2026/05/15 - 2026/05/15
213位(同エリア1937件中)
かっちんさん
NHK学園アウトドア講座「日本橋川・神田川クルーズ名橋めぐり」の後半です。
案内役は東京都道路整備保全公社の「紅林章央」氏。
橋の歴史や時代背景、橋の構造などの説明を聞きながら、クルーズ船からの醍醐味を楽しみます。
紹介する旅行記は、神田川から分岐する日本橋川の三崎橋から皇居北側、日本橋を経由し豊海橋まで、そこから隅田川に入り上流側の両国橋へ、神田川出口から入り浅草橋へ戻る「日本橋川・隅田川クルーズ船旅」です。
明治期の橋と関東大震災による復興橋をクルーズ船から眺めます。
★2026/8/31 昭和44年の都電17系統の写真がありましたので、定期券写真の次に追加しました。
なお、旅行記は下記資料を参考にしました。
・NHK学園資料「東京の橋めぐりクルーズマップ」「神田川に架かる橋」「日本橋川に架かる橋」
・土木ウォッチング「JR中央・総武線の小石川橋通架道橋」
・ドボ博「ドボ鉄170ドイツ製トラス橋と甲武電車の登場」
・国土工営コンサルタンツ「橋梁の種類とは?材質や構造の違い、役割について」
・橋と道路のはなし「鈑桁橋」
・轍のあった道「三崎橋/都心に残る下路プレートガーダーの道路橋」
・インスタグラム、中村風呂屋の煙突さんブログ「小石川橋通架道橋」
・鹿島「神田川を舞台に御茶ノ水駅上空に橋を架ける」:神田山の開削
・note、takira「第2章 日本橋川の変遷(第1節・第2節)」:平川の埋め立て
・東京ウォータータクシーのHP
・H.Kumaさんブログ、Rail & BIkes「飯田町駅」
・共立女子大学のHP:聖女奏楽の像
・リタイア男の暇つぶし「雉子橋門」:石垣
・皇居外苑「石垣の秘密」
・コア東京Web「Kure散歩|東京の橋めぐり28」:一ツ橋、西河岸橋
・コア東京Web「Kure散歩|東京の橋めぐり13」:新大橋
・コア東京Web「Kure散歩|東京の橋めぐり 9」:両国橋
・千代田区「錦橋」
・ものつくり大学建設学科橋梁「東京の橋,建造物」:中央線外濠橋梁
・日本橋川・神田川に清流をよみがえらせる会「日本橋川」、「錦橋」:乱れ積み、神田橋
・東光コンサルタンツの技術短信「鋼床版橋について」
・橋と道路のはなし「箱桁橋」
・東京いろいろ情報館「新常盤橋」
・中央区観光協会特派員ブログ「常磐橋、常盤橋、そして新常盤橋」「リボーン 常磐橋 !」「関東大震災復興100年、「江戸橋」にみるその歴史」「新川に架かる9つの橋(シリーズ1回目:湊橋・豊海橋)」「隅田川・両国橋の球体ってなんだろう」
・土木遺産を訪ねて「常盤橋」
・ときわんジャーナル「常盤橋と常磐橋」
・note「わが街の歴史的建造物[第2回]~日本橋について~日本の道路の原点」
・総務局「日本橋の麒麟(きりん)像ホームページのロゴ画像について」
・東洋不動産「茅場町の茅場橋」
・中央区を知る「清州橋」
・オフィスアンド「Daiwaリバーゲート」
・千代田区観光協会「三崎橋」「堀留橋」「雉子橋」「一ツ橋」「錦橋」「鎌倉橋」「常磐橋」
・ウィキペディア「神田川」「日本橋川」「甲武鉄道」「飯田町駅」「堀留橋」「ゲルバー橋」「俎板橋」「キーストーン」「Daiwaリバーゲート」「両国大橋」「両国橋」
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 船
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
-
「東京の橋めぐりクルーズマップ」
橋めぐりコースは、最初に神田川の浅草橋から上流の後楽橋へ向かいます。
