2002/04/02 - 2002/04/07
1227位(同エリア1503件中)
早島 潮さん
ソフィア、リラ、カザンラク、ヴェリコ・タルノボ
ソフィアではフロントで貰った地図を頼りに市内探索にでかけたが、文字がキリル文字なので何処を通って何処までいったのかよく判らない。古い大きな教会までたどりついたので地図と照合するとアレキサンンドルネフスキー寺院らしいと思っていたが、後日そうではないことが判った。実は聖ネデリア教会でブルガリア正教の教会であった。丸屋根に蔦が絡まっていたのとジプシーの子供にしきりに銭をねだられたのが印象に残っている。子供の傍らにはケバケバシイ装いの母親もいた。
ジプシーについて若干整理しておくと、Gypsy はヨーロッパから中近東、アメリカまで古来広く分布する放浪民族。起源は明確ではないが、言語、生活様式からインド北西部の下層民族とみられ9〜10世紀頃からヨーロッパの記録にしばしば現れ、14〜15世紀にもっとも多く、現在も総数五百万人、ヨーロッパだけで百万人以上と推定される。純粋種は皮膚は褐色、髪は黒か黒褐色、平均身長165cm程度、数家族〜数十家族でテント、幌馬車の移動生活を送り、その社会は閉鎖的で固有の言語、宗教、慣習を維持し、部外者との通婚も禁止される。歌舞や曲芸の辻興行、馬匹売買、鍛冶屋花売り、占い等を生業とする。『学研 現代新百科事典より』
一部に掏摸、置き引き、窃盗等をするものがあり観光客が被害に遇うことが多い。一説にインドからエジプトに渡り各地に拡散したからジプシイと呼ばれるようになったという。ルーマニアのシビウにはジプシーの総元締めを行う「皇帝」が居住しており、闇の行政府を保有しているといわれる。
今回の旅行中にルーマニアの街道筋でも目撃したが、豪勢な邸宅を構えて定住する者も最近見られるようになった。いわれて、よく観察して見るとケバケバシク飾った建物には窓がついておらず、庭に粗末な建物が建っていたりする。母屋には馬匹を住まわせ、庭の粗末な小屋に人間が生活するのだという。都会では一般人と変わらない装いをしている者もあり、そうした連中を外見からは見分けにくいことが多く、観光客がカモにされる。子供達は就学しない者が多く、生活環境の影響を受けて掏摸、置き引き、窃盗を悪事と考える規範意識が皆無である。
ソフィアの南方にバスで約1時間半走行するとリラ山脈の山中にリラ僧院がある。 突然視界に飛び込んできた僧院は白と茶色の或いは白と黒色の織りなす縞模様が美しくアーチ型の柱が更にその美しさを引き立てている。このあたりで標高は1.000 mを若干超えている。折から背面にそそり立つ山頂には雪が積もり僧院の佇まいを荘厳なものに仕立て上げていた。日本では桜も散り始めた4月だというのに肌吹く風は身を刺すように冷たく手袋がないと指先がかじかんでしまいそうである。
異民族との攻防が激しく栄枯盛衰の目まぐるしいブルガリアの歴史の中にあって、第二次ブルガリア帝国が輝いたのはイバン・アセン2世(在位1218〜1241) の時であるが、このときリラの僧院も当初は城砦として建設され、次第に僧院の形が整えられてきたのである。爾来ブルガリア正教の聖地として国民の崇拝を集めて今日に至っている。ブルガリアの歴史の中には異教徒のオスマントルコの支配を受けた500 年間の苦難の時代があったが、このときもこの僧院だけは破壊されることもなく、別格の扱いを受けてきたのだという。現在、この僧院は男子修道士25人によって守られているが、価値観が多様化してきた現在、若人で修道士になるものが少なく細々と法灯を絶やさぬよう守護しているのが実情であるという。しかしながら国民の崇敬の的となっている場所には変わりがない。
聖ペトカ地下教会はオスマントルコの治世下にあった14世紀に建てられたものであるが、屋根だけを地表に出した半地下式の教会で当時肩身の狭い思いをしたキリスト教徒の苦難の時代が偲ばれて痛々しい。
セルディカの遺跡は地下鉄工事の時偶然発見されたローマ帝国治世下の2世紀のものである。これは市の中心部を取り囲むように約500 m四方に渡って高さ12mの城壁が巡らされたものの一部であると考えられており、この遺構の一角は土産物屋の店舗になっている。
シェラトンホテルの裏手にひっそりと建っている日干し煉瓦を積み重ねて作った聖ゲオルゲ教会は4世紀にローマ帝国によって建てられたものであるが、保存状態は良好で周囲を取り囲んで建っている近代的なビルと奇妙な対照を見せていて面白い。またこの教会の裏には浴場跡や市街地の跡が残されているがこちらは所謂ローマ遺跡であって完全な形の構造物は残されていない。
