2026/10/18 - 2026/10/18
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きんさん'さん
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小野妹子が謁見した隋の煬帝の陵墓や、東渡して日本にいらした鑑真和尚が住職で授戒を授けていた大明寺など、一度も王朝の都になったことはないが、運河によって大きく栄え特に日本にはゆかりの深い名所の多い揚州を、出張ついでの上海起点で週末日帰りぶらぶら
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上海出張時の定宿が予約できず、安めのホテルに宿泊。可もなく不可もなく。
欧州のトラベラーは早起き0630ホテル出発の人が多いみたい。旅の時だけは早起きできる僕には好感です。中国人の方々は一般的にのんびり行動ですよね -
上海駅から出発。揚州東駅まで2時間弱の道のり。日頃の睡眠不足を補ってウトウトするも良し、タブレットに保存した映画を見るのも良し。日帰り小旅行には丁度よい距離
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揚州東駅から目的地までは「游3」のような観光路線バスも使えるようだ。今回は僅か数分差で乗り過ごしたので、タクシー利用
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隋炀帝(楊広)の騎馬像。昏君には非ずも,過激な改革者は自ら二代目で強大な隋国を滅亡に向かわせてしまった。
国庫には50年はもつ程の十分な物資もあった。しかしあまりに性急な国家大事業推進で、農民を苛酷に用役して人民経済が破綻、農民の蜂起とクーデターを誘発した。
運河工事、東都・江都建設、高句麗征伐、長城強化の工事を、全て完成を急がせるためなら反対者は建国の功労者でも処刑した。
現代の企業経営に例えれば、無理な事業計画で黒字倒産しかけたところにつけこまれ企業乗っ取りをされた感じか。銀行など進んだ経済システムがなくリーダーの暴走に歯止めをかけるシステムがなかった。
しかし楊広の壮大な国家強化のプランは、唐が引き継いで無理のない堅実な進め方で大いに恩恵を預かった。唐の繁栄の礎を一部築いたのは隋炀帝なのでしょう -
炀帝はクーデターで急死した。命乞いはしなかったが、刀で切られることは拒み、紐で首を締めさせて死んだと伝わる。
遺体は蕭皇后により守られて一旦宮中の流珠堂に仮埋葬されたが何度か改葬された。蕭皇后が亡くなると唐の太宗かな、が炀帝陵に一緒に葬られた。
クーデターにあった末帝なので他の偉大な皇帝と同じように豪華な埋葬はされず、皇帝として最低限の礼だけ尽くされ、この人物には相応しくない簡素な埋葬になった。 -
写真は蕭皇后の墓。
唐の初期を過ぎるとあまり敬意を払われていないこの墓はすぐに忘れられてしまった。(途中安史の乱もあったから)唐の末期には誰も顧みず1000年の眠りについた。清代には史書から推測しても具体的な場所は特定できなくなっており、1~2km離れた別の場所に槐泗陵という記念墓が作られていた。
2023年に土地開発の課程で偶然に発見され、徹底的な発掘調査により、こちらが真の隋皇帝陵だと認定された。 -
驚くべきことに、隋炀帝の齒が発見されている。
推定年齢約50歳で、史書の上での死亡年齢と整合する。 -
死後まで波乱万丈で過小評価されて来た皇帝も、1000年の眠りから発掘され日の光が再び当たり、鉄筋とコンクリートの屋根を与えられて、今は皇帝として本来あるべき威厳をある程度取り戻している。良かったですね
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墓誌もしっかり出土しており、仮埋葬の経緯も読み取れます
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蕭皇后の冠のパーツもよく残っています。細工が細かくで美しい。唐の時代に後で作られ贈れたものかもしれません。
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副葬品の中には山海经に出てきそうな奇怪な生物もある。なんだか気持ち悪い
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少し移動して、次は鑑真和尚ゆかりの大明寺を訪れました。
長屋王の漢詩がきっかけで(とよく言われる)5度の失敗にもめげず失明しながら6度目の航海で東渡に成功し日本に律宗(戒律)を伝えた鑑真和尚はここ大明寺で住職を努め且授戒の師として高い地位にいました。 -
境内の建築物は全て後代のものですが、静かで落ち着きのある佇まいなので、鑑真和尚を偲ぶには良い場所です。
因みに空海もここに立ち寄っていると思われます。 -
鑑真和尚像。日中の仏教界、文化界などの人々の尽力で、和尚の20甲年(1200年)忌が催された時に、唐招提寺の像をきれいに模して作成され寄贈されました。見たことのあるお顔です。
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鑑真和尚の記念館の入口に碑があります。題字は郭沫若。
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裏には仏教学者の趙朴初先生の碑文が彫られていますが、特に碑文は今の難しい日中関係の折に読むと染みますね。鑑真和尚像とこの碑文が見どころですから。訪れた人にはこれをしっかり読んで、日中友好を祈念して欲しいものです。
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境内には昔李白や白居易などたくさんの詩人、文人が登った9層建ての栖灵塔が立っています。
白居易が、
半月悠悠在広陵,何楼何塔不同登。
共憐筋力猶堪在,上到栖霊第九層。
と読めば、劉禹錫は
步步相携不覚難,九層雲外倚闌干。
忽然笑语半天上,無数游人挙眼看。
と返したそうです。
白居易さんの時代は、ハアハア息を切らせながら登ったことでしょうが、今は立て直した塔にはエレベーターがついてらくらく登れます(免費)。風情なくてごめんなさい。
塔の上からは痩せ西湖の美しい景色とともに、堀に囲まれた隋唐の揚州城の輪郭が今でもはっきり望めます。
塔は隋代に建てられ初めましたが、何度も修築。
最上階では、現代になってから集めた6つの仏舎利も拝めます -
あっちが大体、漢代から清代までの揚州城が堆積しているエリア。隋、唐の城壁が少し保存状態よく残っているそうなので夕方は城壁探しの散歩に費やします
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公園になっている場所は造園や芝生や樹木でカモフラージュされ、分かりにくいですが、それでも盛土がはっきり見えてます。
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ここは門で切れていて断面が見えるのではっきり
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公園外れて荒れ地になると横の城壁はよく見えるようになります。東辺を半分、北東角まで歩きました。大きい都市ですね
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城壁探索終了後は東関街という古い町並みを散歩してから、
お約束? の揚州チャーハンで腹ごしらえして、上海に帰ります -
タクシーを呼ぶ間に揚州を港町として多いに栄えさせた大運河の一段を眺めて、目に焼付ます。昔は、ここにたくさんの船が上下してたのでしょう。
おしまい
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