先ほど書きましたようにブリューナは、任期が終わるとさっさと帰ってしまったので、工女の学習の場として、さらに片倉富岡高等学園として改築して使用したそうです。
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工女・女工さんといえば、映画「あゝ野麦峠」を思い出しますが、官営工場であったここ富岡は違うようです。
「あゝ野麦峠」では、戦前、飛騨の農家の娘たちが、吹雪の中を危険な雪の野麦峠を越えを越えて諏訪、岡谷の製糸工場へ働きに出て、劣悪な環境の元で命を削りながら、当時の富国強兵の国策において有力な貿易品であった生糸の生産を支えた女性工員たちの姿が描かれていました。
いわゆる「女工哀史」ですが、富岡はそんなことはなく、全国から集まった工女さんたちは富岡製糸場で新しい技術を身につけて、国元に帰れば指導者=先生としての地位が約束されているということです。
福利厚生や勤務管理、衛生・健康管理に優れ、また、当初から能率給で年齢に関係なく製糸技術が優れていれば一等工女になれるシステムだったそうです。 -
「レンガ積み排水溝」。
中を覗く事はできませんが、工場から出た排水や雨水を流すレンガ造りの排水溝がありました。
当時、下水施設を持つ工場などは当然日本には無く、これも恐らく日本で最初ではないかといわれています。 -
排水は、隣を流れる「鏑川」にそのまま流していました。
程よい温度と、繭の中の蚕のさなぎは鯉などの絶好の餌となっていて、魚が一杯集まっていたといわれます。鏑川 自然・景勝地
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寄宿舎だった建物。
立入禁止エリアです。 -
操糸場とブリュナー館の裏辺りですが・・・。
ちょっと分かりづらいのですが、最近の大雪で・・・。 -
ぐるーっと「西繭倉庫」側に回ってみると凄いことに。
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2月8日から9日にかけての大雪で、建物の一部がこんな状態に。
この辺りにも、6〜70?の積雪があったそうです。 -
但し、この建物は大正〜昭和の建物で、主だった明治の建物は観測史上最高の雪にも耐えられたということです。
関東大震災、東日本大震災にも耐え、幾度とあった台風にも耐え、火災にも遭わず・・・。
凄いの一言です。 -
「西繭倉庫」にやって来ました。
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構造的には、「東繭倉庫」と同じです。
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150年近く経ってもこの美しさと、優美さ。
-
逆光ですが・・・。
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「煙突」。
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イチオシ
写真の煙突は、昭和14年に再建された鉄筋コンクリート製の4代目で、高さは37.5mあります。
これ程高くしたのは、燃焼効率を上げるためだそうですが、筒状の鉄の輪を製鉄所から川を使って船で運び、積み上げたそうです。 -
初代の煙突は鉄製、2代目・3代目はレンガ製でした。
-
「記念碑」。
明治天皇行幸後、70年後に作られました。 -
現在、「富岡製糸場と絹産業遺産群」は、「ユネスコ世界文化遺産」に登録申請中。
平成25年9月には、諮問機関による現地調査も終え、平成26年6月の世界遺産委員会で登録の可否が決まります。
これだけの施設群。
しかも、皇室にも伝わる養蚕文化、生糸を染め、織り、反物に仕上げる絹織物産業にかかわる資産、といった広い「文化」そのものを世界遺産にしようというものです。
是非とも登録が叶うことを祈ってやみません。
(合掌)
たっぷり楽しんだ「富岡製糸場」を後にします。 -
こんなものを発見。
「伊勢屋」さん。
先代が、借り店舗から始めたラーメンなどの食堂が、富岡製糸場の工女さんたちに好評で、自前の建物にまでなったという紹介。 -
イチオシ
「シンプルで懐かしい中華そばを召しあがれ」
うーん、これは入らざるを得ないでしょう(笑)。伊勢屋 グルメ・レストラン
-
時刻は14:30頃でしょうか。
店内にはお客さんゼロ。
(しばらくすると、おばさんが一人いらっしゃいましたが)
ご夫婦二人でやってるお店みたいです。 -
「中華そば(大)」600円。
普通盛りは500円。
ほんとに懐かしい味。
あっさりしょうゆ味。
大盛り感のない大盛りで、ぺろりと頂けました。
美味いです。 -
「伊勢屋」さんの外観です。
この左の道を真っ直ぐ行くと、製糸場です。 -
伊勢屋さんの前の通りを、市内を北に向かって少し歩きます。
ところで、片倉工業株式会社について。
明治期から大正期にかけての日本の主力輸出品であった絹糸の製造を行い、片倉財閥を構築した老舗企業でありました。
