2009/01/04 - 2009/01/04
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TAKEおじさん
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正月休みに、車で行ける近場と言うことで久しぶりに江の島を訪ねてみた。
2003年にリニューアルされた展望台周辺は立派に整備されていた。また、お正月とあって江島神社の初詣客も多く、参道は大勢の人でごった返していた。
初めて、岩屋の方にも足を伸ばしてみた。
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 自家用車
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江の島が見えてきた
江の島は道路が混んでいるか心配だったが、朝11時15分に我が家を出発した。
東海道は混んでいると思い、横横道から逗子に抜けて相模湾を西に進むことにした。
江の島は、何度か行ったがじっくり見たことが無いので楽しみだった。
予想通り逗子まではすんなり行ったが、相模湾に出ると車がぎっしりで動かなくなった。
由比ガ浜を越えると空いてきて、江の島がよく見えてきた。もう少しだ。 -
江ノ電も
道路の右側には、江ノ電が走っていた。この鎌倉から藤沢まで走る江ノ電は、単線で民家のぎりぎりを走る、極めてのどかな単線である。今でも、全国的人気で記念写真の的である。正式には江の島電鉄なのだが、エノデンの響きが良い。 -
江の島大橋も車がぎっしり
ようやく江の島に渡る江の島大橋に来たが案の定、車がぎっしりでどのくらい掛かるのやら。諦めてUターンも出来ずだった。 -
歩道(弁天橋)も人が一杯
隣の弁天橋も、人でびっしり。初詣の参拝客も多いのだろうか。それでも、2〜30分待ってようやく江の島に渡る事が出来た。自宅を出てから1時間30分ほど掛かった。 -
駐車場はヨットハーバーの隣
最初の駐車場はなかなか入れそうもないので、他の車に釣られてその先の県営駐車場に行ってみた。1kmくらい先の駐車場は思ったより空いていて、値段も安く正解だった。駐車場は、ヨットクラブの先で写真の様に沢山のヨットが駐留していた。大学のヨットクラブなどの様々の大きさのヨットを一同に見ることが出来る。 -
白灯台
南西に伸びた海岸線に防波堤のウッドデッキがあり、釣り人も多く竿を垂れていた。冬とは思えない暖かい日和でのんびりと太公望を決めていた。デッキの先には白灯台が見える。ロケットのような灯台で今にも空に向かって飛び出しそうだ。 -
ヨットが
湘南の海には沢山のヨットがゆっくりと帆走していた。穏やかな天気で気持ち良さそうである。 -
レスキュー隊員が見守る
ところが、今朝がたインドネシアで大規模な地震が発生し、津波警報が発令された様で、藤沢のレスキュー車が駆けつけ南の海岸線は入場禁止と成った。「津波の恐れが有るので、島内に居る人は高台に非難してください」との島内の放送が流れた。 -
レスキュー車
岩場で釣りを楽しむ人もシャットアウトで恨めしそうにレスキュー隊員を見ていた。見た目には、全くの穏やかな海で緊迫感は全くない。3時間後に警報は解除されたが、小笠原では40cmくらいの津波が観測されたとか。もっとも、この後で行く岩屋は封鎖されていなかった。 -
裏道を行く(旧市街)
ここから江島神社のお参りに、車道を避けて旧市街の裏道で島の入り口に戻る。閑散とした旧市外は、参道の大混雑とは別世界の様だった。 -
大混雑の参道
参道はご覧の様に大混雑。両側にはお土産屋や磯料理のお店が並んでいる。お土産屋は、あまり人が入っていない。磯料理のお店は、昼時とあってだいぶ行列と成っていた。 -
鳥居の階段を登って
程なく、朱い鳥居が見えてくる。ここからいくつもの階段を登って江島神社を参拝するのだが、隣にはエスカーなる有料のエスカレーターが有る。頂上まで3回乗り継いで行けるようだ。たいした高さでは無いので歩いていく。 -
辺津宮は長い行列
先ずは辺津宮。江島神社は島内にある辺津宮・中津宮・奥津宮の3宮の総称で、辺津宮はその本社。源実朝が建永元年(1206)に創建した。現在の辺津宮は1976年に改築されたものである。お清めをしてから、お参りを始める。今年、2度目の初詣? 最初の辺津宮は混雑していて、長い行列を作り規制しながらの参拝で、先ほどの階段から15分くらい待たされた。 -
辺津宮
おみくじ、お守り、破魔矢・・・など参拝グッズ売り場も大賑わいだった。私もおみくじを引いてみたのだが、「吉」で微妙。数え62歳は後厄との説明書きも有った。すると昨年は本厄だったのか。 -
