2006/05/25 - 2006/05/25
697位(同エリア1101件中)
マキタンさん
鳩山会館・・文京区の音羽の丘に鳩山家が居を構えたのが、明治24年(1891)。この美しい洋館が姿を現したのは、関東大震災の翌年大正13年(1924)でした。日本の近代政治と教育界に、偉大な貢献をしてきた鳩山家の家族が、4代に亘って暮らした邸宅です。完璧な修復工事がなされ、往年の輝きを回復しました。鳩山会館として公開されています。入館料は500円です。(一郎、その夫人で教育者の薫、威一郎を記念する部屋を設けられ、ここだけは撮影禁止でした。)
バラが咲く庭園ともよく調和して、素晴らしい佇まいを見せてくれました。
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門。この坂を登っていく。
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正面。鹿とハトの彫刻が特徴的だ。
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車寄せ。鳩山家の人々は70年間、4世代にわたり住み続け、そして今、愛情を込めて保存された。
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鳩山家は、衆議院議員の和夫、総理大臣となった一郎(1883〜1959)、外務大臣をつとめた威一郎、さらに衆議院議員の由紀夫・邦夫と四代にわたり指導的な政治家を生み育てた。(この椅子は自由に座れる。)
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第一応接間、ステンドグラスが輝く。大正時代に。
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正面中央が鳩山一郎元総理大臣が愛用していた椅子。ここを舞台に、戦後政治の画期となった自由党(現・自由民主党)の創設が計られ、また首相として決断した日ソ国交回復の下準備も行なわれている。
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アダムスタイルの応接室。設計を手掛けたのは一郎の友人の岡田信一郎(1883〜1932)で、大正・昭和初期を代表する建築家として知られる。
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応接間。ここで会食したようだ。アダムススタイル(18世紀後半イギリスの軽快優雅で古典主義的な様式。イギリスの伝統に古代ローマの装飾を採り入れ古典的趣味で統一したもの。)で統一されている。
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サンルームは、引き違いのはき出し窓で、開放的だ。すぐに庭が眺められる。大きな折れ戸を開け放つと、二つの応接間と食堂とサンルームのすべてが一つの部屋のように・・。雰囲気は確かに洋風だが、まるで和室の続き間のようでもある。
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ハトをモチーフとするステンドグラス。
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塔と植え込み。日本調の美が生きて・・。
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2階の大広間。ロマンを感じさせる。(撮影やイベントに貸し出されるとのこと。)
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「和を以って貴しとする」一郎氏の書がある。
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大広間。従前は寝室が3部屋あったとのこと。
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ベランダから庭園を眺める。
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ベランダから玄関上を見る。
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安らげる時間・私的な空間が・・。
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和室。簡素で粋な構成だ。
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鳩山和夫・春子の像(朝倉文夫の作品)鳩山一郎氏(元内閣総理大臣)の両親。
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ピース この場にふさわしい。
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バラ園から南面全景。
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バラの庭を前に建つイギリス風の外観。
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庭園入口から・・。
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シランも咲いて・・。
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キショウブ。清楚で凛として・・。
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玄関のステンドグラス。ハトがとぶ・・。
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門柱の脇にある解説板。
鳩山一郎に最もふさわしい快適なイギリス風邸宅を、最新の鉄筋コンクリート工法を駆使し、安全で開放的な洋館を・・岡田信一郎の設計意図がよめる。
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この旅行記へのコメント (1)
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- マキタン2さん 2009/09/22 21:15:33
- 総理大臣になって大人気ですね。
- 鳩山家のステンドグラスでは、鳩が舞っています。訪れたときは人陰もまばらで元総理大臣の邸宅を感慨深く拝見しました。
平和の象徴の鳩そして家訓のような〔友愛〕のことば。・・この家に育った方が今新たな総理大臣に就任されました。ご同慶のいたりです。
最近は訪問客が多く人気が高まっているようですが、静かなときに訪れた記録がさんこうになれば嬉しいです。
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