2025/10/21 - 2025/10/22
1455位(同エリア1483件中)
milkさん
私の今の仕事はちょっと変わったシフトで、月に20日勤務。
10月は2日多く休めるので3泊で大阪・名古屋に住む友達に会いに行こうと計画。
何故かこの辺りに引っ越した友達が多いんです(≧∀≦)
友達に連絡を取ってある程度予定が決まったところで「研修のサポートを手伝って欲しい」と言われてしまい、休む予定だった2日は返上に。
通常週5出勤の契約なので仕方ない...。
急遽、1泊2日で大阪・名古屋となり、その2日間で5人の友達に会うと言う強行スケジュールとなりました。
2日目は朝一番で犬山まで移動し、友達と合流したら明治村へ。
1日堪能した後は名古屋で別の友達と夜ごはんを食べてから帰ります。
明治村が思った以上に見どころが多く、写真も多くなってしまったので前編・後編に分けました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- グルメ
- 5.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 交通手段
- 高速・路線バス 新幹線 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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お腹が満たされたので後半戦です。
思いの外広すぎて、既に時間足りないかも...(汗)
よくよくHPを見ると1日では回りきれないような事が書いてありました...。 -
金沢監獄正門(登録有形文化財) 5丁目52番地
明治の五大監獄のひとつと言われた金沢監獄の唯一の出入口として設けられた正門です。
西洋の城郭にも似たデザインで、赤レンガに白花崗岩の帯状装飾を入れたネオ・ルネッサンス様式
。アーチ型両開き鉄扉を備えた主出入口と、楯式片開き鉄扉を付けた両脇出入口の三間構成になっています。
移築されるにあたり、レンガ造から鉄筋コンクリート造に改められたそう。博物館 明治村 テーマパーク
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前橋監獄雑居房(登録有形文化財)5丁目61番地
洋式の4方放射式建築で、中央に八角洋風の高塔を据えた建物だったそう。
監房は平屋で、各舎房とも2棟もしくは3棟が連続していたとされています。
そのうちの1棟がこの雑居房。 -
中廊下形式の建物で廊下の左右に21の房が並び、端には洗い場がついています。
和洋折衷の構造で、格子壁で囲まれた各舎房が左右に連なった上に、洋小屋を載せた形だそう。
各房は堅い栗の角材が格子状に組まれた形式。
監獄では飲食から排便まで同じ狭い房内で行われるため不衛生になりがちでした。その配慮から、房まわり、廊下ともすべて吹きさらしとし、風通しが良くなっています。
ただ、寒さの厳しい真冬は受刑者にとって過酷な環境だったようです。 -
当時監獄構造の規範とされていた「監獄則並図式」に極めて類似しているそう。
中には解体前の前橋刑務所の全景の写真や絵図が展示されていました。 -
東京駅警備巡査派出所(登録有形文化財)5丁目60番地
赤煉瓦の建物は東京駅の丸の内側広場の中央にあった派出所。
東京駅舎との調和がはかられているそうです。 -
金沢監獄中央看守所・監房(登録有形文化財) 5丁目62番地
金沢監獄は明治5年(1872)制定の「監獄則並図式」に沿って造られた監獄。八角形の看守所を中心に5つの監房棟が放射状に並ぶ洋式の配置でした。
そのうち中央看守所と独居房として使用された監房の一部分が移築されたそう。
屋根には見張り櫓も設置されています。 -
中央に置かれている監視室は網走監獄で使用されたもの。
監視室からは各監房棟の中廊下が一望に見渡せ、外部については看守所上部の見張り櫓から監獄全域の状況を把握できるため、管理上非常に効果的だったそう。
写真上は書信室。
囚人が家族などに手紙を書く場所でした。 -
独居監房
扉の上にある換気用の高窓から、独房内の衛生面への配慮がうかがえます。 -
明治の監獄体験もできるようになっていて、独房の中にも入れます(笑)
服装や食事は当時の資料に基づいて再現されているそう。
ちょっとリアル(^▽^;) -
このエリアは監獄コーナーになっていましたが、池や橋がのどかな雰囲気を醸し出していてとっても素敵☆
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イチオシ
天童眼鏡橋(登録有形文化財)5丁目54番地
山形県天童市の倉津川に架けられた石造アーチ橋。
もともとの名は多嘉橋(「高橋」の表記とも)
幅7.7m、長さ13.3mの規模で、地元産の山寺石を積んで造られたそうです。
日本のアーチ橋は、江戸初期に建造が始まり、長崎の眼鏡橋などが有名。
中国から伝来した技術が用いられたため、九州地方に多く架けられました。
この橋はローマの水道橋のような水平な床面になっています。 -
小那沙美島燈台(登録有形文化財)
中央に見えるのが広島湾に浮かぶ小那沙美島に建造された灯台。 -
大明寺聖パウロ教会堂(登録有形文化財) 5丁目56番地
お昼を食べる前に近くまで行っていたのに奥の方にあったので見過ごしてしまい、戻る羽目に(汗)
長崎湾の入口に位置する伊王島に建設されたカトリック教会堂のひとつ。
フランス人宣教師ブレル神父の指導のもと、大浦天主堂建設に携わった地元大工の大渡伊勢吉によって建設されたそう。 -
正面の鐘楼と入口土間は、昭和20年代に信者の浄財を元に増築されたもの。
木造平屋建ての入母屋造り、桟瓦葺きの建物です。
明治6年(1873)にキリスト教の禁教令が解かれたことから、数年後には長崎各地や各島々に木造の小さな教会堂が建てられるようになりました。
その中でも、早い例として知られるのがこの教会堂。
和風の外観はキリスト教禁制の影響を色濃く残した時代背景があるそう。 -
木造の鐘楼なのですね。
良く見ると中央には小さな十字架が飾られています。 -
イチオシ
和風の外観からは想像もつかない美しい内装ですよ!
