1981/03/26 - 1981/04/01
1460位(同エリア6135件中)
がおちんさん
15歳の時、初めてバックパッカーの旅に出ました。
岩手県の温泉旅館に出るという「座敷わらし」を見てみたいというのが、そのきっかけです。最初は一人旅の予定でしたが、一緒に行きたいという同級生が2人現れ、3人での東北旅行となりました。
なにしろ昭和56年の話なので、写真の多くは散逸してしまいましたが、当時の日記と録音テープが残っていたので、懐かしの旅を振り返ってみたいと思います。
緑風荘の主人の話や、国鉄時代の急行&ローカル線の音など、今となっては良い旅の思い出となりました。座敷わらしや鉄道に興味のある方は、是非お聴き下さい。
今では考えられませんが、6.8キロと重いステレオラジカセ(アイワTPR-820)を持っての旅でした。
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■旅のデータ
1981/3/26(木)
自宅→上野 東京の自宅を出発
1981/3/27(金)
上野 → 金田一 金田一温泉、緑風荘泊
1981/3/28(土)
金田一 → 尻屋 尻屋崎ユースホステル泊
1981/3/29(日)
尻屋 → 弘前 弘前ユースホステル泊
1981/3/30(月)
弘前 → 鳴子 鳴子ユースホステル泊
1981/3/31(火)
鳴子 → 野蒜 松島ユースホステル泊
1981/4/1(水)
野蒜 → 上野 帰宅
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- タクシー JRローカル
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1981年3月26日(木)
20時頃、友人のTとKが家にやって来た。
いよいよ東北旅行の始まりである。
リュックを背負い、手には重いステレオラジカセを持って出発、上野駅に向かう。胸がワクワクする。
今回は東北ワイド周遊券を使っての旅。
当初は10日間の旅程だったが、切符代に加え、最初に向かう金田一温泉・緑風荘の宿泊料金が高いので、6日間の旅となった。それでもギリギリである。今夜は夜行に乗って宿泊代を浮かす。
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1981年3月27日(金)
上野駅16番線ホーム。
23時55分発、455系の急行あづま3号(1117M)は10分遅れて出発した。
実は出発前、先頭車同士が連結されている場所で運転席に座ったところ、誤って足のペダルを踏んでしまい、タイフォンが駅中に鳴り響いた。最初は何で鳴っているのかが分からず、足を離すまで5秒以上は鳴らし続けてしまった。もちろん3人ともダッシュで逃げた。
上野駅と国鉄の皆様、ご迷惑をかけてすみませんでした。30年近く過ぎてしまいましたが、お詫びします。
☆急行あづま3号のアナウンスと走行音(約13分)
http://www.voiceblog.jp/gaochin/1016779.html
写真は福島駅にて撮影。 -
深夜に出発するという、中学生には滅多に無い経験のためか、3人とも興奮して眠くならない。
宇都宮のあたりから電車のシートが熱くなり、いよいよ眠っていられなくなった。
「郡山では仙台へ行った時と同じく、天玉そば(290円)を買うが、車内で食べたら、また気持ち悪くなった」と日記にある。
ずっと忘れていたが、この旅をする前に「ただ遠くへ行きたい」というだけの理由で仙台まで行ったことがあった。上野から東北本線の夜行で仙台へ出て、翌朝は常磐線で帰って来たのである。仙台では駅前の商店街を歩いただけ。それでも非常に満足な一人旅となった。もちろん親には内緒だった。
そして前回同様、車窓に見える暗闇や踏み切りの音が、
どことなく幻想的に感じ、遠くへ旅をするのだという気分が高まる。もう楽しくてたまらない。
二本松あたりで夜が明けたが、かなり眠い。友人たちも同様だ。福島を過ぎると雪が降り出し、やがて吹雪になるが、30分もするとカラッと晴れた。
仙台駅には7時5分、3番線に到着した。
☆福島駅あたりを走る、あづま3号(約6分20秒)
http://www.voiceblog.jp/gaochin/1016858.html -
仙台駅ではスタンプを押すために改札を出た。
金に余裕が無いため、土産もろくに買えない。
だから駅のスタンプを押して、土産代わりとした。
すぐに4番線ホームに行き、ディーゼル急行たざわ1号(4811D)に乗り換える。キハ58系は薄汚れた車体だったが、その走りは迫力満点。盛岡までの快走を味わった。
この頃の東北本線の急行は、途中で切り離して運行する多層建て列車が多かったようだ。たざわ1号は、むろね1号と陸中1号と併合して走るし、昨夜のあづま3号もばんだい11号と併合していた。
