2011/07/31 - 2011/08/01
259位(同エリア984件中)
がおちんさん
旅の9~10日目。金沙江のトレッキングを終えて、昆明に戻ります。
宝山・石頭山からはトラックで麗江へ行き、バスに乗り換えて大理(下関)へ。翌朝、のんびりと鉄道で昆明へ向かいました。
移動中に見た中国の人々や街の様子など、変わり続ける雲南の光景をスナップしました。
旅のルート
2011/7/31 石頭城→麗江→大理
2011/8/1 大理→昆明
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス
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2011年7月31日(日)
楽しかった金沙江トレッキングを終え、石頭城を出発する。
7時半、宿に運転手が迎えに来た。 -
停車場までは坂道を上り続ける。
これが案外ときつく、汗をかきながら歩いた。
振り返ると、石頭城の眺めがすばらしい。 -
8時、停車場に到着。なんと30分もかかってしまった。
車はバスではなく、貨物トラックに便乗する。
8時20分に2台体制で出発した。 -
途中で荷物を積みながら、くねくね道を上っていく。
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8時40分、宝山・郷政府に到着。
ここで米線タイム。
私は飲み物だけ購入する。 -
運転手と別れを惜しむ乗客のじいさん。
たった1時間の距離だが、硬い握手を交わしていた。
バスの旅よりも、時がゆるーく流れていく。 -
道路はカーブが多いが、きれいに舗装されている。
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11時、鳴音に到着。
農協のような所に立ち寄り、運転手は伝票を届けに行く。 -
このあとは、麗江まで軽快に走る。
晴れれば正面に玉龍雪山が見えるという。
雨季で残念。 -
前方に○○○があるという。
事情により、荷台に隠れる(笑)。 -
白水河という観光地では、駐車待ちのバスが渋滞中。
だが、アイドリングストップなどはしない。
ちなみに20年前は、下り坂になると中国全土のバスがエンジンを切って恐怖のニュートラル走行を敢行、省エネと地球温暖化防止に貢献していた。 -
麗江に続くお花畑の道は観光道路となり、たとえ通行するだけでも金を巻き上げられるシステムになっている。
中国人でさえ、「ひどい話だ」と言っていた。 -
どこまでもまっすぐな道。
グイグイ飛ばす、運転手。 -
その結果、パンク。
別に望んでいるわけではないけど、今回の旅は実に昔の中国っぽい展開になる。 -
13時半、麗江に到着。
バス駅前の市場に行き、靴下を購入する。
昨夜洗った靴下が乾かず、生足でここまで来たのだ。 -
麗江の市場にも、ついにモッズファッションが現れた。
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こちらは白鳩を運ぶ、マトリックス風ライダー。
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麗江から昆明へ鉄道が通じたそうなので、市内バスで駅まで行ってみる。
姉さんドライバー、体の後方にギアレバーを入れる仕草がカッコイイ。
ラフな格好もグッド。 -
かつて麗江のシンボルだった毛沢東の像も、すっかり小さくなっちまった。
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観光客で賑わう麗江古城エリア。
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しかし、こういう納西族の人はもうどこにもいない。
★1989年の麗江古城にて -
鉄道駅に着くが、昆明行きの切符は売り切れだった。
再び市バスで長距離バス駅へ。 -
「本日の昆明行きは、すべて売り切れです」と長距離バス駅の案内嬢。
うーん、久しぶりに「没有!」が続いた。 -
麗江みたいな、下らん観光地に泊まりたくはない。
とりあえず、16時発の大理行きバスに乗った。 -
およそ1時間で鶴慶の街を通過。
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トイレ休憩。
小便するのに1元とは、高すぎるんじゃないのか?
