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ユトレヒトに滞在中NSオランダ鉄道に乗ってアムステルダム国立美術館に訪問しました。チケットは事前にインターネットで購入して25ユーロ、13:00-14:00の間に入館にて予約

2026 アムステルダム国立美術館

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2026/06/30 - 2026/06/30

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たろう

たろうさん

ユトレヒトに滞在中NSオランダ鉄道に乗ってアムステルダム国立美術館に訪問しました。チケットは事前にインターネットで購入して25ユーロ、13:00-14:00の間に入館にて予約

  • アムステルダム駅からトラムに乗って国立美術館へ向かいました。どうも1本で目の前までは行けないようで途中から運河沿いの道を10分前後散歩しました。<br /><br />トラムは乗車と下車の入り口が分かれているようでシートに座っていたら少し早めに下車口へ移動したほうが良いと思います。また鳶を開けるボタンもドアもしくはその両側ではなく座席の近くでした、焦ってボタンを探していたら親切な方が押してくれました。<br /><br />館内に入ると無料ロッカーがあるので貴重品以外は預けたほうが身軽になれます。トイレもロッカーのそばにありました。

    アムステルダム駅からトラムに乗って国立美術館へ向かいました。どうも1本で目の前までは行けないようで途中から運河沿いの道を10分前後散歩しました。

    トラムは乗車と下車の入り口が分かれているようでシートに座っていたら少し早めに下車口へ移動したほうが良いと思います。また鳶を開けるボタンもドアもしくはその両側ではなく座席の近くでした、焦ってボタンを探していたら親切な方が押してくれました。

    館内に入ると無料ロッカーがあるので貴重品以外は預けたほうが身軽になれます。トイレもロッカーのそばにありました。

  • ヘールトヘン・tot・シント・ヤンス(Geertgen tot Sint Jans)によって1480~1485年頃に描かれた『東方三博士の礼拝 (The Adoration of the Magi)』<br /><br />手前にいる三人の博士は、中世のキリスト教世界において当時知られていた3つの大陸(ヨーロッパ、アジア、アフリカ)と、人間の3つの世代(青年、壮年、老年)をそれぞれ象徴しています。

    ヘールトヘン・tot・シント・ヤンス(Geertgen tot Sint Jans)によって1480~1485年頃に描かれた『東方三博士の礼拝 (The Adoration of the Magi)』

    手前にいる三人の博士は、中世のキリスト教世界において当時知られていた3つの大陸(ヨーロッパ、アジア、アフリカ)と、人間の3つの世代(青年、壮年、老年)をそれぞれ象徴しています。

  • 『エッサイの樹(The Tree of Jesse)』。1500年頃に初期フランドル派の画家ヘールトヘン・tot・シント・ヤンスの周辺(または彼の追随者・工房)によって描かれた<br /><br />イエス・キリストの「家系図」を視覚的に表現したものです。旧約聖書に登場するダビデ王の父エッサイ(Jesse)を始祖とする、イエスに至る血筋(聖樹)を描いている

    『エッサイの樹(The Tree of Jesse)』。1500年頃に初期フランドル派の画家ヘールトヘン・tot・シント・ヤンスの周辺(または彼の追随者・工房)によって描かれた

    イエス・キリストの「家系図」を視覚的に表現したものです。旧約聖書に登場するダビデ王の父エッサイ(Jesse)を始祖とする、イエスに至る血筋(聖樹)を描いている

  • 彫刻家アドリアン・ファン・ヴェーゼル(Adriaen van Wesel)が1475~1477年頃に制作した『東方三博士の出会い(The Meeting of the Magi)』。

    彫刻家アドリアン・ファン・ヴェーゼル(Adriaen van Wesel)が1475~1477年頃に制作した『東方三博士の出会い(The Meeting of the Magi)』。

  • 『ぶどうを持つ聖母子像(Virgin and Child)』<br /><br />幼子イエスを抱く聖母マリアが、手に「ぶどうの房」を持っています。キリスト教美術において、ぶどう(およびワイン)はイエスが将来流すことになる血(十字架刑での殉教)を象徴する極めて重要なモチーフとのこと。

    『ぶどうを持つ聖母子像(Virgin and Child)』

    幼子イエスを抱く聖母マリアが、手に「ぶどうの房」を持っています。キリスト教美術において、ぶどう(およびワイン)はイエスが将来流すことになる血(十字架刑での殉教)を象徴する極めて重要なモチーフとのこと。

  • キリストの磔刑の三連祭壇画(Triptych with the Crucifixion)』<br /><br />十字架の根元には人間の頭蓋骨(スカル)が描かれています。これはイエスが処刑された場所「ゴルゴタの丘(頭蓋骨の場所)」を意味すると同時に、人類の始祖アダムの墓がこの場所にあったという伝説に由来し、キリストの犠牲によって人類の原罪が贖われたことを象徴しています。<br />

    キリストの磔刑の三連祭壇画(Triptych with the Crucifixion)』

    十字架の根元には人間の頭蓋骨(スカル)が描かれています。これはイエスが処刑された場所「ゴルゴタの丘(頭蓋骨の場所)」を意味すると同時に、人類の始祖アダムの墓がこの場所にあったという伝説に由来し、キリストの犠牲によって人類の原罪が贖われたことを象徴しています。

  • ヤーコブ・コルネリスゾーン・ファン・オーストザーネン(Jacob Cornelisz van Oostsanen)によって描かれた『キリストの磔刑(The Crucifixion)』<br /><br />十字架の根元にしがみついて激しく泣いているのは、豪華な金糸のドレスを着た聖マリア・マグダラ、その左側では、深い悲しみのあまり気絶しそうになり、聖ヨハネたちに支えられている聖母マリアが描かれています。<br /><br />右下には、キリストが十字架へ歩む途中に顔の汗を拭ったとされる布(ベロニカの聖顔布)を持つ聖ベロニカが座っています。その布には奇跡的に浮かび上がったキリストの顔がはっきりと描かれています。

    ヤーコブ・コルネリスゾーン・ファン・オーストザーネン(Jacob Cornelisz van Oostsanen)によって描かれた『キリストの磔刑(The Crucifixion)』

    十字架の根元にしがみついて激しく泣いているのは、豪華な金糸のドレスを着た聖マリア・マグダラ、その左側では、深い悲しみのあまり気絶しそうになり、聖ヨハネたちに支えられている聖母マリアが描かれています。

    右下には、キリストが十字架へ歩む途中に顔の汗を拭ったとされる布(ベロニカの聖顔布)を持つ聖ベロニカが座っています。その布には奇跡的に浮かび上がったキリストの顔がはっきりと描かれています。

  • ヨース・ファン・クレーフェ(Joos van Cleve)によって1520年頃に描かれた『聖母の死(The Death of the Virgin)』<br /><br />臨終の儀式と使徒たち:ベッドで横たわる聖母マリアの周りで、使徒たちがそれぞれカトリックの伝統的な「終油の秘跡(病者の塗油)」や臨終の儀式を行っています。<br /><br />マリアの頭元(右奥)では、一人の使徒が火の灯ったろうそくを彼女の手に持たせようとしています。<br /><br />中央奥では、教皇のような格好をした使徒(聖ペテロ)が聖水スプリンクラー(刷毛)を掲げ、聖水を振りまく準備をしています。<br /><br />手前の赤いマントを着た使徒(聖ヨハネ)は、悲しみに暮れながらマリアのベッドにすがりついています。<br /><br />右手前や左側の使徒たちは、祈祷書を熱心に読んだり、香炉を準備したりしています。

    ヨース・ファン・クレーフェ(Joos van Cleve)によって1520年頃に描かれた『聖母の死(The Death of the Virgin)』

    臨終の儀式と使徒たち:ベッドで横たわる聖母マリアの周りで、使徒たちがそれぞれカトリックの伝統的な「終油の秘跡(病者の塗油)」や臨終の儀式を行っています。

    マリアの頭元(右奥)では、一人の使徒が火の灯ったろうそくを彼女の手に持たせようとしています。

    中央奥では、教皇のような格好をした使徒(聖ペテロ)が聖水スプリンクラー(刷毛)を掲げ、聖水を振りまく準備をしています。

    手前の赤いマントを着た使徒(聖ヨハネ)は、悲しみに暮れながらマリアのベッドにすがりついています。

    右手前や左側の使徒たちは、祈祷書を熱心に読んだり、香炉を準備したりしています。

  • コルネリス・エンゲブレフツゾーン(Cornelis Engebrechtsz)によって描かれた『聖母に別れを告げるキリスト(Christ Taking Leave of his Mother)』<br /><br />コルネリス・エンゲブレフツゾーン(Cornelis Engebrechtsz)によって描かれた『マリアとマルタの家のキリスト(Christ in the House of Martha and Mary)』

    コルネリス・エンゲブレフツゾーン(Cornelis Engebrechtsz)によって描かれた『聖母に別れを告げるキリスト(Christ Taking Leave of his Mother)』

    コルネリス・エンゲブレフツゾーン(Cornelis Engebrechtsz)によって描かれた『マリアとマルタの家のキリスト(Christ in the House of Martha and Mary)』

  • ヘールトヘン・tot・シント・ヤンスの工房によって描かれた『聖なる親族(The Holy Kinship)』<br /><br />キリスト教美術における「聖なる親族」とは、イエス・キリストの親戚一同(母方の大家族)が集まった場面を描く伝統的なテーマ

    ヘールトヘン・tot・シント・ヤンスの工房によって描かれた『聖なる親族(The Holy Kinship)』

    キリスト教美術における「聖なる親族」とは、イエス・キリストの親戚一同(母方の大家族)が集まった場面を描く伝統的なテーマ

  • ヤーコブ・コルネリスゾーン・ファン・オーストザーネン(Jacob Cornelisz van Oostsanen)によって描かれた『ラザロの復活の三連祭壇画(Triptych with the Raising of Lazarus)』<br /><br />ラザロの復活<br />新約聖書(ヨハネによる福音書)に登場する、イエス・キリストが起こした最も劇的な奇跡の一つを描いています。病で亡くなり、墓に葬られてから4日が経過したラザロ(画面中央右寄りの白い布をまとった男性)に対し、イエスが「ラザロ、出てきなさい」と言って墓から生き返らせた瞬間です。イエスの前でひざまずいているのは、ラザロの姉妹であるマルタとマリアです。周囲の群衆は、墓から起き上がったラザロを驚きと奇跡の念で見つめています

    ヤーコブ・コルネリスゾーン・ファン・オーストザーネン(Jacob Cornelisz van Oostsanen)によって描かれた『ラザロの復活の三連祭壇画(Triptych with the Raising of Lazarus)』

    ラザロの復活
    新約聖書(ヨハネによる福音書)に登場する、イエス・キリストが起こした最も劇的な奇跡の一つを描いています。病で亡くなり、墓に葬られてから4日が経過したラザロ(画面中央右寄りの白い布をまとった男性)に対し、イエスが「ラザロ、出てきなさい」と言って墓から生き返らせた瞬間です。イエスの前でひざまずいているのは、ラザロの姉妹であるマルタとマリアです。周囲の群衆は、墓から起き上がったラザロを驚きと奇跡の念で見つめています

  • 『聖ルチアの殉教(The Martyrdom of Saint Lucy)』<br />キリスト教の有名な若き女性殉教者、聖ルチア(サンタ・ルチア)の身に起きた凄まじい伝説の数々を、1枚の画面の中に時間軸をずらして同時に描き込んだ「異時同図法」の傑作です。<br /><br />画面中央では、ルチアが薪の山に乗せられ、男たちがふいごで火を吹いて火あぶりの刑に処そうとしています。しかし、神の加護によって炎は彼女をまったく傷つけることができませんでした。業を煮やした死刑執行人(右側の男)が、彼女の首に剣を突き刺して命を奪おうとする悲痛な瞬間が描かれています。<br /><br />左上の建物:キリスト教徒であることを告発されたルチアが、執政官パスカシウスの前で裁判にかけられている場面です。<br /><br />建物の前:執政官は彼女の貞操を奪うため、牛(または複数の男たち)に彼女を売春宿へ引きずっていかせようとしました。しかし、彼女の身体は神の力によって岩のように重くなり、大勢の男たちや牛が引っ張っても1ミリも動かすことができなかったという有名な奇跡の場面が描かれています。<br /><br />右上の丘:ルチアが最後に聖体拝領(最後の晩餐のパンとワイン)を受け、厳かに天に召されていく殉教の結末が小さく描かれています。

    『聖ルチアの殉教(The Martyrdom of Saint Lucy)』
    キリスト教の有名な若き女性殉教者、聖ルチア(サンタ・ルチア)の身に起きた凄まじい伝説の数々を、1枚の画面の中に時間軸をずらして同時に描き込んだ「異時同図法」の傑作です。

    画面中央では、ルチアが薪の山に乗せられ、男たちがふいごで火を吹いて火あぶりの刑に処そうとしています。しかし、神の加護によって炎は彼女をまったく傷つけることができませんでした。業を煮やした死刑執行人(右側の男)が、彼女の首に剣を突き刺して命を奪おうとする悲痛な瞬間が描かれています。

    左上の建物:キリスト教徒であることを告発されたルチアが、執政官パスカシウスの前で裁判にかけられている場面です。

    建物の前:執政官は彼女の貞操を奪うため、牛(または複数の男たち)に彼女を売春宿へ引きずっていかせようとしました。しかし、彼女の身体は神の力によって岩のように重くなり、大勢の男たちや牛が引っ張っても1ミリも動かすことができなかったという有名な奇跡の場面が描かれています。

    右上の丘:ルチアが最後に聖体拝領(最後の晩餐のパンとワイン)を受け、厳かに天に召されていく殉教の結末が小さく描かれています。

  • マエストロ・ディ・ヴィルゴ・インテル・ヴィルギネス(「処女たちのなかの聖母の画家」の意味:Master of the Virgo inter Virgines)によって描かれた『四人の聖処女を伴う聖母子(The Virgin and Child with Four Holy Virgins)』<br /><br />中央に座る聖母マリアと幼子イエスを、4人の女性の「聖処女(純潔の聖人)」たちが囲んでいます。彼女たちが座っているのは、レンガの壁で厳重に囲まれた「閉ざされた庭(ホルトゥス・コンクルスス)」であり、これはマリアの純潔(処女性)を視覚的に象徴する中世の伝統的な表現です。

    マエストロ・ディ・ヴィルゴ・インテル・ヴィルギネス(「処女たちのなかの聖母の画家」の意味:Master of the Virgo inter Virgines)によって描かれた『四人の聖処女を伴う聖母子(The Virgin and Child with Four Holy Virgins)』

    中央に座る聖母マリアと幼子イエスを、4人の女性の「聖処女(純潔の聖人)」たちが囲んでいます。彼女たちが座っているのは、レンガの壁で厳重に囲まれた「閉ざされた庭(ホルトゥス・コンクルスス)」であり、これはマリアの純潔(処女性)を視覚的に象徴する中世の伝統的な表現です。

  • ヤーコブ・コルネリスゾーン・ファン・オーストザーネン(Jacob Cornelisz van Oostsanen)の工房によって描かれた『キリストの受難:十字架の架刑と道行き(The Passion of Christ)』<br /><br />画面のほぼ中央では、重い十字架を背負わされて刑場(ゴルゴタの丘)へと歩むキリストの姿が描かれています。そのすぐ左側では、哀しみのあまり崩れ落ち、周囲に支えられている青いマントの聖母マリアが、キリストの苦難の道行きを涙ながらに見守っています。<br /><br />背景の丘の上に3本の十字架がすでに立てられています。中央がキリスト、その両脇には彼とともに処刑される二人の盗賊が架けられており、物語の結末が同じ画面の奥に時系列を先取りして描かれています<br /><br />手前には、中世末期からルネサンス初期特有の、非常に派手でエキゾチックな衣装や甲冑を身にまとった兵士たち、そして処刑を見物しに集まった冷酷な群衆がひしめき合っています。人間の善悪や感情の揺らぎが、細部まで信じられないほどの緻密さで描き込まれています。

    ヤーコブ・コルネリスゾーン・ファン・オーストザーネン(Jacob Cornelisz van Oostsanen)の工房によって描かれた『キリストの受難:十字架の架刑と道行き(The Passion of Christ)』

    画面のほぼ中央では、重い十字架を背負わされて刑場(ゴルゴタの丘)へと歩むキリストの姿が描かれています。そのすぐ左側では、哀しみのあまり崩れ落ち、周囲に支えられている青いマントの聖母マリアが、キリストの苦難の道行きを涙ながらに見守っています。

    背景の丘の上に3本の十字架がすでに立てられています。中央がキリスト、その両脇には彼とともに処刑される二人の盗賊が架けられており、物語の結末が同じ画面の奥に時系列を先取りして描かれています

    手前には、中世末期からルネサンス初期特有の、非常に派手でエキゾチックな衣装や甲冑を身にまとった兵士たち、そして処刑を見物しに集まった冷酷な群衆がひしめき合っています。人間の善悪や感情の揺らぎが、細部まで信じられないほどの緻密さで描き込まれています。

  • コリン・デ・コター(Colijn de Coter)によって描かれた『キリストの哀悼(The Lamentation of Christ)』<br /><br />中央で力なく横たわるキリストの頭を、左側からそっと支えているのが聖母マリアです。彼女の表情は深い絶望と哀悼に満ちています。<br /><br />マリアのすぐ右後ろで、目を真っ赤にして涙を拭っている若者は、おなじみの福音書記者聖ヨハネです。<br /><br />一番右側で、キリストを十字架に打ち付けていた「3本の鉄釘」を手に持っている男性は、キリストの埋葬を手伝ったニコデモ(またはアリマタヤのヨセフ)とされています。

    コリン・デ・コター(Colijn de Coter)によって描かれた『キリストの哀悼(The Lamentation of Christ)』

    中央で力なく横たわるキリストの頭を、左側からそっと支えているのが聖母マリアです。彼女の表情は深い絶望と哀悼に満ちています。

    マリアのすぐ右後ろで、目を真っ赤にして涙を拭っている若者は、おなじみの福音書記者聖ヨハネです。

    一番右側で、キリストを十字架に打ち付けていた「3本の鉄釘」を手に持っている男性は、キリストの埋葬を手伝ったニコデモ(またはアリマタヤのヨセフ)とされています。

  • ヤーコブ・コルネリスゾーン・ファン・オーストザーネン(Jacob Cornelisz van Oostsanen)によって描かれた『キリストの受難の三連祭壇画(十字架降下)(Triptych with the Passion of Christ / The Deposition from the Cross)』<br /><br />ローマの兵士たちがイエスを椅子に座らせ、嘲りながら「茨の冠」を頭に無理やり押し付けている痛々しい場面です。彼の衣服を剥ぎ取り、葦の杖を持たせて「ユダヤ人の王、万歳」と皮肉を言っている様子がリアルに描かれています。<br /><br />十字架から慎重に降ろされたイエスの遺体を、信者たちが囲んで深く悲しんでいます。十字架の上で遺体を支えているのがアリマタヤのヨセフ、右側で茨の冠を大切そうに持っているのがニコデモです。左下では、あまりの絶望に気絶し、地面に倒れ込んでいる青いマントの聖母マリアが描かれています。右側でイエスの足元に跪き、香油の壺を近くに置いているのは聖マリア・マグダラです。<br /><br />ローマの総督ピラトが、拷問を終えて傷だらけになったイエスを群衆の前に連れ出し、「見よ、この人だ(Ecce Homo)」と突き出している場面です。画面奥にはイエスの処刑を冷酷に要求するユダヤの群衆や司祭たちがひしめき合っています。

    ヤーコブ・コルネリスゾーン・ファン・オーストザーネン(Jacob Cornelisz van Oostsanen)によって描かれた『キリストの受難の三連祭壇画(十字架降下)(Triptych with the Passion of Christ / The Deposition from the Cross)』

    ローマの兵士たちがイエスを椅子に座らせ、嘲りながら「茨の冠」を頭に無理やり押し付けている痛々しい場面です。彼の衣服を剥ぎ取り、葦の杖を持たせて「ユダヤ人の王、万歳」と皮肉を言っている様子がリアルに描かれています。

    十字架から慎重に降ろされたイエスの遺体を、信者たちが囲んで深く悲しんでいます。十字架の上で遺体を支えているのがアリマタヤのヨセフ、右側で茨の冠を大切そうに持っているのがニコデモです。左下では、あまりの絶望に気絶し、地面に倒れ込んでいる青いマントの聖母マリアが描かれています。右側でイエスの足元に跪き、香油の壺を近くに置いているのは聖マリア・マグダラです。

    ローマの総督ピラトが、拷問を終えて傷だらけになったイエスを群衆の前に連れ出し、「見よ、この人だ(Ecce Homo)」と突き出している場面です。画面奥にはイエスの処刑を冷酷に要求するユダヤの群衆や司祭たちがひしめき合っています。