後期ゴシック様式で、身廊と側廊をもつ三廊式(バシリカ式)だそう。
身廊の天井は後期ゴシックの教会堂の交差リブボールト天井を模した漆喰塗り。
素敵だわ...。 -
教会の正面には祭壇。
日本語が書かれた祭壇は始めて見ました。
長崎に行くとこのような教会が沢山残されているのでしょうね。
いつか五島列島の教会巡りをしたいと思っています。
その前に、隠れキリシタンについての勉強もしておかないと...。 -
コロネード(列柱)は、太い円柱の周りに細い柱を束ねた「束ね柱」になっており、ブドウを彫刻した飾りが施されています。
身廊の天井は漆喰塗りのリブヴォールト天井。
側廊の天井は竿縁天井ですが、板を湾曲させて、四半円のヴォールト天井になぞらえています。 -
窓の多い教会ですね。
ルルドの洞窟もあり、マリア様が祀られていました。
ルルドも行ってみたい場所のひとつ。 -
窓の上には「十字架の道行」の絵が日本語のタイトル付きで飾られていました。
「十字架の道行」はキリストが死刑宣告を受け、ゴルゴだの刑場で息を引き取るまでの場面を描いたもの。
カトリック教会の信者はかって、キリストの受難に関連した場所へ実際に巡礼していましたが、聖堂の壁に死刑宣告から埋葬までを表した 14の留(りゅう)を巡礼地に見立てて祈りを捧げながら順に廻り、15番目の復活の場面は絵に向かってではなく、祭壇に向かって祈ります。
では、紹介していきましょう。
左上から順に...
1.イエス、死刑の宣告を受ける
2.イエス、十字架を担わされる
3. イエス、初めて倒れる
4. イエスが嘆きの聖母に会う
5. イエス、シモンに助けられる
6. イエス、ヴェロニカより布を受け取る -
7. イエス、再び倒れる
8. イエス、エルサレムの婦人らを慰める
9. イエス、三度倒れる
10. イエス、衣をはがされる
11. イエス、十字架に釘付けにされる
12. イエス、十字架上に息絶える -
13. イエス、十字架より降ろされる
14. イエス、墓に葬られる -
そして、祭壇に向かってお祈りします。
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大明寺聖パウロ教会堂、ちょっと奥まったところで遠かったけれど、思い切って行った甲斐があったと思えるほど素敵な教会でした。
では、先を急ぎましょう。
丘を降りてきたら天童眼鏡橋を渡ってショートカット。 -
正門をくぐり抜けると天童眼鏡橋の上に出ます。
こんな美しい門が刑務所の入り口なんて...。 -
あら、ここから見る景色も素敵( *´艸`)
もう少ししたら紅葉が綺麗でしょうね。 -
さて、ここから4丁目に入ります。
間もなく14時。
私はこの後、名古屋で別の友達と会う約束もあるので、16時のバスで戻らないとなりません。
あと2時間しかない(汗)
急いで回りますよ~。 -
半田東湯(登録有形文化財)4丁目50番地
知多半島の港町に建てられた風呂屋さん。 -
1階奥の浴室に置かれた浴槽は男湯と女湯がつながっていて、目隠しだけで仕切られていたそう。
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浴室。
上の部分が空いています。
でも、今でも仕切りだけの温泉宿はありますね。 -
入り口には番台もありますね。
銭湯は江戸時代以来地域の社交場として欠かせない存在で、湯上がりの常連客などは2階に上がって雑談をして過ごしていたそう。 -
イチオシ
呉服座(重要文化財) 4丁目49番地
大阪府池田市西本町猪名川の川岸にあった芝居小屋。
もとは池田市本町にあった明治7年創業の戎座、明治25年(1892)に西本町へ移築したもので、このときに名称も「呉服座」と改められたそう。
構造は江戸時代から続く伝統建築の名残をとどめた、木造2階建ての杉皮葺き。
舞台と客席部分には大きな切妻屋根を架け、その前に軒の高い下屋を降ろして入口にしています。
正面の高い切妻には太鼓櫓(やぐら)を突き出し、また入口下屋の軒下には絵看板を掲げています。
正面の壁は黒漆喰塗りで、腰には和風の下見板が建て込まれています。 -
客席は土足厳禁だったのかな?