その後、日本橋川に入り、三崎橋~皇居北側~日本橋~豊海橋~隅田川~柳橋~神田川~浅草橋まで一周します。
1時間30分のクルーズ船の旅です。 -
日本橋川の「三崎橋」(神田川からの眺め)
神田川から分岐する日本橋川入口の「三崎橋」。
明治に日本橋川再掘削にともない架橋されましたが、現在の橋は昭和29年(1954)に東京都が改架した「下路式単純鋼鈑桁橋(かろしき たんじゅんこうばんげたきょう)」です。
「下路式」は、通路が主構造の下部に位置する形式。
「鈑桁橋」は、アルファベットの「I」の字の形に鉄板を組んで桁を製作し、この桁を柱と柱の間に横桁を渡し、荷重を支える橋です。
濃い緑色の橋が車道「三崎橋」、その両側にエメラルドグリーン色の歩道橋があります。
さらに奥にJR中央緩行線の「小石川橋通架道橋」があり、ちょうど黄色い電車が通ってます。 -
3つ目に見える白い欄干の橋は「新三崎橋」(日本橋川)
平成14年(2002)千代田区が架設した「単純鋼床版鈑桁橋(たんじゅん こうしょうばん ばんげたきょう)」です。
「鋼床版」とは、床(路面)部分にコンクリートではなく鋼板を用いたもの。 -
イチオシ
美しいトラス構造のJR中央緩行線「小石川橋通架道橋」(日本橋川)
明治37年(1904)甲武鉄道(中央線の前身)が飯田町-御茶ノ水間に架設されたドイツのハーコート社製造の「ワーレントラス橋」です。
この鉄道橋は、日本橋川だけでなく、橋の両側の道路橋を含め連続するので「架道橋」と呼ばれています。 -
「赤煉瓦の橋台」(小石川橋通架道橋)
明治期に造られた赤煉瓦積みの橋台が今でも健在です。 -
「日本橋川と首都高速道路」
首都高速道路の高架下を日本橋川が流れています。
首都高速道路は、東京オリンピックが開催された昭和39年(1964)に日本橋川の上に造られました。 -
「あれっ、江戸時代に日本橋川が無い」(NHK学園の資料)
日本橋川の原形であった平川は、江戸時代初期に江戸城周辺の洪水対策として、平川を三崎橋から神田山と呼ばれていた本郷台地(湯島台・駿河台)を開削して流路(現在の神田川)を変更。
そして、平川の三崎橋~九段堀留間(現、南堀留橋)は埋め立てて平川下流と分断しました。
ここは飯田堀、飯田川とも呼ばれています。
その後、明治になると埋め立てられた飯田堀を再び開削し、開通した甲武鉄道の飯田町駅(いいだまちえき)との運河として使われるようになりました。
その時点から日本橋川と呼ばれています。 -
「海上タクシー」とすれ違い(日本橋川)
個人でもクルージングが楽しめるタクシーです。
次の「あいあい橋」は写真が撮れず。 -
まもなく「新川橋」(日本橋川)
昭和2年(1927)東京市が架設した「3径間ゲルバー鋼鈑桁橋」。
反対側の右岸には、かつて飯田町駅がありました。 -
「ゲルバー橋の構造」(新川橋)
ゲルバー橋は、柱から突き出した「片持ち梁」と、その間に挟まれた「中央の桁」を「ヒンジ」で繋いだ構造です。 -
昭和40年代の「飯田町駅」(昭和36-45年、1961-1969地理院地図Vectorを引用)
三崎橋~新川橋間の右岸に明治28年(1895)に開設した甲武鉄道「飯田町駅」がありました。
当時はまだ電化されておらずSLの時代。電化は明治37年(1904)で、電車運転の始発駅になりました。
その後、関東大震災からの復興に際し、昭和3年(1928)に貨客分離を目的とした複々線化工事が新宿-飯田町間に完成。
これに伴い隣の牛込駅と飯田町駅を統合し飯田橋駅が開業。
飯田町駅の電車線の列車発着はなくなり、その後、長距離列車発着用のターミナル駅に。
昭和8年(1933)には旅客営業を廃止し、荷物や貨物の専用駅(飯田町客貨車区)となりました。