盛岡からはELが引く客車(233)で14時05分に金田一駅に到着。そこからタクシー(310円)で緑風荘へ。
長い移動だった。
☆DL急行たざわ1号の走行音(約9分10秒)
http://www.voiceblog.jp/gaochin/1017545.html -
緑風荘は立派な旅館だ。すぐに座敷わらしが出るという、奥の古い部屋に通された。
しばらくして、社長の五日市さんというお爺さんに呼ばれて座敷わらしの話を聞く。どうも遠野物語に出てくる座敷わらしとは違うようで、南北朝の頃に殺された男の子の霊なのだという。五日市さんは50年前に1週間、続けて見たことがあるそうだ。最後は子供の母親の霊まで現れたという。
最近は科学者や有名人も来るそうだ。座敷わらしを見た人は出世するという。作家の遠藤周作氏も泊まったそうだ。
お爺さんの岩手訛りは聞き取るのが大変だったが、とても親切に話してくれた。
温泉も食事も中学生の私たちにはもったいないほどだ。
ティラピアニロチカの刺身を食べ、温泉につかり、ふとんに入る。電気を消すと眠気が襲った。
その時、確かに枝が折れるようなパリッと音がしたので驚く。しかし、そのまま待っていても座敷わらしは現れない。知らないうちに眠ってしまい、気がついたら朝になっていた。ああ、せっかく来たのに眠ってしまうなんて。
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五日市さんは中学生の私たちに1時間半近く話をしてくれました。その時の録音を約40分に編集したので紹介します。
☆座敷わらしの話1
http://www.voiceblog.jp/gaochin/1017592.html
☆座敷わらしの話2
http://www.voiceblog.jp/gaochin/1017600.html -
1981年3月28日(土)
朝、「なんだ、わらしは出なかったじゃん」と友人のK。
でも、ラップ音は鳴っただろ?と聞くと、友人らは布団に入ってすぐに眠ってしまったので知らないという。
宿が古いから軋んだだけかもしれないけど、確かに音はしたよと私。
座敷わらしに会えなかったのは残念だけど、美味しい朝食を食べて宿を後にした。なんと宿代も1000円安くしてくれた。ありがとう五日市さん。
タクシーで金田一駅に着き、青森行きの客車を待っていると、「誰かが財布を忘れた」と緑風荘から電話がかかってきた。財布の持ち主はTと判明。2000円入っているという。
わざわざ駅に連絡してくれるなんて、なんて親切なんだろう。そればかりか、駅の人が金を立て替えてくれたのだ。東北の人は情に厚い。
緑風荘にはまた来よう。今度はわらしに会えるかもしれない。
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緑風荘は、2009年の10月に火事に遭ってしまったそうです。一日も早い復旧をお祈りします。 -
12時01分、金田一から客車(1521)で野辺地へ。
東京では客車に乗る機会が無いので、いかにも機関車が引っぱっているという感覚が新鮮だ。ピーッという汽笛もイイ。
車内では方言が飛び交い、私達には何を言ってるのか全く聞き取れない。
野辺地には13時33分に到着。ここから大湊線、大畑線と乗り継いで、今日は尻屋崎まで行くのだ。
野辺地駅に南部縦貫鉄道のレールバスが停まっていた。
なんだか愛嬌のある面構えだ。(写真)
☆金田一から野辺地に向かう客車(1521)の走行音(約10分)
http://www.voiceblog.jp/gaochin/1017626.html -
大湊行きの気動車は、野辺地を14時41分に出発。(727D)
キハ22はディーゼルの唸りをあげて走り出した。まるで地の果てに向かっているような気がするほど、寂れた風景の中を走って行く。とにかく寒い。
大湊線は駅と駅の区間が長い。「渋谷から吉祥寺より長いんじゃないの」とKが言う。普段、井の頭線や京王線しか乗る機会の無い中学生にとって、大湊線は強烈な印象を残した。
大湊線や大畑線はレールが短いので、タタンタタンと急かされているみたいな走行音がする。慣れていないので変な感じだ。
☆大湊線(727D)の走行音(約6分45秒)
http://www.voiceblog.jp/gaochin/1017684.html -
大湊駅では14分間の待ち時間を利用して本屋まで走る。
皆で1冊の雑誌を買い、回し読みをするのだ。
16時07分の大畑行き(827D)で田名部へ。
ここから尻屋へ向かうバスは40分も待たなくてはならないため、タクシーで尻屋崎に行く。
灯台の付近には牛や馬はいなかったが、太平洋と津軽海峡が見えるのは壮観だ。風が強く、とにかく寒い。
私達が遊んでいる間、運転手さんに待っていてもらい、尻屋の集落まで連れて行ってもらった。
