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鎮魂の詩<No More Cry>―「沈まぬ太陽」―を観て。<br /><br />日航ジャンボ機が群馬県の御巣鷹山に墜落したのは今から24年前の1985年8月12日のことだった。乗客524名を乗せ、羽田から大阪に飛び立った直後、垂直尾翼が破断して飛び散り、操縦不能となって墜落したのだった。内4名が奇跡的に命を取り留めたが、この航空機事故は当時、世界最悪の死亡事故だった。<br /><br />この機には会社の同僚稗田君が乗っていた。彼は半年前、熊本支店から東京に転勤になったばかりで、この時、家族と共にお盆の帰省で熊本へ行く途中だった。熊本直行便の予約が取れず、大阪経由福岡空港へ行く途上だった。奥さんと小さなお子さん二人連れの家族全員が悲劇に見舞われた。<br /><br />不運と言えば不運だった。この機に乗り合わせた524名全てが不運だったが、彼の不運は二重三重に重なっていた。誰しも空の安全を信じ、皆航空機事故への漠然とした不安を持っているかも知れないが、現実に自身の身に起きることは殆ど想定していなかっただろう。<br /><br />元々彼の奥さんは地元熊本で学校の先生をしており、彼自身も東京への転勤は本意としなかったに違いない。しかし会社員である以上は社命に従わざるを得ない。奥さんも教師を辞め、半年前、家族全員で上京した。しかし、ここまでは良い。会社員であれば、誰しも経験することである。<br /><br />この先、帰省の便の熊本直行便が取れなかったこと、更に福岡行きも取れず、大阪経由のこのJAL123便に乗り合わせたことである。彼等家族にとっては転勤後の初めての帰省であり、どんなことをしても熊本に帰りたかったに違いない。もしもこれが2年、3年目のお盆帰りだったとすれば、この様に無理をしてでも帰省するという事は無かったかも知れない。彼等にとっては全くの不運な巡り合わせだったのだ。<br /><br />映画「沈まぬ太陽」は航空会社を国民航空、即ちJALではなくNALとしているが、映画の中に上記24年前の記録映像を差し挟んでいて、本件JAL航空機事故を軸にしてのストーリー展開であることは明らかだった。<br /><br />渡辺謙演じる主人公の恩地は労組の委員長で、過激な労使交渉を会社上層部に疎まれ、所謂サラリーマン社会での左遷に遭い、僻地支店のカラチ、テヘラン、ナイロビと「島流し」されるが、怯まない。航空会社は安全を運ぶものだとの信念を持って社業に努めている。その結果、家族も大きな影響を受けるが、しかし鈴木京子演じる奥さんが立派に妻と母の役割を果たし、家族は崩壊しない。<br /><br />政界に渦巻く時の総理と運輸族のドンとの水面下の勢力争い。一面、清廉潔白に見える加藤剛演じる時の総理も、一皮抜けば地位に汲々とする政治屋の顔。元臨調会長で、シベリヤ帰りの元陸軍高級参謀も、ここでは醜いフィクサー役を演じている。<br /><br />いや、山豊子さんから見れば功なり名遂げた政財界の重鎮であったとしても、たとえ世人の評価を得ている人であったとしても、人間の生き方として醜く映ったのだろう。いやいや政治家に限らず、この映画に出てくるキャスター全ては、主人公と石坂浩二演じるNAL会長以外は地位とお金にまみれた醜い存在として描かれていた。<br /><br />今ここで剱岳「点の記」で好演し、今又NHK大河ドラマの正岡子規役を演じている香川照之のことを言っても始まらない。はたまた、タイ好きの観客が撮影にタイ国際航空の機体を利用し、旧バンコク国際空港のドンムアン空港を撮影現場にしていることを知ったとしてもそれは全く意味の無いことである。この映画は運命の残酷さ、社内人事の酷薄さ、人間の醜さ、遺族の悲しみ、などなど、人の心に衝撃を与えるものであった。<br /><br />時々通奏低音で流れる「No More Cry」の曲。御巣鷹の山を映し、講堂に並べられた棺を写し、取り乱した遺族、放心状態の遺族、家族全てを失い、一人取り残されて四国霊場を回る宇津井健の姿。稗田君のことを思い、涙の禁じえないものがあった。幸い劇場は暗く、誰に悟れることもなかったが、心の中で南無妙法蓮華経を念じていた。<br /><br />「沈まぬ太陽」。それは世界一周の周航を果たしたJAL機が太陽を追って西に飛行し続け、結果、日没はあり得ない、と事前に想像していたのだが、そうではなく、実はそれはケニヤの草原に赤々と燃える日没直前の太陽のことであった。<br /><br />主人公渡辺謙はNAL機墜落後の遺族交渉に専念し、一旦は本社勤務の会長室長に<br />帰り咲くが、再び左遷されてケニヤの地に行くことになった。ケニヤの地、サバンナの草原で、夕陽を背にBig-gameに明け暮れる毎日である。結局そこには人の死、動物の死を乗り越えて、無苦集滅道、般若心経の世界を訴えているようでもあった。実に太陽は彼自身であり、それは彼が死ぬまで沈まない。いや、沈んだ時が即ち、彼の死なのだ。<br /><br />いや、太陽は国民航空そのものかも知れない。沈みそうでいて未だに沈まない。旧態依然の残照の中にある。太陽はいつかいずれ沈む。そして又復活する。今まさにその直前の状態をサバンナの群像を借りて映像は映していた。<br /><br />悲しい映画であり、醜い映画であり、鎮魂の映画であった。いや、それ等は純なる主人公をより高見に押し上げ、520名の無念の気持ちを代弁してくれる映画でもあった。映画が終了し、暫らく般若心経を心で唱え、漸くにして席を立った。観客の多くもカタルシスを得たに違いない。あれからもう24年。今度こそ御巣鷹へ行ってやらなくては。<br />

