2010/08/04 - 2010/08/18
12位(同エリア41件中)
kobushiさん
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休暇2週間でここまで行けます。キルギスから、タジキスタン-ウズベキスタンへ。
1日目:関西空港発−タシケント乗り継ぎ−翌朝ビシュケク着
2日目:キルギス ビシュケク/バラサグン遺跡
ビシュケクの空港には「US AIRFORCE」の輸送機がずらっと並んでました。ここがアフガンへの輸送基地になっているという話でした。
市内は(名門)ツム百貨店を中心に賑わいを見せています(両替商もこの辺りに多数、空港よりレート高い)。中心広場には大きなレーニン像が残り、ソ連的な雰囲気が残ってます。
バラサグン遺跡へは乗り合いタクシー+タクシーで、朝のうちに時間を合わせてビシュケクを出れば、バスで行くことも可能だが時間を優先した。「草原の石人」はなかなか良かった。
キルギス人は日本人と顔立ちがよく似ていますので道を聞かれたりすることも多かったです。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 3.0
- グルメ
- 2.5
- ショッピング
- 1.0
- 交通
- 3.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 15万円 - 20万円
- 交通手段
- 高速・路線バス 飛行機
- 航空会社
- ウズベキスタン航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
- 利用旅行会社
- 株式会社IACEトラベル
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-
3日目:ビシュケクーカラコルーアルティンアラシャン
首都ビシュケクから乗り合いバスでカラコルまで7時間、カラコルは小さな町で、ここは旧ソビエトのイメージ、ロシア教会ぐらいしか見るべきものもない。そこから市バス(20分ほど)に乗り継ぎ後、徒歩5時間で、桃源郷のようなアルティンアラシャンに到着。ソビエト時代からの保養地で、温泉が湧き6畳程の浴室を独占してゆっくり出来ます。ビシュケクを7時ごろ出て20時ごろ山小屋着、やや高目ですが食事も出来ました。(材料がないと出来ないこともあるようです)
4日目:アルティンアラシャンーチョルポンアタービシュケク
翌日日の出と同時に下山、チョルポンアタに立ち寄りイシククル湖を眺めつつ、ビシュケク戻り16時。
チョルポンアタもリゾートで、街道沿いこそ多少の賑わいを見せ、浮き輪などを売る出店が出ていたりするが、町自体特筆すべきものは無し。町はずれには渓谷や遺跡などが散在するようだが、時間の都合もあり今回は行っていない。
キルギスは主要幹線以外の交通網が貧弱で、ガイドブックなどでも普通に、「ここから徒歩○時間」などと書いてある。 -
5日目:ビシュケク−オシュ
ビシュケクから南部主要都市オシュまでは乗り合いタクシ-、人数が集まらないと出発しないシステムで2時間待ちとなる。早めに行って助手席を確保したものの、後から来たおばさんがあまりにも太っていた為、後部座席(もちろん3人掛×窮屈×12時間)に移動させられる。オシュまでは12時間かかるが、山あり渓谷あり草原ありの絶景。
※オシュでは、街中をふらついていたイスラエルの旅行者にオシュゲストハウスに案内して貰ったが、アパートの一室をGHとして利用しているに過ぎず、案内もないので、ガイドブックの地図だけを頼ると相当の苦労を要すると思われます。 -
6日目:オシューコーカンドーホジャンド
オシュでは、2010年6月に暴動があり、旅行者も少ない。
