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尾張の著名な観音の一つ、大須観音の紹介です。時代が新しく、尾張四観音には入りませんが、現在では日本三大観音の一つに数えられます。後の二つの観音は、浅草観音(東京都台東区、金龍山浅草寺)と津観音(三重県津市 恵日山観音寺) です。<br />収蔵する書籍類の文化財の質と量では、尾張四観音を圧倒しています。写真での紹介は出来ませんので、文化財一覧からの目録の引用です。<br /><br /><国宝は次の4点です><br />*古事記 3帖 <br />*漢書食貨志 第4 1巻 <br />*ちょう玉集巻第12、第14 天平19年書写奥書2巻 <br />*翰林学士詩集 1巻 <br /><br /><国の重要文化財は次の通りです><br />○絵画 <br />*絹本著色仏涅槃図 <br />○典籍・古文書 <br />*将門記残巻 承徳3年書写奥書 1巻 <br />*尾張国解文(げぶみ)残巻 1巻 <br />*七大寺年表 永万元年書写奥書 2巻 <br />*日本霊異記 巻中下 2巻 <br />*口遊(くちずさみ) 弘長3年書写奥書 1冊 <br />*倭名類聚抄(抄本)弘安6年円朝書写奥書 1冊 <br />*空也誄(くうやるい) 1巻 <br />*扶桑略記 2帖 <br />*古事記上巻抄 1巻 <br />*宋刊本 玉篇 1冊 <br />*宋刊本 新雕雙金 1冊 <br />*宋刊本 大宋僧史略 1冊 <br />*宋刊本 広韻 上声 1冊 <br />*宋刊本 礼部韻略 3冊 <br />*宋刊本 紹聖新添周易神愍暦等残巻 1巻 <br />*本朝文粋(一括指定) <br />*本朝文粋 巻第12、14 弘安3年書写並びに正応元年伝授奥書 2巻 <br />*本朝文粋 巻第14 建保5年貞円書写奥書 1冊 <br />*熊野三山関連資料(一括指定) <br />*熊野三所権現御記文 1巻 <br />*熊野権現蔵王殿造功日記 2巻 <br />*熊野三所権現金峯金剛蔵王降下御事 3巻 <br />*熊野王子眷属 1巻 <br />*往生伝(一括指定) <br />*続本朝往生伝 建長5年乗忍書写奥書 1帖 <br />*拾遺往生伝 3帖 <br />*後拾遺往生伝 正嘉2年乗智書写奥書 3帖 <br />*三外往生記 正嘉2年乗忍書写奥書 1帖 <br />*本朝新修往生伝 正嘉2年乗智書写奥書 1帖 <br />*往生浄土伝 建長6年乗忍書写奥書 3帖 <br />*法花経伝 巻3・4、5・6、7・8 建長8年乗忍書写奥書 3帖 <br />*弘法大師伝記類(一括指定) <br />*弘法大師伝 元暦元年書写奥書 2巻 <br />*弘法大師伝 応安8年書写奥書 1冊 <br />*弘法大師伝記 貞和2年書写奥書 1巻 <br />*法大師行化記 貞和2年書写奥書 1巻 <br />*高野大師伝 1帖 <br />*弘法大師御入定勘決記 貞治3年深恵書写奥書 2帖 <br />*弘法大師御入定勘決抄 承安3年書写奥書 1冊 <br />*高野口決 貞治6年書写奥書 1巻 <br />○その他<br />*算額 文化12年(1815)4月、三矢金左衛門藤楢奉納(復元)収蔵<br /><br />真福寺文庫、あるいは大須文庫と呼ばれ、1万5千冊の古典籍を所蔵し、醍醐寺、根来寺と並ぶ日本三経蔵の一つです。また、国宝の『古事記』は、現存最古の写本です。

2002秋、尾張の観音・大須観音:本殿、鐘楼、大正琴発祥の地

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2002/09/18 - 2002/09/18

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旅行記グループ 2002秋、尾張の観音巡り

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旅人のくまさん

旅人のくまさんさん

尾張の著名な観音の一つ、大須観音の紹介です。時代が新しく、尾張四観音には入りませんが、現在では日本三大観音の一つに数えられます。後の二つの観音は、浅草観音(東京都台東区、金龍山浅草寺)と津観音(三重県津市 恵日山観音寺) です。
収蔵する書籍類の文化財の質と量では、尾張四観音を圧倒しています。写真での紹介は出来ませんので、文化財一覧からの目録の引用です。

