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☆3日目:4月5日(土) 晴れ<br />ジャイプール~アグラ<br /><br />朝一番に風の宮殿に立ち寄って、<br />写真タイムです。<br />通りを渡って、反対側から写真を撮るのですが、ここでも物売りたちが朝早くから<br />ご精勤。<br />建物があるのは、旧市街の繁華街、市場に面した所なので、活気があります。<br />荷を積んだラクダも通り、わ、インド!<br />風の宮殿は、赤色砂岩でできているので、鮮やかなローズ・ピンクをしています。<br />「ピンク・シティ」と呼ばれるジャイプールでも、シンボル的な存在です。<br />芝居の大道具のように薄くて奥行きのない、奇妙な形の建物。<br />正面には、窓が一面に並んでいます。<br />これは、イスラム教徒の女性たちは、他人に顔を見せてはいけないという戒律があるため、<br />宮廷の女性たちが向こうから顔を見られずに街を見物できるようにと、マハラジャが<br />建てさせたものです。<br />バスはアグラに向かって、きょうも大移動。<br />途中、アグラから約40キロのところにあるファテープル・シークリーを見学。<br />ムガール帝国第3代目の皇帝・アクバル帝が16世紀に建設し、アグラから遷都したという都城で、世界遺産に指定されています。<br />アクバル帝は、この新都城に14年間住んだだけで、またしても現パキスタン領のラホールに<br />帝都を移したため、廃都になってしまいました。<br />五層の楼閣をはじめとする、堂々たる立派な建物群で、14年ほどで廃都になったとは、なんともったいない・・・と、一般庶民である私などは思うのでありました。<br />ジャイプールから5時間かけて、2時近くにアグラに入ると、暑さも加わって、さすがにお疲れです。<br />ホテルに着くと、部屋に入れるというので、ともかくも洗面所で手ぐらい洗って、少し休憩。<br />といっても、ゆっくりできるほどの時間はないので、ホテルのレストランで昼食をとって、アグラ観光に向かいます。<br />昼食は、カレーを含むビュッフェ・スタイルで、すごくおいしいというほどではないけれど、<br />口に合わないものはありませんでした。<br />アグラ城は、アクバル帝が1565年より建造したものですが、要塞としての機能が強い<br />ためか、暑さで住み心地が悪かったそうです。<br />そのため、帝は城の完成を待たず、1571年に上記のファテープル・シークリーに移り住みました。<br />アクバル帝は、ムガール帝国でただひとり「大帝」と呼ばれた人物ですが、ファテープル・<br />シークリーといい、このアグラ城といい、巨費を投じて建設しておきながら、いとも簡単に<br />(ではないのかもしれませんが)廃都にしてしまうとは、気まぐれな性格だったのでしょうか?<br />半世紀後、シャー・ジャハーン帝の時代に改修・増築が行われ、宮殿としての機能が充実した<br />都城として復活しました。<br />このシャー・ジャハーン帝は、後に息子によってこの城に幽閉されたまま、命を落とすことになるのです。<br />その最期の日々を、シャー・ジャハーンは城の塔の中から、自らが築いたタージ・マハールを眺め続けました。<br />赤色砂岩に大理石の縁取りのある、重厚な城で、その色から「赤い城」の異名を持っています。<br />このあと、いよいよ最大の見どころ「タージ・マハール」を訪れますが、その話は別のページに書きましたので、よろしければ、そちらも読んで見て下さい。<br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br />

ジャイプール~アグラ

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2003/04/05 - 2003/04/05

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にゃんこ姫

にゃんこ姫さん

☆3日目:4月5日(土) 晴れ
ジャイプール~アグラ

朝一番に風の宮殿に立ち寄って、
写真タイムです。
通りを渡って、反対側から写真を撮るのですが、ここでも物売りたちが朝早くから
ご精勤。
建物があるのは、旧市街の繁華街、市場に面した所なので、活気があります。
荷を積んだラクダも通り、わ、インド!
風の宮殿は、赤色砂岩でできているので、鮮やかなローズ・ピンクをしています。
「ピンク・シティ」と呼ばれるジャイプールでも、シンボル的な存在です。
芝居の大道具のように薄くて奥行きのない、奇妙な形の建物。
正面には、窓が一面に並んでいます。
これは、イスラム教徒の女性たちは、他人に顔を見せてはいけないという戒律があるため、
宮廷の女性たちが向こうから顔を見られずに街を見物できるようにと、マハラジャが
建てさせたものです。
バスはアグラに向かって、きょうも大移動。
途中、アグラから約40キロのところにあるファテープル・シークリーを見学。
ムガール帝国第3代目の皇帝・アクバル帝が16世紀に建設し、アグラから遷都したという都城で、世界遺産に指定されています。
アクバル帝は、この新都城に14年間住んだだけで、またしても現パキスタン領のラホールに
帝都を移したため、廃都になってしまいました。
五層の楼閣をはじめとする、堂々たる立派な建物群で、14年ほどで廃都になったとは、なんともったいない・・・と、一般庶民である私などは思うのでありました。
ジャイプールから5時間かけて、2時近くにアグラに入ると、暑さも加わって、さすがにお疲れです。
ホテルに着くと、部屋に入れるというので、ともかくも洗面所で手ぐらい洗って、少し休憩。
といっても、ゆっくりできるほどの時間はないので、ホテルのレストランで昼食をとって、アグラ観光に向かいます。
昼食は、カレーを含むビュッフェ・スタイルで、すごくおいしいというほどではないけれど、
口に合わないものはありませんでした。
アグラ城は、アクバル帝が1565年より建造したものですが、要塞としての機能が強い
ためか、暑さで住み心地が悪かったそうです。
そのため、帝は城の完成を待たず、1571年に上記のファテープル・シークリーに移り住みました。
アクバル帝は、ムガール帝国でただひとり「大帝」と呼ばれた人物ですが、ファテープル・
シークリーといい、このアグラ城といい、巨費を投じて建設しておきながら、いとも簡単に
(ではないのかもしれませんが)廃都にしてしまうとは、気まぐれな性格だったのでしょうか?
半世紀後、シャー・ジャハーン帝の時代に改修・増築が行われ、宮殿としての機能が充実した
都城として復活しました。
このシャー・ジャハーン帝は、後に息子によってこの城に幽閉されたまま、命を落とすことになるのです。
その最期の日々を、シャー・ジャハーンは城の塔の中から、自らが築いたタージ・マハールを眺め続けました。
赤色砂岩に大理石の縁取りのある、重厚な城で、その色から「赤い城」の異名を持っています。
このあと、いよいよ最大の見どころ「タージ・マハール」を訪れますが、その話は別のページに書きましたので、よろしければ、そちらも読んで見て下さい。














  • 「風の宮殿」

    「風の宮殿」

  • アグラ城

    アグラ城

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