宿は、一番安かった尻屋崎ユースホステルにする。
ここでユースの会員になった。
大学生の泊り客から「飛び込みはいけないな」とたしなめられる。食後は食器を自分で洗い、居間で自己紹介をして、皆で歌わなくてはならない。人見知りするKは、ちょっと不機嫌になった。
☆陸奥タクシーの運転手の話(約1分48秒)
http://www.voiceblog.jp/gaochin/1017824.html -
1981年3月29日(日)
朝7時に起きる。今日は竜飛崎を目指す予定だったが、列車の本数が少なく、現地に着くのが夜になるので中止。弘前へ向かうことにした。
尻屋からタクシーで田名部駅へ出る。
記念のスタンプを押すために、下り(825D)に乗って大畑まで行くが、どうも壊れたようで駅にはスタンプが置いてなかった。仕方ないので写真だけ撮る。そして再び折り返しの上り大湊行き(844D)に乗り込んだ。
今日は大雪で寒すぎる。どうも風邪をひいたらしく、頭が重くて体中の関節が痛い。熱もあるようだ。
大畑線に乗っている地元の人の言葉は全くわからない。
遠くまで来たなと、しみじみ思う。(写真は大畑駅にて)
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現在、この録音を聴いてみると、乗客の会話や笑い声がほのぼのしていて、良い時代だったなと思います。
どこか雲南省の少数民族が話しているような雰囲気がするのは、それだけ長閑だったということでしょうか。
☆大畑線の車内の音(約10分10秒)
http://www.voiceblog.jp/gaochin/1018241.html -
下北駅で下りる。
ここは大湊線と大畑線の2つの路線の折り返し駅になっているのだ。ここから田名部、野辺地と経て青森へ向かう。
持ち金は早くも2万円を割っているが、青森ではお土産とリンゴを買うのだ。
下北には、数年前に揉めた原子力船むつの母港がある。
下北から大湊線(726D)に乗り換え、野辺地には定時の15時52分に到着した。 -
野辺地では15分の待ち時間で、青森行きの普通客車(233)に乗った。
16時59分に青森に着くも、風邪が悪化したようだ。
あまりだるいので、青森駅の救急室で薬をもらった。
(今思うと図々しい。駅員さん、失礼しました。)
弘前に向かう急行の出発まで50分あるので、駅前でリンゴを買い、土産物を見た。
☆普通客車(233)で青森駅に到着した時の録音(5分25秒)
http://www.voiceblog.jp/gaochin/1018388.html -
青森駅は海に面しており、青函航路の船が停泊している。
ホームで写真を撮り、ディーゼル急行むつ4号(636D)に乗る。車内はもう人でいっぱいだった。 -
川部駅のスタンプ。
川部駅で停車中に改札を出てスタンプを押しに行っていたら、発車のベルが鳴った。慌てて線路を横切り、車内に駆け込んだ。
今、考えると危険極まりない。そこまでしてスタンプを押すこともないと思うのだが、当時は重要だったのだろう。 -
弘前はきれいな街だ。
イトーヨーカドーでパンツを買い、バス(110円)に乗って弘前ユースホステルに向かう。
昨日、尻屋にいた嫌味な大学生も来ていた。夕食後、Kは「今日は絶対にレクリエーションには出ない」と宣言してベッドに寝てしまった。 -
1981年3月30日(月)
早朝にユースを出て、バスで弘前駅へ。
7時13分発の東能代行き(1728D)へ乗る。
日本海沿いに走る、憧れのローカル線だ。
途中、鯵ヶ沢で玉子そば(230円)を食べる。
また、深浦では30分近く停車時間があったので、
海まで行って写真を撮ったり、石を拾ったりして遊んだ。牛乳(60円)とぜんざいパン(60円)を買う。
各駅停車に乗って5時間の旅だが、あっというまに時間が過ぎた。
☆五能線キハ40(1728D)の走行音
http://www.voiceblog.jp/gaochin/1018523.html
☆五能線にて乗客の津軽弁
http://www.voiceblog.jp/gaochin/1018526.html -
東能代で下車して町を歩く。
駅前には大した店は無い。
300メートルほど行くと果物屋があったので、
リンゴ(100円)を買った。甘くてうまい。
ここから奥羽本線の各駅で秋田駅に向かう。 -
眺めの良い五能線の旅も終わり、我々は秋田から急行千秋4号(714D)で陸羽東線の鳴子へ向かう。
車内は混雑していて、ようやく座れたと思ったら、今度は煙臭くて参った。 -
新庄駅では、私は風邪で体がだるいため車内に残り、Tにスタンプを押してもらった。
今日は鳴子温泉に泊まるので、熱い風呂に入って治したい。 -
17時54分、鳴子に到着。
ホームに下りたとたん、硫黄の臭いがプーンと鼻をつく。いかにも温泉地といった感じがする。
