2009/07/28 - 2009/07/28
706位(同エリア1466件中)
ホーミンさん
皆さま、こんにちは。ホーミンでございます。
この日は、更新した運転免許証を受け取りに、大津警察署に行く日でした。
せっかく出掛けるのならもう少しブラブラしてみようと思い、「大人の遠足」コース29を歩きました。
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全て街中を歩くコースです。
大津にウン十年住んでいながら、歩いたことのない道がたくさんありました。
袋小路も多く、くねくねしたコースなので、地元の人以外はすんなりと道が見つけられないかもしれません。 -
京阪膳所(ぜぜ)駅で降りました。
JR膳所駅と隣接しています。 -
大津カトリック教会は改装中でした。
改装前の会堂に興味がおありの方はこちらをご覧下さい。
http://4travel.jp/traveler/homing/album/10348933/ -
免許証をもらいに大津署に立ち寄ります。
5年前の写真と比べると、首の辺りに年齢が出ていました。
次回はどんな写真になるのやら・・・sigh・・。 -
こちらは、木曽義仲と松居芭蕉のお墓がある義仲寺です。
興味がおありの方はこちらをご覧下さい。
http://4travel.jp/traveler/homing/album/10351851/ -
膳所城北総門跡。
この碑があるのみでした。 -
湖魚のお店、松田魚伊さん。
この前の道路を歩くと、佃煮のよい香りがプンプンしていました。 -
法傳寺です。
天智天皇勅願の寺として、664年に建立されたお寺です。
天智天皇の御子、大友皇子が出家して第五世住職となり、代々住職は大友姓を名乗っています。 -
石坐神社(いわいじんじゃ)にやってきました。
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海津見神を主神とし、天智天皇、弘文天皇を祀っています。
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天智天皇といえば「時」ですね。
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ご本殿の裏には稲荷大明神がありました。
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和田神社。
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中大手門も碑があるのみでした。
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お城の近くに来ると、町名も特徴があります。
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膳所城跡に来ました。
説明板などは見当たりませんでした。 -
関が原の合戦のあと、徳川家康が戸田一西に命じて築いたお城です。
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1601年に藤堂高虎の縄張で着工しました。
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諸国の大名に命じて普請に当らせるという天下普請の第1号です。
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関ヶ原の戦い後、徳川氏による最初の築城となりました。
ここは桜の名所です。 -
城主は、戸田、本多、菅沼、石川と移り、幕末の藩主は本多氏でした。
公園内のお社です。 -
膳所城跡公園は、半島のようにびわ湖にせり出しています。
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膳所神社。
祭神は豊受比売命(とようけひめのみこと)です。
天智天皇が大津の宮に遷都された際、この地を御厨所と定められ、後に大膳職の御厨神とされたために、この地を膳所と呼ぶようになったそうです。
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膳所神社の境内にいた親猫と、
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子猫。愛いこと。
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中ノ庄あたりに来ると土塀が目立つようになります。
かつて武家屋敷だったのでしょうか。 -
地図を持っていったのですが、このあたりからどこを歩いているのかわからなくなってしまいました。
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次の目的地は膳所焼美術館なので、とりあえずその方角に向かって歩きました。
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次々と土塀が現れ、道に迷ったことが幸いしました。
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塀が高いので中をうかがい知ることは出来ません。
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偶然見つけた安昌寺です。
幕末、将軍暗殺や上洛妨害を企てたとして十一烈士らの検挙が行なわれました。
暗殺嫌疑の真偽のほどは、不確かなようです。
その数ヶ月後に死罪の判決が言い渡され、4名はここ安昌寺で即日切腹、他7名は斬首されました。 -
切腹の刑となった4人、田河武整、阿閉信足、保田正経、槙島光顕の墓はここにありますが、他の七人は岡山に葬られています。
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寒川辰清(さむかわとききよ)(1697〜1739)は、膳所藩主・本多康敏(ほんだやすとし) の命をうけ、地誌「近江輿(よ)地志略」の編纂しました。
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赤埴勝政は、赤穂浪士・赤埴源蔵の伯父です。
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膳所焼美術館に来ました。
膳所焼は膳所藩のお庭焼として知られています。
膳所焼といえば黒褐色を連想しますが、いろいろな色がありました。
興味がおありの方はこちらをご覧下さい。
http://4travel.jp/traveler/homing/album/10359568/ -
美術館内部にある庭とお茶室です。
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展示即売もされていました。
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杉浦町まできました。
この町名は杉浦重剛から来たものです。
杉浦重剛は教育家です。膳所藩出身でイギリスに留学、後に東京大学予備門長となりました。国粋主義を唱え東京英語学校の設立し、また称好塾を経営、青少年の教育に尽力しました。 -
杉浦重剛の生誕の地がここなのです。
旧宅が今も残っているそうなのですが、このあたりは道が入り組んでいて見つけられませんでした。
雨が降っていて、道を聞こうにも人っ子一人いませんでした。
あきらめて次の目的地に向かいました。 -
若宮八幡宮
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膳所城勢多口総門跡。
一般家庭の入り口にありました。 -
このあたりが、粟津の番所があった所だそうです。
番所の瓦には、本多家の家紋・立葵が彫られていたそうです。 -
晴嵐の工業地帯を抜けます。
大津には、晴嵐、月輪、あかね、蛍谷など、素敵な地名がいくつもあります。 -
今井兼平の墓です。
今井兼平とは、木曽義仲の乳兄弟であり、義仲の側室・巴御前の兄です。 -
兼平はここ栗津で義仲とともに奮戦し、悲壮な最期をとげました。
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JR石山駅に隣接した京阪石山駅が終点です。
今回は13343歩、約7.4kmを歩きました。
私は独身時代に、ここ石山で働いていました。しばらく来ないうちに駅の位置も変わり、駅前もきれいに様変わりし、ちょっとびっくりしました。
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