<国宝は次の4点です>
*古事記 3帖
*漢書食貨志 第4 1巻
*ちょう玉集巻第12、第14 天平19年書写奥書2巻
*翰林学士詩集 1巻

<国の重要文化財は次の通りです>
○絵画
*絹本著色仏涅槃図
○典籍・古文書
*将門記残巻 承徳3年書写奥書 1巻
*尾張国解文(げぶみ)残巻 1巻
*七大寺年表 永万元年書写奥書 2巻
*日本霊異記 巻中下 2巻
*口遊(くちずさみ) 弘長3年書写奥書 1冊
*倭名類聚抄(抄本)弘安6年円朝書写奥書 1冊
*空也誄(くうやるい) 1巻
*扶桑略記 2帖
*古事記上巻抄 1巻
*宋刊本 玉篇 1冊
*宋刊本 新雕雙金 1冊
*宋刊本 大宋僧史略 1冊
*宋刊本 広韻 上声 1冊
*宋刊本 礼部韻略 3冊
*宋刊本 紹聖新添周易神愍暦等残巻 1巻
*本朝文粋(一括指定)
*本朝文粋 巻第12、14 弘安3年書写並びに正応元年伝授奥書 2巻
*本朝文粋 巻第14 建保5年貞円書写奥書 1冊
*熊野三山関連資料(一括指定)
*熊野三所権現御記文 1巻
*熊野権現蔵王殿造功日記 2巻
*熊野三所権現金峯金剛蔵王降下御事 3巻
*熊野王子眷属 1巻
*往生伝(一括指定)
*続本朝往生伝 建長5年乗忍書写奥書 1帖
*拾遺往生伝 3帖
*後拾遺往生伝 正嘉2年乗智書写奥書 3帖
*三外往生記 正嘉2年乗忍書写奥書 1帖
*本朝新修往生伝 正嘉2年乗智書写奥書 1帖
*往生浄土伝 建長6年乗忍書写奥書 3帖
*法花経伝 巻3・4、5・6、7・8 建長8年乗忍書写奥書 3帖
*弘法大師伝記類(一括指定)
*弘法大師伝 元暦元年書写奥書 2巻
*弘法大師伝 応安8年書写奥書 1冊
*弘法大師伝記 貞和2年書写奥書 1巻
*法大師行化記 貞和2年書写奥書 1巻
*高野大師伝 1帖
*弘法大師御入定勘決記 貞治3年深恵書写奥書 2帖
*弘法大師御入定勘決抄 承安3年書写奥書 1冊
*高野口決 貞治6年書写奥書 1巻
○その他
*算額 文化12年(1815)4月、三矢金左衛門藤楢奉納(復元)収蔵