靴箱がありました。
劇場への入り口には役者さんの写真が並びます。 -
客席は平場(平土間)と呼ばれ、桝(ます)席に区切られている中央の低い部分と、2階建ての棧敷(さじき)と呼ばれる周囲の部分で構成されています。
2階桟敷の手すりは漆拭き。
舞台の両側には囃子(はやし)部屋、舞台中央には人力のまわり舞台、また上空には道具方の作業場である葡萄棚(ぶどうだな)が組まれています。
舞台には実際に芝居している人の姿が。
と思ったら、人形でした(^▽^;) -
舞台の下には奈落も作られているそう。
このような芝居小屋では楽屋は舞台の裏手などに設けられるのが通例ですが、この呉服座では入口の土間の上にあり、役者は奈落を通って舞台袖に行くようになっていたそうです。
無料のガイドツアーに参加すると、この奈落や地下通路も見学出来るそう。
残念ながら私たちが入った時はすでにツアーは始まっていました。
時間がないので先を急ぎましょう。 -
小泉八雲避暑の家(登録有形文化財) 4丁目48番地
「怪談」で有名な小泉八雲が夏に過ごした海辺の町家。
この頃、ちょうどNHKの朝ドラ「ばけばけ」が放送されていました。
私、お恥ずかしながら小泉八雲が日本人ではなかったとは知りませんでした(^▽^;)
小泉八雲のもとの名はラフカディオ・ハーン。
アイルランド人の父とギリシャ人の母の間に生まれたそう。
アイルランドで教育を受けた後、アメリカで新聞記者などを経て、明治23年(1890)に来日し、英語教師として松江中学を始め各地へ赴任しました。
明治29年(1896)に日本に帰化し、同年東京帝国大学に招かれ教鞭をとるようになると、毎年夏を焼津で過ごすように。
この家は魚屋の山口乙吉の家で、1階に通り土間を備えた典型的な町家。
この2階を借りていたようです。
ちなみに、ここは駄菓子屋さんになっていました。 -
本郷喜之床(登録有形文化財) 4丁目47番地
東京・文京区本郷にあった屋号を「喜之床」と称する理髪店で、明治後期から大正初期にかけての商家の形式をうかがい知れる建物。
店の正面をガラス張りにしているのは当時の新しいスタイルだったそう。
床屋は、ハイカラにはバーバーともいわれ、庶民の暮らしに欠かせない店屋でした。
この建物の2階二間を明治42年(1909)から間借りして家族と生活していたのが、歌人石川啄木。
ここで文学生活をしながら、京橋滝山町にあった東京朝日新聞社校正部に勤務していたそう。
処女歌集『一握の砂』はここで暮らしているときに出版されたそうです。 -
1階は理髪店の店内が再現されていました。
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レトロなバスが走ってきましたよ。
村内9つの停留所を巡り、音声による建物や見どころの案内をしながら約20分かけて走行する村営バスだそう。
一日券が500円
正門から帝国ホテル間を運行しているので、まずこのバスで帝国ホテルまで移動してからゆっくり歩いて戻るコースがいいのかも? -
宇治山田郵便局舎(重要文化財) 4丁目46番地
伊勢神宮外宮前に建てられた、現存する最大の木造郵便局舎。
木造平屋建ての銅板葺きで、中央の頂きには円錐ドーム形の屋根、両翼には寄棟の屋根を伏せています。
ハーフティンバー様式の可愛らしい建物ですね。 -
イチオシ
正面入口を通ると円形の「公衆室」と呼ばれるホールがあり、それを囲う形で窓口カウンターが配置されています。
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ドームの内側から。
ホールの天井は隣接する翼部より一段と高くされ、高窓から採光できる造り。
当時の郵便局舎としてはめずらしいスタイルだったそう。 -
美しいドームですね。
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向かh氏の郵便にまつわる展示もありました。
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人車
枠車・箱車とも呼ばれるもので、人力で荷物を運ぶ車のことです。
車体は赤く塗られているのが特徴。
街中を走る赤い人車は多くの人の目に留まり、郵便を知らしめる広告塔の役割を担ったそう。 -
工部省品川硝子製造所(登録有形文化財)4丁目45番地
イギリス積のレンガ壁と瓦葺きの屋根が特徴。
ガラス工場施設の一部で、当時は大きな窯場や倉庫が隣接していたそう。
明治政府は、明治9年(1876)に民営のガラス工場、品川興行社を買い上げて国営工場としました。
施設を拡張・整備し、イギリス人の技術者たちを雇い入れて、需要の急増した板ガラスやガラス瓶などの国産化を急いだそうです。 -
鉄道寮新橋工場・機械館(登録有形文化財) 4丁目44番地
シンプルな構造が美しい英国渡来の鉄造建築。
日本で初めて鉄道が走った新橋-横浜間の起点、新橋ステンショ(停車場)に機関車修復所として建てられました。
日本の鉄道はあらゆる技術をイギリスから導入して開発され、機関車や線路はすべてイギリス製。