鎮魂の詩<No More Cry>―「沈まぬ太陽」―を観て。

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2009/12/04 - 2009/12/04

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ちゃお

ちゃおさん

鎮魂の詩<No More Cry>―「沈まぬ太陽」―を観て。

日航ジャンボ機が群馬県の御巣鷹山に墜落したのは今から24年前の1985年8月12日のことだった。乗客524名を乗せ、羽田から大阪に飛び立った直後、垂直尾翼が破断して飛び散り、操縦不能となって墜落したのだった。内4名が奇跡的に命を取り留めたが、この航空機事故は当時、世界最悪の死亡事故だった。

この機には会社の同僚稗田君が乗っていた。彼は半年前、熊本支店から東京に転勤になったばかりで、この時、家族と共にお盆の帰省で熊本へ行く途中だった。熊本直行便の予約が取れず、大阪経由福岡空港へ行く途上だった。奥さんと小さなお子さん二人連れの家族全員が悲劇に見舞われた。

不運と言えば不運だった。この機に乗り合わせた524名全てが不運だったが、彼の不運は二重三重に重なっていた。誰しも空の安全を信じ、皆航空機事故への漠然とした不安を持っているかも知れないが、現実に自身の身に起きることは殆ど想定していなかっただろう。

元々彼の奥さんは地元熊本で学校の先生をしており、彼自身も東京への転勤は本意としなかったに違いない。しかし会社員である以上は社命に従わざるを得ない。奥さんも教師を辞め、半年前、家族全員で上京した。しかし、ここまでは良い。会社員であれば、誰しも経験することである。

この先、帰省の便の熊本直行便が取れなかったこと、更に福岡行きも取れず、大阪経由のこのJAL123便に乗り合わせたことである。彼等家族にとっては転勤後の初めての帰省であり、どんなことをしても熊本に帰りたかったに違いない。もしもこれが2年、3年目のお盆帰りだったとすれば、この様に無理をしてでも帰省するという事は無かったかも知れない。彼等にとっては全くの不運な巡り合わせだったのだ。

映画「沈まぬ太陽」は航空会社を国民航空、即ちJALではなくNALとしているが、映画の中に上記24年前の記録映像を差し挟んでいて、本件JAL航空機事故を軸にしてのストーリー展開であることは明らかだった。

渡辺謙演じる主人公の恩地は労組の委員長で、過激な労使交渉を会社上層部に疎まれ、所謂サラリーマン社会での左遷に遭い、僻地支店のカラチ、テヘラン、ナイロビと「島流し」されるが、怯まない。航空会社は安全を運ぶものだとの信念を持って社業に努めている。その結果、家族も大きな影響を受けるが、しかし鈴木京子演じる奥さんが立派に妻と母の役割を果たし、家族は崩壊しない。

政界に渦巻く時の総理と運輸族のドンとの水面下の勢力争い。一面、清廉潔白に見える加藤剛演じる時の総理も、一皮抜けば地位に汲々とする政治屋の顔。元臨調会長で、シベリヤ帰りの元陸軍高級参謀も、ここでは醜いフィクサー役を演じている。

いや、山豊子さんから見れば功なり名遂げた政財界の重鎮であったとしても、たとえ世人の評価を得ている人であったとしても、人間の生き方として醜く映ったのだろう。いやいや政治家に限らず、この映画に出てくるキャスター全ては、主人公と石坂浩二演じるNAL会長以外は地位とお金にまみれた醜い存在として描かれていた。

