2011/08/02 - 2011/08/03
292位(同エリア984件中)
がおちんさん
旅の11日目。いよいよ帰国前日となり、今日は昆明から日帰りで石林へ行きました。サニ族の友人と21年ぶりに乃古石林を再訪し、懐かしい眺めを楽しみました。
気がつけば、あっという間の11日間。体調不良などのトラブルもありましたが、旧友にも無事再会でき、徒歩の旅も堪能し、いろいろな人と関わりながらの旅ができました。
2011年雲南・四川の旅、最終回です。
旅のルート(2011/8/2)
昆明→石林→昆明
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 高速・路線バス
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2011年8月2日(火)
昆湖飯店の目の前にある北京路では、地下鉄工事が行われている。
昨夜は遅くまでうるさかった。 -
8時。石林へ行くため、市バスを乗り継いで東部バス駅に向かう。
まずは留学中にもよく乗っていた23路バスで北駅へ。21年前に5分だった料金は2元になっていた。 -
おお、工事中の塀の奥に見えるのは工人宮じゃないか?
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★1990年の昆明
広場にそびえる工人宮。
当時、昆明のシンボルだった。不思議なことに、二階から上は階段に鍵がかかってて上れず、ガラーンとしたままだった。
エリザベス女王が来るのに間に合わせるため、北朝鮮のように張りぼてを建てたのではないかという噂もあった。 -
広場だった場所が、道路に変わっている。
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付近のビルに囲まれて、すっかり目立たなくなった、かつてのシンボル。
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北駅で下車して50路に乗り換える。
この先を左に行くと雲南民族学院があった。 -
短距離の23路が2元で、郊外まで40分も走る50路が1元という市バスの値段設定は謎だ。
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9時10分、東部バス駅に着く。
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15分後の石林行きを購入。
列に並んでいると、中国人も肥満体が増えたと実感する。 -
石林までは高速を快走。
1時間半で石林(風景区)に到着。 -
1週間ぶりに石林に帰ってきた。
サニ族の友人と待ち合わせる間、五棵樹村を歩いてみることにした。 -
石林の風景区に住むサニ族は、政府から村ごと立ち退きを迫られている。
2年前に訪れたときは、村人は同意せず(当然だ)、反対集会も開かれていたが、今では住民の3分の2が移転したという。
2年ぶりに来た五棵樹村は、閑散としていた。 -
家はどんどん壊されていた。このままでは、立ち退きを拒否している人も移転せざるを得ないだろう。
石林が自然遺産になったとはいえ、元々そこに住んでいた村までどかしてしまうというのはおかしな話だ。
アシマの伝説や、民族舞踊や、美しい刺繍など、サニ族の文化や存在があってこその石林なのに、カルストだけ守って何の意味があるのだろう。 -
★1989年の五棵樹村
魅力的だった、サニ族の村。 -
★1989年の五棵樹村
このように民族的特色を生かした新しい村づくりをすれば、より石林の魅力が増すと思うけど、もう遅い。 -
★1989年の五棵樹村
村の日常的な光景も、今や幻となった。 -
★1989年の五棵樹村
大理や麗江のような観光化をしたり、ここのように村をぶっつぶしたり。
雲南はやることが極端だ。 -
まあ、要するに邪魔だったんだろう。環境保護のために村はどかしても、ゴルフ場などの娯楽施設は建造しているそうだから。
金なんだろうな、つまりは。 -
友人らと食事へ行く途中、移転地に寄った。
政府によって造られた「彝族第一村」は、風景区から離れた丘にある。同じような家がずらっと並んでいる光景は、日本の新興住宅地と同じ。 -
自家用車があるあたりは、まさに中国の経済成長を見せられた気がした。
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家の内部は広く、快適そうだ。
雲南省の少数民族も、今はこういう暮らしをしている。
でも、彼らだって好きで移転したわけではないのだ。
旅の最後に、ちょっと複雑な気持ちになった。 -
サニ族の友人らと食事へ。
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瀘沽湖の旅から戻り、「とにかく無事でよかった」とサニ族のSさん夫妻。
