2012/06/22 - 2012/06/23
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kodeyanさん
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呉に一泊し大崎下島と大崎上島へ向かった。
大崎上下島行きのきっかけを作ってくれたのはwちゃん(4T非会員)kちゃん(4T非会員)だ。
いろいろ情報を頂いて、こんな面白い島があるなら行かねばなるまい、と思った次第である。感謝。
さて両島はオチョロ船でにぎわった歴史がある。
時刻を知らせるラッパが鳴ると遊女を乗せ勢揃いしたオチョロ船が沖に見える船へ漕ぎつける。
遊女は話がつくと女房気取りで一切の主婦の仕事を努めてやったのだ。
また大崎上島では売春防止法施行(昭和32年)前まで栄えた三階建て妓楼が色濃く残る町並みをそぞろ歩いた。
【現存せず】徳森旅館
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呉駅で目を惹く看板があった。
「温泉ビジネスホテル」
温泉か聞いたら言葉を濁したので温泉ではないことはわかった(笑)
まあ銭湯でもいいか。
駅から遠いが飛び込みで泊まることにした。
お風呂は、まさしく街の銭湯。
無臭透明の湯ながら保温効果抜群だった。
気のせい?! -
さんようバス 呉〜御手洗港@1290円
安芸灘とびしま海道(下蒲刈島〜上蒲刈島〜豊島〜大崎下島)を渡る路線バスを利用した。 -
呉から大崎下島・御手洗港まで約1時間半。
バスは1日4便しかない。 -
昼時なので、まずは腹ごしらえ。
かつては遊郭として御手洗の町を盛り上げた船宿「なごみ亭」へ向かう。
ここは1日1組限定だが宿泊もできる。 -
あなご丼1400円
ふわふわ感を期待しすぎたのか、ちょいと固め。 -
朝採れ定食1600円
これはよかった。
刺身は カレイ イカ アイナメ。
茶碗蒸し しめじ煮つけ ?の唐揚げ イカ煮 漬物 赤だし ご飯がつく。 -
なごみ亭の階段は急勾配だ。
あの飛田新地で見た階段と似ている。
玄関の扉と階段の位置関係も似ていた。 -
食堂は1階だがトイレが2階なのでトイレを借りれば2階も見学可能だ。
ただし宿泊客がいないときに限られる。
2階には海が見える部屋があった。
目の前に瀬戸内海の美しい景色が広がる。 -
遊郭らしい誂え品も。
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江戸時代に栄えた遊郭を再現した部屋。
派手な朱色が艶めかしい。
船長や機関長は上陸して岡芸者と遊んだというから、きっとそういう人が利用したのだろう。 -
洗面室の階段は御手洗の住吉神社の石橋の手すりと同じデザインだそうだ。
手すりと遊郭独特の朱色の軒が印象に残る。 -
元船大工の宮本さんの作業所も覗いた。
北前船とオチョロ船のミニチュアが並んでいる。
オチョロ船は上島では明治20年代から木江港とメバル港に存在した。
下島には慶長年間から御手洗港にあった。
この海上遊郭は日没からまわり日の出に戻る。
船脚の速い屋形船で船型からどんぐり船とも呼ばれた。 -
瀬戸内の港町では船着場の石造りの階段を今でも雁木(がんぎ)と呼んでいるそうだ。
船宿の前に、その雁木があった。
汽笛の回数と波長で馴染みの船を識別し
雁木から「今晩行くよ」と叫ぶ
船員は馴染みの女の声がするか聞き分ける
雁木は物語りの舞台でもあったのか。 -
防波堤と雁木の交差するところに住吉神社がある。
狛犬の土台に「若胡屋(わかえびすや) 亀女」の彫刻があった。
若胡屋は、広島藩公認の御茶屋であり御手洗で一番栄えた御茶屋だったそうだ。
(最盛期には百人以上の遊女をかかえていた) -
いったんオチョロ船から離れて御手洗の散策。
御手洗は重要伝統的建造物群保存地区になっている。
江戸時代の中継貿易港として栄えた残像を散策できるのだ。
このなまこ壁の屋敷は明治初期のもの。 -
足長小学生の看板は珍しい。
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下見板張りの洋館建築の越智医院
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モアイに見えるバルコニー
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乙女の涙・・ に見える?