この建物も柱、外壁、サッシ等、すべてイギリスから輸入し、イギリス人技術者の指導の下に建てられ、鉄造プレハブ建築として重要な建物であり、構造力学の理にかなったシンプルな美しさが魅力の建物だそうです。 -
イチオシ
この辺りから見える六郷川鉄橋が素敵でした。
紅葉もしていたので、お天気が良ければもっと素敵な景色だったでしょうね。 -
歩兵第六聯隊兵舎(登録有形文化財)4丁目36番地
歩兵第六聯隊は、名古屋に置かれていた東京鎮台第三分営という軍隊が明治6年(1873)に名古屋鎮台に昇格した時に新しく編成された部隊。
名古屋城大手門の右手にある二之丸跡に兵営が設置され、営庭を取り囲むように兵舎が配置されたそうです。 -
外観は漆喰壁に上げ下げ窓が並び、素朴な印象。
しかし、構造はとても頑丈で、外側の柱はすべて土台から軒まで達する太い通し柱とし、壁の下地になる木摺(きずり)を斜めに打ち、瓦を張って白漆喰で仕上げているそうです。 -
簡素で堅牢な兵舎ですが、萌黄色のドアや壁、天井はレトロな感じがして素敵。
ここだけ見ていたら兵舎とは思えないですね。 -
もともと2階にあった中隊長室・事務室・見習士官室は1階で再現されていました。
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内務班の部屋には木製のベッドが展示され、当時の様子が再現されていました。
この建物ではすべての家具が耐久性を重視されて作られたといいますが、この木製のベッドはとても固そう...。
敷布団もこんなに薄いのですから、寝心地は良くなかったでしょうね。
ベッドの横にはライフル銃。
ここが兵舎であることを気付かせてくれます。 -
歩兵第六聯隊配置図
移築されたのは赤く記された大10中隊の建物でした。 -
軍服も展示されていました。
立派なので位の高い軍人さんのものでしょうか。 -
名古屋衛戍病院(愛知県有形文化財) 4丁目37番地
名古屋城内に置かれた陸軍名古屋鎮台の附属病院。
「衛戍」とは陸軍の駐屯のことを言うそう。
ここには管理棟の半分と病棟1棟、それらをつなぐ渡り廊下が移築されています。 -
当時の手術台が展示されていました。
こんなところで手術していたと考えると、ちょっと痛々しい... -
江戸時代の「ウルユス看板」
「ウルユス」という日本初の洋風の名前は「空す」(むなしうす)の「空」という字をバラバラにして作られたもので、お腹を空にする下剤のような薬だったそう。この看板に記されている「御免」という文字や「勅許」「家伝」「秘法」といった表記は明治3年(1870年)に看板や薬などに使用することが禁じられたそうです。 -
渡り廊下を渡った先の建物にはレントゲンの機械が展示されていました。
ドイツの物理学者であったレントゲンがX線を発見したのが、明治28年(1895)でした。
明治43年(1910)には国産初の医療用X線装置が完成。
展示されているこの「ダイアナ号」は、大正7年(1918)に開発された高性能の国産機です。
日本における医療用X線装置の本格的な普及に大きな影響を与えるとともに、海外へも輸出されました。
日本の医学の進歩はこの頃から早かったのでしょうか。
素晴らしい。 -
ハワイ移民集会所(登録有形文化財)4丁目40番地
1889年(明治22)頃、ハワイ島ヒロ市ケヤベ街のワイルック川のほとりに建てられた教会。
キリスト教組合派の牧師であった岡部次郎により、日本人向けの教会として造られました。
教会の役目を終えた後は周辺の日本人の集会所に。
さらにヒロ市の英字新聞社の倉庫として使われるようになったそう。
周囲が湿地であったため高床となり、入口が太鼓橋のように造られています。
っていうか、ハワイからの移築ってすごいですね。 -
中にはマナダミアナッツのチョコレートがいっぱい!
これ、美味しいのよね~( *´艸`)
実はこのマカデミアナッツは「世界一のお菓子屋さん」を目指したマウイ島生まれの日系3世マモル・タキタニ氏が考案したものなんですって!
販売当初からマウイ島で大人気となり、「ハワイアンホースト」と名付けられ1927年にオアフ島に進出。
瞬く間に世界各国から愛されるお菓子になったそうです。
そしてハワイと言えばアロハシャツですが、もともと日系移民の着物の生地で作ったシャツが始まりというのは有名なお話ですね。
日本の浴衣や着物の裏地や長襦袢、布団生地を用いて洋服を仕立てたのがルーツと言われています。
当時は着物(京友禅)などをほどいて作っていたため、鯉や富士山などの和柄が多く登場していたそう。
その後、ハワイの人々にも浸透しはじめ、仕立て屋や呉服屋も増えて市販の生地でアロハシャツを作るようになったのだそう。
今ではすっかりハワイの定番ですね。 -
ブラジル移民住宅(登録有形文化財)4丁目39番地
大正8年(1919)にブラジル・サンパウロ州レジストロ市に建てられた住宅。
持ち主は、長野県出身でブラジルに入植した久保田安雄という人物で、日本人移民として慣れないコーヒー栽培に苦闘しながら密林を拓いてこの家を造ったそう。
こちらもなんとブラジルから移築されたのだそう!
