2026/09/06 - 2026/09/08
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mom Kさん
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ウークイに行けない夏だった。だからせめてものと全島エイサー祭りの開催地沖縄市に出かけた。
当日の夜は、コザ泊。“さざんか荘” は、あの照屋の近くと着いて知った。それからは幸運の連続。海外旅で「予定通りいかなくて当たり前」、「上手く行けばラッキー」と言う心構えが出来ている。だから、思いもしない素敵に次々と出合うと恐くなる。一層慎重に旅を続けると心した。
- 旅行の満足度
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 高速・路線バス JRローカル 徒歩 Peach
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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座喜味からのバスは、胡屋で降りた。「沖縄全島エイサー祭り」本日の開幕、午後三時までまだ時間が十分ある。“シアタードーナツ” の上映作品をチェックして、歩いて会場へ向かうことにした。
「上間てんぷら」の前を通りかかる。お昼時のお客さん出入りにつられて入る。いかの天ぷらとポー玉おにぎりを手に取って、レジに並んだら、前のお客さんが沖縄そばの小を入れてもらっている。彼はタコライス弁当と一緒にお昼ご飯のよう。それを見た私、「おそばを小お願いします。」♀「蓋をしましょうか。」「いいえ、お店の前で食べさせてもらいます。」
会場でのピクニックランチのつもりが、熱々沖縄そばになった。正解。上間てんぷら店 ゴヤ市場 専門店
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沖縄に入って、毎日琉球新報を丹念に読んでいる。うちなんちゅは、どう選択するのだろう。「誰」ではなく、「何を」。
知事選挙は、次の日曜日。9月13日に迫っていた。
ゲート通りの沖縄市戦後文化資料展示館ヒストリートに向かっていたら、このポスター。
“ デニーは来ない デニーナイト ” 残念。終わっていた。
“ヒストリート” で逢えた。石川文洋さんの写真。先月、新聞で訃報を知ったばかり。だから、どきっとする。前回訪れたとき気づかなかったから、「僕は、ここにいるよ。」と言われたみたい。
中学から高校にかけて、朝日新聞で夢中になったお二人がいる。そのお一人が石川文洋。私には、歴史上の人物。
写真は、小学生低学年の女の子が二人、傘を差して道草しているように歩いている情景。
彼のキャプションには、
「復帰の日のセンター通り
復帰の日は一日中、雨が降り続けていた。 1972.5.15 石川文洋」 -
ゲート通りからクラウンホテルのそばを通って進んで行くと、琉球瓦のおうちが目に付く。珍しいなあと思って、立ち止まっては眺めていたら、
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瓦全体を真っ白に塗ったおうちも現れる。一軒や二軒どころか、あっちにもこっちにも。戦後建てられたものだろう。ほとんど平屋。
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町名は、「上地町・・」となっていた。エイサー祭りの交通整理と案内に立っておられる警備員さんに尋ねても「この辺りは多いです。」と応えてくれた。
きっとわけがあるのだろう。 -
沖縄市運動公園に着くと、3時の開幕セレモニーエイサーが始まっていた。
続いて池原地区青年会のエイサーがトップを務めて披露。大太鼓が先頭で勇壮な演舞。
平敷屋以外のエイサーをあまり見たことがないので、その違いに見入る。バーランク―の動きも大きく、よく練習されているメンバーのそろい方。力強い。
暑い。宿にチェックインして、夕暮れ時に出直してと決めた。屋台街の間を出入り門に向かっていたら、プログラム掲示板に出合った。
平敷屋青年会の文字!彼らに会える。7時20分から。分かった。興奮押さえきれない。観ることができると思わなかった。お祭りは昨日が始まりで、今日が最終日。道ジュネも土曜日と、沖縄に着いてから琉球新報で知った始末。悔やんでいた矢先。
この幸運はなんだろう。
門を出て、さてHOTELへはどうしていこうかと立ち止まった時、タクシーが目の前で止まり、お客さんを下ろした。幸運は続く。(このドライバーさんの語りは後に)沖縄市陸上競技場 名所・史跡
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初めてのお宿は予想以上で、気持ちよく2時間シェスタ。
早めの6時に出る。コザ十字路のバス停へ。傘を持って来なかった。
バスを降りた途端、雨が降りだし、雨宿りしながら会場に着いたら、7時を過ぎていた。昼間と違い、大変な混みよう。前を歩いているカップルの男性の腰にバーランク―の撥。恰幅がいい。急ぎながらも声をかけずにいられない。「もうエイサー終わられたんですか。」振り向いた彼女がとてもいい笑顔で、「いいえ、チョンダラー(多分彼女)をしてるんですが、今回出てないんです。♀「えっ、平敷屋!だったら、もう始まりますよ。早くいかないと。」と私を人ごみの中へ押しやるように送り出してくれた。別れのお辞儀をすると、陽に焼けた彼も笑っていた。
会場に着くと、やはり少し時間が押していて、その前の「東エイサー」演舞中。待機場に、彼らの姿を見る。私の興奮度がいきなりの絶好調。
少し長いアナウンスが始まった。もうばくばく状態。
アナウンス嬢「おまたせしましたぁ~。平敷屋青年会のみなさん・・・」(続きがどんな言葉だったかワスレタ。) -
演舞中に日が暮れ始めた。これこそ平敷屋。そう、彼らのエイサーは、お日様の下で見るものではない。
「東(あがり)」と「西(いり)」が合体して、もう2年?3年?