「今度はぜひ日本へ、その時はサニ族の民族衣装で街を歩いてほしい」とリクエストすると、Sさんの夫は「そうするよ」と笑った。 -
「それで、瀘沽湖の人たちには会えたのか?」とSさんのいとこが聞いた。
私が「会えたよ」と答えると、「日本人の、そういう精神は見習うべきだ。我々なら会えるかどうかわからないのに、行こうとすら思わないだろう」と言った。
そして、「行ってよかったな」とつけ加えた。 -
「おじさん、撮ってー」とSさんの甥っ子。
よっしゃ、20年後も同じポーズで撮ってやるぞ。 -
食後、Sさん夫妻と乃古石林へ。
乃古(ネグ)とは彝族のことばで黒いという意味。
中国南方カルスト(茘波、重慶武隆、石林)に登録された。 -
ここは石林のように観光バスがどんどん押し寄せることもなく、静かな散策を楽しむことができる。
当のサニ族も、「こっちのほうが好きだ」と言う。 -
暑いから水を持って、出発。
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乃古石林も観光整備がされているが、昔とほとんど変わらない雰囲気が残っていた。
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岩の間を進む。
岩の色が、昔ほど黒くなくなったかな? -
★1990年の乃古石林
21年前、Sさんたちと石林から馬車に乗って乃古石林へ行った。 -
★1990年の乃古石林
原野に立つ石群の中を歩く。 -
★1990年の乃古石林
石林よりもワイルドな雰囲気。 -
★1990年の乃古石林
岩の上に登って、恐る恐るショットした。 -
今回、同じ場所から撮ってみた。
記憶が蘇って、少々ハイな気分になる。
緑が増えて荒涼とした感じはなくなっていたけど、とても懐かしい。 -
★1990年の乃古石林
遠くまで続く、黒い石の群れ。まさに乃古石林だ。 -
こちらも定点撮影してみた。
今は安全のために、岩の上は柵で囲まれている。 -
「おじさん、撮ってー」と、またまたSさんの甥っ子。
屈託の無い、元気な彝族の子供だ。 -
16時半、石林を去るときが来た。
大雨が降る中、荷物を取りにSさんの家へ。 -
17時、バスで昆明へ向かう。
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18時半、昆明の東部バス駅に着く。
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中国では普遍的なへそ出しルック。
やってみると、確かに快適ではある。 -
昆明市内は夕方の渋滞中。
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20時、昨夜は地下鉄の工事がうるさかったので、今日は駅近くの宿に泊まる。
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夜、東寺街へ行ってみた。
西寺塔と東寺塔の間が区画整理されて、レストランやみやげ店が並ぶ、おしゃれな通りになっていた。
ドン引き。 -
しかし、えっさほいさと踊るオバサンを見て安心する。
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東寺塔を見上げる。
昔は針金を引っ掛けてパンツなどが干されていたが、今はすっかりスマートなたたずまいを見せている。 -
橋香園で過橋米線を食べていく。
店の姉さんが具まで入れてくれるとは、なんたるサービスの良さだ。 -
味は、残念ながら並。
以前、大観街にあった米線屋を超える味には出会ったことがない。 -
西寺塔の広場には大勢の人が集まっていた。
映画、ローラースケート、社交ダンス、扇子踊りなどが同時開催されており、音が乱れ飛んでカオス状態。
ここから自分に必要な音だけ拾うんだから、たいした集中力だ。 -
中でも人気があるのが、エアロビクス。
激しいビート系ではなく、ヨガの動きも取り入れたゆっくりタイプ。
男性の参加者はいない。中国でも元気なのは女性のようだ。 -
インストラクターは実に女性っぽい仕草の男性だった。腰を露出したオリジナルウエアに、ヒップに巻かれた紐が、その証だろう。2011年、中国もここまで来たか。
幻想的なヒュワーンという音楽に合わせて、みんなで羽ばたく。 -
21時を過ぎても踊りは続いていた。夜の昆明の街を歩いて宿まで帰る。
旅の終わりを、オバサンダンス見物で締めくくるとは思わなかったが、あっという間の11日間が過ぎてしまった。
旅は非日常だからこそ楽しい。今回は短期間ながら、非常に密度の濃い旅となった。
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翌日、香港に一泊して帰国しました。
長い旅行記におつき合い下さり、ありがとうございました。
2011年雲南・四川の旅 終わり
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