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尾張四観音の一つ、荒子観音の紹介です。正式の名前は、浄海山圓龍院観音寺です。円空仏でも有名です。円空が当寺を数回訪れ、山門の仁王像や1200体を超える木彫仏像を残しました。これは日本全国で現存が確認されている約4500体の円空仏の内、実に4分の1以上に当たります。<br /><br />尾張四観音プラスαの大須観音の旅行記一覧を記しておきます。<br /><br />○笠寺観音(名古屋市南区)<br />http://4travel.jp/traveler/tabitonokumasan/album/10400293/<br /><br />○荒子観音(名古屋市中川区):この旅行記です。<br />http://4travel.jp/traveler/tabitonokumasan/album/10400345/<br /><br />○甚目寺観音(海部郡甚目寺町)<br />http://4travel.jp/traveler/tabitonokumasan/album/10400360/<br /><br />○龍泉寺観音(名古屋市守山区)<br />http://4travel.jp/traveler/tabitonokumasan/album/10401817/<br /><br />○プラスα:大須観音(名古屋市中区)<br />http://4travel.jp/traveler/tabitonokumasan/album/10408212/<br />http://4travel.jp/traveler/tabitonokumasan/album/10400339/

2002秋、尾張四観音・荒子観音(1):仁王門、本堂、多宝塔、鐘楼、六角堂、彼岸花、ベゴニア、アベリア

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2002/09/18 - 2002/09/18

14827位(同エリア24414件中)

旅行記グループ 2002秋、尾張の観音巡り

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旅人のくまさん

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尾張四観音の一つ、荒子観音の紹介です。正式の名前は、浄海山圓龍院観音寺です。円空仏でも有名です。円空が当寺を数回訪れ、山門の仁王像や1200体を超える木彫仏像を残しました。これは日本全国で現存が確認されている約4500体の円空仏の内、実に4分の1以上に当たります。

尾張四観音プラスαの大須観音の旅行記一覧を記しておきます。

○笠寺観音(名古屋市南区)
http://4travel.jp/traveler/tabitonokumasan/album/10400293/

○荒子観音(名古屋市中川区):この旅行記です。
http://4travel.jp/traveler/tabitonokumasan/album/10400345/

○甚目寺観音(海部郡甚目寺町)
http://4travel.jp/traveler/tabitonokumasan/album/10400360/

○龍泉寺観音(名古屋市守山区)
http://4travel.jp/traveler/tabitonokumasan/album/10401817/

○プラスα:大須観音(名古屋市中区)
http://4travel.jp/traveler/tabitonokumasan/album/10408212/
http://4travel.jp/traveler/tabitonokumasan/album/10400339/

交通手段
私鉄
  • 荒子観音の正式名称は、『浄海山円竜院観音寺』です。地下鉄の高畑駅で降りて、歩いて10分足らずの距離です。荒子観音寺の写真入りの看板が見えてきました。円空仏の写真です。

    荒子観音の正式名称は、『浄海山円竜院観音寺』です。地下鉄の高畑駅で降りて、歩いて10分足らずの距離です。荒子観音寺の写真入りの看板が見えてきました。円空仏の写真です。

  • 荒子観音に到着しました。寺伝によれば、天平元年(729年)、泰澄による創建とされます。天台宗のお寺です。尾張三十三観音の12番で、尾張四観音の一つに数えられます。

    荒子観音に到着しました。寺伝によれば、天平元年(729年)、泰澄による創建とされます。天台宗のお寺です。尾張三十三観音の12番で、尾張四観音の一つに数えられます。

  • 日露戦争の戦没者の慰霊碑です。古い神社での境内では、、日清・日露戦争の慰霊碑を良く見かけます。

    日露戦争の戦没者の慰霊碑です。古い神社での境内では、、日清・日露戦争の慰霊碑を良く見かけます。

  • 山門のアップ光景です。『浄海山』の金文字の額がありました。天正12年(1584)の太閤検地により寺領が没収されましたが、徳川義直公の庇護を受け、江戸時代に入り、再び栄えました。

    山門のアップ光景です。『浄海山』の金文字の額がありました。天正12年(1584)の太閤検地により寺領が没収されましたが、徳川義直公の庇護を受け、江戸時代に入り、再び栄えました。

  • 山門の軒下の光景です。獅子の彫刻がありました。後に加賀百万石の城主となった前田利家公は、荒子の土豪の家に生まれ、寺の近くに荒子城を構えていたとされます。

    山門の軒下の光景です。獅子の彫刻がありました。後に加賀百万石の城主となった前田利家公は、荒子の土豪の家に生まれ、寺の近くに荒子城を構えていたとされます。

  • 荒子観音の山門付近の光景です。織田信長の比叡山焼き打ちに絡んで焼失しましたが、前田利家によって天正4年(1576)に再興されました。利家の菩提寺です。

    荒子観音の山門付近の光景です。織田信長の比叡山焼き打ちに絡んで焼失しましたが、前田利家によって天正4年(1576)に再興されました。利家の菩提寺です。

  • 多宝塔の屋根のアップ光景です。平成13年(2001年)に解体修理を終えています。上層は唐様、下層は和洋です。室町末期の禅宗様式とされます。

    多宝塔の屋根のアップ光景です。平成13年(2001年)に解体修理を終えています。上層は唐様、下層は和洋です。室町末期の禅宗様式とされます。

  • 天文5年(1536年)に再建された多宝塔です。逆光で、シルエットになりました。名古屋市内に現存する最古の建物とされ、国の重要文化財に指定されています。 室町時代末期の建築物です。<br />