鳴子ユースホステルは、瀧島旅館と一緒になっているが、布団や食器は自分で片付けることになっている。
階段の途中で、ユースの客と一般客の部屋が二手に分かれるつくりだ。
ここの温泉は地下にあり、ものすごい湯気で風呂場が曇っている。熱い風呂に3回つかり、風邪は治ってしまった。
食事も美味かったー。
お土産に、奮発してこけし(1200円)と交通手形(400円)を買った。 -
1981年3月31日(火)
今日はゆっくり起きて温泉に入る。
服に温泉のニオイがついて、東京に帰っても臭かった。
すごい威力だ。
鳴子駅でホームに入って来た急行千秋3号(712D)を写す。キハ58系はどれも薄汚くて、なんかカッコイイ。
10時36分に鳴子を出発、小牛田へ向かう。 -
小牛田には11時23分に到着。
トイレでうんこしたら、水を流すレバーやボタンが無い。いくら探しても見つからないので困っていたら、女の人に「早くしてー」と言われる。
もう仕方ないので、紙で隠してそのままトイレを出て、走って逃げた。いったいどういう仕組みになっているんだろう?
駅の外に出てラーメン(380円)を食べ、12時49分発の気仙沼行き(831D)で石巻へ。
そこから仙石線の快速(3424M)に乗り換えて、野蒜まで行く。 -
奥松島のユースホステルに行き、そこから自転車を借りてで一気に乙女の浜まで走る。
かなり遠くて疲れたけど、楽しくて最高の一言だった。(写真は乙女の浜) -
奥松島、大高森からの夕日。
ここでは松ぼっくりを拾った。
東北旅行の最後に、こんなにきれいな夕日を見れて幸せだ。本当に来てよかった!
奥松島のユースは風呂もでかいし、泊まっている人も良い人ばっかりだ。金が無いので素泊まりにしたけど、今度は食事付きにしよう。
反対に、我々が外で食べたカレーライス(350円)はレトルトのインスタントだった。がっくり・・・。
ここの食堂には、珍しい「ブラックビートルズ」というゴキブリ退治のゲームが置いてあった。 -
1981年04月01日(水)
最終日はユースの居心地が良いせいか、朝寝坊してしまった。野蒜駅まで走ること10分、やはり電車に間に合わなかった。
ようやく仙台へ出たのが昼過ぎ。
今日の持ち金は35円。ジュースも飲めない。
15時20分発の急行まつしま8号に乗り、昨日買った缶詰を食べながら東北本線を上った。
腹が空いてたまらない。Kが密かに持っていた甘いせんべいをもらって何とかしのぐ。
上野に着いたのは21時半ごろ。3人とも元気に帰宅した。
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最終日に35円しか金が無いなんて、そこまでギリギリに旅することも無いだろうとも思いますが、当時は周遊券さえ持っていれば東京まで帰れるという安心感があったのだと思います。
旅のルートも予定通りには行かず、その都度3人で話しあって翌日の行き先を決めていました。この頃から計画性の無い旅が好きになったようです。
中学生時代の拙い旅日記におつき合い下さり、ありがとうございました。
東北旅行記1981 終わり
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この旅行記へのコメント (8)
-
- テラーキさん 2011/01/27 16:08:56
- はじめまして。
- 旅行記大変興味深く読ませていただきました。
昔の旅行の記録をノートにとっておくといいですね。
あーいう風に鮮明な記憶を30年後に掘り返すことができるのですから。
私もそういう記録をしておけば良かったと後悔しています。
風景もおぼろげになり会話した内容もおおまかになっていきますからね。
大変参考になりました。
また、がおちんさんの旅行記をちょくちょく拝見いたしますのでよろしくお願いします。
- がおちんさん からの返信 2011/01/28 13:45:08
- RE: はじめまして。
- テラーキさん
はじめまして、コメントをありがとうございます。
確かにノートをつけている旅は記憶が鮮明に蘇ります。
ちょっと恥ずかしいですが、少年時代の自分はこういう旅をしていたのかと、懐かしい思いになります。
30年も経つと、旅日記も録音も貴重な思い出です。
これからもよろしくお願いします。
がおちん
-
- kodeyanさん 2010/02/07 11:42:23
- あれもこれも貴重
- がおちんさん こんにちは
緑風荘、大畑線、あれやこれや貴重な記録の旅行記です。
そして、よく録音を残していましたね。
なんか、NHKのドキュメンタリー番組を
見ているような気持ちになりました。
ではでは☆彡
〜大湊線(727D)の走行音を聞きながら
- がおちんさん からの返信 2010/02/07 13:16:08
- RE: あれもこれも貴重
- kodeyanさん
はじめまして、感想をありがとうございます。録音まで聴いていただき嬉しいです!