  • カルロ・クリヴェッリ(Carlo Crivelli)によって1480年頃に描かれた『マグダラのマリア(Mary Magdalene)』<br /><br />キリストの熱心な追随者であり、数々の逸話を持つ聖女マグダラのマリアを描いています。彼女が右手に持っている豪華な金の装飾容器は、イエスの足に塗ったとされる「香油の壺」です。キリスト教美術において、彼女を見分けるための最も重要な目印です。

    カルロ・クリヴェッリ(Carlo Crivelli)によって1480年頃に描かれた『マグダラのマリア(Mary Magdalene)』

    キリストの熱心な追随者であり、数々の逸話を持つ聖女マグダラのマリアを描いています。彼女が右手に持っている豪華な金の装飾容器は、イエスの足に塗ったとされる「香油の壺」です。キリスト教美術において、彼女を見分けるための最も重要な目印です。

  • 『聖エリザベトの洪水(The St Elizabeth’s Day Flood)』<br /><br />1421年11月18日から19日にかけて、オランダのゼーラント・ホラント地方を襲った激しい嵐による大水害「聖エリザベトの洪水」を描いています。この大洪水により、堤防が決壊して数十の村が水没し、数千人もの命が失われました。<br /><br />左上の奥を流れる川(マース川)の堤防が決壊し、大量の濁流が村々や畑、家屋を容赦なく飲み込んでいく恐ろしい様子がパノラマのように描かれています。手前では、生き残った住民たちが家財道具や荷物を手押し車に載せたり、肩に担いだりして、必死の面持ちで安全な町(背後に大きくそびえるドルドレヒトの街)へと避難しようとする緊迫した姿が捉えられています。

    『聖エリザベトの洪水(The St Elizabeth’s Day Flood)』

    1421年11月18日から19日にかけて、オランダのゼーラント・ホラント地方を襲った激しい嵐による大水害「聖エリザベトの洪水」を描いています。この大洪水により、堤防が決壊して数十の村が水没し、数千人もの命が失われました。

    左上の奥を流れる川(マース川)の堤防が決壊し、大量の濁流が村々や畑、家屋を容赦なく飲み込んでいく恐ろしい様子がパノラマのように描かれています。手前では、生き残った住民たちが家財道具や荷物を手押し車に載せたり、肩に担いだりして、必死の面持ちで安全な町(背後に大きくそびえるドルドレヒトの街)へと避難しようとする緊迫した姿が捉えられています。

  • 『聖エリザベトの洪水(The St Elizabeth’s Day Flood)』のもう一方のパネル(対となる作品)<br /><br />先ほどのパネルが「水害から町へ避難する緊迫した様子」を描いていたのに対し、このパネルは「水没した村から家財道具や家畜をボートで救出しようとする懸命な活動」をクローズアップして描いています。

    『聖エリザベトの洪水(The St Elizabeth’s Day Flood)』のもう一方のパネル(対となる作品)

    先ほどのパネルが「水害から町へ避難する緊迫した様子」を描いていたのに対し、このパネルは「水没した村から家財道具や家畜をボートで救出しようとする懸命な活動」をクローズアップして描いています。

  • マスター・オブ・ザ・ハールレム・サクリファイス(Master of the Haarlem Sacrifice、ハールレムの犠牲の画家)によって描かれた『異教の偶像に犠牲を捧げる聖アウグスティヌス(Saint Augustine Sacrificing to a Pagan Idol)』<br /><br />手前で豪華な赤い織物の法衣(司教の姿)を身にまとい、香炉を手に持って膝を突いているのが聖アウグスティヌスです(のちに司教となるため、中世の絵画では過去の場面であっても司教の姿で描かれることがよくあります)。画面右側の黄金の柱の上には、羽の生えた異教の偶像(悪魔的な像)が立ち、その足元では生贄(いけにえ)となるヤギが捧げられています。中央奥では、ラッパを吹いて儀式を盛り上げる楽士たちが描かれており、左側にはこの様子をじっと見守る当時のハールレムの人々を思わせる群衆がひしめき合っています。背景のゴシック様式の建物や街並みの緻密な描写も見事です。

    マスター・オブ・ザ・ハールレム・サクリファイス(Master of the Haarlem Sacrifice、ハールレムの犠牲の画家)によって描かれた『異教の偶像に犠牲を捧げる聖アウグスティヌス(Saint Augustine Sacrificing to a Pagan Idol)』

    手前で豪華な赤い織物の法衣(司教の姿)を身にまとい、香炉を手に持って膝を突いているのが聖アウグスティヌスです(のちに司教となるため、中世の絵画では過去の場面であっても司教の姿で描かれることがよくあります)。画面右側の黄金の柱の上には、羽の生えた異教の偶像(悪魔的な像)が立ち、その足元では生贄(いけにえ)となるヤギが捧げられています。中央奥では、ラッパを吹いて儀式を盛り上げる楽士たちが描かれており、左側にはこの様子をじっと見守る当時のハールレムの人々を思わせる群衆がひしめき合っています。背景のゴシック様式の建物や街並みの緻密な描写も見事です。

  • ヘールトヘン・tot・シント・ヤンス(Geertgen tot Sint Jans)によって1480年頃に描かれた『聖アグネスの前に跪いて祈るヘールトレイ・ハーク(Geertruy Haeck Kneeling in Prayer before Saint Agnes)』<br /><br />右側に立っている美しい女性は、若き女性殉教者であり聖人である聖アグネスです。彼女の足元には、彼女の名前(Agnes)がラテン語の「子羊(Agnus)」に似ていることから、彼女の象徴(アトリビュート)である真っ白な子羊が寄り添い、彼女を見上げています。左側で黒い修道服を着て跪き、熱心に祈りを捧げているのは、この絵画を注文したヘールトレイ・ハーク(Geertruy Haeck)という実際の女性です。彼女はハールレムにある聖アグネス修道院の院長を務めていた人物でした。

    ヘールトヘン・tot・シント・ヤンス(Geertgen tot Sint Jans)によって1480年頃に描かれた『聖アグネスの前に跪いて祈るヘールトレイ・ハーク(Geertruy Haeck Kneeling in Prayer before Saint Agnes)』

    右側に立っている美しい女性は、若き女性殉教者であり聖人である聖アグネスです。彼女の足元には、彼女の名前(Agnes)がラテン語の「子羊(Agnus)」に似ていることから、彼女の象徴(アトリビュート)である真っ白な子羊が寄り添い、彼女を見上げています。左側で黒い修道服を着て跪き、熱心に祈りを捧げているのは、この絵画を注文したヘールトレイ・ハーク(Geertruy Haeck)という実際の女性です。彼女はハールレムにある聖アグネス修道院の院長を務めていた人物でした。

  • ヤン・モスタールト(Jan Mostaert)によって1535年頃に描かれた『アメリカ征服の一場面のある風景(Landscape with an Episode from the Conquest of America)』<br /><br />右側の奥に注目すると、甲冑を身にまとい、大砲や馬を連れたスペインの征服者(コンキスタドール)の軍隊が列をなして進軍してくるのが見えます。<br /><br />画面中央から左側にかけては、それに対抗しようと弓矢や石、棍棒などの原始的な武器を手に集まっている先住民(ネイティブ・アメリカン)たちが描かれています。ヨーロッパ側の視点でありながら、衣服を身につけず自然の中で平和に暮らしていた人々が、高度な軍事力によって侵略されていく悲劇的な対比が描かれています。

    ヤン・モスタールト(Jan Mostaert)によって1535年頃に描かれた『アメリカ征服の一場面のある風景(Landscape with an Episode from the Conquest of America)』

    右側の奥に注目すると、甲冑を身にまとい、大砲や馬を連れたスペインの征服者(コンキスタドール)の軍隊が列をなして進軍してくるのが見えます。

    画面中央から左側にかけては、それに対抗しようと弓矢や石、棍棒などの原始的な武器を手に集まっている先住民(ネイティブ・アメリカン)たちが描かれています。ヨーロッパ側の視点でありながら、衣服を身につけず自然の中で平和に暮らしていた人々が、高度な軍事力によって侵略されていく悲劇的な対比が描かれています。

  • マールテン・ファン・ヘームスケルク(Maerten van Heemskerck)によって描かれた『ピーテル・ヘリッツ・ビッカーの肖像(Portrait of Pieter Gerritsz Bicker)』と『アンナ・コッデの肖像(Portrait of Anna Codde)』の対(ペア)となる夫婦の肖像画です。<br /><br />妻アンナ・コッデの描写(左):彼女は糸車(スピニングホイール)を前にして、糸を紡いでいる作業の途中にふとこちらを振り返ったような、非常に生き生きとしたポーズで描かれています。当時、糸紡ぎは女性の「勤勉さ」や「家庭への忠実さ」を象徴する大変美徳とされた行為であり、彼女が良妻賢母であることを誇り高く表現しています。<br /><br />夫ピーテルの描写(右):彼は豪華な毛皮のついた衣服を身にまとい、手には大福帳(帳簿)のような本を持ち、机の上にはコイン(お金)が並んでいます。これは彼が商人として「有能であり、富を築いていること」をダイレクトに示しています。

    マールテン・ファン・ヘームスケルク(Maerten van Heemskerck)によって描かれた『ピーテル・ヘリッツ・ビッカーの肖像(Portrait of Pieter Gerritsz Bicker)』と『アンナ・コッデの肖像(Portrait of Anna Codde)』の対(ペア)となる夫婦の肖像画です。

    妻アンナ・コッデの描写(左):彼女は糸車(スピニングホイール)を前にして、糸を紡いでいる作業の途中にふとこちらを振り返ったような、非常に生き生きとしたポーズで描かれています。当時、糸紡ぎは女性の「勤勉さ」や「家庭への忠実さ」を象徴する大変美徳とされた行為であり、彼女が良妻賢母であることを誇り高く表現しています。

    夫ピーテルの描写(右):彼は豪華な毛皮のついた衣服を身にまとい、手には大福帳(帳簿)のような本を持ち、机の上にはコイン(お金)が並んでいます。これは彼が商人として「有能であり、富を築いていること」をダイレクトに示しています。

  • 1529年にオランダの画家ディルク・ヤコブス(Dirck Jacobsz)によって描かれた『市民ガードのグループ(火縄銃手組合の民兵たち)(A Group of Guardsmen)』<br /><br />「市民ガード(民兵団)」肖像画の先駆け:中世からルネサンス期のオランダの各都市には、街の治安維持や防衛を担当する市民による自警団(民兵団=シュッテル・ schutterij)が存在しました。彼らは自分たちの社会的ステータスや団結力を誇示するために、みんなでお金を出し合ってこのような「集団肖像画」を画家に注文しました。<br /><br />『夜警』へと繋がる系譜:この「市民ガードの集団肖像画」というジャンルは、約110年後に同じアムステルダムで描かれる、あのレンブラントの最高傑作『夜警』へと直系で繋がる重要なルーツです。この時代はまだ全員が黒い帽子と衣服を身にまとい、上下二列できれいに整列したクラシックで静的な構図をとっていますが、ここからオランダ独自の集団肖像画の歴史が始まりました。

    1529年にオランダの画家ディルク・ヤコブス(Dirck Jacobsz)によって描かれた『市民ガードのグループ(火縄銃手組合の民兵たち)(A Group of Guardsmen)』

    「市民ガード(民兵団)」肖像画の先駆け:中世からルネサンス期のオランダの各都市には、街の治安維持や防衛を担当する市民による自警団(民兵団=シュッテル・ schutterij)が存在しました。彼らは自分たちの社会的ステータスや団結力を誇示するために、みんなでお金を出し合ってこのような「集団肖像画」を画家に注文しました。

    『夜警』へと繋がる系譜:この「市民ガードの集団肖像画」というジャンルは、約110年後に同じアムステルダムで描かれる、あのレンブラントの最高傑作『夜警』へと直系で繋がる重要なルーツです。この時代はまだ全員が黒い帽子と衣服を身にまとい、上下二列できれいに整列したクラシックで静的な構図をとっていますが、ここからオランダ独自の集団肖像画の歴史が始まりました。

  • ピエロ・ディ・コジモ(Piero di Cosimo)によって1482~1485年頃に描かれた『ジュリアーノ・ダ・サンガッロとフランチェスコ・ジャンベルティの肖像(Portraits of Giuliano da Sangallo and Francesco Giamberti)』<br /><br />左側が、フィレンツェの偉大な建築家・彫刻家であり、レオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロとも親交の深かったジュリアーノ・ダ・サンガッロ(Giuliano da Sangallo)です。<br /><br />右側で赤い帽子をかぶっているのが、彼の父親であるフランチェスコ・ジャンベルティ(Francesco Giamberti)です。父親はジュリアーノが若い頃に亡くなっており、この作品は息子ジュリアーノが父への敬意と追悼を込めて、ピエロ・ディ・コジモに発注した形見のペア肖像画とされています。

    ピエロ・ディ・コジモ(Piero di Cosimo)によって1482~1485年頃に描かれた『ジュリアーノ・ダ・サンガッロとフランチェスコ・ジャンベルティの肖像(Portraits of Giuliano da Sangallo and Francesco Giamberti)』

    左側が、フィレンツェの偉大な建築家・彫刻家であり、レオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロとも親交の深かったジュリアーノ・ダ・サンガッロ(Giuliano da Sangallo)です。

    右側で赤い帽子をかぶっているのが、彼の父親であるフランチェスコ・ジャンベルティ(Francesco Giamberti)です。父親はジュリアーノが若い頃に亡くなっており、この作品は息子ジュリアーノが父への敬意と追悼を込めて、ピエロ・ディ・コジモに発注した形見のペア肖像画とされています。

  • 1528年にイタリアの陶芸都市ファエンツァで制作された『東方三博士の礼拝(Plate with the Adoration of Jesus by the Magi)』を描いたマイオリカ焼き(錫釉陶器)の長方形の銘板(タイル・プラーク)。<br /><br />巨匠ピエロ・ベルガンティーニ(Piero Bergantini)の工房、またはその周辺によって作られたとされております。

    1528年にイタリアの陶芸都市ファエンツァで制作された『東方三博士の礼拝(Plate with the Adoration of Jesus by the Magi)』を描いたマイオリカ焼き(錫釉陶器)の長方形の銘板(タイル・プラーク)。

    巨匠ピエロ・ベルガンティーニ(Piero Bergantini)の工房、またはその周辺によって作られたとされております。

  • ヤン・モスタールト(Jan Mostaert)によって描かれた『洗礼者ヨハネの首を持つサロメ(Salome with the Head of Saint John the Baptist)』<br /><br />新約聖書や文学のテーマとして非常に有名な、王女サロメの物語です。彼女は義父であるヘロデ王の前で見事な踊りを披露した褒美として、母親ヘロディアのそそのかしにより、預言者洗礼者ヨハネの斬首を要求しました。<br /><br />

    ヤン・モスタールト(Jan Mostaert)によって描かれた『洗礼者ヨハネの首を持つサロメ(Salome with the Head of Saint John the Baptist)』

    新約聖書や文学のテーマとして非常に有名な、王女サロメの物語です。彼女は義父であるヘロデ王の前で見事な踊りを披露した褒美として、母親ヘロディアのそそのかしにより、預言者洗礼者ヨハネの斬首を要求しました。

  • ヤン・ファン・スコーレル(Jan van Scorel)によって1520~1524年頃に描かれた『瀕死のクレオパトラ(The Dying Cleopatra)』<br /><br />古代エジプト最後の女王クレオパトラ7世の最期の瞬間を描いています。ローマのマルクス・アントニウスとの愛に破れ、オクタヴィアヌス(後の初代ローマ皇帝)に屈することを拒んだ彼女は、毒蛇(コブラ・アスプ)に自らの胸を噛ませて自殺を遂げました。<br /><br />彼女の右手に注目すると、トグロを巻いた小さな黒い蛇が衣服の陰に握られており、今まさに胸へ近づけられている緊迫したドラマが描かれています。<br />

    ヤン・ファン・スコーレル(Jan van Scorel)によって1520~1524年頃に描かれた『瀕死のクレオパトラ(The Dying Cleopatra)』

    古代エジプト最後の女王クレオパトラ7世の最期の瞬間を描いています。ローマのマルクス・アントニウスとの愛に破れ、オクタヴィアヌス(後の初代ローマ皇帝)に屈することを拒んだ彼女は、毒蛇(コブラ・アスプ)に自らの胸を噛ませて自殺を遂げました。

    彼女の右手に注目すると、トグロを巻いた小さな黒い蛇が衣服の陰に握られており、今まさに胸へ近づけられている緊迫したドラマが描かれています。

  • ヤーコブ・コルネリスゾーン・ファン・オーストザーネン(Jacob Cornelisz van Oostsanen)によって描かれた『サウル王とエンドルの魔女(Saul and the Witch of Endor)』<br /><br />旧約聖書(サムエル記)に登場する、イスラエル初代の王サウルにまつわる不気味なエピソードです。ペリシテ人との決戦を前に恐れを抱いたサウル王は、神の禁じ手を破り、死者の霊を呼び出すことができるという「エンドルの魔女(霊媒師)」のもとを密かに訪れました。

    ヤーコブ・コルネリスゾーン・ファン・オーストザーネン(Jacob Cornelisz van Oostsanen)によって描かれた『サウル王とエンドルの魔女(Saul and the Witch of Endor)』

    旧約聖書(サムエル記)に登場する、イスラエル初代の王サウルにまつわる不気味なエピソードです。ペリシテ人との決戦を前に恐れを抱いたサウル王は、神の禁じ手を破り、死者の霊を呼び出すことができるという「エンドルの魔女(霊媒師)」のもとを密かに訪れました。

  • ヤン・ファン・スコレル(Jan van Scorel)が1530年頃に描いた名作『マグダラのマリア(Mary Magdalene)』<br /><br />キリスト教の聖人であるマグダラのマリアは、伝統的に「香油の壺(壷)」を持った姿で描かれます(キリストの遺体に塗るための香油を持っていたエピソードに由来)。

    ヤン・ファン・スコレル(Jan van Scorel)が1530年頃に描いた名作『マグダラのマリア(Mary Magdalene)』

    キリスト教の聖人であるマグダラのマリアは、伝統的に「香油の壺(壷)」を持った姿で描かれます(キリストの遺体に塗るための香油を持っていたエピソードに由来)。

  • ディルック・ジェイコブス(Dirck Jacobsz)が1531年頃に描いた『ポンペイウス・オッコの肖像(Portrait of Pompeius Occo)』<br /><br />描かれているポンペイウス・オッコ(Pompeius Occo, 1483?1537)は、アムステルダムで活躍した非常に裕福な銀行家、商人、そして人文学者(ヒューマニスト)でした。彼は当時の最先端の教養人であり、芸術や文学の熱心な庇護者(パトロン)でもありました。右側の木の枝には、彼の家族の紋章が描かれた小さな盾が吊るされています。<br /><br />左手の下にある人間の頭蓋骨は、芸術の世界で「メメント・モリ(死を想え)」と呼ばれる強いメッセージを持っています。

    ディルック・ジェイコブス(Dirck Jacobsz)が1531年頃に描いた『ポンペイウス・オッコの肖像(Portrait of Pompeius Occo)』

    描かれているポンペイウス・オッコ(Pompeius Occo, 1483?1537)は、アムステルダムで活躍した非常に裕福な銀行家、商人、そして人文学者(ヒューマニスト)でした。彼は当時の最先端の教養人であり、芸術や文学の熱心な庇護者(パトロン)でもありました。右側の木の枝には、彼の家族の紋章が描かれた小さな盾が吊るされています。

    左手の下にある人間の頭蓋骨は、芸術の世界で「メメント・モリ(死を想え)」と呼ばれる強いメッセージを持っています。

  • アドリアーン・イーゼンブラント(Adriaen Isenbrant)、またはその工房の作とされる『聖母子(Virgin and Child)』<br /><br />聖母マリアが座っている玉座の後ろには、非常に精緻な装飾が施された石造りのニッチ(壁の凹み)が描かれています。よく見ると、ピラスター(平柱)や牡羊の頭(Ram&#39;s heads)の彫刻、唐草模様(アカンサス)など、当時の北方ヨーロッパで流行し始めていたイタリア・ルネサンス(古代ギリシャ・ローマ風)の建築様式がふんだんに取り入れられています。<br /><br />オリジナルの豪華な木製額縁の左右には、キリスト教において非常に重要なラテン語の一節が刻まれています。<br /><br />「ECCE AGNUS DEI」(見よ、神の小羊)<br />「PECCATA MUNDI」(世の罪 [を取り除く者])

    アドリアーン・イーゼンブラント(Adriaen Isenbrant)、またはその工房の作とされる『聖母子(Virgin and Child)』

    聖母マリアが座っている玉座の後ろには、非常に精緻な装飾が施された石造りのニッチ(壁の凹み)が描かれています。よく見ると、ピラスター(平柱)や牡羊の頭(Ram's heads)の彫刻、唐草模様(アカンサス)など、当時の北方ヨーロッパで流行し始めていたイタリア・ルネサンス(古代ギリシャ・ローマ風)の建築様式がふんだんに取り入れられています。

