2008/07/20 - 2008/07/20
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4nobuさん
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午前中にボローニャの観光を大急ぎでこなし、充足感の不足のままヴェローナに移動すべく駅に行く。案内板の指示に従いプラットフォームに停車している13時37分ボローニャ始発の列車に乗って発車を待っているが時間になっても動かない。そのうちにホームの行き先表示が消えてしまう。乗客ではあきらめて下車してどこかに消える人、まだ列車に乗ったままの人などさまざま。改札にある案内板の列車の表示は列車が運休だとの表示もないままにいつの間にか消えてしまう。これがイタリアの鉄道ではよくあることでそれを指す用語もあるらしい。
だがなんとも情けない国、先進国とは言いがたい。数年前にも経験したがちっとも改善されていない。大都市のボローニャとヴェローナを結ぶかなりの幹線なのに。
次の列車まで2時間も待たされる。2時間では観光のやり直しも面倒と駅前のハンバーグ屋で昼食と時間つぶし。案の定次の列車は満員で立っている人が多い。
ヴェローナといえばローマ野外劇場とロメオとジュリエットの悲劇を連想する。今回は滞在第一日目のすべてと言っていい野外劇場(アレーナ)のオペラについて書き市内観光については次編に書くことにする。
ヴェローナのホテルに着いてほっとしたところで明日だと思っているオペラの予約表を見たらなんと今夜だ!
急いでタクシーでブッキングオフィスに行き切符を入手。夕食をゆっくりととる時間もなく近くの公園で昼食の食べ残しで腹を満たす。おかげで余裕でオペラの席に着く。オペラはヴェローナのアレーナ(ローマ時代の円形劇場)を利用した(特徴を活かした)野外劇場で行われる。
9時にもなると夏の遅いたそがれがきて開演が迫ってきた。ところが雲が厚くなって北イタリア恒例の夕立の雨もぽつぽつと、野外なのでオペラは中止かと心配した観客、特にスタンド後部の庶民席の皆さんはウェーブでアピールを続ける。幸いにも開演前に厚い雲は去る。
午前1時の閉演後余韻をじっくりと味わいながらホテルまで歩く。
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス
- 航空会社
- JAL
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ヴェローナの街の中心にある古代ローマの円形劇場(アレーナArena)周辺の俯瞰図。街角のポスターを写した。
円形劇場の規模はローマのコロッセオに次ぎ、約2万5000人の観客を収容できた。
右上にある緑地がブラ広場。
駅は右上に伸びる道路の先にある。 -
アレーナを俯瞰する。
赤色の部分が桟敷席で高価な方から3つのクラスの席がある。
舞台も見えるがこれはアイーダの舞台装置ではない。
劇場の左部分(東側)にアーラと呼ばれる建設当時にあった二重の囲いの一部が残っているのがわかる。ほかの部分は地震で崩壊した。
そのアーラの道路向かいにオペラのブッキングオフィスがある。確かめなかったがここがインフォなのかも。
右方の緑地がブラ広場でその上の黄色の建物が市庁舎。 -
ブラ広場から見たアレーナの全景。
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ヴェローナ最大の名所のアレーナの周囲にはいつも人があふれている。
アレーナ内の見学コースの人たちや当日券売り場(前述のオフィスとは違う)に並ぶ人たち。 -
今日のエジプト兵の扮装の人たちがぶらぶらと散歩
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ピッツァ・ブラ(ブラ広場)で9:15開演までの時間つぶし。
といってもレストランに行くほどの時間もなく、ここの公園の日陰のベンチで昼食のハンガーバーの残りを食べて通り過ぎる人、遊ぶ人を眺める。久しぶりのボケーとした時間。
公園中央にある銅像は帰ってから気付く始末で誰の像かは? -
時間が迫ってくると各入り口の前に列ができた。恐らくは最外周の自由席の人?