航空写真は昭和36-45年撮影の国鉄時代。
長い旅客列車がとまっている様子がわかります。
また、SLの転車台跡も確認できます。 -
昭和42年の「長距離客車列車」(JTB時刻表 昭和42年10月号)
新宿発の夜行列車に客車が使われています。
22:35発急行寝台「上高地」長野行き、23:45発普通長野行き、0:30発「八ヶ岳高原号」、0:45発「霧ヶ峰高原号」など。
昭和40年頃、中央線に乗っていると水道橋-飯田橋間で「飯田町駅」に停車している客車の側面を、水をかけてモップで清掃しているところをよく見ました。 -
昭和50年代の「飯田町駅」(昭和49-53年、1974-1978地理院地図Vectorを引用)
昭和47年(1972)には駅構内に「飯田町紙流通センター」の紙流通倉庫が開業。
日本各地からの紙輸送列車が飯田町駅に到着するようになりました。
東京には出版社や新聞社の印刷会社が多く、紙の供給が必要でした。 -
現在の「飯田町駅の再開発」(令和8年、2026地理院地図Vectorを引用)
「飯田町紙流通センター」は昭和60年(1985)前後が最盛期。
印刷会社や新聞社の印刷工場の郊外移転が進み、またJR貨物のコンテナ車が乗り入れられないなどにより、平成11年(1999)流通センターが廃止。
駅廃止後は、流通センターも新座貨物ターミナル駅と隅田川駅へ移転。
現在は、駅跡地がJR貨物本社ビル、複合商業施設として再開発されました。 -
次は石貼りアーチの「堀留橋(ほりとめばし)」(日本橋川)
大正15年(1926)復興局が架設した表面が石貼りの「鉄筋コンクリートアーチ橋」。
橋の上は「専大通り」。別名「こおろぎ橋」。
「堀留」の名は、江戸初期の神田川開削の際に神田川からの分流点三崎橋より堀留橋までの区間が埋め立てられ、この付近が堀の終点となっていたことから。 -
リベットが目立つ「南堀留橋」(日本橋川)
昭和3年(1928)東京市が架設した「3径間ゲルバー鋼鈑桁橋」。 -
鳩がくつろぐ「俎板橋(まないたばし)」(日本橋川)
昭和58年(1983)東京都が架設した「単純鋼鈑桁橋」。
名前の由来は、橋が2枚の「まないた」を渡したような板橋であったとする説と、近くに存在した台所町との関連で名付けられたとする説があります。
次の宝田橋(たからだばし)は写真が撮れず。 -
「首都高速の橋脚」(日本橋川)
水に浸かっていた部分のコンクリートが剥落し、内側の鉄部に錆が出ています。
保全維持が大変です。 -
「天女かな?」(日本橋川左岸)
この建物は共立女子大学3号館。
壁画は洋画家和田三造氏による「聖女奏楽の像」。
和田三造氏(1883~1967年)は、1953年に公開され、カンヌ国際映画祭グランプリを獲得した映画「地獄門」(衣笠貞之助監督)の衣装デザインを担当し、アカデミー賞の衣装デザイン賞(カラー)を受賞しています。 -
左に曲がると「雉子橋(きじばし)」(日本橋川)
大正14年(1925)復興局が架設した「鋼アーチ橋」。
徳川家康が朝鮮の使節を饗応するために、好物の雉子を囲った場所があったので、この名が付けられたといわれています。 -
「北詰のドーム?」(雉子橋)
北詰地下部分のドームは何でしょう? -
「日本橋川の石垣」(雉子橋付近)
江戸城の内濠(うちぼり)が近くなり、日本橋川の右岸にも同様の石垣が使われています。 -
「刻印のある石垣」(日本橋川)
刻印の意味は石材の切り出しや石垣普請の担当大名を表す印、切り出す職人棟梁を表す印とも考えられています。 -
「一ツ橋(ひとつばし)」(日本橋川)
大正14年(1925)復興局が架設した「ラーメン橋台及び鋼鈑桁橋」。
江戸時代の一ツ橋門跡近くで、徳川家康の入国頃は大きな丸木が一本架けられていたことが「一ツ橋」の名の起こりと伝えられています。 -