が、今では、ショッピングセンター等の不動産運営・賃貸、自動車部品等の機械製造販売、繊維製品の製造販売を行う企業となっており、1994年(平成6年)12月 熊谷工場の操業を休止し、蚕糸業から完全撤退しています。
富岡製糸場、も2005年に地元の富岡市に寄贈しております。
この変わり身にも驚きですが、実は超優良企業です。
全国の工場跡地を再開発し、地主兼不動産管理会社として地道にやっています。
「スマイルホテル松本」、「加須カタクラパーク」、 「大宮カタクラパーク」、「沼津カタクラパーク」、「イオンいわき店」、「イオン熊谷店」、「イオン松江店」、「イオン宮之城店」、「イオン東松本店」、「マックスバリュ田崎(熊本)店」、「カタクラ新都心モール(コクーン新都心)」、「ライフガーデンにらさき」などなど。
ガイドさん曰く、「もし富岡地区がもう少し人口が多くて便利なところだったら、イオンが出来てたかもしれません・・・」。
なるほど、そうかもしれない・・・(片倉の幹部が聞くと激怒?)(笑)。 -
街の願いは、とにかく「世界遺産登録」!
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もともとは、富岡製糸場とそこの勤める従業員や工女さんと歴史を刻んできたレトロな街。
ブラブラ歩くと、古い土蔵などが残る家屋もあるようです。 -
神社を見つけました。
諏訪神社 寺・神社・教会
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イチオシ
「富岡諏訪神社」。
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この神社は、長野県の諏訪大社から当地に勧請されたものです。
主祭神は建御名方命で、この神様は出雲の大国主命の第二子で、国譲りでは徹底抗戦しましたが、ついに信濃国で降伏し、信濃の地にとどまったとされます。
現在の拝殿は、昭和9年の建築だそうですが、仏教的な造りです。 -
本殿です。
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すっきりした感じの狛犬。
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宮本町の市営駐車場に戻る途中に・・・。
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どうやら、古い土蔵造りの建物を市が買い取って補修し、開放しているみたいです。
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時間も気になりだしたため、中を覗かず写真だけでした。
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軽井沢で日本カーリング選手権を観た後、急遽来てみた「富岡製糸場」。
ガイドさんの熱心な説明もあって、たっぷり楽しめました。
富岡の街並みや、伊勢屋さんの中華そばも美味かった。
世界遺産登録を願いつつ、拙い旅行記を終わります。
お付き合いいただき、有難うございました。
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この旅行記へのコメント (7)
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- ecchanさん 2014/04/28 18:44:13
- とても参考になりました。
- entetsuさん、はじめましてこんばんは。
旅行記はまだまだ不慣れな、ecchanと申します。
この26日にユネスコが世界文化遺産への登録を
勧告したのを機に、旅行記をチェックしていて
entetsuさんのブログを拝見させていただきました。
脳みその指令ドンピシャでしたね!
恥ずかしながら、「富岡製糸場」のことは
よく知らなかったもので、とても参考になりました。
観光客がどっと押し寄せているニュースを見て
しばらくは訪れるのは無理かなァと思っています。
もうすぐ、初のシンガポール旅行が待っているようですね。
気をつけて行ってらっしゃいませ。
旅行記を楽しみに又訪問させていただきます。
ecchanより
- entetsuさん からの返信 2014/04/29 05:50:42
- 投票&コメントいただきまして有難うございます
- ecchanさん、こんにちは。
富岡の旅行記に投票下さり有難うございました。
ユネスコ世界文化遺産登録、良かったですよね。
この日は、軽井沢へ無謀なノーマルタイヤでのカーリング日本選手権観戦し、帰路「富岡製糸場」に立ち寄ったのですが、とにかく素晴らしい保存状態で、養蚕産業の話や皇室との結びつきなどを聞くにつけ、これは世界遺産登録間違いないな、とは感じていました。
高速ですぐですので、是非行かれてみて下さい。
観光客、多そうですが・・・(笑)。
おっしゃるとおり、5/2〜6まで、初シンガポールなんですが、まだあんまりプランを立てられていません。
なかなかイメージがわかないのと、全体にやや高くて決めきれない・・・。色々悩むのも旅行ですけど・・・。
ecchanさんは、なにかご予定がありますか?
