2006/09/02 - 2006/09/10
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いくきーとさん
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サルデーニャ島の旅 1週間 後編は幸運にも見ることの出来た地元の祭りとサルデーニャの典型的古墳、ヌラーゲの写真。
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ここカリアリから20km内陸のドリアノーバは乾いた大地が果てしなく広がっている。
古代スペイン領だったこの島は、行った方は共感できるかとは思うが、南スペインのコルドバやセビリアの田舎に似ている。
写真はサボテンの実。
ほとんどの家庭が生垣代わりに植えている。
この実は甘くておいしいのだが、収穫にはグローブをはめていても、布越しにかなり痛みが伴う。 -
我々はある教会に行くためにブドウ畑の間を歩いた。
ここ、ドリアノーバはおいしいワインの産地で有名だ。 -
干上がった沼地。
3月は雨でうるおい、アフリカからフラミンゴが飛来する。
こんな枯れた沼地があちこちにある。 -
何にもない平野に点々と植わった樹齢100年ほどのオリーブの木々の間から、目的の教会サンタマリア ディ シビオラが見えた。
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このサルデーニャ最古の教会はDC400頃に建てられたといわれる。この教会を中心に街があったとか。
しかしその1000年後、疫病がはやり、人々はこの教会と街を捨ててドリアノーバに移住した。 -
残念ながら、この教会も閉まっていた。
しかし、我々は観光のために来たのではない。
この夜からは村祭りが始まるので、前祝い祭りとして「羊祭り」を行い、羊肉を振舞ってくれるのである! -
カンカン照りのなか、人間の背丈ほどもある大なべで、可哀相な羊が煮込まれていた。
スタッフはさぞかし大変だろう。
わたしたちはまるで貯水タンクのような大きなタンクから紙コップに注がれた冷たい赤ワインを飲み、サルデーニャ特産のおいしいペコリーノチーズとオリーブをつまみながら、羊が煮上がるのを待つ。 -
やがて羊が煮上がった。
しかしミラノから来たひ弱なわたしたちにはカンカン照りの中にいるのが限界に達していて、持ち帰って家で食べる。
ちなみにこれは3人分。
塩だけで味付けした素朴な味だ。
すごい量だったが、平らげてしまった。
お腹がはちきれそうだ。 -
軽い昼寝から覚めると夕暮れがせまっていた。さきほどの教会に戻るとちょうど祭りが始まった!
この祭りはシビオラ教会から町の中心にあるサン アントニオ教会まで聖母像を運ぶ行列なのだ。 -
先頭は椰子の葉っぱやイノシシの剥製で飾られたトラクター数台。
いかにも農業地帯の祭りである。 -
トラクターに続いて馬に乗った民族衣装の男たち。
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子供もポニーの馬車で行列に参加する。
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ろば。
写真を撮るのに夢中になっていたら、このろばがわたしの30cm先まで来ていて、足を踏まれそうになった! -
聖人(?)が十字架を持って、マリア像を引導する。
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角をきれいに飾った大きな2頭の牛に引かれたマリア像。
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ん?マリア像??