バーランク―は20人を数えられた。男女踊りもチョンダラーも、私が平敷屋エイサーに出合った頃のそれぞれの組人数より少し多いかな。これだけの人数は一層圧巻。二つの組が一緒になったと知った時は嘆いたが、地区の人々にとってどれほどの決断を迫られてのことだっただろう。
そんなことを思ったり、今年拝所に行けなくてここで会えた喜びをかみしめたり、忘れられない最初の頃の2番手の踊り手の二人の顔を思い出したり。私、泣きそう。 -
演舞が終わって退場に向かう彼らを追って、グラウンドに駆け下りた。
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演舞場を出て、隊列をといても、彼らは無言だ。
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集中を解いていないかのよう。
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最後の人は、三線の男性。
そのお顔の静かなこと。興奮する己の姿が恥ずかしい。彼、二十歳を過ぎたばかりですよ。歩き方にも“今どきの若者”の緩みが全くない。着物も着慣れているさばき。こんなにも美しいものを見られるシアワセ。
綿々と続かせる平敷屋の土地力をまた思う。人に現れるなア。
何度も何度も思うこと。あなた方に会えたこと。このとてつもない幸運。 -
待機場まで追いかけて、ありがとうだけは伝えたかった。
バーランク―の二人がようやく緊張を解いたかのように話し合っていたので、「ありがとうございました。」と声をかけた。二人が、「○○○でしたか。」と、うちなんちゅ言葉で返してくれた。多分、「うまく踊れていましたか。」という意味だと思う。やや問いたげな口調が伝わった。私は、「はい、素晴らしかったです。」と返事をした。
続いてチョンダラー二人にもお礼を。酒樽を担ぐ役目の二人は、今夜はひとところで演舞。「ありがとう。」を言う私に、♂「今日は、動き回らなかったでしょう。」と。「でも素晴らしかったわ。来年はウークィにお会いしたいです。」と言って、撮影と公開する許可をもらった。(この写真を来年拝所でお渡しできますように。)コザ運動公園 公園・植物園
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幟を下ろしかけていた。
「撮影させてください!」と声をかけたら、三人はまた戻してくれて、この笑顔も。
最高! -
早く帰りたい。ますます人が増えてくる中を逆行するように「園田」バス停に向かった。雨が止んでいる間に戻れますように。急に降り出した強い雨を避けるように軒下に避難していた、道路沿いの綿菓子屋さんやかき氷やさんも張り切って再開営業中。
浴衣姿のうちなんちゅも多くなる。お祭りだァ~い。コザ運動公園 公園・植物園
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翌朝、白み始めた頃に目が覚めた。小さなディバッグ一つだから、パッキングも何もない。ベッドでまどろんで、昨夜の一部始終を蘇らせていた。私は幸せ。謝花さん、どうぞお元気でいてください。
6時になった。チェックアウトの10時までお散歩しよう。
さざんか荘の前は、越来グスク跡。 -
昨日のタクシー運転手さんのお話。行き先を告げた私は「最初、ゴエクと読めなくて。」と呟いた途端、運転しながらぽつりぽつり話してくださった。
以下、70代と思える彼の語り。
「ごえくとアメリカ軍が読めなくて、コザになったんです。(私は、昔、別の説を読んでいる。胡屋のローマ字表記からおそらくスペイン語に引きずられてと推測。)
私、コザ高校だったんですが、履歴書にカタカナを書くのがいやでいやで。本土に働きに行ったんです。みんなで集まった時は、沖縄の言葉ですよ。ちょっと本土の言葉を使うと冷やかされたもんです。そのころ沖縄では仕事がなくてね。役所やそんなところは、みんな○○の下でねえ。伝手がないと入れなかったんです。誰でもできる仕事なのにねえ。(若い頃エイサーされたのですかと聞くと)バーランク―がうまく叩けなくてねえ。難しかったんです。大太鼓しました。(越来エリアの細い道に入った)この辺りは、全部お城だった跡ですよ。(止めるところ)どこがいいかなあ。」
考えあぐねる運転手さん。 -
丘陵である越来、城前町は迷路とは数年前歩いて知っている私。「少しなら歩いて行きますから、どこでもいいですよ。」と言った。てっぺん辺りの角で止めてくれて、「この道の向こうに見えていますからね。」と教えてくれた。
幸運な出合い。 -
ここが、一番上の展望エリア。少し前まではもう少し高く、太平洋も見えていたと掲示板表記にあった。