    オリジナルの豪華な木製額縁の左右には、キリスト教において非常に重要なラテン語の一節が刻まれています。

    「ECCE AGNUS DEI」(見よ、神の小羊)
    「PECCATA MUNDI」(世の罪 [を取り除く者])

  • ヤン・コルネリス・ヴェルメイエン(Jan Cornelisz Vermeyen)が1530~1532年頃に描いた『カナの婚礼(The Marriage at Cana)』<br /><br />聖書における「カナの婚礼」は、イエス・キリストが水を極上のワインに変える最初の奇跡を起こしたエピソードとして有名です。しかし、この絵は当時の特殊な神学説に基づいており、「新郎新婦は聖ヨハネとマグダラのマリアだった」という設定で描かれています。<br /><br />中央奥で、頭にバラの飾りをつけ、こちらをじっと見つめている美しい女性がマグダラのマリアです。その左にいる青年が聖ヨハネです。<br /><br />右側に座るイエス・キリスト(髭を生やした男性)が手をかざし、まさに手前の大皿や水瓶の水をワインへと変える奇跡を行っています。この奇跡を目の当たりにしたヨハネは、俗世の結婚ではなく「神への信仰」に生きることを決意し、キリストの弟子(使徒)になります

    ヤン・コルネリス・ヴェルメイエン(Jan Cornelisz Vermeyen)が1530~1532年頃に描いた『カナの婚礼(The Marriage at Cana)』

    聖書における「カナの婚礼」は、イエス・キリストが水を極上のワインに変える最初の奇跡を起こしたエピソードとして有名です。しかし、この絵は当時の特殊な神学説に基づいており、「新郎新婦は聖ヨハネとマグダラのマリアだった」という設定で描かれています。

    中央奥で、頭にバラの飾りをつけ、こちらをじっと見つめている美しい女性がマグダラのマリアです。その左にいる青年が聖ヨハネです。

    右側に座るイエス・キリスト(髭を生やした男性)が手をかざし、まさに手前の大皿や水瓶の水をワインへと変える奇跡を行っています。この奇跡を目の当たりにしたヨハネは、俗世の結婚ではなく「神への信仰」に生きることを決意し、キリストの弟子(使徒)になります

  • ヤン・コルネリス・ヴェルメイエン(Jan Cornelisz Vermeyen)が1528~1530年頃に描いた『聖家族(The Holy Family)』<br /><br />聖母マリア: 彼女の首のライン、ドレスの胸元のスリット、ねじれたような手のポーズには、イタリアのラファエロ風の洗練されたエレガンスが漂っています。<br /><br />聖ヨセフ: 右奥から頬杖をついて複雑な表情で母子を見つめている老人が、マリアの夫であるヨセフです。彼の顔の陰影には、写実的で深い心理描写が見られます。<br /><br />画面左上の雲の上では、天使たちが楽器(リュートやハープなど)を奏でて聖家族を祝福しています。その背景から差し込む天上の光がマリアの白い肌とドレスの陰影をドラマチックに照らし、画面全体に強烈な立体感と動きを与えています。

    ヤン・コルネリス・ヴェルメイエン(Jan Cornelisz Vermeyen)が1528~1530年頃に描いた『聖家族(The Holy Family)』

    聖母マリア: 彼女の首のライン、ドレスの胸元のスリット、ねじれたような手のポーズには、イタリアのラファエロ風の洗練されたエレガンスが漂っています。

    聖ヨセフ: 右奥から頬杖をついて複雑な表情で母子を見つめている老人が、マリアの夫であるヨセフです。彼の顔の陰影には、写実的で深い心理描写が見られます。

    画面左上の雲の上では、天使たちが楽器(リュートやハープなど)を奏でて聖家族を祝福しています。その背景から差し込む天上の光がマリアの白い肌とドレスの陰影をドラマチックに照らし、画面全体に強烈な立体感と動きを与えています。

  • ヨアヒム・ブーケラール(Joachim Beuckelaer)が1566年に描いた『食料豊富な厨房(The Well-stocked Kitchen)』(副題:背景にマルタとマリアの家のキリスト)<br /><br />中央奥のアーチの向こう側をよく見ると、小さな人々が描かれています。これは新約聖書の一場面で、イエス・キリストがマルタとマリアの姉妹の家を訪れたエピソード(ルカによる福音書10章)です。姉のマルタは、イエスをもてなすために厨房で忙しく働き( vita activa=活動的生活)、妹のマリアは、働くのを手伝わずにイエスの足元に座って熱心に説教を聞いて( vita contemplativa=観照的生活)います<br /><br />イエスはこの時、不満を言うマルタに対して「マリアは良い方を選んだ(=食べ物の準備よりも、神の言葉を聞く精神的な営みの方が大切である)」と諭しました

    ヨアヒム・ブーケラール(Joachim Beuckelaer)が1566年に描いた『食料豊富な厨房(The Well-stocked Kitchen)』(副題:背景にマルタとマリアの家のキリスト)

    中央奥のアーチの向こう側をよく見ると、小さな人々が描かれています。これは新約聖書の一場面で、イエス・キリストがマルタとマリアの姉妹の家を訪れたエピソード(ルカによる福音書10章)です。姉のマルタは、イエスをもてなすために厨房で忙しく働き( vita activa=活動的生活)、妹のマリアは、働くのを手伝わずにイエスの足元に座って熱心に説教を聞いて( vita contemplativa=観照的生活)います

    イエスはこの時、不満を言うマルタに対して「マリアは良い方を選んだ(=食べ物の準備よりも、神の言葉を聞く精神的な営みの方が大切である)」と諭しました

  • ピーテル・アールツェン(Pieter Aertsen)が1560年頃に描いた『東方三博士の礼拝(The Adoration of the Magi)』<br /><br />聖母マリアたちの背景には、立派な大理石の柱や階段が崩れかけた「宮殿の廃墟(ルイン)」が描かれています。これは単なる景色の描写ではなく、イエスの遠い先祖であるダビデ王の宮殿を表すとともに、「古い世界の終わり(異教や旧約の時代)」と「キリストの誕生による新しいキリスト教世界の始まり」という宗教的な世代交代を象徴しています

    ピーテル・アールツェン(Pieter Aertsen)が1560年頃に描いた『東方三博士の礼拝(The Adoration of the Magi)』

    聖母マリアたちの背景には、立派な大理石の柱や階段が崩れかけた「宮殿の廃墟(ルイン)」が描かれています。これは単なる景色の描写ではなく、イエスの遠い先祖であるダビデ王の宮殿を表すとともに、「古い世界の終わり(異教や旧約の時代)」と「キリストの誕生による新しいキリスト教世界の始まり」という宗教的な世代交代を象徴しています

  • ピーテル・ブリューゲル(子)(Pieter Brueghel the Younger)、またはその工房による『「プライエルワーテルの茶番劇」の上演がある農民の縁日(A Flemish Kermis with a Performance of the Farce &#39;Een cluyte van Plaeyerwater&#39;)』<br /><br />この絵には、ベルギー・フランドル地方の村のお祭り(縁日・ケルメス)に集まった無数の人々が、食べ、呑み、踊り、喧嘩する様子がユーモラスに描かれています<br /><br />画面中央にある黒い布で囲われた仮設舞台の上で、役者たちが当時の大人気だった大衆演劇(茶番劇)『プライエルワーテル(Plaeyerwater)』を演じています。お芝居の内容: 浮気者の妻が、夫を騙して愛美男子と家でごちそうを食べようと企みます。妻は夫に「病気が治る魔法の水(プライエルワーテル)を遠くまで汲みに行ってきて」と嘘をつき追い出しますが、すべてを察した夫が大きな袋の中に隠れて家に戻り、妻と愛人の密会現場を暴いて2人を袋叩きにする……というコミカルな勧善懲悪の不倫劇です。

    ピーテル・ブリューゲル(子)(Pieter Brueghel the Younger)、またはその工房による『「プライエルワーテルの茶番劇」の上演がある農民の縁日(A Flemish Kermis with a Performance of the Farce 'Een cluyte van Plaeyerwater')』

    この絵には、ベルギー・フランドル地方の村のお祭り(縁日・ケルメス)に集まった無数の人々が、食べ、呑み、踊り、喧嘩する様子がユーモラスに描かれています

    画面中央にある黒い布で囲われた仮設舞台の上で、役者たちが当時の大人気だった大衆演劇(茶番劇)『プライエルワーテル(Plaeyerwater)』を演じています。お芝居の内容: 浮気者の妻が、夫を騙して愛美男子と家でごちそうを食べようと企みます。妻は夫に「病気が治る魔法の水(プライエルワーテル)を遠くまで汲みに行ってきて」と嘘をつき追い出しますが、すべてを察した夫が大きな袋の中に隠れて家に戻り、妻と愛人の密会現場を暴いて2人を袋叩きにする……というコミカルな勧善懲悪の不倫劇です。

  • ヴィレム・バーテル・ファン・デル・コーイ(Willem Bartel van der Kooi)が1813年に描いた『邪魔されたピアノの練習(Piano Practice Interrupted)』<br /><br />画面左側の美しい青いドレスを着た少女は、スクエア・ピアノ(当時のコンパクトなピアノ)に向かって熱心に練習をしていました。しかし、右側から2人のやんちゃな弟たちが突進してきて、彼女が座る椅子の背もたれを掴んでガタガタと揺らし、練習を邪魔してしまいます。お姉さんは少し困ったように、しかし優しく弟たちのほうを振り返っており、きょうだいの微笑ましい関係性がリアルに描かれています。

    ヴィレム・バーテル・ファン・デル・コーイ(Willem Bartel van der Kooi)が1813年に描いた『邪魔されたピアノの練習(Piano Practice Interrupted)』

    画面左側の美しい青いドレスを着た少女は、スクエア・ピアノ(当時のコンパクトなピアノ)に向かって熱心に練習をしていました。しかし、右側から2人のやんちゃな弟たちが突進してきて、彼女が座る椅子の背もたれを掴んでガタガタと揺らし、練習を邪魔してしまいます。お姉さんは少し困ったように、しかし優しく弟たちのほうを振り返っており、きょうだいの微笑ましい関係性がリアルに描かれています。

  • ヤン・ウィレム・ピーネマン(Jan Willem Pieneman)が1824年に完成させた歴史画の大傑作『ワーテルローの戦い(The Battle of Waterloo)』<br /><br />1815年6月18日、ナポレオン率いるフランス帝国軍と、イギリス・オランダ連合軍などが激突した「ワーテルローの戦い」における決定的なターニングポイント(勝敗の転換点)が描かれています。<br /><br />この絵は縦5.67メートル、横8.23メートルもあり、アムステルダム国立美術館の中で「最も物理的サイズの大きい絵画」として非常に有名

    ヤン・ウィレム・ピーネマン(Jan Willem Pieneman)が1824年に完成させた歴史画の大傑作『ワーテルローの戦い(The Battle of Waterloo)』

    1815年6月18日、ナポレオン率いるフランス帝国軍と、イギリス・オランダ連合軍などが激突した「ワーテルローの戦い」における決定的なターニングポイント(勝敗の転換点)が描かれています。

    この絵は縦5.67メートル、横8.23メートルもあり、アムステルダム国立美術館の中で「最も物理的サイズの大きい絵画」として非常に有名

  • 画面中央で茶色い馬に乗り、凛とした姿で指揮を執っているのは、イギリス連合軍の総司令官ウェリントン公爵(アーサー・ウェルズリー)です。まさにこの瞬間、彼は左奥から「プロイセン軍の援軍がこちらに向かっている」という吉報の伝令を受け取っています。これによってイギリス・オランダ連合軍の勝利が確定的となり、20年以上続いたナポレオン戦争に終止符が打たれることになります

    画面中央で茶色い馬に乗り、凛とした姿で指揮を執っているのは、イギリス連合軍の総司令官ウェリントン公爵(アーサー・ウェルズリー)です。まさにこの瞬間、彼は左奥から「プロイセン軍の援軍がこちらに向かっている」という吉報の伝令を受け取っています。これによってイギリス・オランダ連合軍の勝利が確定的となり、20年以上続いたナポレオン戦争に終止符が打たれることになります

  • コルネリス・クルーゼマン(Cornelis Kruseman)が1830年に描いた代表作『一意専心(英題:Of One Heart / 蘭題:Een van zin)』<br /><br />タイトルである『一意専心(ひとつの心)』が示す通り、この絵は「共有された音楽」と「言葉なき親密な絆」をテーマにしています<br /><br />男性と楽器: 左側の青年は、ギター(またはマンドリンなどの弦楽器)を抱えて女性たちを見つめています。<br /><br />女性たちの仕草: 中央の女性は隣の友人の肩にそっと手を回し、2人はしっかりと手を繋いでいます。右側の女性の膝にはタンバリンが置かれています。今まさに音楽を奏で終えたか、あるいはこれから奏でようとしている瞬間の、若者たちの穏やかで調和のとれた空気感と、ほのかな恋愛の気配がドラマチックに表現されています。

    コルネリス・クルーゼマン(Cornelis Kruseman)が1830年に描いた代表作『一意専心(英題:Of One Heart / 蘭題:Een van zin)』

    タイトルである『一意専心(ひとつの心)』が示す通り、この絵は「共有された音楽」と「言葉なき親密な絆」をテーマにしています

    男性と楽器: 左側の青年は、ギター(またはマンドリンなどの弦楽器)を抱えて女性たちを見つめています。

    女性たちの仕草: 中央の女性は隣の友人の肩にそっと手を回し、2人はしっかりと手を繋いでいます。右側の女性の膝にはタンバリンが置かれています。今まさに音楽を奏で終えたか、あるいはこれから奏でようとしている瞬間の、若者たちの穏やかで調和のとれた空気感と、ほのかな恋愛の気配がドラマチックに表現されています。

  • ヘンリクス・フランシスクス・ウィエルツ(Henricus Franciscus Wiertz)が1809年に描いた『貝殻と海生植物(Shells and Marine Plants / 蘭:Schelpen en zeegewassen)』<br /><br />画面には、まるで激しい大波が海岸の岩場に一気に打ち上げ、そのまま残していったかのように、多種多様な貝殻や海洋生物が積み重なっています。ウィエルツは、ある貝殻はツルツルとした滑らかな光沢を放ち、あるサンゴはザラザラと不規則に波打つなど、それぞれの質感(テクスチャ)を驚くべき観察眼で描き分けています

    ヘンリクス・フランシスクス・ウィエルツ(Henricus Franciscus Wiertz)が1809年に描いた『貝殻と海生植物(Shells and Marine Plants / 蘭:Schelpen en zeegewassen)』

    画面には、まるで激しい大波が海岸の岩場に一気に打ち上げ、そのまま残していったかのように、多種多様な貝殻や海洋生物が積み重なっています。ウィエルツは、ある貝殻はツルツルとした滑らかな光沢を放ち、あるサンゴはザラザラと不規則に波打つなど、それぞれの質感(テクスチャ)を驚くべき観察眼で描き分けています

  • ヴィナン・ニュイエン(Wijnand Nuijen)が1837年頃に描いた『ロッキーコースト沖の難破船(Shipwreck off a Rocky Coast)』<br /><br />9世紀前半にヨーロッパで流行したロマン主義では、人間の力を遥かに超越した「自然の恐ろしさや美しさ(崇高=サブライム)」が好んでテーマにされました。画面を覆い尽くす激しい荒波、今にも押し潰されそうな黒い嵐の雲、そして左側にそびえ立つ圧倒的な巨岩(崖)は、まさにその象徴です<br />

    ヴィナン・ニュイエン(Wijnand Nuijen)が1837年頃に描いた『ロッキーコースト沖の難破船(Shipwreck off a Rocky Coast)』

    9世紀前半にヨーロッパで流行したロマン主義では、人間の力を遥かに超越した「自然の恐ろしさや美しさ(崇高=サブライム)」が好んでテーマにされました。画面を覆い尽くす激しい荒波、今にも押し潰されそうな黒い嵐の雲、そして左側にそびえ立つ圧倒的な巨岩(崖)は、まさにその象徴です

  • アンリエット・ロナー=クニップ(Henriëtte Ronner-Knip)が1860~1897年頃に描いた『遊ぶ子猫(Cat at Play / 蘭:Spelende kat)』<br /><br />白黒のやんちゃな子猫が、主人の留守中(あるいは目を離した隙)に書斎のテーブルに飛び乗り、大はしゃぎで遊んでいます。子猫が前足でいじっているのは、当時大流行していたゲームの「ドミノの牌(タイル)」です。並べられていた牌をパタパタと倒してしまったかのような、生き生きとした一瞬の動き(モーション)が見事に捉えられています。

    アンリエット・ロナー=クニップ(Henriëtte Ronner-Knip)が1860~1897年頃に描いた『遊ぶ子猫(Cat at Play / 蘭:Spelende kat)』

    白黒のやんちゃな子猫が、主人の留守中(あるいは目を離した隙)に書斎のテーブルに飛び乗り、大はしゃぎで遊んでいます。子猫が前足でいじっているのは、当時大流行していたゲームの「ドミノの牌(タイル)」です。並べられていた牌をパタパタと倒してしまったかのような、生き生きとした一瞬の動き(モーション)が見事に捉えられています。

  • ピーター・ジェラルド・ヴァン・オス(Pieter Gerardus van Os)が1818年に描いた『スフラーフェラントの運河(The Canal at &#39;s-Graveland)』<br /><br />描かれているのは、アムステルダムから南東に30キロほど離れた、当時から美しい自然で知られる実在の村スフラーフェラント(&#39;s-Graveland)です。アムステルダムの裕福な商人たちが夏を過ごすための豪華な別荘地が多くあった場所で、現在も美しい並木道や運河が残っています。<br /><br />この絵の最大の魅力は、画面左側から差し込む夕日(西日)のグラデーションです。黄金色の柔らかな光が運河の水面に反射し、レンガ造りの家屋の壁を暖かく照らしています。煙突から立ち上る白い煙や、遠くかすむ空の表情には、オランダ特有の少し湿り気のある穏やかな空気が見事に表現されています。

    ピーター・ジェラルド・ヴァン・オス(Pieter Gerardus van Os)が1818年に描いた『スフラーフェラントの運河(The Canal at 's-Graveland)』

    描かれているのは、アムステルダムから南東に30キロほど離れた、当時から美しい自然で知られる実在の村スフラーフェラント('s-Graveland)です。アムステルダムの裕福な商人たちが夏を過ごすための豪華な別荘地が多くあった場所で、現在も美しい並木道や運河が残っています。

    この絵の最大の魅力は、画面左側から差し込む夕日(西日)のグラデーションです。黄金色の柔らかな光が運河の水面に反射し、レンガ造りの家屋の壁を暖かく照らしています。煙突から立ち上る白い煙や、遠くかすむ空の表情には、オランダ特有の少し湿り気のある穏やかな空気が見事に表現されています。

  • ピーター・ジェラルド・ヴァン・オス(Pieter Gerardus van Os)が1820年に描いた『ヒルフェルスム近くの風景(Landscape near Hilversum)』<br /><br />ヴァン・オスは、17世紀の黄金時代の巨匠パウルス・ポッテルに強く影響を受け、オランダ美術史上でも屈指の「牛を描く名人」として知られていました。手前のぬかるんだ道に集まる牛たちは、白黒の斑点、茶色、黒など一頭一頭の毛並みや体の向きが異なり、非常に生き生きと描かれています。右側には、牛を追う農夫と犬、そしてその様子を見つめる小さな子供の姿があり、のどかな農村の一コマが切り取られています。

    ピーター・ジェラルド・ヴァン・オス(Pieter Gerardus van Os)が1820年に描いた『ヒルフェルスム近くの風景(Landscape near Hilversum)』

    ヴァン・オスは、17世紀の黄金時代の巨匠パウルス・ポッテルに強く影響を受け、オランダ美術史上でも屈指の「牛を描く名人」として知られていました。手前のぬかるんだ道に集まる牛たちは、白黒の斑点、茶色、黒など一頭一頭の毛並みや体の向きが異なり、非常に生き生きと描かれています。右側には、牛を追う農夫と犬、そしてその様子を見つめる小さな子供の姿があり、のどかな農村の一コマが切り取られています。

  • 浮世絵師、月岡芳年(つきおか よしとし)の晩年の最高傑作シリーズ『月百姿(つきひゃくし)』より『吼嚄(こうかく)』(通称:白蔵主 / 狐の鳴き声)<br /><br />あるところに、罠にかかる仲間(狐)を救うため、人間の「白蔵主」というお坊さんに化けて、狐狩りをする猟師の叔父(あるいは甥)の元へ「生き物を殺してはならない」と意見しに行く熱心な狐がいました。言葉巧みに猟師を説得し、罠をすべて買い取って帰路につくのですが、その帰り道、本物の狐としての野生がふと目覚めてしまいます。<br /><br />芳年が描いたのは、まさにその化けの皮が剥がれかける劇的な瞬間です。ススキが生い茂る寂しい秋の夜、美しい三日月を見上げたお坊さんの顔が、完全に狐の素顔に戻ってしまっています。タイトルにある「吼嚄(こうかく)」とは、狐が夜空に向かって「コーン」と切なく、あるいは激しく吠える声を意味しており、人間の服(法衣)をまとったまま、自然の衝動を抑えきれずに咆哮する姿が不気味かつ非常に美しく描かれています。<br /><br />

