2010/03/25 - 2010/03/25
8661位(同エリア13512件中)
趣味千さん
ホテルで新TV見仏記を観る。東大寺→春日大社→新薬師寺→興福寺→西大寺
- 同行者
- 家族旅行
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 新幹線
PR
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写真は宿泊先のホテル日航奈良の大仏の手をイメージした宿泊客の写真を集めたものらしい。
-
JR奈良から近鉄奈良駅の距離に母も妹も辟易していた。コインロッカーに妹の宅急便で送れなかった荷物を預けた。
アンダーパスを通って、興福寺の横を通り、東大寺の南大門の仁王と対面する。やはり迫力があって、力強い。妹的には金網が邪魔で写真の対象にはならなかったらしい。
大仏殿前の桜が咲いており、パチリ。
金銅八角燈籠の接写。パチリ。
まず妹に出口よりのご朱印の場所を教えた。なぜなら時間の経過とともにご朱印の列ができることがあるからだ。
今回は大仏殿の鑑賞ポイントを変えてみた。千本釈迦堂で勉強した内陣組物の構成を比較してみる。
挙鼻を持つ根肘木と斗の間に柱を通している。千本釈迦堂のような装飾とにぎやかな構成には敵わない。
妹は売店で戒壇院四天王のクリアファイル等クリアファイル2つ購入していた。 -
戒壇院は一人、若い女性が拝観していた。ここはやはり厳かな気持ちになる。若い女性がいなくなると、僕たちだけだ。四天王のウエストのくびれが羨ましい。「昔はモテモテだったよ、この人らは」MJ。妹もクリアファイル買っていたし、今でもモテモテのような気がする。
三月堂に着いたときには大雨になっていた。入ると、見仏用の台の上が溢れんばかりの人が乗っていた。母が「外からのイメージでこんなに人がいるとおもわなかった」と言った。きっとこの人たちも僕と同じで今のこのぎっしり感を目に焼き付けておこうと来た人たちに違いない。
妹も目を凝らして仏像に見入っている。妹にこの説明をしたら、このお堂に居る人も満員だけど、向こうも満員だからねえ。と少し残念そうに言った。床下を覗き込むとジャッキで須弥壇を押し上げているのが痛々しい。
相当長い時間居たと思う。名残惜しいが、いくつかの感傷を抱えながらお堂を後にした。
二月堂に登って景色を眺めるも、風雨が強くて南無観とお祈りして休憩所に駆け込む。トイレとお茶をしてしばらく身体に熱を取り戻す。
四月堂で何やら猪、猪と母と妹が騒いでいる。話を聞くと、普賢菩薩の象を猪と見えていたらしい。普賢菩薩も象もお怒りにならなければいいが。と思っていても象はもう怒っているようにしか見えない。
晴れていれば不動堂もお参りしたかった。この雨では厳しいと判断して春日大社に向かう。 -
春日大社のご朱印に妹がすかさず反応した。
バッグから法隆寺のご朱印帳を取り出すと、ご朱印の受付窓口に並んだ。僕と母は本殿に参拝する。つい二礼二拍手一礼を忘れてしまう。寺院巡りばかりだったので手をすぐに合わせてしまうのだ。母と建築の造りについて専門家でもないのにそれらしく説明する。
ご朱印を頂いた妹が「私の前にご朱印貰っていた人、絶対に巫女ヲタだよ。あれは真性巫女ヲタ。冠のヒラヒラの説明訊いて、すごい笑顔だったし、もうご朱印貰ってるのに、しかも、こっちが並んでるのにずっと長話してるんだから!」
どうやら巫女萌えの人が妹の前に並んでいたらしい。気持ちはわからないことはない。
ささやきのこみちからではなく、若宮神社、夫婦大国社、金竜神社を抜けたこみちを散策する。雨が森林の芳香をより強く嗅ぐわしている。母も妹も「雨だけど、趣があるね」と詩情的になっているらしかった。
案内看板にしたがって、新薬師寺に向かう。新薬師寺の土塀の上にある看板に「国宝新薬師寺 千二百年前ここ」と書いてある。千二百年前ここという表現はなんか凄いよね。本堂千二百年前という表現ならわかるんだけど、これだと道路の案内標識「県庁ここ」とか「駅ここ曲がる」とか固有名詞を使うところで、年数を入れる。これは斬新だね。桜井市なんかだと古墳ばかりだから、どこいっても「三千年前ここ」とか「四千年前ここ」の看板ばかりで、多分、今歩いている、ここからは三千年前で、今看板の間に立ってるから三千五百年前あたりに立ってると思って気持ちがタイムスリップしちゃうよね。
と言ったところ、母と妹にスルーされて門前の受付に着いた。
新薬師寺は母が是非との強い要望があったお寺である。僕は今年の元旦に無料で頂いた十三佛屏風に新薬師寺のご朱印を頂くスペースがあって、今回の旅行でご朱印を頂こうと計画していたのだが、屏風を忘れてきてしまうというミスによってご朱印はスルーした。妹はしっかりと頂いている。
3年ほど前までは宿坊があったような気がしたが、今ではないらしい。
新薬師寺の薬師如来はしっかりと眼を開き、強い眼差しを参拝者に向ける。聖武天皇の眼病を治す為光明皇后が建立したとされるから半眼ではない。
