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『清西陵』は北京から西南約130キロ、河北省易県の西15キロの長寧山(永寧山)山麓に位置する。<br />西には紫荊関、南に易水(中易水)、東陵と同様に風水学に基づき造営された。<br />清西陵には泰陵(雍正帝)・昌陵(嘉慶帝)・慕陵(道光帝)・崇陵(光緒帝)の4人の皇帝、9人の皇后、56人の妃、王公、公主などが埋葬されている。<br />乾隆帝は「父子を同じ地に葬らず」の考えから、西陵を新たに築いたため、清朝の陵墓は東西二箇所に分かれることになった。<br />『清西陵』の東には戦国時代の燕(前323〜前222)の副都の一つ「燕下都遺跡」がある。この地は北易水と中易水の間にある。燕の太子・丹が始皇帝の暗殺を企て荊軻を刺客に送り出したのはこの地である。荊軻が旅立つとき歌った「風蕭々として易水寒し 壮士ひとたび発ってまたかえらず」の詩や田光先生、樊於期(ハンオキ)など史記の世界をしばし思い出す。<br /><br />崇陵(すうりょう)の石碑坊<br /><br />

「北京・河北省」一人旅? 清西陵

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2006/09/02 - 2006/09/02

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カンゲン

カンゲンさん

『清西陵』は北京から西南約130キロ、河北省易県の西15キロの長寧山(永寧山)山麓に位置する。
西には紫荊関、南に易水(中易水)、東陵と同様に風水学に基づき造営された。
清西陵には泰陵(雍正帝)・昌陵(嘉慶帝)・慕陵(道光帝)・崇陵(光緒帝)の4人の皇帝、9人の皇后、56人の妃、王公、公主などが埋葬されている。
乾隆帝は「父子を同じ地に葬らず」の考えから、西陵を新たに築いたため、清朝の陵墓は東西二箇所に分かれることになった。
『清西陵』の東には戦国時代の燕(前323〜前222)の副都の一つ「燕下都遺跡」がある。この地は北易水と中易水の間にある。燕の太子・丹が始皇帝の暗殺を企て荊軻を刺客に送り出したのはこの地である。荊軻が旅立つとき歌った「風蕭々として易水寒し 壮士ひとたび発ってまたかえらず」の詩や田光先生、樊於期(ハンオキ)など史記の世界をしばし思い出す。

崇陵(すうりょう)の石碑坊

  • 崇陵は両側の果樹園に囲まれていた

    崇陵は両側の果樹園に囲まれていた

  • 崇陵石望柱

    崇陵石望柱

  • 崇陵石碑坊<br />

    崇陵石碑坊

  • 崇陵<br />碑楼と占いのおじさん<br />

    崇陵
    碑楼と占いのおじさん

  • 崇陵の地宮

    崇陵の地宮

  • 崇陵<br />地宮の地下水の排水はここから出てきます

    崇陵
    地宮の地下水の排水はここから出てきます

  • 嵩陵<br />地下への階段

    嵩陵
    地下への階段

  • 「嵩陵」は西陵の中でで最も新しい。清の宣統元年(1909)から1915年にかけて造営され、光緒帝(1871-1908)と孝定皇后を合葬する。<br /> 造営中に清朝が辛亥革命(1911)により倒されたのでで工事は一時中断し、宣統帝(溥儀)退位後清朝皇室経費から費用を捻出してやっと完成させたので、規模が小さい。西陵の中でここだけが盗掘されている。<br /><br />盗掘者が侵入した場所:堅固な壁面を避けて底面から入った

    「嵩陵」は西陵の中でで最も新しい。清の宣統元年(1909)から1915年にかけて造営され、光緒帝(1871-1908)と孝定皇后を合葬する。
     造営中に清朝が辛亥革命(1911)により倒されたのでで工事は一時中断し、宣統帝(溥儀)退位後清朝皇室経費から費用を捻出してやっと完成させたので、規模が小さい。西陵の中でここだけが盗掘されている。

    盗掘者が侵入した場所:堅固な壁面を避けて底面から入った

  • 嵩陵<br />地宮の石扉?

    嵩陵
    地宮の石扉?

  • 嵩陵<br />地宮の石扉?

    嵩陵
    地宮の石扉?

  • 嵩陵<br />地宮の石扉?

    嵩陵
    地宮の石扉?

  • 嵩陵<br />地宮の石扉?

    嵩陵
    地宮の石扉?

  • 嵩陵<br />石扉を押さえる閂

    嵩陵
    石扉を押さえる閂

  • 嵩陵<br />閂の穴、木で塞いである<br />

    嵩陵
    閂の穴、木で塞いである

  • 嵩陵<br />地宮のの排水口

    嵩陵
    地宮のの排水口

  • 嵩陵 地宮

    嵩陵 地宮

  • 嵩陵<br />光緒帝の棺

    嵩陵
    光緒帝の棺

  • 嵩陵<br />手前光緒帝、奥には孝定皇后の棺

    嵩陵
    手前光緒帝、奥には孝定皇后の棺

  • 泰陵の神道<br />左前方の小山を迂回するのは風水学によるそうです。

    泰陵の神道
    左前方の小山を迂回するのは風水学によるそうです。

  • 泰陵の神道<br />放し飼いの牛や羊。

    泰陵の神道
    放し飼いの牛や羊。

  • 「泰陵」象の石像生<br />

    「泰陵」象の石像生

  • 「泰陵」獅子の石像生<br />お母さんが子供を乗せていました。

    「泰陵」獅子の石像生
    お母さんが子供を乗せていました。

  • 泰陵の三孔橋<br />正面が神道碑楼、東西の朝房(控室)、奥に隆恩殿。

    泰陵の三孔橋
    正面が神道碑楼、東西の朝房(控室)、奥に隆恩殿。

  • 「泰陵」隆恩殿<br />雍正帝を祀る泰陵は西陵の最初で最大の陵墓、孝敬皇后・敦粛皇貴妃も合葬されている。雍正帝は即位すると直に陵墓の地を大臣らに選定させ、最初は東陵の九鳳朝陽山と定めたが、最終的にこの地を選んだ。<br />1730年(雍正8年)に着工し1737年(乾隆2年)に竣工した。

    「泰陵」隆恩殿
    雍正帝を祀る泰陵は西陵の最初で最大の陵墓、孝敬皇后・敦粛皇貴妃も合葬されている。雍正帝は即位すると直に陵墓の地を大臣らに選定させ、最初は東陵の九鳳朝陽山と定めたが、最終的にこの地を選んだ。
    1730年(雍正8年)に着工し1737年(乾隆2年)に竣工した。

  • 「泰陵」隆恩殿<br />

    「泰陵」隆恩殿

  • 隆恩殿<br />雍正帝と孝敬皇后

    隆恩殿
    雍正帝と孝敬皇后

  • 泰陵<br />碑楼から神道方面を望む。<br /><br />☆『清西陵』には「珍妃の井戸」で有名な崇妃園寝や泰陵の裏手には清朝12代宣統皇帝(溥儀)の「献陵」(北京郊外の八宝山墓地から改葬)もあるそうですが日程の関係で訪ねることが出来ませんでした。--残念--

    泰陵
    碑楼から神道方面を望む。

    ☆『清西陵』には「珍妃の井戸」で有名な崇妃園寝や泰陵の裏手には清朝12代宣統皇帝(溥儀)の「献陵」(北京郊外の八宝山墓地から改葬)もあるそうですが日程の関係で訪ねることが出来ませんでした。--残念--

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