弁天橋を眺望
一息ついて、振り返ってみるとなかなかの眺めだった。弁天橋から参道にかけては、この通りすごい人出で有る。 -
ヨットハーバーも
また、三浦半島も良く見える。江の島のヨットハーバーも大きく見える。 -
中津宮
さらに、階段を登っていく。今度は江島神社2番目の中津宮に着く。中津宮は慈覚大師によって仁寿三年(853年)に創建され、元禄2年(1689年)に再建され、昭和55年に改修した。その後、平成8年9月に大改造され現在の社殿になった。朱い社殿が鮮やかだ。ここまで登ってくると、参拝客はちらほらで、ゆっくりと参拝できる。 -
江の島歌舞伎
手前に江の島歌舞伎を行ったときの記念の手形のプレートが有った。左が五代目尾上菊乃助、右が七代目尾上菊五郎の手形だった。1999年には江の島歌舞伎公演に先立ち、五代目尾上菊之助が枝垂梅を植樹し、翌年に菊五郎、菊之助の手形を加えた。江の島歌舞伎といえば、「知らざあ言って聞かせやしょう」の名セリフでしられる弁天小僧菊之助が有名。河竹黙阿弥作『青砥稿花紅彩画』に出てくる“白浪五人男”のひとりである。鶴屋南北は江の島を舞台にした狂言をいくつか残しており、なかでも稚児ヶ淵伝説を題材にした『桜姫東文章』が有名である。いよいよ島の中心の展望台へ行く。 -
サムエル・コッキング苑 チューリップ
江の島サムエル・コッキング苑は明治15年(1882年)からアイルランド人の貿易商サムエル・コッキングがこの場所に私財を使って大庭園を造った。当時の日本では見られなかった様式が数多く有った。現在も立派な庭園として色とりどりの花を咲かせている。 -
展望塔
庭園を暫く散歩した。庭園の真ん中に聳え立つ展望塔が目に付く。初めて登ってみることにした。 -
エレベータで展望塔へ
お目当ての展望台へは15分ほど行列を作ってエレベータで登っていく。この展望塔は、2003年に江ノ島電鉄(株)の開業100周年記念事業として建て替えられ、高さ119.6メートルある。 -
展望デッキ
展望デッキは101メートルで、中心のエレベータの周りを囲っている。360度の素晴らしい眺めである。 -
伊豆、箱根方面
生憎、富士山は見えなかったが三浦半島から伊豆の山々まで見える大眺望だ。ここからは、きっと朝日や夕日が良く見えるだろう。 -
藤沢方面
これは藤沢方面である。街並みもはっきりと。 -
片瀬海岸
片瀬海岸にはヨットが1艘。箱庭みたい。(ジオラマか・・・)。しばらく、展望デッキをぐるぐる回って楽しんだ。 -
階段で降りる
降りは階段を使ってぐるぐる回りで降りていく。景色も変り、面白い。 -
海花亭で食事
ここで、昼食。展望塔からすぐ下の「海花亭」で、やはり磯料理を食す。暖かかったので海が見えるテラスで馳走になる。あじのたたき、サザエの壺焼き、焼きハマグリ、しらす丼、青海苔のみそ汁など、新鮮な魚貝類で美味しい。とっても満足。 -
龍宮大神
岩屋へ行く途中の奥津宮の竜宮大神、江の島は龍の住むところで龍神伝説が多い。これも、龍の洞窟でなにやら不気味だ。 -
亀石(亀甲石)も
となりに大いちょうの木の下に亀石が有る。文化3年(1806年)弁秀堂という人が弁財天を信奉して金光明最勝王経を写経しここへ納め、上に置く石を探したところ、亀の形をした石を発見したので江の島に奉納した」とある。 -
岩屋へ
階段を何段も降りて南海岸へ出る。結構、人出が出ている。地震で見学が心配されたが大丈夫なようだ。 -
稚児ヶ淵に出る
稚児ヶ淵伝説。建長寺の自休という僧とお稚児さんの白菊が悲恋の末、白菊はここから身を投げ、自休もまた後を追ったと言う。 -
第一岩屋
岩屋は長い年月を経て波の浸食で出来た洞窟で、第一岩屋(152m)と第二岩屋(112m)から成る。昭和46年以来閉鎖されていたが、平成5年から再開されている。古くから、信仰の対象とされていた岩屋で、弘法大師が訪れたときには弁財天が姿を現したそうだ。岩屋の壁にはかつての岩屋の写真や江の島の浮世絵などが飾ってある。 -
石像も多く
また、古くからの石像が数多く並んでいる。第二岩屋は龍神様が祭られており、竜神様は人工的に青く光、大きく鳴いていた。 -
相模湾の夕陽
来た道をひたすら戻り帰路へ。弁天橋では、まだまだ沢山の人が来島していた。夜は、展望塔のライトアップや夕日が綺麗なのだろうか。最後に、ヨットハーバーから眺めた夕日。
富士山が見えないのが残念。帰りも横横道で帰ったが、海岸線の道路は混んでいて家まで2時間余りかかった。久しぶりの江の島もなかなか良い。
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