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今日は、晴れた夏空になりそう。
照屋に向かおうと、この階段を降り始めたときだった。
向こうに女性が一人歩いてきたと思ったら、立ち止まって私を見つめる。挨拶をする。♀「M子さん?」近づいて、ヒト間違いと気づき、前日同じさざんか荘に泊っている女性と知り合ったと教えてくれる。
どちらから、ご旅行ですかなどとお決まりのお尋ねに、「エイサー祭りに来て、昨日平敷屋エイサーを観ることができました。」と答えるや、いきなり抱きつかれた。
その理由も驚くべきもの。またもや幸運な出合い攻勢。 -
彼女のお名前もおうちも丁寧に教えて下さったが、私は今行っておきたいところがいくつもある。お話はまだまだ続くようで申し訳なかったが、名残惜しむ彼女と別れた。
下って、大通りの向こうの照屋に入った。 -
数年前に初めて歩いたとき、不動産屋さんに区画整理か何かの看板を見て、気になっていた。
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ところどころに整地になった空間があるものの、落ち着いているように見える。
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物々しいものはない。変わりがないように見える。
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商店街に入る。
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やはり以前の時のように閉店のままでも、通路は美しく掃除や手入れがされている。
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新しいお店のようです。
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ここでコザ騒動50年の集いがあった。
以前なかった看板。私には、「怒り」と読める。 -
ここにも新しいお店。嬉しくなる。
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まだ時間が早すぎますね。次回、必ずお買い物するお店発見。11月は、コザにも泊まると決めた。
コザ十字路歴史絵巻(コザ巨大壁画) 名所・史跡
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早朝に向かいたいところがある。
越来城水辺公園 公園・植物園
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農蓮市場。
那覇のかつてのそれを思い出せる唯一のところ。
おられました。同じ売り方のお店とおばあ。椅子でお休み中。中部農連市場 市場・商店街
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常設店舗数軒営業中。お野菜をチェックして帰りに。
道を渡って、お向かいに。中部農連市場 市場・商店街
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アチこーこーの言葉を知ったお店へ。
閉まっている。入口でお弁当とサンドイッチを数個並べて販売中の年配男性のみ。
そこにお客さんが来られてお買い上げ。
私は、ここでアンダギーと珈琲の朝食のつもりだった。
建物の中は、閑散としていた。
お隣の仲松商事でタコスの調味料三種に沖ハムコンビーフ、ホーメルポークシチューレトルト、刻み昆布など持てるだけ購入。 -
やはり帰り道を間違い、越来郵便局が見えて気づき、引き返す。
城前公民館も立派です。
越来グスク跡公園を見やると、お掃除されていたので挨拶。
すると、手を留めてわざわざそばまで来てくださって、恐縮。
そんなつもりではなかったんです。
来月からではグスク跡に入れなかったそう。整備に入り、駐車場ができるらしい。ショック。このままでも十分なのに。
月と木に老人会でお掃除されていると教えて下さった。 -
民宿と名がついているイメージと程遠い。ここは設備もプライバシーもホテルです。
後で尋ねたところ、ご両親はビジネスホテルをされていて、♀「食事を提供しなくなったので、名を変えました。」ということだった。心休まるお宿 by mom Kさん民宿 さざんか 宿・ホテル
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二階に部屋が並んでいる。三方に分かれて、とても美しくお掃除が行き届いていて気持ちがよい。私は、玄関に備えられているスリッパは必要ない。ペタペタ音が鳴り、階段もよろしくない。