> 緑風荘、大畑線、あれやこれや貴重な記録の旅行記です。
> そして、よく録音を残していましたね。
いや、本当にたまたまなんです。それにこんな形で日の目を見るとは当時は想像もできませんでした。鉄道マニアや座敷わらしファンの方に聴いていただければと思って投稿しました。
廃止線の録音もそうでしょうが、緑風荘の主人の話はやっぱり貴重だと思います。私達3人とも正座して話を聞いたのですが、東北訛りがあまり聴き取れなかったんですよね(笑)。録音していて助かりました。懐かしい中学時代の思い出です。
いつもkodeyanさんの膨大な旅行記、楽しませてもらっています。
羅平の金鶏峰のおばあちゃん、私もウルッと来ましたよー。
これからもよろしくお願いします。
-
- めーてる隊長さん 2010/02/02 17:50:44
- こんばんは〜
- がおちんさん、はじめまして。
ご訪問ありがとうございまいました。
コメントにお返事する前に、プロフを拝見・・・
わぁ〜雲南かぁ〜と思いきや、「東北がある!」って
ちょい見のつもりが、熟読。
いやぁ〜 一気読みです。
楽しい、懐かしい思い出の旅行記・・・最高♪
座敷わらし、ノリ鉄、ユース、貧乏旅と、興味津々。
いいなぁ男子。
音は未だ聞いておりませんが、とりあえずご挨拶まで。
これからも宜しくお願いします。
- がおちんさん からの返信 2010/02/02 18:37:44
- RE: こんばんは〜
- めーてる隊長さん
こちらにもお越しいただき、ありがとうございました。
東北旅行記は遠い昔の出来事ですが、日記と録音が残っていたので忘れずにいます。もう30年も経ってしまいました(笑)。
中国の旅行記が一段落したら、国内の旅行記も載せようと思います。
これからもよろしくお願いします。
-
- captainfutureさん 2009/12/25 12:52:47
- もうこの頃から始まっていたのですね!!
- がおちんさん、こんにちは。
自分で計画して行く旅のだいご味を、もうこの頃から堪能されていたのですね。
高校時代のヨーロッパ旅行と併せ、充実した旅を拝見しました。
座敷わらしの朴訥した口調、大畑駅等の録音も拝聴しました。
この頃から既に記録の保存を意識されていたとはすごいです。
やはり録音というのは、想像力をかきたててくれていいですね。
駅のスタンプ集め、僕もしていました。懐かしいです。
僕もベルが鳴るギリギリに列車に戻ったことがあります。
僕もあの頃は同じくそんな危険なことをやっていました。
これからも楽しみにしております♪
captainfuture
- がおちんさん からの返信 2009/12/25 17:35:38
- RE: もうこの頃から始まっていたのですね!!
- captainfutureさん
こんにちは。いつも感想をありがとうございます。
とても励みになります。
> 自分で計画して行く旅のだいご味を、もうこの頃から堪能されて・・・
旅は計画通りには行かないということを知った旅でした(笑)。
まだ子供でしたので、東北を回るだけでも何か冒険に出るような意気込みだったのを憶えています。
> この頃から既に記録の保存を意識されていたとはすごいです。
たまたまなんです。金の無い中学生時代、お土産の変わりになるものが、私の場合スタンプと録音だったんですね。日記はついでに書いただけ。でも、30年近く経つと、それらも貴重な思い出になっています。
> 駅のスタンプ集め、僕もしていました。懐かしいです。
> 僕もベルが鳴るギリギリに列車に戻ったことがあります。
> 僕もあの頃は同じくそんな危険なことをやっていました。
captainfutureさんもギリギリの時間でスタンプ押していましたか。同じようなことをされていたのですね。あの時は上野から盛岡まで10時間かかりました。今は新幹線で2時間20分ですが、その10時間という時間こそが、旅を楽しみ、考え、経験する貴重なものだったのだと思います。
パリのほうは、墓に行くのが目的だったので旅とは言えないかも・・・。今考えると、フランスで中古レコード屋なんか見てないで、もっと観光すれば良かったと思います(笑)。
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