天候不順の折柄、お体ご自愛ください。
-
- キラキラcmさん 2014/03/16 18:18:28
- こんばんは!
- entetsuさんの旅行記を拝見して行ってみたい気持ちが強くなりました。
本当にレンガの色調も美しくおっしゃる通りよくこのような形で残っていたなぁと改めて思いました。
ボランティアガイドさんのお話はぜひ聞いてみたいです。
ラーメンも素朴な感じで美味しそうです。
世界遺産登録が実現しますように…。
- entetsuさん からの返信 2014/03/17 06:10:30
- 投票
- キラキラcmさん、こんにちは。
富岡は割合近くですので、車で日帰りで楽に行けますし、ツアーも多いようですね。
世界遺産は首都圏にはあんまりないので、世界遺産に登録されてしまうと、ものすごい混雑かもしれませんので、このタイミングがベストだったかも。
ところで、土曜日、京浜急行と大田区と京急観光の共同イベント「大森海苔のりウォーク」に参加してきました。
大田区には、8年ほど住んでいましたが、知らない街をまたまた発見できました。
現在、旅行記作成中にて、また旅行記地獄でございます(笑)。
暖かくなりましたね。
- entetsuさん からの返信 2014/03/21 07:55:28
- 暖かくなりましたね。
- キラキラcmさん、こんにちは。
私は元々は花粉症あるんですが、1年中飲んでいる皮膚のアレルギーの薬で、ここ数年は特にこの時期に薬に頼らなくてもよくなりました。
アレルギー繋がりで、怪我の功名です(笑)。
大森の海岸や、富岡製糸場など、人伝に聞いてはいても、実際に見てみるとその感動は凄いものですね。
一方、レストランは、食べログなどで結構高評価でも、行ってみれば「なんだ・・・」ということが多いですね。
暖かくなりましたが、まだまだ気をぬけませんね。
お体ご自愛ください。
-
- ブルートレインさん 2014/03/14 21:29:19
- 勉強になりました!!
- entetsuさんへ
富岡製糸場に行かれたんですね。歴史の教科書に必ず登場する富岡製糸場
ですが、私自身一度も訪問したことがないので、いつかは訪れてみたいと思
っていた場所の一つです。
さて、「富岡製糸場」というタイトルを見た時、「ああ野麦峠」を連想し
ましたが、entetsuさんの旅行記を拝見しつつ間違いであることを認識しま
した。
「学生時代もっと詳しく歴史の勉強をしておけばよかったのに・・・」と
自己反省しきりです。
でも、entesuさんのブログは、詳細なコメントも付いていて、教科書より
も分かり易いな〜と正直思いました。
綺麗な画像が沢山ちりばめられていて、以前にも増して訪問したいという
気持ちが強まりました。素晴らしいブログに一票投じさせて頂きました。
又、訪問させて頂きますね。
ブルートレイン
- entetsuさん からの返信 2014/03/15 08:19:38
- 投票&コメントいただきまして有難うございます
- ブルートレイン、こんにちは。
そうなんですよ。
私も、「ああ野麦峠」を連想してましたが、訪問してびっくりしました。
女工哀史の件を隠して、世界遺産登録などむしがいいなぁ、とも思ってました。教科書に載ってないですもんね。
ところが、官営富岡製糸場は、それとは正反対の、近代工場だったんですね。
工女さんも、各地の家老や高級武士クラスの子女が集まったりして、やがて各地に戻り、今度は指導者になっていくと云う訳ですね。
女工哀史は、富岡のあと「全国にできた全国の工場ではこういうことがあった」ということのようです。
ともかく、訪問して良かった〜という気持ちです。
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