心休まるお宿 by mom Kさん民宿 さざんか 宿・ホテル
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左手奥、203号室が私の部屋。11月も同じ部屋をお願いしておこう。
心休まるお宿 by mom Kさん民宿 さざんか 宿・ホテル
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check outタイム5分前に玄関へ。
女将さんにちょうどお会いした。昨日チェックイン時からずっとこの大画面テレビでエイサー映像が流れていて、出入する度に平敷屋エイサーが現れないか見ていたが。
そのことを何気なく話すと、♀「ありますよ。」とささっと、テレビ横のキャビネットを開く。取り出すや今年のウークイ、平敷屋エイサー映像!ああーーーーー! -
折りたたみ椅子を出してくださった。
途中、クラッシュ氷入りのさんぴん茶まで。恐縮。
静かなお宿。私だけにしておいてくださった。
結局、最後まで2時間余拝聴。心休まるお宿 by mom Kさん民宿 さざんか 宿・ホテル
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2012年夏、従兄が亡くなった年だった。
前年の那覇泊の宿で若い女性と出会った。二人だけで用意されていた朝食テーブルに向かい合っていた。彼女は、「平敷屋エイサーに来ました。」と言った。私は、初めて知った。 -
その旅の偶然は続いた。帰りのANAだったかJALだったか、機内誌で平敷屋エイサーの特集が巻頭から始まり、数枚の写真に詳しい解説がされていた。夜中に終わる奇祭という表現も使われていたと記憶する。
実は、彼女に聞いたあと、平敷屋までバスで行ってみた。とてもレンタカーでないと来れない時間帯であり、場所と分かった。 -
2012年のウークイの夜、初めて平敷屋エイサーを拝所の前で観た。
心休まるお宿 by mom Kさん民宿 さざんか 宿・ホテル
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終わって、坂道を下る時、お月様は満月だったこと。私は死ぬまでここに通うと決めた。
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この十年余、新盆と重なり、一度だけウークィに来れなかった。そして、今年は二度目の無念の夏だった。
でもこうして会わせてくれた。画面に昨夕言葉を交わしたバンクラーの青年もいる。
来年、まだ25歳を越えないだろう。会えるはず。 -
この15年、平敷屋エイサーについていろいろな人から教えてもらった。首里の女性から、テレビのドキュメンタリー番組を録画したCDも送られてきた。お礼のしようがない簡単な宛名とお名前だけだった。
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ビデオだからこそ、気づいたことがある。
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バンクラーの人たちは、休憩時の体勢は同じ。声を出さない。汗もぬぐわない。
自分から飲み水の要求もしない。受けるか断るかわずかな動作で示すのみ。
チョンダラー達は自分たちも演舞をしているのに、彼らの間を忙しく周り、彼らの表情を読む。声をかける。そして、白い綿シャツの腕を差し出し、彼らの汗をぬぐっている。この光景は、合併前は見ていない。心休まるお宿 by mom Kさん民宿 さざんか 宿・ホテル
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勝連グスクの下で、オジイと会った。貴重で楽しい平敷屋エイサーについてたくさんのレクチャーを受けた。
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バンクラー踊り手は、神様の使いなんだろうか。
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この歌詞の意味を知りたい。思い続ければ、きっとそのことも叶うような気がしている。
心休まるお宿 by mom Kさん民宿 さざんか 宿・ホテル
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翌朝、読谷。私のベッドからの眺め。
来年のウークイまで元気でいること。毎日を大事に生きること。
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