    天文5年(1536年)に再建された多宝塔です。逆光で、シルエットになりました。名古屋市内に現存する最古の建物とされ、国の重要文化財に指定されています。 室町時代末期の建築物です。

  • 観音寺多宝塔の由来を記した立看板です。1536年に再建された時の大工棟梁の名も記されています。寺院の建物の中から、昭和50年に1020体の円空仏が見つかりました。

    観音寺多宝塔の由来を記した立看板です。1536年に再建された時の大工棟梁の名も記されています。寺院の建物の中から、昭和50年に1020体の円空仏が見つかりました。

  • 鐘楼の建物光景です。再建されたばかりなのでしょうか、新しい造りです。

    鐘楼の建物光景です。再建されたばかりなのでしょうか、新しい造りです。

  • 荒子観音の境内の光景です。中央付近に見える三角屋根の建物は、六角堂です。その手前に水子地蔵が見えます。

    荒子観音の境内の光景です。中央付近に見える三角屋根の建物は、六角堂です。その手前に水子地蔵が見えます。

  • 境内の光景を続けます。境内の外からの撮影です。右の塔が多宝塔、左が仁王門です。

    境内の光景を続けます。境内の外からの撮影です。右の塔が多宝塔、左が仁王門です。

  • 境内の光景です。右の建物が六角堂、左手の茅葺屋根の建物は、隣接する神明社のようです。

    境内の光景です。右の建物が六角堂、左手の茅葺屋根の建物は、隣接する神明社のようです。

  • 荒子観音の本堂の全景です。天正4年(1576年)に前田利家公により再建されましたが、その後幾多の変遷があり、現在の本堂の建物は、最近再建されたものです。

    荒子観音の本堂の全景です。天正4年(1576年)に前田利家公により再建されましたが、その後幾多の変遷があり、現在の本堂の建物は、最近再建されたものです。

  • 左手のシルエットが国の重要文化財の多宝塔、右奥の建物が平成9年に再建された本堂です。

    左手のシルエットが国の重要文化財の多宝塔、右奥の建物が平成9年に再建された本堂です。

  • 荒子観音の境内の光景です。荒子観音寺本坊の大きな表札がありました。

    荒子観音の境内の光景です。荒子観音寺本坊の大きな表札がありました。

  • この建物は、山門の側面光景です。左手奥には、梵鐘が吊り下げられた鐘楼が見えます。

    この建物は、山門の側面光景です。左手奥には、梵鐘が吊り下げられた鐘楼が見えます。

  • 多宝塔は名古屋市内で一番古い建物ですが、本堂は1994年に火災に遭い、3年後に再建されたものです。その本堂の祭壇です。

    多宝塔は名古屋市内で一番古い建物ですが、本堂は1994年に火災に遭い、3年後に再建されたものです。その本堂の祭壇です。

  • 同じく本堂の祭壇の光景です。沢山の仏像が飾られています。きらびやかな仏像ですから、円空仏とは違います。

    同じく本堂の祭壇の光景です。沢山の仏像が飾られています。きらびやかな仏像ですから、円空仏とは違います。

  • 開け放たれていた建物内部の写真です。本堂ではなかったようです。荒子観音の提灯が見えました。

    開け放たれていた建物内部の写真です。本堂ではなかったようです。荒子観音の提灯が見えました。

  • 仁王門には付き物の草鞋です。このお寺にも飾ってありました。

    仁王門には付き物の草鞋です。このお寺にも飾ってありました。

  • 境内に在った石碑です。『瑞草庵緑水翁』の文字がありました。荒子観音に縁の方でしょうが、詳細は分かりません。

    境内に在った石碑です。『瑞草庵緑水翁』の文字がありました。荒子観音に縁の方でしょうが、詳細は分かりません。

  • おそらく江戸時代からの古い石碑でしょう。荒子観音の文字と、観音様らしいレリーフが刻まれています。

    おそらく江戸時代からの古い石碑でしょう。荒子観音の文字と、観音様らしいレリーフが刻まれています。

  • 仁王門越しに眺めた本堂の光景です。これで荒子観音の紹介はお終いです。

    仁王門越しに眺めた本堂の光景です。これで荒子観音の紹介はお終いです。

  • 締め括りは、荒子観音付近で見かけた花の紹介です。訪れたのは9月のことでした。赤いベゴニアの花です。

    締め括りは、荒子観音付近で見かけた花の紹介です。訪れたのは9月のことでした。赤いベゴニアの花です。

  • 花の数がやや少ないベゴニアです。こちらは白地に薄くピンクが入った花の色です。

    花の数がやや少ないベゴニアです。こちらは白地に薄くピンクが入った花の色です。

  • まrく刈り込まれたアベリアの白い花です。スイカズラ科の植物です。と良い香りを持ち、蝶や虫がよく集まります。

    まrく刈り込まれたアベリアの白い花です。スイカズラ科の植物です。と良い香りを持ち、蝶や虫がよく集まります。

  • ユリオプスデージーの花です。木質化するキク科の多年草です。蕾も一杯です。

    ユリオプスデージーの花です。木質化するキク科の多年草です。蕾も一杯です。

  • 白とピンクの花が混じって咲いています。サルビアと同じ仲間のセージの花のようです。シソ科の植物です。

    白とピンクの花が混じって咲いています。サルビアと同じ仲間のセージの花のようです。シソ科の植物です。

  • 律義にお彼岸の頃に咲く、ヒガンバナです。暑さ寒さも彼岸までの言葉がありますが、この年は残暑が厳しい夏でした。

    律義にお彼岸の頃に咲く、ヒガンバナです。暑さ寒さも彼岸までの言葉がありますが、この年は残暑が厳しい夏でした。

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