1989/10/08 - 1989/10/14
490位(同エリア984件中)
がおちんさん
昆明で食堂に入ろうとしたら、サニ族の女性達が日本語で話しかけてきました。
一緒に食事をしながらサニ族の言葉や祭りの情報を教えてもらい、また「石林に来ませんか」と誘われたので行くことにしました。
石林の奇岩やサニ族の踊りはもちろん、彼らの暮らしを垣間見ることができ、3ヶ月にわたる雲南旅行の締めとなりました。
シルクロードに行くつもりで日本を出たのですが、いつの間にか昆明に留学する気になっていました。
「雲南の旅 1989」の最終回です。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 高速・路線バス
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1989年10月8日(日)
先日、回族食堂で声をかけてきたサニ族の娘さん達3人(Sさん・Lさん・Mさん)と、午後から一緒に石林へ行くことになった。
バックパッカーの間では「石林に行くとサニ族の物売りに囲まれて不快」、「ガイドさせろとしつこい」等、評判が悪かったが、私は石林よりもサニ族がどんな暮らしをしているのかに興味があった。
5路のバスで昆明東駅に出て、15時発の路南行きバスに乗り込む。
サニ族の娘さんは、東駅では「アナタ、マネーハ、キヲツケテ!」、またバスの中でも「ドロボー、アブナイヨ」と何度もたどたどしい日本語で注意してくれる。
3時間で路南に到着。街のロータリーには「アシマ」の像がある。ここからミニバスに乗り換え、30分ほどで石林に着いた。 -
石林飯店に部屋を取り(10元)、村へ行く。
サニ族の村は小道が泥でグッチャグチャだ。
私がとまどっていると、彼女達は小石を伝ってスイスイ歩いていく。
優れたバランス感覚だ。 -
風景区の隣にあるサニ族の村。
赤茶色の土壁の家が並んでいる。 -
とうもろこしを木に吊るして干している。
大量だ。 -
豚ものんびり歩いている。
ここで一旦Lさん・Mさんと別れ、私はSさんの家にお邪魔することになった。 -
Sさんの家に招かれる。
初めて見るサニ族の家だ。土間に置かれた藁のイスに座ると、地面からヒンヤリと冷気が伝わって来た。
「ごはんを食べたら踊りを見に行きましょう」と言う。
Sさんはすぐに料理の準備を始めた。手伝いに来た近所の女性と一緒にジャガイモの皮をむき、かまどに薪をくべる。
その手際のよさを見ていると、とても15歳だとは思えない。 -
巨大な中華なべが熱くなると、一気に調理した。
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あっという間に出来た、サニ族の手料理。
「酒は飲めるか?」と聞かれたので「好きだ」と答えると、自家製の白酒をお椀になみなみ注いでくれた。
これがキツイ。アルコール度数が50度以上はあるだろう。あっという間にほろ酔いになる。
写真の中央下にあるのは路南名物のラファマ(豆腐乳)。かなり辛いけど、チーズのような味噌のような旨味があって美味しい。 -
食事を終えると、Mさんが私を迎えに来た。
石林賓館で行われる舞踊ショーが始まるという。道すがら彼女は、「昆明にはスリが多いから気をつけるよう注意してくれた。
「アナタ、コレハ、クンミンノ、マネーハ、アシモトキヲツケテ」という、ちぐはぐだが心のこもった日本語が胸に響いた。
賓館について裏口から階段を上ると、サニ族の楽器「大三弦」の音が聴こえて来た。
☆そのときの録音(約2分)
http://www.voiceblog.jp/gaochin/1239571.html -
男性が大三弦を弾き、女性が踊る。
出演者は全て地元の農民だ。 -
あまりにも完成度が高いので、後に聞いてみると、踊りの先生に厳しく指導されているのだという。
試験をクリアした者だけが、この舞台に立てるのだ。 -
華麗に舞う、リーダー格のCさん。
踊りも歌も一番上手い。 -
これは葉笛。
葉っぱをうまいことプープー鳴らす。 -
その日によって演出が変わるようだが、踊りや歌の他に寸劇も披露された。
-
熱演が終わったばかりのサニ族ダンサー。
左から2番目がLさん。 -
男性陣もノリノリだ。
彝族の気性は漢族とは全く異なる。
とにかく熱い。酒も強い。
正に少数民族だ。 -
SさんとLさん。
彼女らが昆明で声をかけてくれたのが縁で、石林に来ることになった。
思いもしなかった展開になるのが、旅の醍醐味とも言えるだろう。
シルクロードに抜けていたら、ここにも来ることは無かった。
所詮、人間は縁と運によって動いているんだと思った。 -
踊り子のリーダーCさんに、歌を録音させてもらうようお願いした。
ショーが終わったばかりで高揚していたのか、帰り道の途中、ノリノリで歌ってくれた。
日本では考えられない(電灯が無いので)、顔もわからないほどほど暗い中、夜の石林に彼女の歌声が響きわたった。
☆そのときの録音。
アスミテミカチャ(1分)
http://www.voiceblog.jp/gaochin/1239585.html
快快来(1分28秒)
http://www.voiceblog.jp/gaochin/1239613.html -
舞踊ショーの余韻に浸る間もなく、Sさんが「映画を見に行こう」と言い出し、21時半頃、サニ族娘7人と村にあるビデオ映画館に行く。