    浮世絵師、月岡芳年(つきおか よしとし)の晩年の最高傑作シリーズ『月百姿(つきひゃくし)』より『吼嚄(こうかく)』(通称:白蔵主 / 狐の鳴き声)

    あるところに、罠にかかる仲間(狐)を救うため、人間の「白蔵主」というお坊さんに化けて、狐狩りをする猟師の叔父(あるいは甥)の元へ「生き物を殺してはならない」と意見しに行く熱心な狐がいました。言葉巧みに猟師を説得し、罠をすべて買い取って帰路につくのですが、その帰り道、本物の狐としての野生がふと目覚めてしまいます。

    芳年が描いたのは、まさにその化けの皮が剥がれかける劇的な瞬間です。ススキが生い茂る寂しい秋の夜、美しい三日月を見上げたお坊さんの顔が、完全に狐の素顔に戻ってしまっています。タイトルにある「吼嚄(こうかく)」とは、狐が夜空に向かって「コーン」と切なく、あるいは激しく吠える声を意味しており、人間の服(法衣)をまとったまま、自然の衝動を抑えきれずに咆哮する姿が不気味かつ非常に美しく描かれています。

  • 浮世絵師歌川国芳(うたがわ くにおし)が1858年に描いたダイナミックな武者絵『龍宮城 田原藤太秀郷に三種の土産を贈る』<br /><br />琵琶湖の瀬田の唐橋を通りかかった秀郷は、大蛇(龍神の化身)から「三上山に棲む巨大なムカデが龍宮を脅かしているので退治してほしい」と頼まれます。見事に強大なムカデを弓矢で射止めた秀郷は、感謝のしるしとして海底の龍宮城へと招かれ、豪華なもてなしを受けました。そして地上へ帰る際、龍王から「いくら使っても尽きることがない3つの魔法の宝物(三種の土産)」を贈られます

    浮世絵師歌川国芳(うたがわ くにおし)が1858年に描いたダイナミックな武者絵『龍宮城 田原藤太秀郷に三種の土産を贈る』

    琵琶湖の瀬田の唐橋を通りかかった秀郷は、大蛇(龍神の化身)から「三上山に棲む巨大なムカデが龍宮を脅かしているので退治してほしい」と頼まれます。見事に強大なムカデを弓矢で射止めた秀郷は、感謝のしるしとして海底の龍宮城へと招かれ、豪華なもてなしを受けました。そして地上へ帰る際、龍王から「いくら使っても尽きることがない3つの魔法の宝物(三種の土産)」を贈られます

  • ヨゼフ・イスラエルス(Jozef Israëls)が1872年に描いた最高傑作の一つ『海の子供たち(Children of the Sea / 蘭:Kinderen der zee)』<br /><br />画面には、北海に面した漁村ザントフォールト(Zandvoort)の子供たちが、浅瀬で裸足になって遊んでいる姿が描かれています。中央の少年は幼い妹(または弟)を背負いながら、木で作った手製のおもちゃの帆船(ボート)を水面に浮かべています。高価なおもちゃは買えなくても、身の回りにあるもので無邪気に遊ぶ子供たちの健気な姿が温かく捉えられています。

    ヨゼフ・イスラエルス(Jozef Israëls)が1872年に描いた最高傑作の一つ『海の子供たち(Children of the Sea / 蘭:Kinderen der zee)』

    画面には、北海に面した漁村ザントフォールト(Zandvoort)の子供たちが、浅瀬で裸足になって遊んでいる姿が描かれています。中央の少年は幼い妹(または弟)を背負いながら、木で作った手製のおもちゃの帆船(ボート)を水面に浮かべています。高価なおもちゃは買えなくても、身の回りにあるもので無邪気に遊ぶ子供たちの健気な姿が温かく捉えられています。

  • フィンセント・ファン・ゴッホ(Vincent van Gogh)が1888年に描いた『麦畑(Wheat Field)』<br /><br />ゴッホは都会であるパリでの生活に疲れ、1888年2月に南フランスの田舎町アルルへ移住しました。南仏のまばゆい太陽の光に感銘を受けた彼は、この「熟した麦畑」のまばゆい黄色に強く魅了されました。わずか数週間の間にいくつもの麦畑の連作を描いており、本作はその記念すべき初期の一枚です

    フィンセント・ファン・ゴッホ(Vincent van Gogh)が1888年に描いた『麦畑(Wheat Field)』

    ゴッホは都会であるパリでの生活に疲れ、1888年2月に南フランスの田舎町アルルへ移住しました。南仏のまばゆい太陽の光に感銘を受けた彼は、この「熟した麦畑」のまばゆい黄色に強く魅了されました。わずか数週間の間にいくつもの麦畑の連作を描いており、本作はその記念すべき初期の一枚です

  • フィンセント・ファン・ゴッホ(Vincent van Gogh)の非常に有名な代表作の一つ『グレーのフェルト帽をかぶった自画像(Self-Portrait with a Grey Felt Hat)』<br /><br />この自画像は、ゴッホがフランスのパリに滞在していた時期(1886~1888年)の終盤に描かれました。彼の画家としてのスタイルが劇的に進化した瞬間が、この小さな画面に凝縮されています。

    フィンセント・ファン・ゴッホ(Vincent van Gogh)の非常に有名な代表作の一つ『グレーのフェルト帽をかぶった自画像(Self-Portrait with a Grey Felt Hat)』

    この自画像は、ゴッホがフランスのパリに滞在していた時期(1886~1888年)の終盤に描かれました。彼の画家としてのスタイルが劇的に進化した瞬間が、この小さな画面に凝縮されています。

  • フィンセント・ファン・ゴッホ(Vincent van Gogh)がパリ時代に描いた『河岸の木々(Riverbank with Trees)』<br /><br />描かれているのは、パリの北西に位置するセーヌ川沿いの町アニエール(Asnières)周辺の河岸です。背景の右奥をよく見ると、川の向こう岸に白いアパートメント(集合住宅)がうっすらと2棟並んで描かれているのが確認できます。ゴッホはこの時期、都会の喧騒から逃れてアニエールへ頻繁に足を運び、光に満ちた水辺の風景を好んで描きました

    フィンセント・ファン・ゴッホ(Vincent van Gogh)がパリ時代に描いた『河岸の木々(Riverbank with Trees)』

    描かれているのは、パリの北西に位置するセーヌ川沿いの町アニエール(Asnières)周辺の河岸です。背景の右奥をよく見ると、川の向こう岸に白いアパートメント(集合住宅)がうっすらと2棟並んで描かれているのが確認できます。ゴッホはこの時期、都会の喧騒から逃れてアニエールへ頻繁に足を運び、光に満ちた水辺の風景を好んで描きました

  • クロード・モネ(Claude Monet)が1884年に描いた美しい風景画『モナコ近郊の崖道(La Corniche near Monaco)』<br /><br />モネは1883年末から1884年初頭にかけて、地中海沿岸のフランス・リヴィエラからイタリアへかけて旅をしました。そこで出会った北フランスとは全く異なる鮮烈な南欧の光と色彩に大きな衝撃を受け、夢中でキャンバスに向かいました。この絵からは、地中海の真っ青な海や、太陽に照らされた赤土の小道の眩しさだけでなく、「南仏の夏のうだるような熱気」そのものが、画筆のストロークを通じてリアルに伝わってきます

    クロード・モネ(Claude Monet)が1884年に描いた美しい風景画『モナコ近郊の崖道(La Corniche near Monaco)』

    モネは1883年末から1884年初頭にかけて、地中海沿岸のフランス・リヴィエラからイタリアへかけて旅をしました。そこで出会った北フランスとは全く異なる鮮烈な南欧の光と色彩に大きな衝撃を受け、夢中でキャンバスに向かいました。この絵からは、地中海の真っ青な海や、太陽に照らされた赤土の小道の眩しさだけでなく、「南仏の夏のうだるような熱気」そのものが、画筆のストロークを通じてリアルに伝わってきます

  • ヤン・トゥーロップ(Jan Toorop)が1887年に描いた風景画『カトウェイク近くの海(The Sea near Katwijk / 蘭:De Zee)』<br /><br />この絵の前に立つと、波しぶきが飛び散る海の荒々しさが肌で感じられるような臨場感があります。トゥーロップは、画筆(ブラシ)だけでなくパレットナイフを使って厚く絵の具を塗りつけることで、白く泡立つ波頭(なみがしら)や激しく交錯する海のうねりを立体的に表現しました。この手法は、当時のベルギーの親友であり前衛画家のジェームズ・アンソールから学び、自らのものにした最先端の技法でした

    ヤン・トゥーロップ(Jan Toorop)が1887年に描いた風景画『カトウェイク近くの海(The Sea near Katwijk / 蘭:De Zee)』

    この絵の前に立つと、波しぶきが飛び散る海の荒々しさが肌で感じられるような臨場感があります。トゥーロップは、画筆(ブラシ)だけでなくパレットナイフを使って厚く絵の具を塗りつけることで、白く泡立つ波頭(なみがしら)や激しく交錯する海のうねりを立体的に表現しました。この手法は、当時のベルギーの親友であり前衛画家のジェームズ・アンソールから学び、自らのものにした最先端の技法でした

  • ヤコブス・ファン・ローイ(Jacobus van Looy / Jac van Looij)が描いた代表作『7月(夏の贅沢) / 英題:July(&quot;Summer Luxuriance&quot;)』<br /><br />この絵の最大の魅力は、画面手前の庭一面に gulle hand(気前の良い手)で惜しみなく散りばめられた、まばゆい青紫色のラクスパー(ヒエンソウ)やデルフィニウムなどの花々です。ファン・ローイは、同じくオランダ出身の巨匠フィンセント・ファン・ゴッホが描いた情熱的な自然の表現に強くインスパイアされていました。しかし、ゴッホの強烈なデフォルメに比べると、この作品の光の当たり方や植物の描写はどこかリアルな空気感(写実性)を保っています

    ヤコブス・ファン・ローイ(Jacobus van Looy / Jac van Looij)が描いた代表作『7月(夏の贅沢) / 英題:July("Summer Luxuriance")』

    この絵の最大の魅力は、画面手前の庭一面に gulle hand(気前の良い手)で惜しみなく散りばめられた、まばゆい青紫色のラクスパー(ヒエンソウ)やデルフィニウムなどの花々です。ファン・ローイは、同じくオランダ出身の巨匠フィンセント・ファン・ゴッホが描いた情熱的な自然の表現に強くインスパイアされていました。しかし、ゴッホの強烈なデフォルメに比べると、この作品の光の当たり方や植物の描写はどこかリアルな空気感(写実性)を保っています

  • ヘンドリック・ウィレム・メスダグ(Hendrik Willem Mesdag)が描いた『砕ける波の中の漁船(英題:Fishing Pinks in Breaking Waves)』<br /><br />画面左側の海岸線には、船の帰還を待ちわびていた無数の村人たちが集まっています。船が到着すると、獲れたての新鮮な魚を入れたカゴが次々と浜に下ろされ、その場ですぐに魚の競り市が始まりました。競り落とされた魚は、主に女性たち(漁師の妻たち)が手押し車に載せ、近隣の家々へ一軒一軒売り歩きに向かいました

    ヘンドリック・ウィレム・メスダグ(Hendrik Willem Mesdag)が描いた『砕ける波の中の漁船(英題:Fishing Pinks in Breaking Waves)』

    画面左側の海岸線には、船の帰還を待ちわびていた無数の村人たちが集まっています。船が到着すると、獲れたての新鮮な魚を入れたカゴが次々と浜に下ろされ、その場ですぐに魚の競り市が始まりました。競り落とされた魚は、主に女性たち(漁師の妻たち)が手押し車に載せ、近隣の家々へ一軒一軒売り歩きに向かいました

  • アイザック・イスラエルス(Isaac Israëls)が1883~1884年頃に描いた歴史的傑作『植民地兵士の輸送(英題:Transport of Colonial Soldiers / 蘭題:Het transport der kolonialen)』<br /><br />この絵が描かれた当時、オランダは現在のインドネシア(オランダ領東インド)における支配を維持・拡大するため、長期にわたる過酷な「アチェ戦争」の真っ只中にありました。画面に描かれているのは、現在のインドネシア戦線へ赴くために、港町ロッテルダムの兵舎から船へ向かって行進する王立オランダ領東インド陸軍(KNIL)の兵士たちの姿です

    アイザック・イスラエルス(Isaac Israëls)が1883~1884年頃に描いた歴史的傑作『植民地兵士の輸送(英題:Transport of Colonial Soldiers / 蘭題:Het transport der kolonialen)』

    この絵が描かれた当時、オランダは現在のインドネシア(オランダ領東インド)における支配を維持・拡大するため、長期にわたる過酷な「アチェ戦争」の真っ只中にありました。画面に描かれているのは、現在のインドネシア戦線へ赴くために、港町ロッテルダムの兵舎から船へ向かって行進する王立オランダ領東インド陸軍(KNIL)の兵士たちの姿です

  • 軍隊の右側をよく見ると、兵士たちに寄り添って歩く一般市民の姿が見えます。<br /><br />中央右寄りの黒服の女性: 行進する夫や息子の腕に必死にすがりつき、顔を歪めて何かを訴えかけています。その傍らでは、小さな子供が母親の手をしっかりと握りしめながら、状況が掴めない様子で不安そうにトボトボと歩いています。<br /><br />植民地へ向かう兵士たちの多くは、貧困から抜け出すために高額な契約金目当てで志願した若者たちでした。この描写は、国威発揚の華やかな軍事パレードではなく、家族との永遠の別れになるかもしれない悲痛な現実をありのままに描いています。

    軍隊の右側をよく見ると、兵士たちに寄り添って歩く一般市民の姿が見えます。

    中央右寄りの黒服の女性: 行進する夫や息子の腕に必死にすがりつき、顔を歪めて何かを訴えかけています。その傍らでは、小さな子供が母親の手をしっかりと握りしめながら、状況が掴めない様子で不安そうにトボトボと歩いています。

    植民地へ向かう兵士たちの多くは、貧困から抜け出すために高額な契約金目当てで志願した若者たちでした。この描写は、国威発揚の華やかな軍事パレードではなく、家族との永遠の別れになるかもしれない悲痛な現実をありのままに描いています。

  • 江戸時代後期(1800~1820年頃)に日本で作られオランダへと渡った、きわめて貴重な工芸品『長崎出島図螺鈿漆器パネル(Lacquer panel depicting Deshima Island)』<br /><br />長崎の湾内に築かれた唯一の対蘭貿易窓口である「出島」が、斜め上空から見下ろしたパノラマ状の構図で描かれています。出島の最大の特徴である美しい「扇型(ファン・シェイプ)」が完璧に表現されており、黒漆の背景の中に細かく裁断された真珠貝の輝きだけで、島内の複雑な街並みが再現されています

    江戸時代後期(1800~1820年頃)に日本で作られオランダへと渡った、きわめて貴重な工芸品『長崎出島図螺鈿漆器パネル(Lacquer panel depicting Deshima Island)』

    長崎の湾内に築かれた唯一の対蘭貿易窓口である「出島」が、斜め上空から見下ろしたパノラマ状の構図で描かれています。出島の最大の特徴である美しい「扇型(ファン・シェイプ)」が完璧に表現されており、黒漆の背景の中に細かく裁断された真珠貝の輝きだけで、島内の複雑な街並みが再現されています

  • 出島のジオラマ

    出島のジオラマ

  • テレーズ・シュヴァルツェ(Thérèse Schwartze)が1885年に描いた代表作『パック(Puck / 犬を連れた若いイタリア人女性の肖像)』<br /><br />額縁の下部に堂々と刻まれている通り、この絵のタイトルである「パック(Puck)」とは、右下から女性を優しく見上げている賢そうな犬の名前です。女性のドレスの黒い布地を背景に、犬の白い毛並みが柔らかなタッチで浮かび上がっており、主人と愛犬の間の温かい信頼関係が視覚的に表現されています。画面右上にも、よく見ると金色で「Puck」とサインのように刻まれています。

    テレーズ・シュヴァルツェ(Thérèse Schwartze)が1885年に描いた代表作『パック(Puck / 犬を連れた若いイタリア人女性の肖像)』

    額縁の下部に堂々と刻まれている通り、この絵のタイトルである「パック(Puck)」とは、右下から女性を優しく見上げている賢そうな犬の名前です。女性のドレスの黒い布地を背景に、犬の白い毛並みが柔らかなタッチで浮かび上がっており、主人と愛犬の間の温かい信頼関係が視覚的に表現されています。画面右上にも、よく見ると金色で「Puck」とサインのように刻まれています。

  • ポール・ガブリエル(Paul Joseph Constantin Gabriël)が1889年頃に描いた傑作『7月の風車(英題:A Windmill on a Polder Waterway, Known as &quot;In the Month of July&quot;)』<br /><br />画面中央にそびえ立つ風車が、手前の静かな運河(ポルダーと呼ばれる干拓地の水路)の鏡のような水面に、驚くほどくっきりと上下反転して映り込んでいます。ガブリエルは水面の反射を描く名人であり、風車だけでなく、流れる白い雲や青空までもが水面を美しく彩っています

    ポール・ガブリエル(Paul Joseph Constantin Gabriël)が1889年頃に描いた傑作『7月の風車(英題:A Windmill on a Polder Waterway, Known as "In the Month of July")』

    画面中央にそびえ立つ風車が、手前の静かな運河(ポルダーと呼ばれる干拓地の水路)の鏡のような水面に、驚くほどくっきりと上下反転して映り込んでいます。ガブリエルは水面の反射を描く名人であり、風車だけでなく、流れる白い雲や青空までもが水面を美しく彩っています

  • ヤン・アダム・クルーゼマン(Jan Adam Kruseman)が1861年頃に描いた傑作『洗礼者ヨハネの首を持つサロメ(英題:Salome with the Head of John the Baptist / 蘭題:Salomé met het hoofd van Johannes de Doper)』<br /><br />描かれているのは、新約聖書に登場するヘロデ王の義理の娘サロメです。彼女は宴の席で見事なダンスを披露した褒美として、王に「洗礼者ヨハネの首」を求めました。手前に白く掛けられた布の下にある大きなお皿(盆)には、まさにその切り落とされたヨハネの首が載せられています。物語自体は非常に凄惨で血生臭いものですが、クルーゼマンはあえてその生々しさを白い布で覆い隠すことで、絵画としての美しさと上品さを保っています。

    ヤン・アダム・クルーゼマン(Jan Adam Kruseman)が1861年頃に描いた傑作『洗礼者ヨハネの首を持つサロメ(英題:Salome with the Head of John the Baptist / 蘭題:Salomé met het hoofd van Johannes de Doper)』

    描かれているのは、新約聖書に登場するヘロデ王の義理の娘サロメです。彼女は宴の席で見事なダンスを披露した褒美として、王に「洗礼者ヨハネの首」を求めました。手前に白く掛けられた布の下にある大きなお皿(盆)には、まさにその切り落とされたヨハネの首が載せられています。物語自体は非常に凄惨で血生臭いものですが、クルーゼマンはあえてその生々しさを白い布で覆い隠すことで、絵画としての美しさと上品さを保っています。

  • ヤン・アダム・クルーゼマン(Jan Adam Kruseman)が1833年に描いた代表作『アリダ・クリスティーナ・アシンクの肖像(Portrait of Alida Christina Assink)』<br /><br />当時、頭から足元まで全身を描く「等身大の肖像画」は、主に王族や最高位の貴族だけに許される非常に特別な特権でした。被写体であるアリダ・クリスティーナ・アシンク(当時23歳)は王族ではありませんでしたが、彼女の親代わり(後見人)であった裕福な大地主が、巨額の資金を投じてお抱え高名絵師のクルーゼマンにこの特別な肖像画を依頼しました。これにより、彼女の若々しさと一族の誇り高い富が世に示されることとなりました

    ヤン・アダム・クルーゼマン(Jan Adam Kruseman)が1833年に描いた代表作『アリダ・クリスティーナ・アシンクの肖像(Portrait of Alida Christina Assink)』

    当時、頭から足元まで全身を描く「等身大の肖像画」は、主に王族や最高位の貴族だけに許される非常に特別な特権でした。被写体であるアリダ・クリスティーナ・アシンク(当時23歳)は王族ではありませんでしたが、彼女の親代わり(後見人)であった裕福な大地主が、巨額の資金を投じてお抱え高名絵師のクルーゼマンにこの特別な肖像画を依頼しました。これにより、彼女の若々しさと一族の誇り高い富が世に示されることとなりました