ゲストハウスのお兄ちゃんは「2000人死んだが今は大丈夫」と言っていたが、町は暴動というより、「戦場ですか?」というぐらい焼き討ちに遭っており、閉められたままの商店も多数、難民用には、国連UNHCRのテントなども張られていて、平和な感じではない。写真は焼き討ちに遭った商店と後ろに見えるのはオシュ名物のスレイマン山。ゲストハウスに1泊し、ここからウズベキスタン経由でタジキスタンへ向かう。
6月の暴動のせいで地元民の往来が制限されており、国境は閑散としている。ウズベキスタン側国境は暇なせいか、どうでもいいチェックをだらだらと行う。 -
6日目(続き):オシュからウズベキスタン(コーカンド)を経てタジキスタンへ
オシュを朝のうちに出たが、ウズベクータジク国境で役人がどこかに出掛けていて、地元民に桃など分けてもらいながら2時間待ち。
やっと来た役人は、「ホジャントはすぐそこだ、10km程度だ。」と言うので、国境を越えたところに1台だけいたタクシーと交渉。
ロシア語は分からないが、5本指を立てるので、「5$」と思い乗車するが、しばらく走ったガソリンスタンドで、「燃料入れるのでお金払って」と言われたところで「5$」出すと、怪訝な顔をし、「50$」と言う。
いくらなんでも「50$」は無いので、5$叩きつけて下車。
国境付近で置き去りとなるが、通りがかった車を捕まえ再交渉。
「20$」と言う。「足元見やがって」と思うものの夕刻、日暮れ時でもあり、やむなく乗車する。
ホジャントまでは意外と距離があり、50km以上あった。50$はないが5$でも無かった。
(写真はタジキスタン国境) -
7日目:ホジャンドーペンジケントーサマルカンド
ホジャント(タジキスタン)は市場がある広場を中心とした小奇麗な町で、新市街も意外と洗練されている。
ホジャントからペンジケントまでは400kmもないが、山越え×未舗装で時間が掛り、朝、ホジャントを出てペンジケント着は5時過ぎ。
ペンジケントのソグド人遺跡を見学後、国境を越えウズベキスタンのサマルカンドへ向かう。ホジャントーサマルカンドは、ほぼ移動で一日がかり。
この辺の国境はどこも閑散とし、商店も両替商も居ない。(そもそも旅行者がそんなに居ない) -
8日目:サマルカンド観光
巨大なイスラム建築が市中のあちこちにある。建物自体には圧倒されるが、ここまで来るとツアー客も見かけるようになるが、町は観光化され、やや薄っぺらな印象がある。
郊外のウルグットのバザールも悪くない感じ。曜日によりスザニバザーなども開催。(スザニは1m四方のもので言い値20$→3$になった)バザールでの両替レートは悪くない。 -
9日目:サマルカンドから日帰りで、シャフリサーブス観光
サマルカンド〜ヒバァまでは概ね乾燥した平らな土地で、移動中の景色も大したことがない。サマルカンドーシャフリサーブス間の景色が素晴らしいなどと「歩き方」にはあるものの、相対的な話で、キルギスやタジキスタンから来ると特別なものでもないかもしれない。
写真は「サマルカンドナン」この辺は何処も、これが主食となるが、地域により多少形状が異なる。焼きたては美味いが、店で出されるものの多くは冷めて硬い。
食事については、プロフというピラフみたいなごはん料理かシャシリクという串焼き肉料理、ラグマンという麺料理などが多い。(あまりレパートリーなく飽きる) -
10日目:サマルカンド〜ブハラへ(鉄道)
きっぷは当日で買えた。(早めに行けば大体買えるようだ。)
ブハラは、旅行者に比べ、B&Bが明らかに供給過多で、町に着いた途端、客引きが何人も寄ってくる。
適当な宿に決め、シャワーを浴びていると、シャワーホースが抜けた。
宿の小僧を呼び「部屋を変えるか、直して」とお願いすると、「10,000ソム(修理代)」と言われる。
「いや、俺が壊したのではなく、俺が使ってたときにたまたま壊れたんだ」と言うが、小僧では判断が付かないらしく、「お父さんに話してみる」
ほどなくして、父現る。