入り口の黒板に上映のタイトルが書いてあり、今夜は古典とアクション映画の2本立てであった。
これが見事なほどのD級トラッシュ映画で、無意味なアクションの多い犯罪・逃走モノ。あまりにも単純でくだらないため、中国語が分からなくてもちっとも困らなかった。
23時頃、石林飯店に帰って寝る。 -
1989年10月9日(月)
石林の朝は、キリッと冷えている。
どの家からも煙が上がっており、家畜の鳴き声が聴こえて来た。 -
のどかな朝だ。
-
SさんとMさんが部屋まで迎えに来た。
今日は石林を案内してくれるという。 -
石林の中に入ると、みやげ物をカゴに入れたサニ族たちが大勢いた。
これがツーリストから悪評の「押し売り軍団」か。 -
観光客がやってくると、彼らはワーッと群がる。
中国語、英語、日本語と使い分けながら、売り込みに熱心だ。
ちなみにSさんの売り口上は、「アナタ、サニゾクノカバンミテ、ヨイハカウ、ヨクナイハカワナイハダイジョーブ」である。
後日、北京から来たという日本人留学生が、売り子のしつこさに怒り出したのを見たが、怒っても逆効果。「アナタノケチ!」と皆から笑われていた。
仲良くなってしまえば何てこと無いのだが、彼は「二度と来るか」と帰って行った。 -
石の林というだけあって、あちこちに奇岩が立っている。
観光ルートを離れ、彼女達のお薦めルートを歩く。 -
あちこちにコスモスの花が咲いている。
「これで帽子をつくろう」とMさん。
彼女はなぜか、サニ族の衣装を滅多に着ることがなかった -
コスモスの帽子をかぶったSさん。
写真では可愛らしさだけが伝わるが、彝族の女性は同時に気性の激しさと頼もしさを持ち合わせている。日本人女性とは全く異なった魅力があるのだ。
そこに惹かれたのだろうか、後にサニ族と結婚する日本人も何人かいたようだ。 -
野原に腰掛けているおばさんがいた。
何をしているんだろう? -
彼女は牛の放牧をしながら、せっせと刺繍をしているのだった。
母親がこしらえた商品を、娘達が売るのである。
そりゃあ、一生懸命売るはずだよな。 -
気持ち良さそうにドロ浴びをする水牛。
赤土なので真っ赤になっていた。 -
たっぷりと石林を歩いた後、観光コースに戻る。
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1989年10月10日(火)〜14日(土)
今日は村を歩いてみる。
石林の豚は耳が大きく、顔がクシャクシャで可愛い。
寝転がってブーブー鳴いている奴が多い。 -
おばあさんが、自分より大きな豚に餌をあげていた。
壁に干しているのは唐辛子。
サニ族は辛い食べ物が大好きだ。 -
こんなチビでも、唐辛子で真っ赤なラファマを食べこなす。もう驚くばかりだ。
日本人の胃腸とは出来が違うんだろうな。
この子たち、ずーっと私の後ろをついてきた。 -
昼はLさんとSさんとアヒルの丸焼きを食べに行く。
後年、石林ダックと呼ばれるようになったが、本来は宜良の名物である。
唐辛子をたっぷりつけるSさん。
日本人に真似は出来ない。 -
何度もごちそうになっているので「私が払う」と言っても決して払わせなかった。
ツアーで石林に来ると添乗員から「土産売りはしつこいので無視するように」と言われるそうだが、馬鹿げている。
これが彼女達の本当の姿だ。 -
「今日も踊りがありますよ」とCさん。
また、今夜はインド映画が上映されるので、見たほうが良いと教えてくれた。インド人の女性は美しく、踊りも最高とのこと。
そして、「サニゾクハ、インドノエイガハ、スキスキ!」と言った。 -
今夜も石林賓館へ踊りを見に行く。
-
前日と違い、いろんな人と顔見知りになったせいか、今夜の踊りは妙に親近感が湧く。
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サニ族の女性がかぶる帽子は角隠しがついている。
結婚すると角をはずすそうだ。 -
サニ族の熱演が続く。
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翌日、彼女達はまたもや売り子として精を出していた。
-
世話になったSさんとLさんからサニ族の刺繍や財布などを買った。
Sさんが持つ大きな刺繍は友人の贈り物にした。
もう一枚欲しいと言うと、「来年、留学に来る時までに作っておくよ」と返事があった。 -
昆明に帰る日、彼女たちはバスまで見送ってくれた。
「来年、また会いましょう!」。
「スリがいるから、バスの中では眠っちゃだめ」と何度も注意されたのに、つい眠ってしまった。
4時間かかって昆明へ到着。バスを降りると財布をすられていることに気がついた。恥ずかしいので、彼女達には今でも話していない。
昆明では留学予定先の雲南民族学院を下見するなどして過ごし、10月25日に香港へ出て、その後に一旦帰国した。
3ヶ月間にわたる雲南の旅は、その後の人生に大きな影響を与えることになった。この時ほど印象の強く残った旅も今までに無い。おそらく、ちょうど良い時代と場所だったのだろう。
雲南の旅 1989 終わり
雲南をゆく1990に続く
http://4travel.jp/travelogue/10512046
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この旅行記へのコメント (5)
-
- captainfutureさん 2010/10/13 23:56:38
- もう最終回とは!