今ここで剱岳「点の記」で好演し、今又NHK大河ドラマの正岡子規役を演じている香川照之のことを言っても始まらない。はたまた、タイ好きの観客が撮影にタイ国際航空の機体を利用し、旧バンコク国際空港のドンムアン空港を撮影現場にしていることを知ったとしてもそれは全く意味の無いことである。この映画は運命の残酷さ、社内人事の酷薄さ、人間の醜さ、遺族の悲しみ、などなど、人の心に衝撃を与えるものであった。

時々通奏低音で流れる「No More Cry」の曲。御巣鷹の山を映し、講堂に並べられた棺を写し、取り乱した遺族、放心状態の遺族、家族全てを失い、一人取り残されて四国霊場を回る宇津井健の姿。稗田君のことを思い、涙の禁じえないものがあった。幸い劇場は暗く、誰に悟れることもなかったが、心の中で南無妙法蓮華経を念じていた。

「沈まぬ太陽」。それは世界一周の周航を果たしたJAL機が太陽を追って西に飛行し続け、結果、日没はあり得ない、と事前に想像していたのだが、そうではなく、実はそれはケニヤの草原に赤々と燃える日没直前の太陽のことであった。

主人公渡辺謙はNAL機墜落後の遺族交渉に専念し、一旦は本社勤務の会長室長に
帰り咲くが、再び左遷されてケニヤの地に行くことになった。ケニヤの地、サバンナの草原で、夕陽を背にBig-gameに明け暮れる毎日である。結局そこには人の死、動物の死を乗り越えて、無苦集滅道、般若心経の世界を訴えているようでもあった。実に太陽は彼自身であり、それは彼が死ぬまで沈まない。いや、沈んだ時が即ち、彼の死なのだ。

いや、太陽は国民航空そのものかも知れない。沈みそうでいて未だに沈まない。旧態依然の残照の中にある。太陽はいつかいずれ沈む。そして又復活する。今まさにその直前の状態をサバンナの群像を借りて映像は映していた。

悲しい映画であり、醜い映画であり、鎮魂の映画であった。いや、それ等は純なる主人公をより高見に押し上げ、520名の無念の気持ちを代弁してくれる映画でもあった。映画が終了し、暫らく般若心経を心で唱え、漸くにして席を立った。観客の多くもカタルシスを得たに違いない。あれからもう24年。今度こそ御巣鷹へ行ってやらなくては。

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  • 夕暮れの新宿。ネオゴシック調の伊勢丹本店が夕暮れの空に浮かんでいる。この建物は戦時中の爆撃にも耐えていた。

    夕暮れの新宿。ネオゴシック調の伊勢丹本店が夕暮れの空に浮かんでいる。この建物は戦時中の爆撃にも耐えていた。

  • つい最近建設された新宿モード学園、コクーンビル。本当にサナギのように二つの目が街を見下ろしている。

    つい最近建設された新宿モード学園、コクーンビル。本当にサナギのように二つの目が街を見下ろしている。

  • 先日、「点の記」を見た、新宿バルト館。

    先日、「点の記」を見た、新宿バルト館。

  • 今日の映画「沈まぬ太陽」はJAL機の墜落、一サラリーマンの生き方、を模したものである。

    今日の映画「沈まぬ太陽」はJAL機の墜落、一サラリーマンの生き方、を模したものである。

  • 主人公恩地が赴任したケニヤの地、サバンナの光景がふんだんに撮影されている。

    主人公恩地が赴任したケニヤの地、サバンナの光景がふんだんに撮影されている。

  • 主人公恩地(渡辺謙)は左遷先のケニヤでBiggameに燃焼する。

    主人公恩地(渡辺謙)は左遷先のケニヤでBiggameに燃焼する。

  • 人の死も動物の死も底辺では同じことかも知れない。

    人の死も動物の死も底辺では同じことかも知れない。

  • 草原を右往左往する動物の群れ。社内抗争、政界抗争に明け暮れる人間も同じ様なものかも知れない。

    草原を右往左往する動物の群れ。社内抗争、政界抗争に明け暮れる人間も同じ様なものかも知れない。

  • ケニヤの草原に沈み行く太陽。東南アジアでもそうだったが、南国の太陽は大きく、光りも鮮烈だ。

    ケニヤの草原に沈み行く太陽。東南アジアでもそうだったが、南国の太陽は大きく、光りも鮮烈だ。

  • 「沈まぬ太陽」。太陽は日に一度沈み、又翌日昇る。数億年繰り返される輪廻の世界。520名のかけがえないの命も、この大きな輪廻の中で鎮魂を願うしかなかった。「南無妙法蓮華経」。

    「沈まぬ太陽」。太陽は日に一度沈み、又翌日昇る。数億年繰り返される輪廻の世界。520名のかけがえないの命も、この大きな輪廻の中で鎮魂を願うしかなかった。「南無妙法蓮華経」。

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