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マリア像の後に人々が賛美歌を歌いながらぞろぞろとついて行く。
町の中心までおよそ3kmの道のりだ。 -
ところは移動して町の中心で行列を待つことにした。
ここでは花火があがり、ロックグループがコンサートをしていた。
しかし、このグループ、ロック調だが、唄っているのはサルデーニャの歌だ。 -
やがて、先ほどの行列が到着した。
馬は教会に続く狭い路地に入れないので待機。 -
民族衣装の人々が路地を上がっていく。
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最後にマリア像が教会に吸い込まれていき、ミサが始まった。
時計を見ると、夜の10時。
この日はエルビスの親戚がお祝いのごちそうに招待してくれた。
早く行かねば。
我々はミサを見ることもなく、その場を退散した。
数々のアンティパスト、2種のプリモ、乳離れしたばかりの子豚の丸焼き、ペコリーノチーズ、サルデーニャの甘ったるい素朴なデザート各種。ワインにグラッパ。
写真に撮れなかったのが非常に残念。
サルデーニャの人々は裏表なく温厚で、食べて飲んで、おしゃべりをして。。
夜中の1時まで夕食が続いた。 -
週も半ばにさしかかるとわたしとおっとはかなり焦っていた。
なぜなら、たった1週間しかないのにわたしたちはほとんどの時間を、スーパーで買い物したり、郵便局に行ったり、カーテンを買いに行ったり、そんなミラノでも出来るようなことで潰しているのだ。
わたしたちは相当切れていたが、エクアドル人なのに、日本人のような精神を持つ奥さんマリソルはとうとうある日、爆発した。
マリソル「たった1週間しかないのに、いい加減にしてよ!わたしたちは海に行きたいのよ!?」
エルビス「わかった。じゃあ、このバイクの掃除が終ったら、すぐに出かけよう。」
エルビスの前にはほとんど解体された年代物のモトグッチのバイクが油まみれで置かれている。
マリソルは深いため息をついた。「2人で海に行って頂戴。」
わたしたち「え。。でも?」
マリソル「これを見てよ!終るのはきっと夜中よ!?わたしたちは何度でもまたここに来るからいいけどあなたたちには時間がないわ。さあ行って!!」
わたしたちはこの怒声と共に慌てて水着を掴んで飛び出し、カリアリ南東部にある高級リゾート地、「ヴィッラ シミウス」に向かった。
先日のキアと違って整備された立派な海岸でマリソルに出掛けに持たされたパンにチーズをはさんだだけのものをもそもそと食べたのだった。 -
あっという間に出発の日となった。リボルノ行きの船は家からクルマで3時間のオルビアから夜中の12時発だ。
前日。
エルビス「明日は早起きして、朝から北部のエスメラルダ海岸で泳ごう!」
わたしたち「。。。。。」
この日、朝6時半に目覚ましと共に起きるわたしたち。
この調子なら、今日は本当に午前中に旅立てるかもしれない。
わたしとおっととマリソルは、かなり期待を抱きながら、全員で急いで家を掃除し、わたしとおっとはすでに前日に用意済みのスーツケースをクルマに運び込んだ。
しかしマリソルを見れば、まだバッグに荷物を詰めている。
ああ、また遅くなる。。。
エルビス「今からチーズとワインを買いに行ってくる。」
ええ?
昼の12時。
わたしは諦めて保冷バッグに詰め込んだ食べ物を取り出してテーブルに並べて昼食の用意をした。
マリソル「食べてすぐに出かければ、まだぎりぎり泳げるわ。」
エルビスを見れば、暖炉にふたをしたりカーテンをはずしたり、シャワーを浴びたり。。。←そんなこと必要か?
結局出発は夕方4時となった。涙
マリソル「朝起きてから9時間半よ、9時間半!あはははは。」
エルビス「何がそんなにおかしいんだ?やることをやっただけじゃないか!?」
赤ちゃんがそんな怒声を聞いて泣き出した。
わたしたちは無言で夫婦喧嘩が一刻も早く終ることを願って待った。
あ、ちなみにこの写真は夕方、内陸地で通りすがりに入ったアルケオトゥルの古代の井戸である。
日本の古墳に形が似てる? -
井戸内部から上を見たところ。
上に小さな穴が開いていて、ここから雨水がしたたる。古代の占いに使われたらしい。 -
よくわからなかったが、この井戸はエジプト文化の栄えた時代のもので内部から外をみれば、そういうものかな?とうなずける。
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これは同じ敷地内にあるサルデーニャ名物ヌラーゲである。
内陸部には至るところにこういったものが見ることができる。 -
諸説がいろいろ立てられているのだが、真実、このヌラーゲが何に使われていたかは解明されていないらしい。
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北部のエスメラルダ海岸に着いたのは夜の9時半だった。汗
北部の海岸は南部と違って、まるでリミニのようにおしゃれなレストランやバールが立ち並ぶ。
真っ暗な中、海のそばで見つけた夜行性の花。 -
この日は夕方から雨が降ったのだが、海に出ると月が雲の間から出てきた。
まるで旅のフィナーレを飾るように。
この後、今回は無事全員で船に乗り、朝、リボルノに着いたのだが、エルビスは最後の最後までチェックアウトをせず、「エルビス様、お早くチェックアウトをお願いします。」と最後の最後まで船内放送されていた。
ああ、我が南米人を上回る男がいたのか。
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