母が僕の守護の大将を探してくれていた。波夷羅大将。唯一国宝ではない大将だ。母に「国宝じゃないんだよね」というと「あ、本当だ。他はネームプレイトのところに国宝って書いてあるのにどうして」妹も不思議そうに「どうして?」と問いかけられた。「後世に作られたからだ」と説明したけど、いつ頃だったろうとこの時は思い出せなかった。最近のような気がしたから江戸時代前だったようなと、釈然としない母と妹を他所に僕は十二神将を鑑賞しているふうを装って実際いつ頃の作だったか思い出そうとしていた。
翌日さっそく、調べたところ昭和の作だという。他の大将よりもニューフェイスどころか、とんでもないほど歴史が浅かった。 -
興福寺に向かう途中、奇妙な案内看板を見つけた。矢印の方向違えども、両方新薬師寺を指している。
これはすべての道はローマに通ず。ではなく、すべての道は新薬師寺に通ず。と伝えているのだ。そのうちに都内の道路標識までも新薬師寺の方向の矢印が付け加えられる、そういう魂胆の布石である。多分。
興福寺のリニューアルしたばかりの国宝館は行列もできておらず、窓口さえもスムーズに通過できた。方々の情報だと午後は入り口の外までの行列だ。と聞いていたので肩透かしをくらった格好になった。
ライティングといい、説明文のおしゃれなところ。これは東京国立博物館の展示方法じゃなかろうか。実際ガラスケースの展示を東京国立博物館の展示に倣って外した展示もあるという。非難ではなく、良い展示方法があれば是非それをお寺の展示に活かしていただきたい。興福寺ではなく収蔵庫をお持ちのお寺さんは多い。なぜなら、文化庁の指示で収蔵庫の義務が課せられることがあるからだ。
見仏記の2巻に住職とみうらじゅんとのこんなくだりがある。
「指定されてもな、収蔵庫を作る金がないと、美術館やらに持っていかれるんじゃ」
「それじゃ、とにかく収蔵庫作らざるを得ませんね。国から金は出ないんですか?」
「国や県から補助がありましたけどな。それでは足らんからねえ」
どうせ収蔵庫を作るなら、お金をかけずとも拝観者に喜んでいただける展示方法があると思う。
母が阿弥陀如来のところで「揺れている」と囁いた。どうやら地震があったのかと周りを見渡しても誰もそんな素振りはない。妹も特に感じなかったという。「疲れてるのかな」と母がいうので、そうかもしれないと3人ともそう言ったが、仏像の前でそういった経験をしている3人は本当は阿弥陀如来に反応していたことだとわかっていた。ただ、周りにいる拝観者にオカルティックな家族と気取られないようにしただけだ。
天燈鬼と竜燈鬼は今まで見てきた四天王に踏まれていた邪鬼が天燈鬼と竜燈鬼になったんだと説明したら、「今まで踏まれていた邪鬼は足の指が2本だったけど、この鬼は足が5本ちゃんとあるね」
と指摘されて、はっとした。まさかそんなに鋭い質問がくるとは思わなかった。
妹が次の西大寺が16時30分に締められるにも関わらず、売店でまた物色していた。
15分ほどしてクリアファイルを3つ買ってきた。天燈鬼と竜燈鬼のクリアファイルを買うかどうか迷っていたらしい。
僕は母の2本足と5本足にたいした回答もできずに国宝館から出た。
近鉄駅で預けていたバッグを妹は回収すると、僕にそのバックを寄こした。重い。
もう16時を回ってから西大寺に着いた。母と妹が受付こちらという四天堂前の案内に吸い込まれるように行ったので制止した。
妹の西国愛染十七霊場のご朱印を頂くなら、もう時間がない。急いで愛染堂に行こう。と二人を急かした。今回急かす計画を組んではいなかったが、西国愛染十七霊場という予想外の計画を追加したからここで響いてきた。また唯一時間オーバーが考えられた。
愛染堂に入ると、ご朱印の受付がいない。僕は慌てて声を上げて呼んでみた。5分ほどして受付がきた。
「3堂共通拝観券下さい」
「もう、無理でしょう。行けるところだけにして下さい」と強い口調で咎められた。
「では、愛染堂だけでお願いします」
「あと、ご朱印をお願いします」と妹は西国愛染十七霊場のご朱印帳をバッグから取り出した。
愛染明王のお前立ち、厨子を囲むようにして守る愛染明王たち。
母が「西大寺の愛染明王様ってもっと大きいと思っていたけど、この厨子を見るかぎりではあまり大きくはなさそうね」
「いつか愛染明王のご本尊を見てみたい」と妹が会話を受けた。
興正菩薩坐像の畳敷きでいつもはまったりと一息つくのだけれども、その時間はなく、追い立てられるように3人は愛染堂を後にした。
僕は3人を来た道を戻るように促した。四天堂に戻る。僕が3人分の拝観券を購入すると、「ご主人」と、係りに言われ、気持ちも急いていたから、つい、はいと頷くと、よろしいといった風に係りは緞帳の前まで誘導した。
「錫杖を持った十一面観音で、長谷寺式といわれます。珍しい十一面観音となっております。花瓶の花も蕾ではなく咲いているのも珍しい。十一面観音、現在重文ですのでこれほどまで近くで拝観できますが、国宝に認定されてしまうとこうはいきません・・・」と解説があったあと、十一面観音を守護する四天王に踏まれる邪鬼の足に注目した。やはり2本だった。
母と妹がお堂と大きな十一面観音の落差に驚いているようだった。
16時20分を回り、さすがにもう回れないとお互いに判断して、大和西大寺の駅に向かった。
長いようで短かった古寺巡礼の旅は終わりを告げた。
親見仏記 いつかつづく
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