  • レンブラント・ファン・レイン(Rembrandt van Rijn)が1642年に完成させた、世界で最も有名な絵画の一つ『夜警(英題:The Night Watch / 蘭題:De Nachtwacht)』<br /><br />アムステルダム国立美術館の象徴であり、館内の中心「名誉の間(Gallery of Honour)」の最奥に鎮座しています。また、お写真の様子は2019年から現在にかけて行われている歴史的な大規模修復・調査プロジェクト「オペレーション・ナイトウォッチ(Operation Night Watch)」のために設定された、特製のガラスケース越しに撮影

    レンブラント・ファン・レイン(Rembrandt van Rijn)が1642年に完成させた、世界で最も有名な絵画の一つ『夜警(英題:The Night Watch / 蘭題:De Nachtwacht)』

    アムステルダム国立美術館の象徴であり、館内の中心「名誉の間(Gallery of Honour)」の最奥に鎮座しています。また、お写真の様子は2019年から現在にかけて行われている歴史的な大規模修復・調査プロジェクト「オペレーション・ナイトウォッチ(Operation Night Watch)」のために設定された、特製のガラスケース越しに撮影

  • 中央の2人: 黒い服に赤いサッシュを巻いたコック隊長が左手を前に出し、まさに「前進せよ」と命令を下しています。その隣の、眩しい黄色の衣服をまとったライテンブルフ副隊長が、隊長の指示を聞きながら歩き出そうとしています。

    中央の2人: 黒い服に赤いサッシュを巻いたコック隊長が左手を前に出し、まさに「前進せよ」と命令を下しています。その隣の、眩しい黄色の衣服をまとったライテンブルフ副隊長が、隊長の指示を聞きながら歩き出そうとしています。

  • 画面左奥で、強烈なスポットライトを浴びたように白く輝いている少女は、隊員の誰かの娘ではなく、警備隊の「マスコット(象徴)」として描かれた擬人化された存在です。彼女の腰に吊るされている「逆さの死んだ鶏(の爪)」は、この警備隊(火縄銃手組合)の紋章を表しており、彼女自身が組合の勝利と繁栄を象徴する女神のような役割を果たしています。

    画面左奥で、強烈なスポットライトを浴びたように白く輝いている少女は、隊員の誰かの娘ではなく、警備隊の「マスコット(象徴)」として描かれた擬人化された存在です。彼女の腰に吊るされている「逆さの死んだ鶏(の爪)」は、この警備隊(火縄銃手組合)の紋章を表しており、彼女自身が組合の勝利と繁栄を象徴する女神のような役割を果たしています。

  • この絵の本来の正式名称は『フランス・バニング・コック隊長とウィレム・ファン・ライテンブルフ副隊長の市民警備隊』です。長年、画面全体が暗かったため「夜間の見回り」を描いたものと誤解され『夜警』の愛称が定着しましたが、近年の修復調査(表面の古いニスや汚れの除去)によって、実際には「昼間の明るい陽射しの中で、隊員たちが出発する瞬間」を描いたものであることが判明しています。

    この絵の本来の正式名称は『フランス・バニング・コック隊長とウィレム・ファン・ライテンブルフ副隊長の市民警備隊』です。長年、画面全体が暗かったため「夜間の見回り」を描いたものと誤解され『夜警』の愛称が定着しましたが、近年の修復調査(表面の古いニスや汚れの除去)によって、実際には「昼間の明るい陽射しの中で、隊員たちが出発する瞬間」を描いたものであることが判明しています。

  • ディルック・ジェイコブス(Dirck Jacobsz)が1561年に描いた貴重な集団肖像画『ディルック・ヤコブス・ローゼクランズ隊長とパウ副隊長の市民警備隊(英題:The Company of Captain Dirck Jacobsz Rosecrans and Lieutenant Pauw)』<br /><br />この絵が描かれた1561年は、レンブラントが生まれるよりも遥か昔であり、オランダがスペインからの独立をかけて戦う「八十年戦争」が始まる直前の激動の時代でした。アムステルダムの町を守るために市民たちが結成した「民兵隊(クロスボウ射手組合)」の幹部や隊員たちが、当時の最新の正装を身にまとって勢揃いしています。

    ディルック・ジェイコブス(Dirck Jacobsz)が1561年に描いた貴重な集団肖像画『ディルック・ヤコブス・ローゼクランズ隊長とパウ副隊長の市民警備隊(英題:The Company of Captain Dirck Jacobsz Rosecrans and Lieutenant Pauw)』

    この絵が描かれた1561年は、レンブラントが生まれるよりも遥か昔であり、オランダがスペインからの独立をかけて戦う「八十年戦争」が始まる直前の激動の時代でした。アムステルダムの町を守るために市民たちが結成した「民兵隊(クロスボウ射手組合)」の幹部や隊員たちが、当時の最新の正装を身にまとって勢揃いしています。

  • 画面中央で、黒い服に立派な赤と白のサッシュ(帯)を斜めに巻き、長い指揮杖を手にポーズをとっているのがローーゼクランズ隊長です。そのすぐ右隣で、豪華な金刺繍のダブレット(上着)を着て、左手を腰に当てて凛々しく佇んでいるのがパウ副隊長です。「中央に隊長と副隊長が並んで立ち、周囲に隊員たちがひしめき合う」というこの構図の基本骨格は、のちのレンブラントの『夜警』の配置(コック隊長とライテンブルフ副隊長)へとダイレクトに受け継がれていくことになります。

    画面中央で、黒い服に立派な赤と白のサッシュ(帯)を斜めに巻き、長い指揮杖を手にポーズをとっているのがローーゼクランズ隊長です。そのすぐ右隣で、豪華な金刺繍のダブレット(上着)を着て、左手を腰に当てて凛々しく佇んでいるのがパウ副隊長です。「中央に隊長と副隊長が並んで立ち、周囲に隊員たちがひしめき合う」というこの構図の基本骨格は、のちのレンブラントの『夜警』の配置(コック隊長とライテンブルフ副隊長)へとダイレクトに受け継がれていくことになります。

  • フラン・フランケン2世(Frans Francken II)が描いた政治的寓意画(アレゴリー)の傑作『ブリュッセルにおける皇帝カール5世の退位(英題:Allegory on the Abdication of Emperor Charles V in Brussels)』<br /><br />1555年10月25日、ブリュッセルの宮殿にて、神聖ローマ皇帝でありスペイン王でもあった絶対権力者カール5世が、健康上の理由から息子のフェリペ2世に王位を譲り、退位を宣言した歴史的瞬間が描かれています。<br /><br />中央の玉座: 双頭の鷲(ハプスブルク家の紋章)の幕を背に、老いて疲れ果てた姿で両手を広げ、退位を宣言しているのが皇帝カール5世です。右側の青年(新王): カール5世からスペイン王位(およびネーデルラントの統治権)を譲り受け、凛として立っているのが息子のフェリペ2世です。このフェリペ2世の厳格な統治に対する反発が、のちのオランダ独立戦争(八十年戦争)を引き起こすことになります。左側の人物(新皇帝): カール5世の弟であり、神聖ローマ皇帝の位を譲り受けたフェルディナント1世が、胸に手を当てて控えています。

    フラン・フランケン2世(Frans Francken II)が描いた政治的寓意画(アレゴリー)の傑作『ブリュッセルにおける皇帝カール5世の退位(英題:Allegory on the Abdication of Emperor Charles V in Brussels)』

    1555年10月25日、ブリュッセルの宮殿にて、神聖ローマ皇帝でありスペイン王でもあった絶対権力者カール5世が、健康上の理由から息子のフェリペ2世に王位を譲り、退位を宣言した歴史的瞬間が描かれています。

    中央の玉座: 双頭の鷲(ハプスブルク家の紋章)の幕を背に、老いて疲れ果てた姿で両手を広げ、退位を宣言しているのが皇帝カール5世です。右側の青年(新王): カール5世からスペイン王位(およびネーデルラントの統治権)を譲り受け、凛として立っているのが息子のフェリペ2世です。このフェリペ2世の厳格な統治に対する反発が、のちのオランダ独立戦争(八十年戦争)を引き起こすことになります。左側の人物(新皇帝): カール5世の弟であり、神聖ローマ皇帝の位を譲り受けたフェルディナント1世が、胸に手を当てて控えています。

  • コーネリス・ファン・ハールレム(Cornelis van Haarlem)が1590年に描いた衝撃的な名作『幼児虐殺(英題:The Massacre of the Innocents / 蘭題:De Kindermoord te Bethlehem)』<br /><br />新約聖書「マタイによる福音書」に登場する悲劇的な場面です。ユダヤの王ヘロデが「新たな王(救世主キリスト)が誕生した」という予言を恐れ、ベツレヘムとその周辺にいる2歳以下の男の子をすべて殺害せよと命令を下した場面を描いています。画面奥の城門の前では、兵士たちが冷酷に命令を実行し、我が子を守ろうと絶望し抵抗する母親たちの混沌とした戦場のような惨劇が広がっています。

    コーネリス・ファン・ハールレム(Cornelis van Haarlem)が1590年に描いた衝撃的な名作『幼児虐殺(英題:The Massacre of the Innocents / 蘭題:De Kindermoord te Bethlehem)』

    新約聖書「マタイによる福音書」に登場する悲劇的な場面です。ユダヤの王ヘロデが「新たな王(救世主キリスト)が誕生した」という予言を恐れ、ベツレヘムとその周辺にいる2歳以下の男の子をすべて殺害せよと命令を下した場面を描いています。画面奥の城門の前では、兵士たちが冷酷に命令を実行し、我が子を守ろうと絶望し抵抗する母親たちの混沌とした戦場のような惨劇が広がっています。

  • ヘンドリック・ホルツィウス(Hendrik Goltzius)が1616年に描いた傑作『ロトと娘たち(英題:Lot and his Daughters / 蘭題:Lot en zijn dochters)』<br /><br />旧約聖書「創世記」19章に登場するエピソードです。神の怒りによって滅ぼされる罪深き街「ソドム」から、父ロトと2人の娘たちは命からがら脱出しました。しかし、隠れ住んだ洞窟の周りには人間の男が誰もおらず、「このままでは人類(自分たちの血筋)が絶えてしまう」と恐れた姉妹は、父親にワインをたくさん飲ませて酔わせ、正気を失った父と交わって子供を授かろうと計画します。画面はまさに、娘たちがロトを誘惑し、お酒を注いでいる緊迫した瞬間を描いています<br /><br />画面の右奥(木の隙間)に目を向けると、真っ赤に燃え上がるソドムとゴモラの街の様子が遠景として描かれています。そして、その炎の手前をよく見ると、うっすらと白い人影のようなものが立っています。これは、「脱出する際、絶対に後ろを振り返ってはならない」という神の命令を破って街を振り返ってしまったために、塩の柱( zoutpilaar )に変えられてしまったロトの妻の姿です

    ヘンドリック・ホルツィウス(Hendrik Goltzius)が1616年に描いた傑作『ロトと娘たち(英題:Lot and his Daughters / 蘭題:Lot en zijn dochters)』

    旧約聖書「創世記」19章に登場するエピソードです。神の怒りによって滅ぼされる罪深き街「ソドム」から、父ロトと2人の娘たちは命からがら脱出しました。しかし、隠れ住んだ洞窟の周りには人間の男が誰もおらず、「このままでは人類(自分たちの血筋)が絶えてしまう」と恐れた姉妹は、父親にワインをたくさん飲ませて酔わせ、正気を失った父と交わって子供を授かろうと計画します。画面はまさに、娘たちがロトを誘惑し、お酒を注いでいる緊迫した瞬間を描いています

    画面の右奥(木の隙間)に目を向けると、真っ赤に燃え上がるソドムとゴモラの街の様子が遠景として描かれています。そして、その炎の手前をよく見ると、うっすらと白い人影のようなものが立っています。これは、「脱出する際、絶対に後ろを振り返ってはならない」という神の命令を破って街を振り返ってしまったために、塩の柱( zoutpilaar )に変えられてしまったロトの妻の姿です

  • ヘンドリック・ホルツィウス(Hendrik Goltzius)が1616年に描いた最高傑作の一つ『人間の堕落(アダムとエヴァ / 英題:The Fall of Man)』<br /><br />旧約聖書「創世記」に登場する、人類最初の男女であるアムとエヴァ(イブ)が、蛇の誘惑に負けて知恵の樹の果実(禁断の果実)を食べてしまう「原罪」の瞬間が描かれています。<br /><br />

    ヘンドリック・ホルツィウス(Hendrik Goltzius)が1616年に描いた最高傑作の一つ『人間の堕落(アダムとエヴァ / 英題:The Fall of Man)』

    旧約聖書「創世記」に登場する、人類最初の男女であるアムとエヴァ(イブ)が、蛇の誘惑に負けて知恵の樹の果実(禁断の果実)を食べてしまう「原罪」の瞬間が描かれています。

  • 中央の「知恵の樹」に巻き付いている蛇に注目すると、胴体は蛇ですが、上半身と顔は人間の姿(サタンの化身)として描かれています。この人間の姿をした蛇が、エヴァに向けてそっと赤いリンゴ(禁断の果実)を手渡そうとしています。エヴァはすでに手にもう一つの実を持っており、それをアダムへと手渡して、人類の運命が決定づけられるまさにその刹那のドラマが切り取られています。<br /><br />右上の象(ぞう)とフクロウ: 右奥には、キリスト教において「純潔」や「キリストの勝利」を意味する巨大な象のシルエットが見え、木の枝には夜の闇や悪を見通すフクロウが佇んでいます。

    中央の「知恵の樹」に巻き付いている蛇に注目すると、胴体は蛇ですが、上半身と顔は人間の姿(サタンの化身)として描かれています。この人間の姿をした蛇が、エヴァに向けてそっと赤いリンゴ(禁断の果実)を手渡そうとしています。エヴァはすでに手にもう一つの実を持っており、それをアダムへと手渡して、人類の運命が決定づけられるまさにその刹那のドラマが切り取られています。

    右上の象(ぞう)とフクロウ: 右奥には、キリスト教において「純潔」や「キリストの勝利」を意味する巨大な象のシルエットが見え、木の枝には夜の闇や悪を見通すフクロウが佇んでいます。

  • 猿(サル)と黒猫(ねこ): 2人のちょうど足元の間に、猫を抱きしめている猿が描かれています。これは、これから人間に訪れる「肉欲(不道徳な欲望)」や「邪悪な詐欺」を象徴しています。

    猿(サル)と黒猫(ねこ): 2人のちょうど足元の間に、猫を抱きしめている猿が描かれています。これは、これから人間に訪れる「肉欲(不道徳な欲望)」や「邪悪な詐欺」を象徴しています。

  • 左下の大きな黒い犬: アダムの足元にいる忠実そうな犬は、欲望とは対照的な「忠誠」や「理性」を表しており、今まさにそれが失われようとしていることを暗示しています。

    左下の大きな黒い犬: アダムの足元にいる忠実そうな犬は、欲望とは対照的な「忠誠」や「理性」を表しており、今まさにそれが失われようとしていることを暗示しています。

  • ヘラルト・ファン・ホンソースト(Gerard van Honthorst)が1623年に描いた傑作『サテュロスとニンフ(英題:Satyr and Nymph)』<br /><br />ギリシャ神話に登場する、森の好色な精霊サテュロスが、美しい水の精霊ニンフを誘惑しようとしている親密な駆け引きの瞬間が描かれています。<br /><br />画面左側にいるサテュロスは、一見人間の男性のようですが、頭をよく見ると尖った獣の耳と小さな2本の角が生えています。彼はニンフの美しさに魅了され、ニヤリと欲望に満ちた笑みを浮かべながら彼女の顎(あご)に優しく手を伸ばしています。

    ヘラルト・ファン・ホンソースト(Gerard van Honthorst)が1623年に描いた傑作『サテュロスとニンフ(英題:Satyr and Nymph)』

    ギリシャ神話に登場する、森の好色な精霊サテュロスが、美しい水の精霊ニンフを誘惑しようとしている親密な駆け引きの瞬間が描かれています。

    画面左側にいるサテュロスは、一見人間の男性のようですが、頭をよく見ると尖った獣の耳と小さな2本の角が生えています。彼はニンフの美しさに魅了され、ニヤリと欲望に満ちた笑みを浮かべながら彼女の顎(あご)に優しく手を伸ばしています。

  • パウルス・モレールス(Paulus Moreelse)が1630年に描いた最高傑作『美しい羊飼いの娘(英題:The Beautiful Shepherdess / 蘭題:De schone herderin)』<br /><br />当時、洗練された都会の生活に疲れたオランダの貴族や裕福な市民たちの間では、自然豊かな田舎で純真な愛に生きる羊飼いたちを主役にした詩や演劇(牧歌文学)が空前のブームとなっていました。彼女が右手に持っている湾曲した木製の杖(羊飼いの杖)と、髪に飾られた美しい薔薇(バラ)や野生の花々の王冠は、彼女が理想郷(アルカディア)に生きるニンフや羊飼いのヒロインであることを明確に示しています。

    パウルス・モレールス(Paulus Moreelse)が1630年に描いた最高傑作『美しい羊飼いの娘(英題:The Beautiful Shepherdess / 蘭題:De schone herderin)』

    当時、洗練された都会の生活に疲れたオランダの貴族や裕福な市民たちの間では、自然豊かな田舎で純真な愛に生きる羊飼いたちを主役にした詩や演劇(牧歌文学)が空前のブームとなっていました。彼女が右手に持っている湾曲した木製の杖(羊飼いの杖)と、髪に飾られた美しい薔薇(バラ)や野生の花々の王冠は、彼女が理想郷(アルカディア)に生きるニンフや羊飼いのヒロインであることを明確に示しています。

  • バルトロメウス・スプランガー(Bartholomeus Spranger)が描いた最高傑作の一つ『ヴィーナスとアドニス(英題:Venus and Adonis)』<br /><br />女神ヴィーナスは、恋人のアドニスが危険な猪(イノシシ)狩りに出かけようとするのを必死に引き留めています。彼女の予感は的中し、アドニスはこのあと野生の猪に突かれて命を落としてしまうのですが、画面中央では、アドニスが女神の愛を優しく受け止めつつも、右手にはしっかり狩猟用の槍(矛)を握りしめており、運命の出発が迫っていることが示されています

    バルトロメウス・スプランガー(Bartholomeus Spranger)が描いた最高傑作の一つ『ヴィーナスとアドニス(英題:Venus and Adonis)』

    女神ヴィーナスは、恋人のアドニスが危険な猪(イノシシ)狩りに出かけようとするのを必死に引き留めています。彼女の予感は的中し、アドニスはこのあと野生の猪に突かれて命を落としてしまうのですが、画面中央では、アドニスが女神の愛を優しく受け止めつつも、右手にはしっかり狩猟用の槍(矛)を握りしめており、運命の出発が迫っていることが示されています

  • オラツィオ・ボルジャンニ(Orazio Borgianni)が1609年頃に描いた宗教画の傑作『神殿のキリスト(別名:学者たちの中のキリスト / 英題:Christ among the Doctors)』<br /><br />新約聖書「ルカによる福音書」に登場する、12歳の少年イエス・キリストのエピソードです。エルサレムへの巡礼の帰り道、イエスは両親とはぐれてしまいました。3日後、心配した両親が神殿を探すと、イエスはユダヤ教の偉大なる律法学者(医師・知識人)たちの真ん中に座り、神の教えについて堂々と議論を交わしていました。そのあまりに深い知性と神聖な知識に、百戦錬磨の学者たちが言葉を失い驚嘆したという場面です<br /><br />画面中央で、みずみずしく輝くウェーブがかった髪を持つ赤と青の服の少年がイエスです。彼は自らの胸に手を当て、理路整然と語りかけています。彼の周囲を、ターバンを巻いた者や、老眼鏡(メガネ)をかけて必死に書物を読もうとする者など、深い陰影に包まれた老人(学者)たちがぎっしりと取り囲んでいます。少年のみずみずしい「生(光)」と、老人たちの刻まれた皺や困惑の「老(影)」が強烈な対比を生み出しています

    オラツィオ・ボルジャンニ(Orazio Borgianni)が1609年頃に描いた宗教画の傑作『神殿のキリスト(別名:学者たちの中のキリスト / 英題:Christ among the Doctors)』

    新約聖書「ルカによる福音書」に登場する、12歳の少年イエス・キリストのエピソードです。エルサレムへの巡礼の帰り道、イエスは両親とはぐれてしまいました。3日後、心配した両親が神殿を探すと、イエスはユダヤ教の偉大なる律法学者(医師・知識人)たちの真ん中に座り、神の教えについて堂々と議論を交わしていました。そのあまりに深い知性と神聖な知識に、百戦錬磨の学者たちが言葉を失い驚嘆したという場面です