イチオシ
「これは石造りアーチ橋??」(一ツ橋)
実は石造りアーチ橋に見える部分は、鉄筋コンクリートのラーメン式橋台で表面に石を貼ったものです。
橋台をアーチ状にかたどり、表面に石を貼って石造アーチ橋に模し、橋台上の高欄も石造、橋灯も石造の灯篭風で、皇居へ通じる橋に相応しい重厚な佇まいです。
鋳鉄製の高欄は、戦争で供出され長年失われていましたが、平成の初めにオリジナルを参考に復元されました。
(紅林氏の解説より) -
「石造りの高欄と灯篭風橋灯」(一ツ橋)
2025/10/18に別講座「橋さんぽ」に参加した時の地上からの眺めです。
震災復興事業では同形式の橋が多く架設されたのですが、その後大半が撤去され、現存する中で最も建設時の姿を伝えているのが「一ツ橋」です。 -
「乱れ積みの石組み」(日本橋川一ツ橋付近)
江戸時代の「乱れ積み」と呼ばれる工法の石組みが残っています。 -
「錦橋(にしきばし)」(日本橋川)
昭和2年(1927)東京市が架設した「鉄筋コンクリートアーチ橋」。
中央に一連のアーチ、左右に半連アーチ、高欄のデザインなど落ち着いた雰囲気の橋です。
橋名は錦町や錦町河岸(旧地名)から付けられました。
「錦」は昔近くに一色という武家屋敷がニ軒あったので、二色⇒錦と転化したといわれています。 -
「誰か呼んだ。。。」(日本橋川)
日本橋川にすむ「カワウ」くん。 -
「神田橋」(日本橋川)
昭和55年(1980)東京都が架設した「単純非合成H桁橋」。
元々は震災復興事業で大正15年に完成した橋でしたが、現在地下を走る千代田線の工事に伴って架け替えられました。 -
「鎌倉橋」(日本橋川)
昭和4年復興局が架設した「鉄筋コンクリートアーチ橋」。
名前の由来は、江戸城を築くときに鎌倉から石材をここの河岸に陸揚げしたので、この河岸を鎌倉河岸と呼んだことによります。 -
「銃弾の跡」(鎌倉橋、2025/10/18に別講座「橋さんぽ」にて撮影)
欄干には、昭和19年11月(1944)の米軍による爆撃と機銃掃射の際に受けた銃弾の跡が大小30個ほどあります。
小窓のデザインは何でしょう? -
「青空の風景が映る日本橋川」(鎌倉橋付近)
川の流れが止まったような感じ。 -
「京浜東北線が通る鉄道橋梁」(日本橋川)
大正7年(1918)に建設されたJR中央本線 東京~神田間の日本橋川に架かる「外濠橋梁」。
鉄筋コンクリートアーチ橋です。
また、アーチの頂上部に何やら紋章らしきものがあります。 -
「鉄道院紋章」(外濠橋梁)
蒸気機関車の動輪の形をした鉄道院紋章のキーストーン(要石)です。
建設された大正七年の文字も見えます。 -
イチオシ
「国鉄きっぷの地紋」(マイコレクション)
鉄道院紋章(動輪)は、国鉄きっぷの地紋にも使われていました。
昭和47年に房総東線上総興津駅で購入した普通乗車券・急行券です。
東京電環とは現在の山手線内のことです。 -
「JR中央線外濠橋梁」(日本橋川、2025/10/18に別講座「橋さんぽ」に参加し、竜閑さくら橋から撮影)
「外濠橋梁」は、手前から中央線、山手線、東北本線、京浜東北線と並んでいます。 -
「新常盤橋(しんときわばし)」(日本橋川)
昭和63年(1988)東京都が架設した「単純鋼床版箱桁橋」。
大正時代に市電を通すために新たに作られた橋です。
桁橋は車両や人々が通行する床版と、それを支える主桁から構成されています。
箱桁橋は箱形に製作した桁を組んで渡します。箱の中は空洞。
「鋼床版箱桁橋」は、地盤条件が悪い箇所や、路下が航路、鉄道、道路など支間が長くなる箇所で、上部構造の重量を軽減する必要のある場合によく用いられる構造です。 -