同じ説明をするが、やはり「10,000ソム」という。お父さんは英語が通じないので、彼の友人に電話をすると、「分かった。半分の5,000ソムでどうだ?」
そういう問題ではないだろう? -
11日目:ブハラ
小さな町なので、2日目ともなると基本的にヒマになる。
広場でぼーっとしてると帽子売り(旧ソスタイルの帽子)のおやじが、
「おお、ヤパーニ(日本人)茶でも飲んでけ、商売抜きだ」というので、
お茶を飲みつつしばらく談笑。こんな帽子売れるの?と思いきや、こうしてる間に2つほど売れた。
「お茶、ありがとう」と行こうとすると、「帽子要らんか?」と言う。
よくあることだが、ここの人はしつこさがないので気分は悪くない。
闇両替のおっさんも、そこを通るたびに「ヤパーニ!チェンジマネー?」と言ってくるので、それなりに親近感が湧いたりする。
このような商売人はカタコトの英語を話したりするが、市中の人やドライバーが英語を話すことは殆どない。こちらのロシア語の語彙も殆どないので、
「キターヤ(中国人)?」「ヤポーニア(日本人です)」で会話終了となるのだが、何かと話し掛けては来るのがここの人達。
それでも、何となく分かる時があるからコミュニケーションというのは言葉ではなく「伝えようとする意思」だ。と思ったりする。
おまけに何かあった時は、電話しろと携帯の番号を教えられたりする。
外の人に垣根が無いのが、この地域の素晴らしいところだ。 -
12日目:ブハラーウルゲンチーヒバ
乗り合いタクシーで一路ヒバまで、茫漠とした乾燥地帯で車窓の変化はあまり無し。
ウズベキスタンの各地でガソリン不足が起こってるらしく、ガソリンスタンドでの行列をよく見掛けた。燃料も高騰してるらしく、タクシーとの交渉でも「燃料代が、、」というのはよく言われた。
都市間の移動などでは「歩き方」相場の2倍ぐらいになってることも多かった。
写真はモスクで昼寝をする人。ここは無料モスクだが、観光客から入場料を徴収するようなところでも、係りは寝てたり、編み物(お土産で売るための)してたり、おしゃべりをしていることが多い。誰も居ないのでタダだと思いフラフラしていると後から追っかけて来て入場料を取られることもあれば、有料の筈だがそのまま通ってしまうこともある。又、なぜかディスカウントされることもあり、この辺の運用はかなりルーズ。 -
13日目:ヒバータシケント
ヒバの旧市街はよく整備されているが、サマルカンドやブハラ以上に張りぼて感が強く、情緒いまひとつ。遺跡などはどこまで復元すべきか?というのは微妙な問題だと思う。
ここまで生活感が無いのも面白くない。城外にでるとロバ(写真)なども歩いてるが、世界遺産の場内は、お土産品屋ばかりでとてもツーリスティック。
ウズベキスタンでは、本来入場禁止のミナレットなど、警備員との交渉により入れることが多い。結構な収入になっていると思われる。 -
14日目:タシケント
タシケントはソ連式の極めて社会主義的な構想の街で、やたらとだだっ広く、街歩きには向かない。
地下鉄内の建築は立派だが、撮影禁止で、市中に警官も多い。治安は悪くないと思うが、雰囲気も良くない。
写真はウリ売りのおじさん。この時期はどこでも大量のウリが売られている。
15日目:帰国 -
まとめ:この行程で2週間あれば、事故が無い限り余裕があると思われる。(但し、タシケントービシュケク/ウルゲンチータシケントは飛行機利用)
私見ではウズベキスタンよりキルギスやタジキスタンにもう2-3日取れば良かったと思うものの、情報が多い地域ではないこと、移動の時間が読みづらいこともあり、前半はやや飛ばし気味の旅程となる。
1週間の休暇で、今回はサマルカンドだけ。というリーマンパッカーも居ました。
治安も良好で、物価も高くはない。極端なぼったくりも少ないので、この地域の旅行自体はそう困難ではない。
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