瓦はひとつひとつ丁寧に外されて運んできたようです。 -
「入植初期のブラジルでの苦闘」が書かれたパネルがありました。
以下、詳細。
ブラジルへの移民は、コーヒー農図の契約労働から始まりました。
その後、契約労働から自作農への道を求めて原始林を開拓し、「和民地」と呼ばれる日本人による集団居住地を形成しました。
開拓作業ではブラジル独特の道具を使用して大木を切り倒し山焼きを行い、家を建てて農図を開きました。
しかし、こうして形成された植民地の中にはマラリアによって多くの死亡者を出した地域もあり、初用はその風土の違いからも辛い開いが続きました。
この家も原始林を開拓して建てた建物です。
材料は現場から300m~500mも焼れた場所から切り出され、直径60cmもある木を6m以上の長さで切り、約21cm角に荒削りをして下にコロを敷き、20人位の人手を使って運搬しました。
一緒に展示されているのはコーヒー豆の栽培に使っていた道具。 -
コーヒー農園での仕事は大変だったようですね。
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ブラジル移民住宅は、専門技術を持たない人々も建設に協力したことから、屋根は「小舞」と呼ばれる縦横に組まれた木材の下地に、「スペイン瓦」を直接葺くという、必要最小限の造りとなっているそう。
雨が降りこむこともあたそうですが、天気のいい日には太陽光が透けて見え、部屋に柔らかい明かりを与えていたそうです。
ちなみに当時の移民は笠戸丸という船でブラジルまで渡航したそう。
厳しい船旅だったでしょうね。 -
シアトル日系福音教会【旧シアトル住宅】(登録有形文化財)4丁目38番地
アメリカ・ワシントン州シアトル市に建てられた住宅。
はい、こちらも移築です。
当初はアメリカ人の住まいでしたが、1930年代(昭和5~14)に日系移民の所有となりました。
当時の所有者にとってアメリカに渡ってから長い苦難の年月を経て手に入れた一軒家だったものの、第二次世界大戦時、日本人の強制収容により家を追われることに。
戦後は別の日系一世が買い求め、教会として使われましたが、やがて日系一世が減少して役目を終え、明治村に移築されました。 -
移築前の写真や実際に住んでいた安武嘉一郎一家についての説明などが書かれたパネル。
安武嘉一郎さんは太平洋戦争が始まるとFBIからスパイ容疑をかけられ、ニューメキシコ州の戦犯収容所に移動させられ、家族全員が収容所生活を送ることになったそうです。
その次に住まわれた元田清子さんは再婚した元田永太郎さんがクリスチャンだったので、ご本人も洗礼を受けたそう。
戦時中は同じく収容所生活を送っていたそうですが、戦後シアトルに帰り、この家を購入して1階部分を教会に改造したそうです。 -
まずは1階から見て行きましょう。
素敵な家具が置かれたこのお部屋は2階にあった信者の方たちが集うお部屋を再現しているそう。
奥に見えるのは薪ストーブ。
可愛らしいですね。 -
こちらでミサが行われていたのでしょうね。
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イチオシ
2階へ上がらせて頂きます。
こういう洋館、大好き( *´艸`) -
2階へ上がると、踊り場を中心に放射線状に部屋が分かれていました。
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上:嘉一郎夫婦の寝室
真ん中:トシオ(次男)とヨシユキ(三男)の部屋
下:セイイチ(長男)の部屋
安武嘉一郎一家が住んでいた頃のお部屋を再現しているようです。 -
ミツエ(長女)の部屋
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イチオシ
このお部屋、素敵☆
窓の外には入鹿池が見えます。 -
バスルームもありました。
パネルには「地下には書庫と日本から運んだ風呂を設置しました」とあるので、そのお風呂がこれかしら? -
踊り場の窓からの景色も素敵でした。
シアトルに建っていた時はどんな景色が見えていたのかしら? -
神戸山手西洋人住居(登録有形文化財)3丁目32番地
神戸の山手に建てられたいわゆる異人館。
神戸では異人館巡りをしたことがありますが、ここに移築された建物もあったのですね。
主屋には二面にベランダが廻り、鎧戸付きの出入口や掃き出し窓が開きます。
付属屋の室内は日本間で、窓の一部が和風になっていますが全体は洋風にまとめられ、別館1階は使用人の住居にあてられました。
主屋と付属屋を組み合わせた構成は、神戸西洋館の典型とされます。
この2棟は小さな渡り廊下でつながっているんですよ。(写真:中央) -
カーテンがウィリアム・モリスのレモンツリーではないですか!
それだけでもう可愛い( *´艸`) -
萌黄色の配色ってほんと可愛い☆
では、2階へお邪魔します。 -
暖炉のある広い洋室。
残念ながらこの建物の洋室についての情報がなく、何に使われていたお部屋なのかは分からず。 -
こちらのお部屋のカーテンはウィリアムモリスのハニーサックル。
モリスのカーテンや壁紙のお部屋って憧れる( *´艸`)
なぜかここに万平ホテルにあったらしいステンドグラスも展示されていました。 -
こちらの寝室も可愛いですね。
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こちらが渡り廊下。
付属屋の2階へは、主屋からの渡り廊下からしか行き来できなかったそうです。 -
その先のお部屋は平書院が付く床の間を備えた座敷。
書院欄間の繊細な菱格子、円窓など、数寄屋造りの趣です。
母屋の外観からはこんな純和風なお部屋があるとは思いませんね。 -
宗教大学車寄(登録有形文化財) 3丁目33番地
東京郊外の巣鴨に新築された私立宗教大学(現 大正大学)本館の正面に設けられた車寄部分。
その部分だけを移築するってちょっと斬新ですが、東屋のようで可愛い( *´艸`)
本館の建物は、中央にバロック風の角ドームをのせた大屋根をいただく2階建ての洋風建築で、車寄と同様、腰石には花崗岩が積まれていたそう。