イチオシ
「都電が通っていた新常盤橋」(マイコレクションより)
昭和42年、家内が使っていた都電17系統(池袋-数寄屋橋)の通学定期券を確認すると、新常盤橋に都電の電停があります。
経路の電停名の一部が略号で記載されており、「常」が新常盤橋です。(中央のやや左下)
17系統のルートは、池袋-護(護国寺)-大三(大塚三丁目)-伝(伝通院)-文(文京区役所前)-水(水道橋)-神(神保町)-神田(神田橋)-常(新常盤橋)-呉(呉服橋)-鍜(鍛冶橋)-数(数寄屋橋)。 -
都電17系統(1969/4/2撮影)
竹早町付近を走る数寄屋橋方面行の路面電車3000形。 -
イチオシ
「美しい彩りの石垣」(日本橋川の常磐橋付近)
自然が生み出した彩りです。 -
イチオシ
お洒落な「常磐橋(ときわばし)」(日本橋川)
常磐橋(旧常盤橋)は、かつて江戸城の外郭正門であった「常盤橋御門」に架けられた橋です。
現在の橋は、明治10年(1877)東京府が架設した歩行者用の「石造アーチ橋」。
明治に入って解体された小石川御門の石垣を使っています。
二連石橋の真ん中には「水切り石」がきれいに再現されています。
因みに被災前の常磐橋の上流部分には「水切り石」は残っていなかったそうで、今回の修復工事で水切り石を取り戻しました。 -
「川から見上げた常磐橋」(日本橋川)
アーチの天井から石が落ちないことが不思議です。 -
次の「常盤橋(ときわばし)」(日本橋川)
昭和元年(1925)復興局が架設した「鉄筋コンクリートアーチ橋」。
ひとつ前の「常磐橋」が、江戸時代に架けられた元々の「常盤橋」。
明治に入り木橋から石橋に架け替えられます。
昭和になると関東大震災の復興道路として「常盤橋」の下流に「新しい常盤橋」が架設されたのがこの橋です。
この頃より旧常盤橋には、「皿」だと割れるので縁起が悪いから「盤」ではなく「磐」の文字が充てられ「常磐橋」になったといわれています。
次の「一石橋(いちこくばし)」は写真が撮れませんでした。 -
「西河岸橋(にしがしばし)」(日本橋川)
大正14年(1925)東京市が震災の復興で架設したわが国初の「3径間連続鋼鈑桁橋」。
橋は3径間ですが、桁をよく見ると、橋脚上で桁が分かれていない3径間連続桁です。
耐震性、走行性、経済性などに優れるため、現代多くの橋梁に使用されています。
「西河岸」の名前は、江戸時代に「日本橋」から「一石橋」の日本橋川沿いに設けられた荷揚場が西側に位置することから地名となり、両橋の中間に架設された橋名にもなっています。 -
「日本橋」(日本橋川)
明治44年(1911)東京市が架設した「石造アーチ橋」。
江戸時代に東海道を始めとする5街道の起点として定められた「日本橋」。
「日本橋」は、明治期の道路橋の技術的達成度を示す遺構として貴重であり、意匠的な完成度も高く、土木家、建築家、彫刻家が共同して作った装飾橋梁の代表作として重要文化財に指定されました。 -
アーチのキーストン「獅子像」(日本橋)
クルーズ船から頭上に見えます。 -
「日本橋の唐獅子像」(2025/10/18に別講座「橋さんぽ」にて撮影)
日本橋の両端にある獅子像は、奈良県の手向山八幡宮にある狛犬などを参考にして製作されました。
手に持っているものは東京市の紋章。現在、東京都の紋章としても使われています。 -
「日本橋の麒麟像」(2025/10/18に別講座「橋さんぽ」にて撮影)
日本橋の高欄中央部にある青銅製の照明灯を飾っています。 -
「江戸橋」(日本橋川)
昭和2年(1927)復興局が架設した「鋼アーチ橋」。
震災による焼け野原に道路整備計画として新道路「昭和通り」がつくられ、日本橋川に架けられたのが「江戸橋」です。 -