どこだって5角が相場だろうに。
鶴慶白族のお婆さん、明らかにボリ過ぎ。 -
街道沿いに目立つ、四川料理の看板。
それだけ四川人が多いのだろうか。
食べて行けば、洗車は無料だそうだ。 -
19時、蒼山が見えてきた。
大理を訪れるのも15年ぶり。 -
昔の街道ではなく、バスは高速道路を飛ばす。
記憶にある風景とかみ合わない。
期待を裏切られるのは予想していたが、やはり引く。 -
「あれが周城だよ」と運転手が教えてくれた。
ひなびた建物は残っているが、今や藍染を売りつけようとペー族オバサンたちが集落を闊歩していると聞く。大理も観光化まっしぐらだ。
思い出を大切にするなら、大理はスルーしたほうがいいかもしれない。 -
とぼけたマスクのオート三輪。
メタリックレッドが田んぼの緑に映える。 -
蒼山の麓に立つ三塔。
自然の景観だけは、昔も今も変わらない。
やっぱり、大理には寄らずに遠景だけにしておこう。 -
なんだか大掛かりな参道ができていた。
寺も復元したそうだ。 -
「えっ、嘘だろ」って思うほど、移動が速い。これが雲南の旅行をつまらなくした原因かも知れない。
移動が楽になるほど、旅もお手軽になっていく。味のある旅や、奥深い経験がしにくい環境となる。
あっという間に下関に着いてしまった。 -
20時、下関は建設ラッシュに埃が舞っていた。
とりあえず、夜行列車の切符を求めて大理駅に行くことにする。
麗江からのバスで一緒だった中国人カップルも切符を買いに行くそうで、小姐から「おじさん、一緒に行きましょう」と話しかけられた。
「シューシュー」と言われてちょっと落ち込む。 -
市バスで鉄道駅へ。
小姐は挖色出身のペー族。彼氏のほうが昆明まで行くのだという。 -
夜空に浮かび上がる大理駅。
残念ながら、今晩の夜行列車は売り切れだった。ダフ屋から買おうとも思ったが、小姐から「補票しなければならないから買っちゃ駄目」と言われてやめる。
結局、私は翌朝発の切符を購入(50元)、カップルの彼氏は明朝のバスで昆明に向かうことになった。
雲南十八怪にあるように、山の多い雲南では、列車はバスよりも時間がかかる。 -
中国風イルミネーション炸裂の駅前通り。
どうしてこういうデザインになるのかわからん。
昔は中国製ラジカセにも、こういうネオンが光っていたな。 -
「この辺には詳しいから」という小姐の案内で、近くの安宿街へ向かう。
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10分ほど歩くと、それらしい雰囲気のストリートがあった。
さすが、地元人は違うな。
彼氏はオクテなのか、ほとんどの場面において小姐がイニシアチブを発揮していた。 -
小姐は2軒の宿を候補にして部屋を見比べた。
いきなり泊まるようなことはしない。
さすが中国人だなー。 -
「おばさーん、部屋見せて」と小姐。
「これで40元ならいいわね」と気に入ったようだ。 -
「シューシューも満足ですか?」と聞かれる。
部屋はきれいだし、テレビも新しい、シャンプー・リンスなどのアメニティもついてるし、バスタオルはフカフカ。
そりゃ、これで40元じゃ、文句も出まい。 -
小姐はさっと身分証を出すと、「おじさんは私の友達」と受付に告げ、私のぶんまで登記を済ませてくれた。
その親切な心に感謝して、記念撮影をpiviで焼いてプレゼントする。
二人ともお元気で! -
カップルと別れたあと、私は遅めの夕食をとるため、通りへ出る。
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ケーキ屋のとなりがアダルトショップというのも、中国らしいな。
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21時20分。美味そうなナスを焼いてる店を見つけた。
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大理ビールとナスで一杯。
せっかくだからアールスーも頼んで腹を満たした。 -
22時、宿の窓からは市民の生活ぶりが垣間見れた。
私も、ようやく移動続きの一日が終わり、就寝。 -
2011年8月1日(月)
7時15分、宿を出て火車駅へ向かう。
久々に巍山彝族の民族衣装を見た。昔のように、背中にフェルトの魔よけはつけていなかった。 -
なんと、途中でお婆ちゃんバックパッカーに会った。
彼女も大理駅に向かっているのだという。
すごい! -
お婆ちゃんは昆明経由で昭通まで行くそうだ。背中の寝具がシブイ。
腰が痛そうなのに、私に合わせて歩みを速めようとした。その気丈なそぶりに、心を打たれる。
お婆ちゃんが車にひかれては大変なので、付き添って歩くことにした。 -
車をかいくぐり、お婆ちゃんをエスコートして大理・火車駅へ着いた。
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「ありがとう」とお婆ちゃん。「いいえ、私たちは旅仲間ですよ」と私。
列車の乗り場は二階にあることを教えて別れようとすると、「まだ切符を買っていないのか?」と心配してくれた。
そうじゃなくて、売店に寄ることを伝え、「再見!」した。 -