大統領府では衛兵交代を目撃することができた。脚を水平にはね上げて歩く姿は一つの型なのであろうが、観光客を意識した振り付けがなされているような気がした。
国立美術館はかつての王宮であるし、シティアートギャラリー、ソフィア教会、ロシア正教教会、アレキサンドルネフスキー教会等ソフィア市で見るべき施設がこの地域には目白押しに並んでいる。
6世紀に建てられたソフィア教会にはキリル文字を考案したマケドニア出身の僧侶キューリロスとメトディオス兄弟のイコンが飾られてあったのが印象に残った。
キリル文字はロシア文字の原型となるもので、9世紀にブルガリアでギリシャ正教の伝道僧であったキューリロス(弟)とメトディオス(兄)の兄弟が布教のために聖書を古代教会スラブ語に翻訳する際スラブ語アルファベットを考案し、表記に用いたとされている。
朝目が覚めて窓を開けると雪が降っていた。今日は長駆してカザンラクを経由し古都のヴェリコ・タルノボまでの移動である。
カザンラクはバルカン山脈とスレドナ・ゴラ山脈に挟まれた薔薇の谷の中心地である。この地域はブルガリアの中心に位置し温暖で乾燥した空気が薔薇の栽培に適しているため、古来薔薇から採れる香油の産地として有名である。香水の原料として使われる薔薇の香油の世界市場の8割をこの地方が占めている。
生憎時期が早すぎて、花はまだ咲いていなかったが周辺の田畑には一面に薔薇が栽培されているのがよく観察できた。5月の収穫期には畑一面が色とりどりの薔薇の花で埋めつくされ、夜明け前から採集が始まるのである。民族衣装を纏った女性達が歌と踊りで豊作を祝う「バラの祭典」はこの頃約一週間に渡って開催され、世界中から観光客が押し寄せ賑わうのだという。
我々の一行は薔薇博物館を見学した。博物館と名付けるには恥ずかしいほどの小規模な施設であるが、薔薇の香油の製造工程の写真や昔使われた蒸留釜や道具が展示されている。庭には品種改良のための温室なども設置されているが、ここでも花はまだ咲いていなかった。
ついでトユルベト公園内にあるトラキア人の墓を見学した。1944年に防空壕建設中に偶然発見されたものであるが、紀元前4世紀後半から3世紀頃のものと鑑定されており、墓の内壁と天井にフレスコ画で戦闘場面や葬送儀礼の様子が数種類の色使いで描かれていて保存状態も良好である。実物は鑑賞できないが精巧に複製されたレプリカでその絵を鑑賞することができる。 このトラキア人はブルガリアに紀元前19世紀〜8世紀頃住み着いたインド・ヨーロッバ語族である。この地域には田畑の中に小高い丘の形をしたトラキア人の墳墓が幾つか残されており我々もその幾つかを通過中に目撃することができた。
ところで現在のブルガリア人の原型はこのトラキア人ではなく、5〜6世紀に移動を開始したスラブ民族に属する西シベリアのステップ地帯の遊牧民ブガール人である 彼等はビサンチン帝国と領土争いを繰り返しながら681 年に第一次ブルガリア帝国を建設したのである。
時期尚早なのでバラの谷では薔薇の花を見ることが出来ず残念であったが、一見桜かとまがうばかりの白いプルンの花がそこここに今を盛りと咲き誇っていた。ここには人通りも少なく閑静で長閑な農村の風景が広がっていた。
バラ谷を画するシプカ峠は1878年の露土戦争でロシアとブルガリアの連合軍がトルコ軍を打ち破り歴史的勝利を飾った場所であるが、ここには戦死した息子達の霊を弔うためにロシア人遺族達が資金を出し合って建立したロシア正教のシプカ教会が葱坊主のような塔を陽光に輝かせて佇立していた。
夕刻にヴェルコ・タリノボに到着し投宿した。
ヴェリコ・タリノボは1187年〜1393年に第二次ブルガリア帝国の首都として栄えた古都である。バルカン山脈の東部に位置し森に囲まれた幾つもの丘とその周囲を蛇行するヤントラ川の切り立った崖が独特の景観を作り出しており複雑な地形が入り組み起伏に富む立体的な市街地は中世の面影を残す町並みが至るところに展開している。イヴァン・アッセン王の治世下の最盛期にはビザンチン帝国をも圧倒し、バルカン半島のほぼ全域を支配したこともあった。当時は文化の中心地として栄え、ルーマニアやモスクワからも留学生がやってきたといわれ、現在でも学都として知られている ツァレヴェッツの丘には第二次ブルガリア帝国時代に宮殿が営まれていたが、オスマン・トルコの猛攻を受けて瓦礫の山と化してしまって史跡として残されているだけである。
投宿したヴェリコ・タルノボ・ホテルはこの街で最高級のホテルであったが、部屋の窓からヤントラ川を隔てて正面にイヴァン・アッセン王のモニュメントを見ることができた。
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