    画面中央で、みずみずしく輝くウェーブがかった髪を持つ赤と青の服の少年がイエスです。彼は自らの胸に手を当て、理路整然と語りかけています。彼の周囲を、ターバンを巻いた者や、老眼鏡(メガネ)をかけて必死に書物を読もうとする者など、深い陰影に包まれた老人(学者)たちがぎっしりと取り囲んでいます。少年のみずみずしい「生(光)」と、老人たちの刻まれた皺や困惑の「老(影)」が強烈な対比を生み出しています

  • ヘンドリック・ホルツィウス(Hendrik Goltzius)が1613年に描いた神話画の最高傑作『ウェルトゥムヌスとポモナ(英題:Vertumnus and Pomona)』<br /><br />画面左側にいる、頭巾(ベール)をかぶり深い皺(しわ)を刻んだ老婆がウェルトゥムヌスです。果樹園の管理にしか興味がなく、人間の男からの求愛をすべて拒絶していた頑ななポモナに近づくため、彼は老婆の姿に変装しました。彼はポモナの横に腰掛け、巧みな話術で「愛を受け入れることの素晴らしさ」を説き、彼女の心をそっと動かそうとしています。老婆の姿でありながら、ポモナの腕に触れる手やつぶらな眼差しには、隠しきれない情熱が表現されています。<br /><br />右側に横たわる美しい裸体の女性がポモナです。彼女が右手に持っている小さな湾曲した刃物は、果樹の剪定や収穫に使う「鎌(剪定ナイフ)」であり、彼女が果樹園の熱心な守護者であることを示しています。ホルツィウスの真骨頂である、柔らかく光を反射する白い肌のグラデーションが、背景の深い緑の木々に対してドラマチックに際立っています。

    ヘンドリック・ホルツィウス(Hendrik Goltzius)が1613年に描いた神話画の最高傑作『ウェルトゥムヌスとポモナ(英題:Vertumnus and Pomona)』

    画面左側にいる、頭巾(ベール)をかぶり深い皺(しわ)を刻んだ老婆がウェルトゥムヌスです。果樹園の管理にしか興味がなく、人間の男からの求愛をすべて拒絶していた頑ななポモナに近づくため、彼は老婆の姿に変装しました。彼はポモナの横に腰掛け、巧みな話術で「愛を受け入れることの素晴らしさ」を説き、彼女の心をそっと動かそうとしています。老婆の姿でありながら、ポモナの腕に触れる手やつぶらな眼差しには、隠しきれない情熱が表現されています。

    右側に横たわる美しい裸体の女性がポモナです。彼女が右手に持っている小さな湾曲した刃物は、果樹の剪定や収穫に使う「鎌(剪定ナイフ)」であり、彼女が果樹園の熱心な守護者であることを示しています。ホルツィウスの真骨頂である、柔らかく光を反射する白い肌のグラデーションが、背景の深い緑の木々に対してドラマチックに際立っています。

  • コーネリス・ファン・ハールレム(Cornelis van Haarlem)が1594年に描いた名作『水浴のバテシバ(別名:バテシバの化粧 / 英題:Bathsheba at her Toilet)』<br /><br />旧約聖書「サムエル記」に登場する有名な物語です。イスラエルの王ダビデがある日の夕暮れ、王宮の屋根を散歩していると、屋外で体を洗っている非常に美しい女性バテシバ(右側に座る女性)を目撃します。彼女に一目惚れしたダビデ王は、彼女が人妻であることを知りながらも権力を使って強引に我が物にし、後に彼女の夫を最前線の戦地へ送り込んで故意に戦死させるという、聖書の中でもきわめて人間臭くスキャンダラスな悲劇の始まりを描いています。<br /><br />2人の侍女: バテシバを世話するために集まった2人の侍女のうち、中央に座る女性は黒人の侍女として描かれています。これは当時のオランダ(大航海時代)における異国への好奇心を表すとともに、左右の女性たちの白い肌を画面上でより美しく引き立てる色彩的なコントラスト(明暗)として機能しています。<br /><br />左側の侍女の謎(男性的肉体): 画面左側で手前に背中を向けて屈み込んでいる侍女に注目してください。彼女は女性の髪型(お団子ヘア)をしていますが、その背筋や肩幅、お尻のラインは明らかに筋肉質な「大人の男性の肉体」として描かれています。マニエリスムの画家たちは、しばしばこのように男性モデルのポーズをそのまま女性像へと反転させて描く技術的な遊びを行っており、当時の鑑賞者たちの間で「これは男か、女か」と知的な議論を呼ぶ仕掛けとなっていました

    コーネリス・ファン・ハールレム(Cornelis van Haarlem)が1594年に描いた名作『水浴のバテシバ(別名:バテシバの化粧 / 英題:Bathsheba at her Toilet)』

    旧約聖書「サムエル記」に登場する有名な物語です。イスラエルの王ダビデがある日の夕暮れ、王宮の屋根を散歩していると、屋外で体を洗っている非常に美しい女性バテシバ(右側に座る女性)を目撃します。彼女に一目惚れしたダビデ王は、彼女が人妻であることを知りながらも権力を使って強引に我が物にし、後に彼女の夫を最前線の戦地へ送り込んで故意に戦死させるという、聖書の中でもきわめて人間臭くスキャンダラスな悲劇の始まりを描いています。

    2人の侍女: バテシバを世話するために集まった2人の侍女のうち、中央に座る女性は黒人の侍女として描かれています。これは当時のオランダ(大航海時代)における異国への好奇心を表すとともに、左右の女性たちの白い肌を画面上でより美しく引き立てる色彩的なコントラスト(明暗)として機能しています。

    左側の侍女の謎(男性的肉体): 画面左側で手前に背中を向けて屈み込んでいる侍女に注目してください。彼女は女性の髪型(お団子ヘア)をしていますが、その背筋や肩幅、お尻のラインは明らかに筋肉質な「大人の男性の肉体」として描かれています。マニエリスムの画家たちは、しばしばこのように男性モデルのポーズをそのまま女性像へと反転させて描く技術的な遊びを行っており、当時の鑑賞者たちの間で「これは男か、女か」と知的な議論を呼ぶ仕掛けとなっていました

  • ヘンドリック・テル・ブルッヘン(Hendrik ter Brugghen)が1619年に描いた不朽の名作『東方三博士の礼拝(英題:The Adoration of the Magi / 蘭題:De aanbidding der koningen)』<br /><br />画面中央で、きらびやかな錦織の豪華な衣装をまとい、地面にひざまずいてイエスを拝んでいるのは最年長の王メルキオールです。彼は幼子キリストに手から黄金の杯を捧げており、幼いキリストはその蓋(ふた)に小さな手を伸ばしています。彼の頭頂部のハゲた頭皮やシワのリアルな描写には、北方美術特有の容赦のない写実性が現れています<br /><br />メルキオールの後ろに立つ赤いマントの男性が、青壮年の王バルタザール、そしてそのさらに奥に立つ豪華な衣装をまとった褐色の肌の男性が、若き王カスパールです。彼らの頭に巻かれた大きなターバンや異国情緒あふれる宝箱(器)の意匠は、当時のオランダの人々が憧れたオリエント(東洋)への視覚的な興味を掻き立てるものでした

    ヘンドリック・テル・ブルッヘン(Hendrik ter Brugghen)が1619年に描いた不朽の名作『東方三博士の礼拝(英題:The Adoration of the Magi / 蘭題:De aanbidding der koningen)』

    画面中央で、きらびやかな錦織の豪華な衣装をまとい、地面にひざまずいてイエスを拝んでいるのは最年長の王メルキオールです。彼は幼子キリストに手から黄金の杯を捧げており、幼いキリストはその蓋(ふた)に小さな手を伸ばしています。彼の頭頂部のハゲた頭皮やシワのリアルな描写には、北方美術特有の容赦のない写実性が現れています

    メルキオールの後ろに立つ赤いマントの男性が、青壮年の王バルタザール、そしてそのさらに奥に立つ豪華な衣装をまとった褐色の肌の男性が、若き王カスパールです。彼らの頭に巻かれた大きなターバンや異国情緒あふれる宝箱(器)の意匠は、当時のオランダの人々が憧れたオリエント(東洋)への視覚的な興味を掻き立てるものでした

  • ヘンドリック・テル・ブルッヘン(Hendrik ter Brugghen)が1628年に描いた名作『デモクリトス(英題:Democritus / 蘭題:Democritus)』<br /><br />描かれている人物は、古代ギリシャの有名な原子論の哲学者デモクリトスです。古代からの伝承で、彼は「人間の営みや欲望、世のあらゆる愚かさを冷笑し、常に笑い飛ばしていた」と言われており、美術の世界では“笑う哲学者”というお決まりのキャラクターとして親しまれています。画面下部にある「地球儀」を腕に抱えながら、「なんと愚かな世界だ」と天を仰いで哄笑(こうしょう)している、彼の冷徹かつ陽気な哲学が生き生きと表現されています

    ヘンドリック・テル・ブルッヘン(Hendrik ter Brugghen)が1628年に描いた名作『デモクリトス(英題:Democritus / 蘭題:Democritus)』

    描かれている人物は、古代ギリシャの有名な原子論の哲学者デモクリトスです。古代からの伝承で、彼は「人間の営みや欲望、世のあらゆる愚かさを冷笑し、常に笑い飛ばしていた」と言われており、美術の世界では“笑う哲学者”というお決まりのキャラクターとして親しまれています。画面下部にある「地球儀」を腕に抱えながら、「なんと愚かな世界だ」と天を仰いで哄笑(こうしょう)している、彼の冷徹かつ陽気な哲学が生き生きと表現されています

  • ヘンドリック・テル・ブルッヘン(Hendrik ter Brugghen)の傑作『ヘラクレイトス(泣く哲学者 / 英題:Heraclitus)』<br /><br />描かれているのは、古代ギリシャの有名な哲学者ヘラクレイトスです。彼は先ほどのデモクリトスとは真逆の性質を持ち、「この世の無常さ、人間の愚かさ、矛盾に満ちた社会のあり方を深く憂い、常に涙を流して嘆いていた」という伝承から、美術史上で“泣く哲学者”と呼ばれています。彼が左腕を置いているのは、先ほどと同じく「地球(世界)」であり、人間の愚行に満ちた世界を凝視しながら、右手を挙げて深く悲嘆し、涙を拭おうとする一瞬のポーズが極めてドラマチックに描かれています

    ヘンドリック・テル・ブルッヘン(Hendrik ter Brugghen)の傑作『ヘラクレイトス(泣く哲学者 / 英題:Heraclitus)』

    描かれているのは、古代ギリシャの有名な哲学者ヘラクレイトスです。彼は先ほどのデモクリトスとは真逆の性質を持ち、「この世の無常さ、人間の愚かさ、矛盾に満ちた社会のあり方を深く憂い、常に涙を流して嘆いていた」という伝承から、美術史上で“泣く哲学者”と呼ばれています。彼が左腕を置いているのは、先ほどと同じく「地球(世界)」であり、人間の愚行に満ちた世界を凝視しながら、右手を挙げて深く悲嘆し、涙を拭おうとする一瞬のポーズが極めてドラマチックに描かれています

  • アドリアーン・ファン・ユトレヒト(Adriaen van Utrecht)が1644年に描いた、息をのむほどに豪華な高級静物画(プロンク・スチレフェン)の最高傑作『宴の静物(英題:Banquet Still Life / 蘭題:Feestelijk stilleven)』<br /><br />大航海時代を経て世界一豊かな都市となった当時のオランダの富と、世界中から集まったエキゾチックな名品の数々を1枚の画面に凝縮した、館内でも屈指の密度を誇る大作です。

    アドリアーン・ファン・ユトレヒト(Adriaen van Utrecht)が1644年に描いた、息をのむほどに豪華な高級静物画(プロンク・スチレフェン)の最高傑作『宴の静物(英題:Banquet Still Life / 蘭題:Feestelijk stilleven)』

    大航海時代を経て世界一豊かな都市となった当時のオランダの富と、世界中から集まったエキゾチックな名品の数々を1枚の画面に凝縮した、館内でも屈指の密度を誇る大作です。

  • 白いテーブルクロスの主役に鎮座しているのは、鮮やかな赤に茹で上がった巨大なロブスター(伊勢海老)です。当時、このような大型の甲殻類は最高級の食材であり、画家の卓越した質感描写(殻の硬さや光沢)が遺憾なく発揮されています。その周囲には、大粒の葡萄(ぶどう)や桃、レモン、そしてパイ(肉パイ)が並び、視覚的な食欲をそそります。

    白いテーブルクロスの主役に鎮座しているのは、鮮やかな赤に茹で上がった巨大なロブスター(伊勢海老)です。当時、このような大型の甲殻類は最高級の食材であり、画家の卓越した質感描写(殻の硬さや光沢)が遺憾なく発揮されています。その周囲には、大粒の葡萄(ぶどう)や桃、レモン、そしてパイ(肉パイ)が並び、視覚的な食欲をそそります。

  • ヤーコブ・ヨルダーンス(Jacob Jordaens)が描いた歴史画の傑作『オデュッセウスとナウシカの出会い(英題:The Meeting of Odysseus and Nausicaa)』<br /><br />トロイア戦争の終結後、故郷への帰還を目指し長い漂流を続けていた英雄オデュッセウス(ユリシーズ)は、激しい船旅の末に船を失い、身一つでパイアキア人の島(現在のコルフ島とされる)の海岸へと命からがら漂着しました。彼が海岸の茂みで気絶するように眠っていたところ、偶然にも侍女たちを連れて川辺へ洗濯にやってきていた王女ナウシカの一行と遭遇する、という場面です<br /><br />画面の右端で、長い漂流によって体力を消耗し、衣服をすべて失ってひざまずいている筋骨逞しい男性がオデュッセウスです。彼は自分が怪しい者ではないことを証明し、助けを求めるために、異国の王女に向けて必死に手を合わせ、慈悲を乞うような姿勢をとっています

    ヤーコブ・ヨルダーンス(Jacob Jordaens)が描いた歴史画の傑作『オデュッセウスとナウシカの出会い(英題:The Meeting of Odysseus and Nausicaa)』

    トロイア戦争の終結後、故郷への帰還を目指し長い漂流を続けていた英雄オデュッセウス(ユリシーズ)は、激しい船旅の末に船を失い、身一つでパイアキア人の島(現在のコルフ島とされる)の海岸へと命からがら漂着しました。彼が海岸の茂みで気絶するように眠っていたところ、偶然にも侍女たちを連れて川辺へ洗濯にやってきていた王女ナウシカの一行と遭遇する、という場面です

    画面の右端で、長い漂流によって体力を消耗し、衣服をすべて失ってひざまずいている筋骨逞しい男性がオデュッセウスです。彼は自分が怪しい者ではないことを証明し、助けを求めるために、異国の王女に向けて必死に手を合わせ、慈悲を乞うような姿勢をとっています

  • アドリアーン・ファン・デ・ヴェンネ(Adriaen van de Venne)が1614年に描いた、オランダ美術史上きわめて重要な歴史的・政治的寓意画(アレゴリー)の最高傑作『魂の漁り(英題:Fishing for Souls / 蘭題:Zielenvisserij)』<br /><br />この絵は、新約聖書の「人間を漁る漁師(マタイによる福音書4章)」という言葉をベースに、17世紀当時のプロテスタント(新教)とカトリック(旧教)の激しい信者獲得競争を視覚化したものです。川を挟んで左と右、そして中央のボートで、全く異なる世界が描かれています。

    アドリアーン・ファン・デ・ヴェンネ(Adriaen van de Venne)が1614年に描いた、オランダ美術史上きわめて重要な歴史的・政治的寓意画(アレゴリー)の最高傑作『魂の漁り(英題:Fishing for Souls / 蘭題:Zielenvisserij)』

    この絵は、新約聖書の「人間を漁る漁師(マタイによる福音書4章)」という言葉をベースに、17世紀当時のプロテスタント(新教)とカトリック(旧教)の激しい信者獲得競争を視覚化したものです。川を挟んで左と右、そして中央のボートで、全く異なる世界が描かれています。

  • 中央を流れる大河の中では、大勢の無垢な人々(魂)が水面に浮かび、救助(改宗)を求めて泳いでいます。両派のボートが、それぞれ自分たちの信仰こそが正しいと競い合うように彼らをすくい上げています。

    中央を流れる大河の中では、大勢の無垢な人々(魂)が水面に浮かび、救助(改宗)を求めて泳いでいます。両派のボートが、それぞれ自分たちの信仰こそが正しいと競い合うように彼らをすくい上げています。

  • アドリアーン・ファン・デ・ヴェンネ(Adriaen van de Venne)が1614年に描いたもう一つの最高傑作『戸外の宴(英題:The Fête Champêtre / 蘭題:Buitenpartij)』<br /><br />この絵が描かれた「1614年」は、オランダがスペインとの激しい独立戦争(八十年戦争)を戦う中で、奇跡的に結ばれた「十二年休戦(1609~1621年)」のまさに真っ只中でした。ファン・デ・ヴェンネは、前の『魂の漁り』で「国内を引き裂く宗教対立の危機感」を描いたのに対し、この『戸外の宴』では、「戦争が止まり、ついにオランダ市民が手に入れた『平和の喜びと贅沢な暮らし』」を全力で称賛しています。

    アドリアーン・ファン・デ・ヴェンネ(Adriaen van de Venne)が1614年に描いたもう一つの最高傑作『戸外の宴(英題:The Fête Champêtre / 蘭題:Buitenpartij)』

    この絵が描かれた「1614年」は、オランダがスペインとの激しい独立戦争(八十年戦争)を戦う中で、奇跡的に結ばれた「十二年休戦(1609~1621年)」のまさに真っ只中でした。ファン・デ・ヴェンネは、前の『魂の漁り』で「国内を引き裂く宗教対立の危機感」を描いたのに対し、この『戸外の宴』では、「戦争が止まり、ついにオランダ市民が手に入れた『平和の喜びと贅沢な暮らし』」を全力で称賛しています。

  • ヘンドリック・アーフェルカンプ(Hendrik Avercamp)が1608年頃に描いた不朽の名作『スケーターのいる冬景色(英題:Winter Landscape with Skaters / 蘭題:Winterlandschap met ijsvermaak)』<br /><br />当時、身分制度の厳しかった陸上とは異なり、水路(運河)が完全に凍りついた「氷の上」だけは、あらゆる階級の人々が一緒になって楽しむことができる自由なユートピアでした。上流階級の貴族たち: 画面右下や中央付近には、豪華なベルベットの衣服を着て、顔に黒いマスク(防寒用の仮面)をつけた都会の裕福な人々が洗練された様子でスケートをしたり、美しいソリ(馬車そり)に乗っています。働く庶民たち: 一方で、凍りついたボートの傍らで薪(まき)を運んだり、洗濯をしたり、凍った水面を削って仕事をこなす貧しい労働者たちのリアルな生活感も並行して描かれています。

    ヘンドリック・アーフェルカンプ(Hendrik Avercamp)が1608年頃に描いた不朽の名作『スケーターのいる冬景色(英題:Winter Landscape with Skaters / 蘭題:Winterlandschap met ijsvermaak)』

    当時、身分制度の厳しかった陸上とは異なり、水路(運河)が完全に凍りついた「氷の上」だけは、あらゆる階級の人々が一緒になって楽しむことができる自由なユートピアでした。上流階級の貴族たち: 画面右下や中央付近には、豪華なベルベットの衣服を着て、顔に黒いマスク(防寒用の仮面)をつけた都会の裕福な人々が洗練された様子でスケートをしたり、美しいソリ(馬車そり)に乗っています。働く庶民たち: 一方で、凍りついたボートの傍らで薪(まき)を運んだり、洗濯をしたり、凍った水面を削って仕事をこなす貧しい労働者たちのリアルな生活感も並行して描かれています。

  • 『オランダ東インド会社(VOC)の紋章とバタヴィア(ジャカルタ)の紋章(英題:The Arms of the Dutch East India Company and of the Town of Batavia)』<br /><br />左側:オランダ東インド会社(VOC)の紋章<br />右側:東洋の拠点「バタヴィア(現ジャカルタ)」の市章

    『オランダ東インド会社(VOC)の紋章とバタヴィア(ジャカルタ)の紋章(英題:The Arms of the Dutch East India Company and of the Town of Batavia)』

    左側:オランダ東インド会社(VOC)の紋章
    右側:東洋の拠点「バタヴィア(現ジャカルタ)」の市章

  • ヨハネス・ボンプス(Johannes Bompsius)『フィリッポス・バルダエウスとヘリット・モソポットムの肖像(英題:Portrait of Philippus Baldaeus and Gerrit Mossopotam)』<br /><br />右側に座り、眩しい赤ピンク色のオリエンタルなローブ(衣服)を身にまとい、頭に立派なターバンを巻いているのはオランダの著名な牧師・宣教師フィリッポス・バルダエウス(Philippus Baldaeus, 1632?1671)です。彼はVOCの支援を受け、スリランカのジャフナ地方などでキリスト教の布教活動を行いました。彼は単にキリスト教を押し付けるだけでなく、現地の文化やヒンドゥー教の神話、そして現地の言語(タミル語)を深く研究し、後にヨーロッパで最初期のアジア文化の百科事典(著書)を出版した偉大な人文学者でもあります。<br /><br />画面中央の台座に寄りかかり、上半身をはだけて白いターバンと美しい更紗(サロン)を身にまとっているのは、現地スリランカの優秀な通訳であり知識人であったヘリット・モソポットム(Gerrit Mossopotam)です。彼はバルダエウスのタミル語学習や、現地の古典文学の翻訳を熱心に支えた最重要の相棒でした。「ヘリット」というオランダ風の名前は、彼がオランダ共和国との深い友情の証として洗礼を受けた、あるいは授かった名前です。2人が対等の視線で1枚の画面に描かれていることに、当時の文化交流の敬意が現れています。