「工事作業中の船」(日本橋川)
クルーズ船の接近を確認した合図として、白い旗を振っています。
次の鎧橋(よろいばし)は写真が撮れず。 -
「茅場橋(かやばばし)」(日本橋川)
平成4年(1992)東京都が架設した「鋼床版箱桁橋」。
かつて茅場橋南詰のあたりは、茅場河岸と称し、茅を切って積む置場でした。
現在の茅場町周辺は江戸時代の埋め立て工事により陸地となり、茅商人たちが移住してきたことが茅場橋、茅場町の名前の由来といわれています。 -
「湊橋」(日本橋川)
昭和3年(1928)東京市が架設した「鉄筋コンクリートアーチ橋」。
橋の名前は、江戸時代に水路交通の要所として栄えた「江戸湊」の出入り口にあったことに由来しています。
昭和52年(1977)東京都水道局の「湊橋水道専用橋」が上流側に架設されました。 -
「千石船のレリーフ」(湊橋)
江戸時代の賑わいを示す象徴として設置されています。 -
「豊海橋(とよみばし)」(日本橋川)
昭和2年(1927)復興局が架設した「鋼フィーレンディール橋」。
日本橋川が隅田川に注ぐ河口部に架かる豊海橋。
重量感のある鉄骨を用いた、梯子を横にしたようなデザインであり、考案者のフィーレンディールの名を取り、フィーレンディール橋と呼ばれています。
わが国では豊海橋以外に数例しかない希少価値の高い橋です。 -
「永代橋」(隅田川下流側)
隅田川に入り、上流の両国橋へ向かいます。 -
「隅田川大橋」(隅田川)
-
イチオシ
「隅田川の絶景 優美な清州橋(きよすばし)」
隅田川を屋形船が走り、遠くに東京スカイツリーが見えます。
昭和3年(1928)復興局が架設した「三径間自碇式補剛吊橋(じていしき ほごうつりばし)」。
清州橋特有の曲線的で優美な外観となっています。 -
隅田川名物「屋形船」(隅田川)
-
門のような建物「Daiwaリバーゲート」(隅田川)
平成6年(1994)水天宮駅近くに竣工した地上20階のオフィスビルです。 -
直線的でモダンな「新大橋」(隅田川)
昭和51年(1976)に架設された「鋼斜張橋」。
橋の歴史は江戸時代前期に「千住大橋」と「両国橋」に次ぐ隅田川で3番目の橋として誕生。
当時、「両国橋」は単に「大橋」と呼ばれており、それに対して新しい橋ということで「新大橋」と命名されたといわれています。 -
首都高「両国大橋」(隅田川)
隅田川に架かる首都高速道路の「両国大橋」は昭和44年に完成し、6号向島線と7号小松川線の合流地点となる両国ジャンクションを含みます。
隅田川端の狭い場所を最大限利用するために立体的な構造となっており、上下にある高速道路をワイヤーを使った吊構造で小松川線側の合流レーンを接続するなど、その独創的な構造により土木学会田中賞を受賞しています。 -
「両国橋」(隅田川)
橋近くに神田川と隅田川の合流点があります。
歩道の出っ張り部分は、土俵をデザインした円形のバルコニー。
両国橋は江戸時代に隅田川で2番目に架けられた橋。
その当時、武蔵国と下総国の2つの国をつなぐ橋だったので、いつしか「両国橋」と呼ばれるようになり、人が集まる場所として、花火が打ち上げられるようになったのだそうです。 -
「両国橋の親柱」(隅田川)
親柱の上に球体の橋燈がのっています。
花火大会が名物なので、「花火玉」をかたどったものだ、と言われています。 -
「柳橋」(神田川)
神田川の河口にある「柳橋」に戻ってきました。
下船は浅草橋の三浦屋です。
神田川と日本橋川の名橋を川面から眺め、江戸時代の歴史と震災の復興を含め、橋について学ぶことができました。
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