真福寺文庫、あるいは大須文庫と呼ばれ、1万5千冊の古典籍を所蔵し、醍醐寺、根来寺と並ぶ日本三経蔵の一つです。また、国宝の『古事記』は、現存最古の写本です。

交通手段
私鉄
  • 大須観音は名古屋の中心街に近く、周りには高い建物が林立しています。

    大須観音は名古屋の中心街に近く、周りには高い建物が林立しています。

  • 甚目寺観音の本殿です。大悲殿の額がありました。正式の呼び方は、『北野山真福寺宝生院』です。日本三大観音の一つとされます。

    甚目寺観音の本殿です。大悲殿の額がありました。正式の呼び方は、『北野山真福寺宝生院』です。日本三大観音の一つとされます。

  • 大須観音の境内です。明治25年の大須の大火と第二次世界大戦の空襲により2度焼失し、現在の建物は昭和45年(1970年)に再建されたものです。

    大須観音の境内です。明治25年の大須の大火と第二次世界大戦の空襲により2度焼失し、現在の建物は昭和45年(1970年)に再建されたものです。

  • 鐘楼の光景です。真言宗智山派に属し、御本尊は、聖観音です。

    鐘楼の光景です。真言宗智山派に属し、御本尊は、聖観音です。

  • 境内で咲いていた白い百日紅の花です。少しピンクが混じった、八重咲きのようです。

    境内で咲いていた白い百日紅の花です。少しピンクが混じった、八重咲きのようです。

  • 大須観音の境内から眺めた名古屋市街の光景です。雲一つない青空となりました。

    大須観音の境内から眺めた名古屋市街の光景です。雲一つない青空となりました。

  • 壁の脇にあったお地蔵様です。ブロンズ製です。

    壁の脇にあったお地蔵様です。ブロンズ製です。

  • 同じくお地蔵様です。こちらは石造の座像です。足元にも小さな像がありました。

    同じくお地蔵様です。こちらは石造の座像です。足元にも小さな像がありました。

  • 南無観世音菩薩の白い幟です。その隙間から人形碑の石像が見えています。

    南無観世音菩薩の白い幟です。その隙間から人形碑の石像が見えています。

  • 郷土芸能・大正琴発祥之地の石版です。あるテレビ番組で、この場所で大正琴が合奏されていたのを視聴したことがあります。

    郷土芸能・大正琴発祥之地の石版です。あるテレビ番組で、この場所で大正琴が合奏されていたのを視聴したことがあります。

  • 最後にもう1枚、大須観音の本殿辺りの建物光景です。

    最後にもう1枚、大須観音の本殿辺りの建物光景です。

  • 『宗春爛満』のタイトルの立看板です。尾張徳川家の七代城主、徳川宗春のからくり人形についての説明書です。宗春が実施したとされる政策を、自から著した家訓の『温知政要』からいくつか紹介します。<br />①形式よりも中身を大切にした。<br />②意味のある祭りを盛んにした。<br />③人道に反する祭りは禁止した。<br />④自分の身にあった遊びは大切にした。<br />⑤法律や規制は少ない方が良いとした。<br /> その家訓を生かした史実も紹介します。<br />①死刑を実施しなかった。<br />②社会的な弱者を大切にした。<br />③ファッションリーダーを自ら実践した。<br />④庶民と上級藩士が出会う場を提供した。<br />⑤『温知政要』を上級家臣に配布した。<br />

    『宗春爛満』のタイトルの立看板です。尾張徳川家の七代城主、徳川宗春のからくり人形についての説明書です。宗春が実施したとされる政策を、自から著した家訓の『温知政要』からいくつか紹介します。
    ①形式よりも中身を大切にした。
    ②意味のある祭りを盛んにした。
    ③人道に反する祭りは禁止した。
    ④自分の身にあった遊びは大切にした。
    ⑤法律や規制は少ない方が良いとした。
     その家訓を生かした史実も紹介します。
    ①死刑を実施しなかった。
    ②社会的な弱者を大切にした。
    ③ファッションリーダーを自ら実践した。
    ④庶民と上級藩士が出会う場を提供した。
    ⑤『温知政要』を上級家臣に配布した。

  • からくり人形の設置場所の光景です。当時の幕府の緊縮規制強化の経済政策は、蝗害などにより失敗し、一方で宗春の規制緩和の経済政策は大成功を収めていました。しかし、幕閣と、尾張藩を持ち上げる朝廷との間で、宗春は徐々に政略的に板挟みとなりました。そして元文4年(1739年)2月19日に将軍吉宗からの隠居謹慎命令が出されました。宗春は江戸の中屋敷麹町邸に、そして名古屋城三の丸の屋敷に隠居謹慎となりました。蟄居後の宗春は、茶碗を焼いたり、絵を描いたり、光明真言や念仏を唱えたりして、悠々自適の生活を送ったとされます。

    からくり人形の設置場所の光景です。当時の幕府の緊縮規制強化の経済政策は、蝗害などにより失敗し、一方で宗春の規制緩和の経済政策は大成功を収めていました。しかし、幕閣と、尾張藩を持ち上げる朝廷との間で、宗春は徐々に政略的に板挟みとなりました。そして元文4年(1739年)2月19日に将軍吉宗からの隠居謹慎命令が出されました。宗春は江戸の中屋敷麹町邸に、そして名古屋城三の丸の屋敷に隠居謹慎となりました。蟄居後の宗春は、茶碗を焼いたり、絵を描いたり、光明真言や念仏を唱えたりして、悠々自適の生活を送ったとされます。

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