- がおちんさんの少数民族に対する愛情がひしひしと伝わってくる旅行記でした。
この地がもう二度とは戻れない時代にこれほどの体験をなさっていて本当に羨ましいです。
>ツアーで石林に来ると添乗員から「土産売りはしつこいので無視するように」と言われるそうだ>が、馬鹿げている。
>これが彼女達の本当の姿だ。
がおちんさんの旅行記を拝見していると本当にそう思います。
- がおちんさん からの返信 2010/10/14 00:28:06
- RE: もう最終回とは!
captainfutureさん
こんばんは。
> もう最終回とは!
はい、89年の旅は終わりですが、雲南の旅はもうしばらく続きます。書き方が悪かったようです。
翌年(90年3月)からは、もう少しマニアックな旅になります。あまり一般受けしないと思いますが、captainfutureさんには楽しんでいただけると思います(笑)。
来週から新疆のリベンジに行かれるのですね。旧市街が壊されるのは本当に惜しいです。残念ながら私にとってカシュガルは幻になりそうです。
気をつけて行って来てください。
-
- arfaさん 2010/10/13 21:54:26
- こんばんは、arfaです。
- 思い出の雲南シリーズもこれで最終回になりましたか。
やっぱり、良き時代を新たに見ることができたドラマの終了は寂しいです。
漢族とは全く違う、我々日本人の生活習慣。雲南の少数民族やラオ族、クメール族、タイ族などに共通の習慣は見られるそうです。例えば正月の七草粥にお水取り、萱葺きの屋根の家などが漢族になく上記の民族に見られる習慣だそうです。
おそらく良く言われている通り、黄河流域で起きた干ばつ、飢饉のため漢族の大量の南下。揚子江文明エリアの漢族の侵入による崩壊を経て南へ逃げた人々が伝えたのが雲南から東南アジアにかけての少数民族やラオ族、クメール族、タイ族などの生活習慣、揚子江からボートピープルになって逃げ、黒潮に乗って列島にたどり着いたのが日本人の祖先の一部だと思っています。
先住民と交わりながら、伝えられた共通の文化や習慣があるというのが素晴しいですね。
- がおちんさん からの返信 2010/10/13 23:49:18
- RE: こんばんは、arfaです。
- arfaさん
こんばんは。
> 思い出の雲南シリーズもこれで最終回になりましたか。
> やっぱり、良き時代を新たに見ることができたドラマの終了は寂しいです。
「雲南の旅 1989」は終わりですが、次回から1990〜を載せます。翌年は昆明で言葉や少数民族の歴史・文化を学びながら、旅をしました。
1991年以降は開発が加速していったので、この頃の雲南が一番楽しかったです。
日本人の起源説、いろいろありますね。雲南でもダイ族やワ族などが稲作を日本に持ち込んだという説があるようです。
苗族の新年に行ったら、日本と全く同じ餅つきをしていました。きなこをつけて食べるのも同じ。私がついて見せると、彼らの方が「なんで知っている?」と驚いていました。
- arfaさん からの返信 2010/10/14 00:18:24
- RE: こんばんは、arfaです。
- arfaさん
がおちんさん、こんばんは。
>「雲南の旅 1989」は終わりですが、次回から1990〜を載せます。翌年は昆明で言葉や少数民族の歴史・文化を学びながら、旅をしました。
1991年以降は開発が加速していったので、この頃の雲南が一番楽しかったです。
そうですか、是非是非、楽しみにしています。
>苗族の新年に行ったら、日本と全く同じ餅つきをしていました。きなこをつけて食べるのも同じ。私がついて見せると、彼らの方が「なんで知っている?」と驚いていました。
そうですか、餅つきは臼と杵なので似たようなものですが、キナコまで一緒とは驚きですね。遠い祖先がお隣だったりと考えてしまいますね。(笑;
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