時間がなくて近くまで行かれませんでしたが、高さが6.9mもあってかなり大きな車寄のようです。
建物も相当立派なものだったのでしょうね。 -
長崎居留地二十五番館(登録有形文化財) 3丁目31番地
長崎に3ヶ所あった居留地-東山手、南山手、大浦-のうち南山手二十五番地にあった建物。
本館は三方にベランダをめぐらし、各室に暖炉を設けるなど、典型的な居留地住宅です。
本館の外部に開く窓はすべて上げ下げ窓で、鎧戸が付きます。
長崎湾を望む南山手外国人居留地の立地条件にならい、明治村では入鹿池を眼下に望む高台が敷地として選ばれました。 -
こちらのお部屋もまた可愛いの( *´艸`)
ここはリビングでした。 -
素敵なダイニングルーム。
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キャビネットがまた可愛いです☆
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イチオシ
別館
和洋折衷な感じがまた素敵ですね。
この縁側は広くて「サンルーム」という言葉の方が似合いそう。 -
芝川又右衛門邸(登録有形文化財) 3丁目68番地
現在の兵庫県西宮市甲東園に建てられた、大阪の商人であった芝川又右衛門の別荘。
設計者は当時の京都工等工芸学校の図案科で主任を務め、のちに京都帝国大学建築学科の創設者となる武田五一氏。
建物は木造2階建てのスペイン瓦葺き。
1階は開放的なベランダに、外へ張り出したボウウィンドウを設けるなど洋風の造りになっています。
それとは対照的に2階は和風としつつも、 1、2階に一体感をもたせてまとめています。
武田五一の設計による、和洋意匠を折衷した住宅の好例といえるのだそう。
まだ見たいものがあるのに時間がなくなり、ここは外観のみ。
先を急ぎます(^^;) -
北里研究所本館・医学館(登録有形文化財)3丁目25番地
ドイツでロベルト・コッホに師事し、細菌学を研究した北里柴三郎博士が伝染病の研究所として創立したもの。
この建物は、博士自身が学んだ研究所にならい、ドイツ・バロック風を基調とし、腰折れ屋根やドーマー窓が特徴です。 -
細部には幾何学をモティーフとした意匠も見られ、新しい時代のデザインの影響も見え隠れします。
顕微鏡による観察を良好な条件で行えるよう、光の変化が少ない北に面して部屋が設けられていました。
公式HPで見ると、とてもきれいな萌黄色の外装ですが...。
だいぶ風化していますね(^▽^;) -
最後は1丁目です。
もう、時間がほとんどない(*_*)
急ぎたいのに結構山の中(汗) -
ようやく古い日本家屋が顔を出してくれました。
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森鷗外・夏目漱石住宅(登録有形文化財)1丁目9番地
明治の文豪である森鷗外と夏目漱石が、奇しくも相次いで借家した和風住宅だそう。
明治20年(1887)頃、医学士中島襄吉の新居として建てられたものの、空家のままだったこの家は明治23年(1890)に森鷗外が借家し1年余りを過ごしました。
鷗外は、ここに移り住む同年の1月、処女作小説『舞姫』を発表。
この家では『文づかひ』等の小説を執筆し、文壇に入っていきました。
明治36年(1903)から39年までは夏目漱石が住み、漱石はここで『吾輩は猫である』を発表。文壇にその名を高めました。文中に描写された家の様子は、よくこの家の姿を写しているそうです。 -
-
お家に上がれるようになっていたので、お邪魔してみましょう。
玄関には昔は美しかったと思わせる2枚のタイル画が。 -
入って右側には台所がありました。
当時使われていた調理器具が並びます。 -
明治時代の台所
以下、パネルの説明文です。
左の絵はアメリカ人の動物学者E・S・モースによって描かれた、明治10年代頃の東京にあった台所です。
絵が描かれた当時、ガスや気、水道は普及しておらず、煮炊きをするには、かまどや七輪に新や炭で火をおこし、洗い物などをするためには、外にある井戸から水を汲んできました。夏目激石が住み始めた当初は、絵と同じように、現在土間になっているあたりに流し台があり、かまどは床が一段低くなっているところにあったと考えられます。
この家の台所は、現在の台所と室内の様子はずいぶん異なりますが、明治時代の一般的な家庭の台所の様子を伝えています。
右の写真は、明治時代の中ごろに外国人の写真家によって撮影された、台所で夕食の準備をしている様子です。
明治時代の一般家庭の台所では、野菜を切る、すり鉢を使うなどの調理は座って行いました。
そのためまな板には、座ったままでも力が入るように足がついています。
また、ご飯を炊くためにかまとで火をおこしている女性がいますが、ご飯を炊く、という作業ひとつをとってみても当時の調理には時間と手間がかかっていました。
台所で使う道具は今と変わらないものもありますが、その使い方や人の姿勢、そして調理の手間などには大きな違いがありました。
写真のように座って調理をするのはまた大変そうですね。 -
戸棚には当時の食器などが展示されていました。
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この家は当時の典型的な中流住宅。
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神棚もありますよ。
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懐かしい雰囲気の縁側。
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玄関脇にある応接兼書斎では、漱石が執筆していたであろう部屋の様子を再現しています。
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家の中にはいたる所に猫ちゃんの姿が。
「吾輩は猫である」のモテルとなった猫ちゃんでした。
夏目家に迷い込んできた全身が黒ずんだ灰色に虎斑(とらぶち)の子猫で、爪の先まで黒かったそうです。