    ヨハネス・ボンプス(Johannes Bompsius)『フィリッポス・バルダエウスとヘリット・モソポットムの肖像(英題:Portrait of Philippus Baldaeus and Gerrit Mossopotam)』

    右側に座り、眩しい赤ピンク色のオリエンタルなローブ(衣服)を身にまとい、頭に立派なターバンを巻いているのはオランダの著名な牧師・宣教師フィリッポス・バルダエウス(Philippus Baldaeus, 1632?1671)です。彼はVOCの支援を受け、スリランカのジャフナ地方などでキリスト教の布教活動を行いました。彼は単にキリスト教を押し付けるだけでなく、現地の文化やヒンドゥー教の神話、そして現地の言語(タミル語)を深く研究し、後にヨーロッパで最初期のアジア文化の百科事典(著書)を出版した偉大な人文学者でもあります。

    画面中央の台座に寄りかかり、上半身をはだけて白いターバンと美しい更紗(サロン)を身にまとっているのは、現地スリランカの優秀な通訳であり知識人であったヘリット・モソポットム(Gerrit Mossopotam)です。彼はバルダエウスのタミル語学習や、現地の古典文学の翻訳を熱心に支えた最重要の相棒でした。「ヘリット」というオランダ風の名前は、彼がオランダ共和国との深い友情の証として洗礼を受けた、あるいは授かった名前です。2人が対等の視線で1枚の画面に描かれていることに、当時の文化交流の敬意が現れています。

  • シーザル・ファン・エフェルディンゲン(Caesar van Everdingen)が1644~1648年頃に描いた古典主義の傑作『火鉢の上で手を温める若い女性(冬のアレゴリー)(英題:A Young Woman Warming her Hands over a Brazier: Allegory of Winter)』<br /><br />タイトルにある通り、この絵は四季の「冬」を擬人化した寓意画(アレゴリー)です。ヨーロッパの伝統的なキリスト教美術において、「冬」という季節は、作物が育たない貧しさを意味する「ボロをまとった、お腹をすかせた醜い老人(または老婆)」として描かれるのがお決まりのルールでした。しかし、ファン・エフェルディンゲンはそのルールを無視し、「肌が白く美しく、豪華な衣装に身を包んだ裕福な若い女性」を冬の主役として描くという、当時としてはきわめて大胆で珍しい演出(カウンター)を試みました

    シーザル・ファン・エフェルディンゲン(Caesar van Everdingen)が1644~1648年頃に描いた古典主義の傑作『火鉢の上で手を温める若い女性(冬のアレゴリー)(英題:A Young Woman Warming her Hands over a Brazier: Allegory of Winter)』

    タイトルにある通り、この絵は四季の「冬」を擬人化した寓意画(アレゴリー)です。ヨーロッパの伝統的なキリスト教美術において、「冬」という季節は、作物が育たない貧しさを意味する「ボロをまとった、お腹をすかせた醜い老人(または老婆)」として描かれるのがお決まりのルールでした。しかし、ファン・エフェルディンゲンはそのルールを無視し、「肌が白く美しく、豪華な衣装に身を包んだ裕福な若い女性」を冬の主役として描くという、当時としてはきわめて大胆で珍しい演出(カウンター)を試みました

  • ヨハネス・フェルメール(Johannes Vermeer)『牛乳を注ぐ女(De Melkmeid)』<br /><br />見事な光の表現: <br />左の窓から差し込む柔らかな光が、女性の額や衣服、そして注がれる牛乳を美しく照らしています。<br /><br />フェルメール特有の「点描」: <br />パンの表面やカゴをよく見ると、光の粒子を表現するために白い絵の具の点が無数に置かれています。<br /><br />静寂と日常の尊さ: 単なる「日常の家事の一コマ」を、まるで宗教画のような厳かで神聖な空気感へと昇華させています。<br /><br />背景のこだわり: <br />壁の傷や、右下にある足温器、デルフト焼きのタイルなど、当時の生活様式が細部までリアルに描き込まれています。

    ヨハネス・フェルメール(Johannes Vermeer)『牛乳を注ぐ女(De Melkmeid)』

    見事な光の表現:
    左の窓から差し込む柔らかな光が、女性の額や衣服、そして注がれる牛乳を美しく照らしています。

    フェルメール特有の「点描」:
    パンの表面やカゴをよく見ると、光の粒子を表現するために白い絵の具の点が無数に置かれています。

    静寂と日常の尊さ: 単なる「日常の家事の一コマ」を、まるで宗教画のような厳かで神聖な空気感へと昇華させています。

    背景のこだわり:
    壁の傷や、右下にある足温器、デルフト焼きのタイルなど、当時の生活様式が細部までリアルに描き込まれています。

  • ヨハネス・フェルメール(Johannes Vermeer)が1669年~1670年頃に制作、『恋文(De liefdesbrief)』<br /><br />のぞき見の構図: 手前の暗い部屋から、明るい奥の部屋をドア越しに写すことで、私的な空間の秘密を垣間見るような「親密さ」や「臨場感」を生み出しています。<br /><br />二人の表情: シトラ(リュートに似た弦楽器)を持つ上品な衣服の女性が、手紙を渡してきたメイドを不安と期待が入り混じった顔で見上げています。メイドはどこか誇らしげで、微笑みながら主人の反応を見守っています。<br /><br />手前にある生活感: 画面最手前には、脱ぎ捨てられた靴(スリッパ)や、床に置かれたほうき、洗濯カゴが描かれており、手紙の到来によって日常の家事が一瞬で中断された様子を表しています。

    ヨハネス・フェルメール(Johannes Vermeer)が1669年~1670年頃に制作、『恋文(De liefdesbrief)』

    のぞき見の構図: 手前の暗い部屋から、明るい奥の部屋をドア越しに写すことで、私的な空間の秘密を垣間見るような「親密さ」や「臨場感」を生み出しています。

    二人の表情: シトラ(リュートに似た弦楽器)を持つ上品な衣服の女性が、手紙を渡してきたメイドを不安と期待が入り混じった顔で見上げています。メイドはどこか誇らしげで、微笑みながら主人の反応を見守っています。

    手前にある生活感: 画面最手前には、脱ぎ捨てられた靴(スリッパ)や、床に置かれたほうき、洗濯カゴが描かれており、手紙の到来によって日常の家事が一瞬で中断された様子を表しています。

  • ヨハネス・フェルメール(Johannes Vermeer)が1657~1658年頃に制作した、『小路(Het Straatje / The Little Street)』<br /><br />驚異的な質感の描き分け: 赤レンガのざらざらした質感、漆喰のひび割れ、木製のよろい戸、そして地面の石畳に溜まった湿気など、驚くほどリアルに描き分けられています。<br /><br />静かな「日常の営み」: 画面には複数の人物が描かれています。右側の入り口では針仕事をする女性、路地(細い通路)の奥では洗い物をする召使の女性、そして歩道ではしゃがんで遊ぶ2人の子供たち。それぞれが自分の世界に没頭しており、静かで平和な時間が流れています。<br /><br />完璧な直線と構図: 伝統的な遠近法(一点透視図法)をあえて崩し、建物を正面から平面的に捉えることで、まるでグラフィックデザインのようなモダンで美しい構図を作り出しています。

    ヨハネス・フェルメール(Johannes Vermeer)が1657~1658年頃に制作した、『小路(Het Straatje / The Little Street)』

    驚異的な質感の描き分け: 赤レンガのざらざらした質感、漆喰のひび割れ、木製のよろい戸、そして地面の石畳に溜まった湿気など、驚くほどリアルに描き分けられています。

    静かな「日常の営み」: 画面には複数の人物が描かれています。右側の入り口では針仕事をする女性、路地(細い通路)の奥では洗い物をする召使の女性、そして歩道ではしゃがんで遊ぶ2人の子供たち。それぞれが自分の世界に没頭しており、静かで平和な時間が流れています。

    完璧な直線と構図: 伝統的な遠近法(一点透視図法)をあえて崩し、建物を正面から平面的に捉えることで、まるでグラフィックデザインのようなモダンで美しい構図を作り出しています。

  • フェルメールの主要な所蔵作品の3点はこんな感じで展示されていました。

    フェルメールの主要な所蔵作品の3点はこんな感じで展示されていました。

  • ユディト・レイステル(Judith Leyster)が1630年頃に制作した『猫と二人の子供(Twee kinderen met een kat)』<br /><br />一瞬を切り取った笑い声: 鮮やかな衣服を着た男の子が、腕に抱いた子猫の鼻先からおやつ(食べ物)をパッと取り上げて意地悪をしています。隣の女の子もそれを見て大笑いしており、子供たちの無邪気で騒がしい笑い声が聞こえてきそうな臨場感があります。<br /><br />オランダの古いことわざ: 当時のオランダ風俗画には、楽し気な日常のなかに「教訓」が隠されていることがよくあります。この絵はオランダの古い格言「猫と遊ぶものは引っかかれる(自業自得、自らトラブルを招く)」を表現しているとされています。<br /><br />張り詰めた猫の表情: 子供たちの満面の笑みとは対照的に、抱えられている子猫の表情はこわばり、耳をピンと立てて警戒しています。このあと、男の子が猫に引っかかれて「笑いから涙へと変わる瞬間」の直前を描いた、ユーモアと緊張感が同居する名演出です。

    ユディト・レイステル(Judith Leyster)が1630年頃に制作した『猫と二人の子供(Twee kinderen met een kat)』

    一瞬を切り取った笑い声: 鮮やかな衣服を着た男の子が、腕に抱いた子猫の鼻先からおやつ(食べ物)をパッと取り上げて意地悪をしています。隣の女の子もそれを見て大笑いしており、子供たちの無邪気で騒がしい笑い声が聞こえてきそうな臨場感があります。

    オランダの古いことわざ: 当時のオランダ風俗画には、楽し気な日常のなかに「教訓」が隠されていることがよくあります。この絵はオランダの古い格言「猫と遊ぶものは引っかかれる(自業自得、自らトラブルを招く)」を表現しているとされています。

    張り詰めた猫の表情: 子供たちの満面の笑みとは対照的に、抱えられている子猫の表情はこわばり、耳をピンと立てて警戒しています。このあと、男の子が猫に引っかかれて「笑いから涙へと変わる瞬間」の直前を描いた、ユーモアと緊張感が同居する名演出です。

  • ピーテル・デ・ホーホ(Pieter de Hooch)が1656~1660年頃に制作した『食料貯蔵室の召使と子供(A Maid with a Child in a Pantry)<br /><br />「見通し(doorkijkje)」の魔術: デ・ホーホの最大の特徴であり、お家芸とも言えるのが部屋の奥からさらに別の空間を見せる技法です。この絵では、手前の暗い食料貯蔵室から、光が差し込む玄関ホール(前室)、そして開いたドアの奥の街並みへと、視線が心地よく奥へ奥へと誘導されます。<br /><br />日常の温かい一コマ: 召使の女性が小さな陶器の水差し(おそらくビールかワインが入っている)を微笑みながら子供に手渡しています。子供はそれを嬉しそうに受け取ろうとしており、当時のオランダ市民の平穏で思いやりに満ちた家庭生活が描かれています。<br /><br />見事な幾何学模様と光: オレンジと黒のチェッカー柄の床タイルが、部屋の奥行き(遠近法)を完璧に表現しています。また、奥の部屋のクッション付きの椅子や、壁に掛けられた肖像画に当たる光のコントラストが、空間に圧倒的な現実感を与えています。

    ピーテル・デ・ホーホ(Pieter de Hooch)が1656~1660年頃に制作した『食料貯蔵室の召使と子供(A Maid with a Child in a Pantry)

    「見通し(doorkijkje)」の魔術: デ・ホーホの最大の特徴であり、お家芸とも言えるのが部屋の奥からさらに別の空間を見せる技法です。この絵では、手前の暗い食料貯蔵室から、光が差し込む玄関ホール(前室)、そして開いたドアの奥の街並みへと、視線が心地よく奥へ奥へと誘導されます。

    日常の温かい一コマ: 召使の女性が小さな陶器の水差し(おそらくビールかワインが入っている)を微笑みながら子供に手渡しています。子供はそれを嬉しそうに受け取ろうとしており、当時のオランダ市民の平穏で思いやりに満ちた家庭生活が描かれています。

    見事な幾何学模様と光: オレンジと黒のチェッカー柄の床タイルが、部屋の奥行き(遠近法)を完璧に表現しています。また、奥の部屋のクッション付きの椅子や、壁に掛けられた肖像画に当たる光のコントラストが、空間に圧倒的な現実感を与えています。

  • ウィレム・ファン・デ・フェルデ(子)(Willem van de Velde the Younger)が1686年に制作した『アムステルダムのIJ(アイ)湾における「ハウデン・レーウ(黄金のライオン)号」』(The ‘Gouden Leeuw’ on the IJ at Amsterdam)<br /><br />主役の「ハウデン・レーウ号」: 画面左側でひときわ大きく描かれている三本マストの巨大な船が、オランダ海軍の誇る戦艦「ハウデン・レーウ(黄金のライオン)号」です。船尾にはオランダの象徴である「黄金のライオン」の豪華な彫刻が施されています。祝祭の砲撃(礼砲): 船の左側から白い煙が上がっています。これは戦闘ではなく、入港や記念式典の際に放たれる「礼砲」です。周囲には歓迎する小さなボートやヨットが無数に集まっており、湾全体が活気と祝祭感に包まれています。空と雲のスペクタクル: 画面の半分以上を占めるドラマチックな積乱雲と青空のコントラストが、空間に壮大な奥行きを与えています。雲の隙間から差し込む光が、船の白い帆を美しく浮かび上がらせています。背景のアムステルダム: 画面右奥をよく見ると、当時のアムステルダムの街並みと教会の塔が薄暗いシルエットとして描かれており、この場所がアムステルダムの港(IJ湾)であることを示しています。

    ウィレム・ファン・デ・フェルデ(子)(Willem van de Velde the Younger)が1686年に制作した『アムステルダムのIJ(アイ)湾における「ハウデン・レーウ(黄金のライオン)号」』(The ‘Gouden Leeuw’ on the IJ at Amsterdam)

    主役の「ハウデン・レーウ号」: 画面左側でひときわ大きく描かれている三本マストの巨大な船が、オランダ海軍の誇る戦艦「ハウデン・レーウ(黄金のライオン)号」です。船尾にはオランダの象徴である「黄金のライオン」の豪華な彫刻が施されています。祝祭の砲撃(礼砲): 船の左側から白い煙が上がっています。これは戦闘ではなく、入港や記念式典の際に放たれる「礼砲」です。周囲には歓迎する小さなボートやヨットが無数に集まっており、湾全体が活気と祝祭感に包まれています。空と雲のスペクタクル: 画面の半分以上を占めるドラマチックな積乱雲と青空のコントラストが、空間に壮大な奥行きを与えています。雲の隙間から差し込む光が、船の白い帆を美しく浮かび上がらせています。背景のアムステルダム: 画面右奥をよく見ると、当時のアムステルダムの街並みと教会の塔が薄暗いシルエットとして描かれており、この場所がアムステルダムの港(IJ湾)であることを示しています。

  • レンブラント・ファン・レイン(Rembrandt van Rijn)が1662年に制作した晩年の傑作『織物商組合の幹部たち(De Staalmeesters / The Syndics of the Drapers&#39; Guild)』<br /><br />テーブルを囲む男性たちが、まるで「部屋に入ってきた私たち」に気づいて一斉にこちらを振り返ったかのような瞬間が描かれています。左から2番目の男性は、立ち上がりかけてこちらをじっと見つめており、絵画のなかの空間と現実の空間が繋がっているかのような強い錯覚と緊張感を生み出しています。

    レンブラント・ファン・レイン(Rembrandt van Rijn)が1662年に制作した晩年の傑作『織物商組合の幹部たち(De Staalmeesters / The Syndics of the Drapers' Guild)』

    テーブルを囲む男性たちが、まるで「部屋に入ってきた私たち」に気づいて一斉にこちらを振り返ったかのような瞬間が描かれています。左から2番目の男性は、立ち上がりかけてこちらをじっと見つめており、絵画のなかの空間と現実の空間が繋がっているかのような強い錯覚と緊張感を生み出しています。

  • レンブラント・ファン・レイン(Rembrandt van Rijn)が1661年に制作した晩年の傑作『使徒パウロに扮した自画像(Zelfportレット als de apostel Paulus)』<br /><br />レンブラントは生涯で100点近い自画像を残しましたが、本作は彼が55歳の頃に描かれました。当時、彼は破産によって家やコレクションをすべて失い、愛する人たちにも先立たれるという、人生の最も不遇な時期にありました。

    レンブラント・ファン・レイン(Rembrandt van Rijn)が1661年に制作した晩年の傑作『使徒パウロに扮した自画像(Zelfportレット als de apostel Paulus)』

    レンブラントは生涯で100点近い自画像を残しましたが、本作は彼が55歳の頃に描かれました。当時、彼は破産によって家やコレクションをすべて失い、愛する人たちにも先立たれるという、人生の最も不遇な時期にありました。

  • レンブラント・ファン・レイン(Rembrandt van Rijn)が1660年頃に制作した晩年の傑作『修道士の格好をしたティトゥス(Rembrandt&#39;s Son Titus in a Monk&#39;s Habit)』<br /><br />レンブラントの最愛の息子、ティトゥス・ファン・レイン(Titus van Rijn)で、レンブラントと最初の妻サスキアの間に生まれた4人の子供のうち、唯一成人まで生き残ったのがティトゥスでした。しかし、この絵が描かれた数年後、ティトゥスは26歳という若さで父親よりも先にこの世を去ってしまいます。

    レンブラント・ファン・レイン(Rembrandt van Rijn)が1660年頃に制作した晩年の傑作『修道士の格好をしたティトゥス(Rembrandt's Son Titus in a Monk's Habit)』

    レンブラントの最愛の息子、ティトゥス・ファン・レイン(Titus van Rijn)で、レンブラントと最初の妻サスキアの間に生まれた4人の子供のうち、唯一成人まで生き残ったのがティトゥスでした。しかし、この絵が描かれた数年後、ティトゥスは26歳という若さで父親よりも先にこの世を去ってしまいます。

  • レンブラント・ファン・レイン(Rembrandt van Rijn)が1665~1669年頃に制作した晩年の傑作『ユダヤの花嫁(De Joodse Bruid / The Jewish Bride)』<br /><br /> 長年『ユダヤの花嫁』の通称で親しまれていますが、実際に誰を描いたのかは現在も議論が続いています。最も有力な説は、旧約聖書に登場する夫婦「イサクとリベカ」に扮した男女(当時の実際の夫婦からの依頼画)を描いたという説です。

    レンブラント・ファン・レイン(Rembrandt van Rijn)が1665~1669年頃に制作した晩年の傑作『ユダヤの花嫁(De Joodse Bruid / The Jewish Bride)』

    長年『ユダヤの花嫁』の通称で親しまれていますが、実際に誰を描いたのかは現在も議論が続いています。最も有力な説は、旧約聖書に登場する夫婦「イサクとリベカ」に扮した男女(当時の実際の夫婦からの依頼画)を描いたという説です。

  • ウィレム・ドロスト(Willem Drost)が1656~1657年頃に制作した、『シモンとペロー(Cimon and Pero)』(別名:『ローマの慈愛(Caritas Romana)』)<br /><br />一見すると衝撃的な場面ですが、これは古代ローマの歴史家ウァレリウス・マクシムスが記した「親孝行(至高の家族愛)」の模範とされる有名な物語です。<br /><br />あらすじ: 老人シモンは罪を犯して投獄され、餓死刑(食事を与えられない刑)を言い渡されます。父親の面会を許された娘のペローは、飢えに苦しむ父親を救うため、自らの母乳を密かに与えて父の命を繋ぎ止めました。<br /><br />結末: その後、父親を必死に救おうとする娘のこの尊い行為(慈愛)が看守に見つかりますが、その深い親孝行の精神に心を打たれた裁判官によって、父親の罪は赦され、釈放されることになりました。

    ウィレム・ドロスト(Willem Drost)が1656~1657年頃に制作した、『シモンとペロー(Cimon and Pero)』(別名:『ローマの慈愛(Caritas Romana)』)

