2006/09/02 - 2006/09/02
67位(同エリア80件中)
カンゲンさん
周口店の北京原人遺跡(世界遺産:449)は、北京の西南約50キロの河北省房山県の竜骨山と呼ばれる小山にある。中国では古い動物の骨を竜骨と呼び漢方薬としてすりつぶし飲んでいたらしい。多分中国では最も観光客が少ない世界遺産か?、当日も4、5人しか見かけなかった。1918年、スェーデンの地質学者アンダーソンが動物の化石を発見した。その後1923年に原人の歯を発見、1929年に中国人学者の裴文中がおよそ50万年前の人骨が発見され北京原人(シナントロプス・ペキネンシス)と命名された。
北京原人の頭蓋骨は日中戦争時に行方不明になっておる。北京の協和医学校に保管されていた頭蓋骨は、1941年にアメリカに移送するためアメリカ大使館に持ち込んだことまでははっきりしておるが、その後ははっきりしない。そんなわけで入り口から石段を20〜30m上ると博物館があるが展示している原人の頭蓋骨は精巧な模型だ。以前に読んだ、第22回の江戸川乱歩賞を受賞した 伴野 朗 の「50万年の死角」はこの原人の頭蓋骨失踪事件をテーマにしたミステリーで旅行前に引っ張り出して再読した。
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遺跡への入口
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世界遺産の碑
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案内板
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周口店遺跡博物館
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原人が住んでいた洞窟、左手の標識の場所が発見地点
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ここで最初の北京原人の頭蓋骨が派遣された。
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その後の長い年月で洞窟は埋まってしまった。
壁面の番号札は埋まっていた土砂の地層の区分 -
盧溝橋は、1189年(金 時代)北京西南の永定河(以前は廬溝河)に造られた石造りのアーチ橋である。橋長266.5m、高欄の柱頭には147もの獅子の石像が彫られ、マルコポーロが世界で最も美しい橋と「東方見聞録」で絶賛しております。今は永定河には水がなく地元の人々の生活道路でもあります。
ここは日中戦争勃発の地でもあります。(盧溝橋事件) -
「廬溝暁月」
清の乾隆帝が書いた大理石の石碑。
燕京八景と呼ばれる月の名所。 -
高欄の上の獅子像
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三頭獅子
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右岸側
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宛平城の城門
明代1638年の造営、軍事専用の衛城
廬溝橋の左岸、北京側にある -
宛平城内の「中国人民抗日戦争紀念館」
開館前で入ることが出来ませんでした。 -
宛平城の城壁外
円柱には、日本軍の残虐行為が書かれている。 -
「廬溝橋事件」での日本軍の砲弾痕
1937年7月7日、中国では七・七事変
政治の分野では日中関係がぎくしゃくしております。
日本が中国を侵略したことは厳然たる事実です。
中国を旅行すると日本人としては不愉快に感ずることもありますが耐えて行くべき事と思います。
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