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ケヤキの木製看板は戦前のもの。
大崎上下島は、映画『ももへの手紙』の舞台になっている。
特に御手洗はPRがすごい。
映画『ももへの手紙』予告編
http://www.youtube.com/watch?v=hpzecZnRI44 -
明治の時計やさん
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よ〜く観察すると屋根瓦の細工がおもしろい!
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御手洗から大長(おおちょう)までテクテク20分ほど歩いた。
シマダスを見てなんとなく決めた大長のオレンジハウスが今宵の宿だ。
1泊2食つきで5250円/人。 -
荷物を部屋に置いて大長の散策開始。
大長というと、みかんで有名だ。
みかん運搬用モノレールの「モノラック」があちこちにあった。 -
大長の集落は俯瞰して臨むと素晴らしいと聞いていたので山道を登ってみた。
銀色の瓦屋根が宝石のように散らばり、それは美しい光景だ。
麗江を思い出した。
BS朝日 にほん風景遺産スペシャルで瀬戸内海 島々の絶景 大崎下島 みかんと共に移ろう島の四季が選ばれていたのも頷ける。 -
宇津神社のコマちゃんたち。
狛犬の下台まわりの彫刻は狛犬の達人auntofasiaさんにご教授いただいてから見るようなったのだが、これがおもしろい。
狛犬の作者や歴史がわかり楽しくなってくる。 -
1泊2食つきで5250円って、どんな食事かいな、と思ったらけっこうまともだった。
めばる刺身 めばる煮つけ 海老フライ 甘エビボイル ご飯 味噌汁(天かす ワカメ ねぎ) 茄子煮
バスタオル フェイスタオルなし、トイレ浴室共用ながら夕食はまずまず。 -
大長〜天満(木江) @700円
朝食をすませたら、オレンジハウス目の前の大長港から大崎上島へ向かう。 -
昭和の香りがする大長港
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しまなみ海運の高速船で大長から天満(木江)まで20分の船旅だ。
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風待ち 潮待ち きのえ(木江)の港
おちょろ出船のラッパ鳴る
大崎上島は大正時代に黄金の島といわれた。
九州ー阪神間を往来する石炭船の食料、飲料水の補給港としてにぎわったのだ。 -
天満港近くに超ディープな町並みがある。
エッセイストの斉藤潤氏が、重要伝統的建造物群保存地区の8割を歩いたが、木造三階建ての商家がこれだけ集まっている土地は他に知らない、といったところである。
特別に保存しているわけでもなく、ただそのまま残っているだけという虚脱感が漂っている。 -
この建物は、後日wちゃん情報により「スナック喫茶ニューホノルル」だった建物と判明した。
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野菜が並ぶ松浦食料品店のあたりは、縁台が並び客待ちの女性たちが並んで座っていたというところだ。
しかし、この木江遊郭街は、ここだけ時代から取り残されている。 -
古看板にうどん、そばの字が残っているのは松野屋という食堂だったところだ。
ディープすぎる。 -
この建物もカフェだったところだろう。
扉の隙間から中がちらっと見えた。
左手にカウンターがあり、ほかにテーブル席が二つ、そして奥に急な階段があった。 -
洋酒喫茶というのも昭和っぽい。
ここも三階建てだ。 -
これ、これ。
EXPO’70セールのシール。
40年以上も前のものが見られるとはすごすぎ。 -
遊郭街の路地奥に天満鼻金刀比羅神宮があった。
ここのコマちゃんがおもしろい。 -
珍しく陶器製なのである。
松浦食料品店のおじさんにいつの時代のものか聞いたら小さい頃からあったものでわからない、といっていた。 -
遊郭街から離れたところにある徳森旅館(昭和10年築)
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収穫を終えたみかん農家が朝から芸者をあげて遊興に浸っていたのが二階の部屋だという。
いまは人影も少なく、かつての繁栄ぶりは昔話になってしまった。
しかし遊郭街の建物も徳森旅館も腕の確かな船職人が建てたから現在まで残っているのだろう。
貴重なものを見ることができた。
そしてタイムスリップしたような気分になった。 -
大崎上島からは高速船で竹原へ向かった。
竹原 忠海 三原編につづく・・
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