    一見すると衝撃的な場面ですが、これは古代ローマの歴史家ウァレリウス・マクシムスが記した「親孝行(至高の家族愛)」の模範とされる有名な物語です。

    あらすじ: 老人シモンは罪を犯して投獄され、餓死刑(食事を与えられない刑)を言い渡されます。父親の面会を許された娘のペローは、飢えに苦しむ父親を救うため、自らの母乳を密かに与えて父の命を繋ぎ止めました。

    結末: その後、父親を必死に救おうとする娘のこの尊い行為(慈愛)が看守に見つかりますが、その深い親孝行の精神に心を打たれた裁判官によって、父親の罪は赦され、釈放されることになりました。

  • レンブラント・ファン・レイン(Rembrandt van Rijn)が1636年に制作した傑作『旗手(De Vaandrig / The Standard Bearer)』<br /><br />「旗手(スタンダード・ベアラー)」とは、当時のオランダの市民軍(民兵隊)において、最前線で部隊の旗を掲げて仲間を鼓舞する極めて名誉ある重要な役割でした。<br /><br /> レンブラントは自分自身の顔をモデルに、豪華な衣装をまとった歴史的な旗手の姿(トローニ)を描いています。当時30歳頃、画家としてアムステルダムで大成功を収め、自信に満ちあふれていた彼の力強い眼差しと誇らしげな表情が印象的です。

    レンブラント・ファン・レイン(Rembrandt van Rijn)が1636年に制作した傑作『旗手(De Vaandrig / The Standard Bearer)』

    「旗手(スタンダード・ベアラー)」とは、当時のオランダの市民軍(民兵隊)において、最前線で部隊の旗を掲げて仲間を鼓舞する極めて名誉ある重要な役割でした。

    レンブラントは自分自身の顔をモデルに、豪華な衣装をまとった歴史的な旗手の姿(トローニ)を描いています。当時30歳頃、画家としてアムステルダムで大成功を収め、自信に満ちあふれていた彼の力強い眼差しと誇らしげな表情が印象的です。

  • この絵を含めて熱心に レンブラントの模写をされていた女性

    この絵を含めて熱心に レンブラントの模写をされていた女性

  • ヘラルト・テル・ボルフ(Gerard ter Borch)が1668~1669年頃に制作した『モーセ・テル・ボルフの記念肖像画(Memorial Portrait of Moses ter Borch)』<br /><br />モーセ自身も非常に才能のある画家であり、同時にオランダ海軍の軍人(士官)でもありました。しかし、第二次英蘭戦争中の1667年、イングランドのランドガード砦への襲撃作戦中に、わずか22歳という若さで戦死してしまいました。

    ヘラルト・テル・ボルフ(Gerard ter Borch)が1668~1669年頃に制作した『モーセ・テル・ボルフの記念肖像画(Memorial Portrait of Moses ter Borch)』

    モーセ自身も非常に才能のある画家であり、同時にオランダ海軍の軍人(士官)でもありました。しかし、第二次英蘭戦争中の1667年、イングランドのランドガード砦への襲撃作戦中に、わずか22歳という若さで戦死してしまいました。

  • ジシーナ・テル・ボルフ(Gesina ter Borch)が1667年以降に制作した『2歳のモーセ・テル・ボルフの肖像(Portrait of Moses ter Borch as a Two-Year-Old)』<br /><br />2024年にフランスのアンティークショップで再発見され、アムステルダム国立美術館が約300万ユーロ(約4億9000万円)で買い取り大きな話題となった近年における最も重要な新収蔵品の一つです<br /><br />最愛の弟を亡くした悲しみのなかで、彼がまだ2歳だった頃の愛らしい姿を思い出して描いた追悼・記念の肖像画です。家族全員で弟の死を悼み、それぞれの方法で彼をキャンバスに留めようとしたテル・ボルフ家の深い絆が伝わってきます。

    ジシーナ・テル・ボルフ(Gesina ter Borch)が1667年以降に制作した『2歳のモーセ・テル・ボルフの肖像(Portrait of Moses ter Borch as a Two-Year-Old)』

    2024年にフランスのアンティークショップで再発見され、アムステルダム国立美術館が約300万ユーロ(約4億9000万円)で買い取り大きな話題となった近年における最も重要な新収蔵品の一つです

    最愛の弟を亡くした悲しみのなかで、彼がまだ2歳だった頃の愛らしい姿を思い出して描いた追悼・記念の肖像画です。家族全員で弟の死を悼み、それぞれの方法で彼をキャンバスに留めようとしたテル・ボルフ家の深い絆が伝わってきます。

  • ヤン・バプティスト・ウェーニクス(Jan Baptist Weenix)が1656年に制作した『狩りの獲物の傍らにいる少年と犬』(A Boy with Dogs beside Hunted Game)<br /><br />手前の少年と獲物のリアリズム: 鮮やかな赤い上着を着た少年が、大きな鹿の角や仕留めた獲物を抱え、こちらを少し驚いたような表情で見つめています。少年の足元には忠実な猟犬が配され、仕留められた鳥や獣の毛並み・羽の質感が驚くほど細密に描き込まれています。イタリア風の古典的廃墟(古代遺跡): 画面中央から右上にかけて、巨大なコリント式の柱を持つ古代ローマの遺跡がそびえ立っています。ウェーニクスがローマ留学時代に影響を受けた、カプリッチョ(空想の建築風景)の要素が色濃く反映されています。背景の奥行きと光: 遺跡の奥には、白馬を連れたハンターたちや、夕暮れ(または朝焼け)の淡い光に染まる美しいイタリアの山々と川の風景が広がっています。手前の暗い影と、奥の広がりのある風景とのコントラストが、画面に壮大なドラマ性を与えています。

    ヤン・バプティスト・ウェーニクス(Jan Baptist Weenix)が1656年に制作した『狩りの獲物の傍らにいる少年と犬』(A Boy with Dogs beside Hunted Game)

    手前の少年と獲物のリアリズム: 鮮やかな赤い上着を着た少年が、大きな鹿の角や仕留めた獲物を抱え、こちらを少し驚いたような表情で見つめています。少年の足元には忠実な猟犬が配され、仕留められた鳥や獣の毛並み・羽の質感が驚くほど細密に描き込まれています。イタリア風の古典的廃墟(古代遺跡): 画面中央から右上にかけて、巨大なコリント式の柱を持つ古代ローマの遺跡がそびえ立っています。ウェーニクスがローマ留学時代に影響を受けた、カプリッチョ(空想の建築風景)の要素が色濃く反映されています。背景の奥行きと光: 遺跡の奥には、白馬を連れたハンターたちや、夕暮れ(または朝焼け)の淡い光に染まる美しいイタリアの山々と川の風景が広がっています。手前の暗い影と、奥の広がりのある風景とのコントラストが、画面に壮大なドラマ性を与えています。

  • マリア・ファン・オーステルウェイク(Maria van Oosterwijck)が1675年頃に制作した『ひまわりと宝石箱のあるヴァニタス(Vanitas with Sunflower and Jewelry Box)』<br /><br />「ヴァニタス(Vanitas)」とはラテン語で「空虚」「虚しさ」を意味し、「死を忘れるな(メメント・モリ)」、この世の富や美は一瞬で消え去るという教訓を伝える人気の静物画ジャンルです。画面にはキリスト教的なメッセージと象徴(シンボル)がぎっしりと詰め込まれています。

    マリア・ファン・オーステルウェイク(Maria van Oosterwijck)が1675年頃に制作した『ひまわりと宝石箱のあるヴァニタス(Vanitas with Sunflower and Jewelry Box)』

    「ヴァニタス(Vanitas)」とはラテン語で「空虚」「虚しさ」を意味し、「死を忘れるな(メメント・モリ)」、この世の富や美は一瞬で消え去るという教訓を伝える人気の静物画ジャンルです。画面にはキリスト教的なメッセージと象徴(シンボル)がぎっしりと詰め込まれています。

  • 17世紀のオランダ黄金時代に大流行し、世界の陶芸史にも大きな影響を与えたデルフト焼き(Delftware / デルフト陶器)のタイル・タブロ(陶板画コレクション)<br /><br />

    17世紀のオランダ黄金時代に大流行し、世界の陶芸史にも大きな影響を与えたデルフト焼き(Delftware / デルフト陶器)のタイル・タブロ(陶板画コレクション)

  • 中央の黒い台座の上に並ぶ一対の美しい胸像は、17世紀後半にオランダの総督であり、後にイギリス国王(共同統治者)となったウィレム3世(ウィリアム3世)と、その妻メアリー2世をかたどったものです。

    中央の黒い台座の上に並ぶ一対の美しい胸像は、17世紀後半にオランダの総督であり、後にイギリス国王(共同統治者)となったウィレム3世(ウィリアム3世)と、その妻メアリー2世をかたどったものです。

  • メルヒオール・ドンデクーテル(Melchior d&#39;Hondecoeter)が1690年頃に制作した『珍獣園(De menagerie / The Menagerie)』<br /><br />この作品は、当時のオランダ総督でありイギリス国王でもあったウィリアム3世(ウィレム3世)が、ヘット・ロー宮殿に設けていた自身の「私設動物園(珍獣園)」にいるコレクションを描かせるために依頼したものと考えられています

    メルヒオール・ドンデクーテル(Melchior d'Hondecoeter)が1690年頃に制作した『珍獣園(De menagerie / The Menagerie)』

    この作品は、当時のオランダ総督でありイギリス国王でもあったウィリアム3世(ウィレム3世)が、ヘット・ロー宮殿に設けていた自身の「私設動物園(珍獣園)」にいるコレクションを描かせるために依頼したものと考えられています

  • アブラハム・ファン・デン・テンペル(Abraham van den Tempel)が1671年に制作した『ダヴィト・レーウとコルネリア・ホーフトと子供たち(David Leeuw and Cornelia Hooft with their Children)』<br /><br />中央奥で誇らしげに手を挙げているのが、ロシアとの貿易などで莫大な富を築いたアムステルダムの有力な商人ダヴィト・レーウ(David Leeuw)です。彼の隣には妻のコルネリア、そして周囲を5人の子供たちが囲んでいます。

    アブラハム・ファン・デン・テンペル(Abraham van den Tempel)が1671年に制作した『ダヴィト・レーウとコルネリア・ホーフトと子供たち(David Leeuw and Cornelia Hooft with their Children)』

    中央奥で誇らしげに手を挙げているのが、ロシアとの貿易などで莫大な富を築いたアムステルダムの有力な商人ダヴィト・レーウ(David Leeuw)です。彼の隣には妻のコルネリア、そして周囲を5人の子供たちが囲んでいます。

  • フランス・ハルス(Frans Hals)とピエテル・コッデ(Pieter Codde)が共同で制作した集団肖像画『レイニエル・リアル隊長の民兵隊(De Magere Compagnie / The Meagre Company)』<br /><br />「痩せた中隊」という通称: 後世、画面左側に描かれたアムステルダムの民兵たちが皆スリムで背が高く見えることから、ユーモアを込めて「レイ・マゲレ・コンパニ(痩せた中隊)」と呼ばれるようになりました。

    フランス・ハルス(Frans Hals)とピエテル・コッデ(Pieter Codde)が共同で制作した集団肖像画『レイニエル・リアル隊長の民兵隊(De Magere Compagnie / The Meagre Company)』

    「痩せた中隊」という通称: 後世、画面左側に描かれたアムステルダムの民兵たちが皆スリムで背が高く見えることから、ユーモアを込めて「レイ・マゲレ・コンパニ(痩せた中隊)」と呼ばれるようになりました。

  • ヘルブラント・ファン・デン・エークハウト(Gerbrand van den Eeckhout)が1653年に制作した集団肖像画『アムステルダム・ハンセン病診療所の3人の女性理事(Three Regentesses of the Leprozenhuis in Amsterdam)』<br /><br />当時アムステルダムにあった「ハンセン病診療所(Lepers&#39; Asylum)」の財政や運営を管理していた、富裕層の女性理事(レジェンテス)たちです。

    ヘルブラント・ファン・デン・エークハウト(Gerbrand van den Eeckhout)が1653年に制作した集団肖像画『アムステルダム・ハンセン病診療所の3人の女性理事(Three Regentesses of the Leprozenhuis in Amsterdam)』

    当時アムステルダムにあった「ハンセン病診療所(Lepers' Asylum)」の財政や運営を管理していた、富裕層の女性理事(レジェンテス)たちです。

  • カレル・デュジャルダン(Karel Dujardin)が1663年に制作した歴史画の傑作『ルストラで不具者を癒す聖パウロ(St Paul Healing the Cripple at Lystra)』(現在のアムステルダム国立美術館での公式登録名は『歩けない男を癒すパウロ』<br /><br />キリスト教の布教のために、ルストラ(現在のトルコ南部)の街を訪れていた使徒パウロとバルナバ。パウロが説教をしていると、聴衆の中に生まれつき足が悪く、一度も歩いたことがない男がいました。パウロがその男に「自分の足でまっすぐ立ち上がりなさい」と大声で告げると、男はたちまち飛び起きて歩き始めました。

    カレル・デュジャルダン(Karel Dujardin)が1663年に制作した歴史画の傑作『ルストラで不具者を癒す聖パウロ(St Paul Healing the Cripple at Lystra)』(現在のアムステルダム国立美術館での公式登録名は『歩けない男を癒すパウロ』

    キリスト教の布教のために、ルストラ(現在のトルコ南部)の街を訪れていた使徒パウロとバルナバ。パウロが説教をしていると、聴衆の中に生まれつき足が悪く、一度も歩いたことがない男がいました。パウロがその男に「自分の足でまっすぐ立ち上がりなさい」と大声で告げると、男はたちまち飛び起きて歩き始めました。

  • 「カイペルス図書室(Cuypers Library / Rijksmuseum Research Library)」<br /><br />当時としては画期的だった鋳鉄製の細い柱や手すり、そして中央の美しい螺旋階段が、空間に圧倒的な開放感と躍動感を与えています。天井の大きなガラス窓から自然光が優しく降り注ぐ設計になっています。<br /><br />この美しい空間は、単なる観光用の展示ではなく、現在も美術史家や研究者、学生たちが実際に本を読んで勉強している現役の研究図書館です。そのため、上階のキャットウォーク(通路)から見学する観光客には「静粛に」というルールが求められます。

    「カイペルス図書室(Cuypers Library / Rijksmuseum Research Library)」

    当時としては画期的だった鋳鉄製の細い柱や手すり、そして中央の美しい螺旋階段が、空間に圧倒的な開放感と躍動感を与えています。天井の大きなガラス窓から自然光が優しく降り注ぐ設計になっています。

    この美しい空間は、単なる観光用の展示ではなく、現在も美術史家や研究者、学生たちが実際に本を読んで勉強している現役の研究図書館です。そのため、上階のキャットウォーク(通路)から見学する観光客には「静粛に」というルールが求められます。

  • 地図製作者ウィレム・ヤンスゾーン・ブラウ(Willem Janszoon Blaeu)および息子のヨハネス・ブラウによって1645~1648年頃に制作された、歴史的に極めて貴重な「記念碑的地球儀(Terrestrial Globe)」<br /><br />地球儀の表面には、当時のオランダの探検家たちが世界中で発見した最新の地理情報が刻まれています。よく見ると、まだ未完成な輪郭のアフリカ大陸やアジアの海岸線、そして当時オランダ人が「新ホラント(New Holland)」と名付けたオーストラリアの一部の形なども見て取れます。

    地図製作者ウィレム・ヤンスゾーン・ブラウ(Willem Janszoon Blaeu)および息子のヨハネス・ブラウによって1645~1648年頃に制作された、歴史的に極めて貴重な「記念碑的地球儀(Terrestrial Globe)」

    地球儀の表面には、当時のオランダの探検家たちが世界中で発見した最新の地理情報が刻まれています。よく見ると、まだ未完成な輪郭のアフリカ大陸やアジアの海岸線、そして当時オランダ人が「新ホラント(New Holland)」と名付けたオーストラリアの一部の形なども見て取れます。

  • 17世紀末のオランダ海軍を象徴する戦艦の大型模型『ウィリアム・レックス(William Rex)の艦船模型』<br /><br /> 船体を横や斜めから覗き込むと、何重にも並んだデッキから合計74門の精巧な真鍮製の大砲が顔を覗かせています。これは17世紀後半の海戦の主力であった「戦列艦(Ship of the Line)」の圧倒的な火力を証明しています。

    17世紀末のオランダ海軍を象徴する戦艦の大型模型『ウィリアム・レックス(William Rex)の艦船模型』

    船体を横や斜めから覗き込むと、何重にも並んだデッキから合計74門の精巧な真鍮製の大砲が顔を覗かせています。これは17世紀後半の海戦の主力であった「戦列艦(Ship of the Line)」の圧倒的な火力を証明しています。

  • 17世紀の英蘭戦争におけるオランダ海軍最大の勝利の象徴である『ロイヤル・チャールズ号の船尾装飾(Stern carving from the Royal Charles)』<br /><br />1667年、第二次英蘭戦争の最中、オランダ海軍の英雄ミヒール・デ・ラウテル(Michiel de Ruyter)大将は、イギリス国内の軍港チャタムを奇襲するという大胆不敵な作戦「チャタム襲撃(メドウェイ川襲撃)」を敢行しました。オランダ軍はイギリス艦隊を壊滅させただけでなく、この最強の旗艦ロイヤル・チャールズ号を無傷のまま鹵獲(キャプチャー)し、そのまま北海を越えてオランダへと曳航(連行)していきました。

    17世紀の英蘭戦争におけるオランダ海軍最大の勝利の象徴である『ロイヤル・チャールズ号の船尾装飾(Stern carving from the Royal Charles)』

    1667年、第二次英蘭戦争の最中、オランダ海軍の英雄ミヒール・デ・ラウテル(Michiel de Ruyter)大将は、イギリス国内の軍港チャタムを奇襲するという大胆不敵な作戦「チャタム襲撃(メドウェイ川襲撃)」を敢行しました。オランダ軍はイギリス艦隊を壊滅させただけでなく、この最強の旗艦ロイヤル・チャールズ号を無傷のまま鹵獲(キャプチャー)し、そのまま北海を越えてオランダへと曳航(連行)していきました。

  • オランダ海軍最大の英雄ミヒール・デ・ラウテル(Michiel de Ruyter)大将の「デスマスク(木彫りのレリーフ模型)」<br /><br />ミヒール・デ・ラウテルは、圧倒的な戦術でイギリスやフランスの艦隊を何度も打ち破り、オランダの独立と繁栄を守り抜いた「救国の英雄」です。しかし1676年、地中海でのフランス艦隊との激しい戦闘(アウグスタの海戦)の際、大砲の弾が彼の左脚を直撃し、その負傷がもとで数日後にシチリア島のシラクーサ沖の船上で息を引き取りました。

    オランダ海軍最大の英雄ミヒール・デ・ラウテル(Michiel de Ruyter)大将の「デスマスク(木彫りのレリーフ模型)」

    ミヒール・デ・ラウテルは、圧倒的な戦術でイギリスやフランスの艦隊を何度も打ち破り、オランダの独立と繁栄を守り抜いた「救国の英雄」です。しかし1676年、地中海でのフランス艦隊との激しい戦闘(アウグスタの海戦)の際、大砲の弾が彼の左脚を直撃し、その負傷がもとで数日後にシチリア島のシラクーサ沖の船上で息を引き取りました。

  • アムステルダム国立美術館から帰る際の運河。

    アムステルダム国立美術館から帰る際の運河。

  • アムステルダム駅まで戻ってきました。

    アムステルダム駅まで戻ってきました。

  • 駅から街並み方向

    駅から街並み方向

  • 今回はMotoGP観戦後の疲れもあり、アムステルダムの散策は行いませんでした。本来は下記のような名所があるとのこと。<br /><br /> 聖ニラコス教会(Basiliek van de Heilige Nicolaas)<br />ダム広場(Dam Square)& 王宮(Koninklijk Paleis Amsterdam)<br />カルフェル通り(Kalverstraat)または ロキシン通り(Rokin)<br />ムント塔(Munttoren)<br />シンゲルの花市場(Bloemenmarkt)<br />レンブラント広場(Rembrandtplein)<br />運河世界遺産エリア(グラフテンゴルデル)<br />スピーゲル地区(Spiegelkwartier)<br /><br />また次回訪問時に散策したいと思います。

    今回はMotoGP観戦後の疲れもあり、アムステルダムの散策は行いませんでした。本来は下記のような名所があるとのこと。

    聖ニラコス教会(Basiliek van de Heilige Nicolaas)
    ダム広場(Dam Square)& 王宮(Koninklijk Paleis Amsterdam)
    カルフェル通り(Kalverstraat)または ロキシン通り(Rokin)
    ムント塔(Munttoren)
    シンゲルの花市場(Bloemenmarkt)
    レンブラント広場(Rembrandtplein)
    運河世界遺産エリア(グラフテンゴルデル)
    スピーゲル地区(Spiegelkwartier)

    また次回訪問時に散策したいと思います。

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