8時15分発、昆明行きK9624次列車に乗り込む。
しかし、ホームが広いなー。 -
昆明までは8時間近くかかる。
長閑な風景を眺めながらの、のんびり旅。
窓が壊れて開かないのが、ちと残念。 -
切符には硬座と書かれていたが、寝台車の下段に4人ずつ割り当てるという窮屈な設定になっていた。
上段や中段に上がる人もいたが、すぐさま列車員から注意されていた。 -
で、端の人は自然と通路側のイスに移動する。
おかげで窮屈さは軽減され、車内環境が快適になった。 -
生まれて初めて列車に乗るという、女の子。
楽しそうに車窓を眺めていた。 -
迫力のある峡谷などではなく、眠気を誘う風景が続く。
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11時35分、南華に到着。
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おお、駅員の指示に従い、ちゃんと整列している。
ちょっと前なら、考えられない光景だ。 -
ところが、並んでいた場所のドアは開かない。
「アイヨ−」と走り出す乗客。
駅員の面子、丸つぶれ。 -
しかし乗客の表情は明るく、笑顔が見られた。
昔と違い、人々には余裕が感じられる。 -
車内販売だけではなく、列車員は商品の営業販売までこなす。
「ヘッドが頑丈で折れない歯ブラシ」を売り込みに来た。
そういう事例が多いのだろうか。 -
列車員の説明を受けながら、商品チェックをする女の子。鉄路局自慢の歯磨き粉だそうな。
「手にとって御覧ください」とサンプルを置いていった。
中国の鉄道は飽きるヒマがない。 -
楚雄を過ぎると、車内は大混雑。
座席難民が車内をさまよう。 -
荷物を最大活用して、夢の中。
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頑張れオバサン、昆明はもうすぐだ。
-
15時50分、昆明駅に到着。
-
すばらしく立派になっていた昆明駅。
昔は駅前で死刑囚の引き回しなどをやっていたな。 -
昆明で私のハートをキャッチしたのはこれ。
今回の旅では、まだ焼豆腐を味わっていなかった。
あとで買いに来るぜ! -
昆明についた途端、渋滞に巻き込まれる。
今回もこの街は避けようと思っていたが、今回は用事があるので我慢。 -
向かった先は新華書店。
最近の中国の動向をつかむには、ここで2〜3時間立ち読みするに限る。 -
今回は仕事関係の専門誌を買いに来た。さすが本場は書籍が多く、目移りして困る。わざわざ紐で閉じた『素問』とか欲しかったー。
古典系など8冊を購入、さらに荷物が重くなってしまった。 -
帰り道、ハイヒール姉ちゃんのバイク3人乗りを見かけた。
スカート・ノーヘル・横座りと、暴走族以上に突貫精神を披露。 -
先日行ったサニ族の友人宅に荷物を預けているので、今日は石林まで行く予定にしていたが、本屋に長く居過ぎたためにバスが無くなるという失態を犯す。
仕方なく昆明に泊まることにした。
それならば、ぜひとも昆湖飯店に行きたかった。 -
★写真は1996年、妻を睨みつける昆湖飯店のフロント嬢。
この宿は昔から最低のサービスを提供することで有名な宿だった。ドミトリーは野戦病院のようなベッドで、盗難多発。シャワー室は床がぬるぬるで転倒者続出。夜中まで大声でしゃべり続ける服務員のせいで睡眠不足。
これらの苦情は一切無視。フロントはタバコを咥え、ウォークマンを聞きながら仕事をしていた。唯一の利点は宿泊料金が3元FEC(のちに10元人民幣)と安かったこと。
中でも1989年から君臨していたフロント女性は語り草になっていて、100元札や50元札は絶対に受け取らないばかりか、「釣りが無いから銀行に行って両替しろ」とか、「文句があるなら他所へ行け」と言い放つ猛者だった。
これまで数え切れない外国人旅行者が、彼女の前に屈したことだろう。1996年に久々に泊まったときも、変わらぬ睨みつけを見せてくれた。 -
ひょっとしたら、再びあの睨みが見れるかもと思ってチェックイン。
残念ながら睨み嬢はいなかったが、昆湖飯店の伝統なのか、共産国的服務態度は健在だった。むろん、昔と違って不親切なわけではなく、態度がそう見えるだけだ。バスのルートや道を聞けば、横柄な態度でしっかり教えてくれた。
こういう古いタイプの宿も少なくなった。客が緊張を感じる場面に遭い、内心ちょっと嬉しかった。 -
夜、散歩へ出る。
留学時代に歩きつくした昆明の街だが、開発が進んでしまい、どこを歩いているんだかわからない。
偶然にも、見覚えのある風景に出会い、しばし懐かしさに浸る。 -
今回の旅も終わりが近くなった。明日は石林へ荷物を取りに行き、いよいよ明後日は帰国だ。
宿に帰る途中、犬料理屋のテーブルで夜遅くまで勉強する子供がいた。犬肉は精がつくというから、集中力も増すのかもしれない。
頑張れ小朋友!
2011年雲南・四川の旅 【その9】に続く
http://4travel.jp/travelogue/10595254
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