とってもイタスラ好きだったようで、歩いていると後ろから足にじゃれついたり、子どもたちが寝ていると手足をひっかいたりしてよく怒られていたそうです。
夏目漱石は、朝、座敷に寝ころんで新聞を読む習慣があり、その背中にはよく猫が乗っていたんですって。
可愛いですね。 -
イチオシ
表から見た応接兼書斎。
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文豪の書斎らしく、本がたくさん並びます。
その前には「吾輩は猫である」の主人公、名前のない猫ちゃん。 -
西郷從道邸 (重要文化財) 1丁目8番地
西郷隆盛の弟、西郷從道が建てた邸宅のうち、接客用に設けられた木造の洋館。
素敵な建物ですね。
從道は陸海軍の大臣を歴任していたため、在日外交官の来客も多く、明治22年(1889)には明治天皇の行幸も仰ぎました。
設計にはフランス人レスカスが関与していると伝えられ、建具の金具や階段などをフランスから取り寄せているほか、2階には日本三景が描かれた陶板で飾った暖炉も設置されているそうです。 -
では、お邪魔します。
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1階にある婦人室。
椅子は日本製のダルマ椅子と呼ばれるもので、当時の日本人女性は着物が大半で会ったため着物でも座りやすいよう、背もたれを改造したものだそう。
椅子には螺鈿細工が施されています。 -
書斎
西郷従道の書斎として利用されていました。
新聞記者らもこの部屋に滞在し、西郷従道に取材するなどとして利用されたそうです。
奥に見える本棚には実際に西郷従道が使用したものが寄贈されているそう。 -
これはまた素敵な食堂。
奥にはもうひとつお部屋があって、来客が多い時は開放してつなげて使われていたそうです。
本当に来客が多かったのですね。 -
ターブルに置かれている食器類は名古屋のノリタケ製。
家具類は実際に赤坂離宮で使用されたものを使用し、当時の室内を再現しています。 -
窓上のカーテンボックス、手すり、扉金具、天井に張られた押し出し模様の鉄板など、内部の装飾はほぼすべてが外国製のものとされているそう。
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これはまた素敵なベッドルーム( *´艸`)
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こんなお部屋、憧れるわ~。
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お部屋の片隅にはドレッサー。
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可愛いボウルと水差し。
顔を洗うために使われていたものでしょうか。 -
ノリタケの食器も展示されていました。
2階にも素晴らしいお部屋があり、暖炉や調度品などの見どころもあったようなのですが、時間がなくて行かなかったのかな?
残念ながら写真がありませんでした。 -
学習院長官舎 (登録有形文化財)1丁目7番地
東京目白の学習院敷地内に建てられた院長官舎でしたが、時間がなくてパス...。 -
聖ヨハネ教会堂が見えて来ました!
ここはどうしても見て帰りたかったので急いでいました(汗) -
イチオシ
聖ヨハネ教会堂(重要文化財)1丁目6番地
日本聖公会京都五条教会堂として建設された教会堂。
中世ヨーロッパのロマネスク様式をベースに、細部にゴシックのデザインをまじえた外観が特徴。
正面の左右には高い尖塔が建てられ、奥に十字形の大屋根がかかる会堂が配されています。 -
煉瓦造りの美しい建物ですね。
1階は日曜学校や幼稚園に使われ、2階が会堂になっているそうです。 -
早速2階の街道へ行ってみましょう。
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開放感のある会堂ですよ。
内部は十字形の平面になっていているそう。
アーチ形の方杖と鉄筋が組み合わされた独特な小屋組の細い骨組みにより、実際よりも広く感じさせる造りなのだそうです。 -
正面の妻と交差廊の両妻には大きな尖塔アーチの窓が設けられ、美しいトレーサリーの模様が浮かび上がるとともに、室内に光をふんだんに取り込みます。
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天井は京都の風土に合せて使ったといわれる竹のすだれ。
和洋折衷な感じが素敵ですね。 -
美しいステンドグラス。
この教会がまだ京都に建っていた頃の昭和9年(1934)、室戸台風の来襲によりこのトレーサリーのステンドグラスは破損してしまったそう。
平成10~11年(1998~1999)の保存修理の際に復原され、往時の華やかさがよみがえりました。 -
オルガンが沢山置かれていました。
これはリードオルガンといい、明治時代に初めて日本に広まった西洋楽器のひとつだそうです。 -
こちらは日本で現存する最大級のリードオルガン。
1965年、聖ヨハネ教会堂の博物館明治村への移築と同時に寄贈されたオルガンです。
しかしオルガンはその前から音が出ず、以降50年以上にわたって見るだけのオルガンとして展示されていたそう。
2018年、博物館明治村では明治改元150年事業として、このオルガンを修理すべくクラウドファンディングを立ち上げたところ、多くの方々のご支援により、クラウドファンディングは成立。
2019年にオルガンの修理を無事終えることが出来たのだそうです。
現在はコンサートなどで蘇った美しい音色を聞くことが出来ます♪
このオルガンを製作したClough & Warren 社はアメリカ・ミシガン州のデトロイトにあったオルガンメーカー。
このメーカーオルガンの機能面への工夫と、装飾の美しさから、生産台数を伸ばし、アメリカ国内のみならず、ヨーロッパ・アジアへも販路を広げましたが、不幸なことに社屋を火災で失ってからは下降の一途をたどり、1923年に廃業しています。
こちらはClough & Warren 社製の貴重なリードオルガンという事ですね。 -
少し横から見た聖ヨハネ教会堂。