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桟敷席。ソフトな椅子でカバーがかけられている。開演前にはカバーは取り除かれる。
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桟敷席も埋まってくる。観客の多くはかなりの正装だ。
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我々の席は下から2番上から5番目のクラス。ここでは皆さんラフなスタイル。
席が硬くてお尻が痛くなるから座布団を持参するようにとガイドブックに書いてあり、かみさんは機内で使う首固定用エアクッションを持っていく。
しかしガイドブックの表現はちょっとオーバーで布団なしでも苦痛ではなかった。なお座布団は場外で売っているし城内でのレンタルもある。 -
ドラを持った白衣の女性が開場を告げる。その後もいろんな場面で舞台回しを務める。
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開演直前の円形劇場。
開演が近付いてきたが雲が厚くなり恒例の夕立がぽちぽちと。
桟敷席はカバーで再び覆われ、桟敷客は外周の廊下に去る。しかし階段席の人たちはこれぐらいの雨ならできるではないかとウェーブを続けてアピール。プログラムの売り子はすばやく合羽売りに変身する。
しかしラッキーにも開演直前に雲が薄くなり始め開演に踏み切ってくれた。
そのせいで開演直前の桟敷席はこのようにカバーがかけられたままのところも。 -
序幕のはじめに「清きアイーダ」を歌うラダメス。軍人としての夢とアイーダへの愛を歌う。
背が低く声量もなく、英雄らしくなくてがっかり。 -
ラダメスをエチオピア遠征に送り出すシーン。左から捕虜で奴隷の(実はエチオピア王女の)アイーダ。ラダメス。中央エジプト国王。エジプト王女アムネリス。
この場面の後でアイーダが「勝て帰れ」を歌う。
背景の王宮の列柱の高さが低く威容に欠ける。装置はアレーナの外のブラ広場の片隅に置かれているが、アレーナの出入口を広くする改造をせずにすばやく移動するためにこうなったのだろう。
なお舞台の両側にあるオベリスクは常置なので高く作られている。 -
エジプト王(右)とラダメス(左)
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凱旋するラダメスを待つ王宮
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凱旋の列が城門を入ってくる
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凱旋の行列には多くの馬が並び他のオペラにないスケールの大きさが誇示される。
象が登場したこともあるとか。 -
凱旋を迎える王座
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凱旋のラダメス。背後にスフィンクス?
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第二幕、凱旋シーンのクライマックス。左方のアイーダ父子も含めた全スターが一堂に。
背後の観覧席最上段にはアイーダトランペットを持った兵士が並ぶ。 -
第二幕のカーテンコール。
左からエチオピア王アモナスロ(Br)(AmbrogicMaestri),アイーダ(S)(IsabelleKabatu),ラダメス(T)(PieroGiuliacci),エジプト王(Bs)(KonstantinGorny),アムネリス(Ms)(MarianneCornetti),祭司長ラムフィス(Bs)(RiccardoZanellato) -
幕間の桟敷席風景
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同じく桟敷席
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フィナーレのカーテンコール。アイーダとラダメス
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カーテンコール。左からアモナスロ、王女アムネリス、ラダメス、アイーダ、指揮者、ラムフィス
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写真はオペラでアイーダの王宮があることになっているメンフィス(2008/2/17に訪れる)の遺物ラムセス?世の臥像。
ここでこのオペラとエジプトとの関連を披露します。
アイーダのオペラの価値:愛の苦悩をスペクタクルな背景に見事に描きオペラ鑑賞の初めにはぜひ見るべき傑作と言われる。音楽・劇的構成が完璧で世界で最も上演回数の多い作品で特にNYのメトでの回数が傑出する。
スペクタクルな演出もしばしば話題になり象が登場したり、1912年にはピラミッドの前で上演された。ヴェローナでは1913年に上演される。
ヴェルディがこのオペラを書く経緯:オペラ鑑賞のガイドブックでは、スエズ運河の開通を祝ってカイロに建てられたオペラ座のこけら落しのためにエジプト総督から依頼されてヴェルディが作曲したが間に合わずこけら落しはリゴレットでなされたと述べている。
しかし今回Wikipediaで調べたら思い掛けない記述があった。どうやらこれが真相らしい。
最初の作曲依頼は一回限りの祝典用の音楽だからとヴェルディに断られたので1869/11/6のヴェルディの「リゴレット」によるこけら落しとなった。
しかしこけら落し後も総督はエジプトをベースとしたヴェルディ・オペラの実現を強く期待し、遺跡の研究を生涯続けメンフィスの発掘とエジプト博物館の基礎を作ったフランス人オーギュスト・マリエットに原作を依頼し、それをヴェルディに見せ作曲を承諾させた。
その結果アイーダの初演は2年後の1871/12/24にカイロで実現する。本物の歌手と舞台での公演は1872/2/8スカラ座であった。
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