こんな教会が京都にあったとは...。
でも、屋根の感じは京都の街並みに馴染みそう。 -
建物細部のところどころに見られるゴシック風の尖頭アーチ。
その上の三角屋根がまた可愛い( *´艸`) -
明治村の公式HPでは建設年が1907年になっていましたが、ここに記されているのは「1906」でした。
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では、正門へ急ぎましょう。
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三重県尋常師範学校・蔵持小学校(登録有形文化財) 1丁目3番地
この建物は当初、小学校教師の養成を目的とする三重県尋常師範学校の本館として津市に立てられ、その後、昭和3年(1928)名張市に移築されて蔵持小学校として使われました。
設計者は、三重県庁舎と同じく清水義八。 -
開放的な玄関ホール。
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まだ少しバスの時間まであったので、内部も見学することに。
懐かしい小学校の教室が再現されていました。 -
大井牛肉店 (登録有形文化財)1丁目2番地
神戸市生田区元町の相生橋東詰に建てられた牛肉屋兼牛鍋屋。
牛肉は日本では禁忌とされてきましたが、幕末より、神戸をはじめとした各地の居留地に住む外国人や寄港する外国船に向けた供給が必要に。
明治の新たな商売として、牛肉販売に注目した岸田伊之助(1849-1928)が、神戸の地で牛肉商を始めるために建てたのがこの建物でした。
こちらもまた素敵な建物ですね。
石造りの建物に見えますが、実は木造2階建ての建物。
胴蛇腹と軒蛇腹をめぐらせた漆喰塗りの外壁に目地を入れることで、まるで石造建築のように見せているのだそうです。 -
コリント式の装飾柱まであるのに木造とは驚きですね。
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内部は当時の様子が再現されていました。
当時は1階を店舗、2階を客室として利用されていたそう。 -
この後、名古屋でまた別の友達と会う予定なので、16:00のバスに乗って帰ります。
Kさんはまだ時間あるけれど一緒に帰る事に。
当初の予定だったら終バスまでゆっくり見て回れたのに、急がせちゃってごめんなさい(>_<) -
最後にKさんと記念撮影♪
今日は1日付き合ってくれてありがとう☆
この後、途中まで一緒に帰りました。
それにしても明治村は本当に広くて周りきれなかったので、いつかまた再訪したいな。
今度来るときは犬山に滞在して、犬山城にも行ってみたい...。
などと、もう次の妄想をしている私(≧▽≦) -
最後は名古屋でNちゃんと夜ごはん。
5年振りの再会です!
相変わらずお洒落なNちゃん。
選んだお店はWIRED CAFEでした。
★WIRED CAFE
https://www.cafecompany.co.jp/brands/wiredcafe/WIRED CAFE 名古屋ゲートタワープラザ店 グルメ・レストラン
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東京や大阪などにもあるお店ですが、それぞれお店の感じが違うみたい。
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フォトフレームにイラストが描かれているのがまたお洒落!
新しい発想だわ。 -
私はタコライスにしました。
半熟の目玉焼きが嬉しい( *´艸`)
Nちゃんはネギトロ丼。 -
せっかくなので記念撮影♪
Nちゃん、全然変わらない(≧▽≦)
Nちゃんもその昔は良く一緒に海外にも行っていました。
ワーホリでマルタ島に行っていた時は会いに行ったのでした。
Nちゃんがいなかったらマルタ島には行っていなかったと思う。
他にもスペイン&イギリスや上海やグアム、韓国など。
全部4トラを始める前なので、その時の旅行記は残念ながらありません。
そのうち作れたらいいな~。 -
デザートにプリントバニラのアフォガードを頼んだらボリューミーでびっくりした(≧▽≦)
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アイスクリームの重みでプリンがつぶれてない?
でも、とっても美味しかったです。
話し足りないけれど、新幹線の時間が近付いて来たのでお別れです。
今回はあまり時間取れなかったのに会いに来てくれてありがとう~☆
また来るからね(*^-^*) -
急遽、1泊2日の強行スケジュールになってしまった今回の旅行。
名残惜しいですが、20:20名古屋発の「のぞみ」で帰ります。 -
もともと名古屋行きは栗がお目当てだったのにカフェ巡りが出来なかったので、JR名古屋高島屋さんに入っている「REGNIE」でモンブランを購入し、お持ち帰り( *´艸`)
選べなくて2個買ってしまいました(≧▽≦)
上は「糸絞りモンブラン~奏~」
下はレニエの看板商品「中津川モンブラン」
ひとつは翌朝頂きました。
新栗を使っているので文句なしに美味しかったです☆
★REGNIE
https://www.regnie.jp/ -
本当なら中津川まで行きたいところですが、今回は時間がなかったのでこちらも同じくJR名古屋高島屋さんに入っている「すや」の栗きんとんを購入。
売り切れて買えなかったらどうしよう...
と、ひやひやしながらお店に行きましたが、まだ買えました☆
他のお店のものも買いたかったのですが、ご飯を食べる時間がなくなってしまうので今回は1つで我慢(>_<) -
ばらまき用のお土産にしるこサンド。
これ、美味しいのよね(*^-^*) -
こちらは今回のお土産ではないのですが、大阪で泊めてもらったMちゃんお勧めの「やみつきしみかりせん」
山形の人気のおせんべいだそうで、売り切れている事が多いのだとか。
Mちゃんの実家が山形で、ちょうど買ってきたからとお土産に頂いてしまいました(≧▽≦)
甘じょっぱくて病みつきになる美味しさ!
山形に行く事があったら探してみよう♪
https://www.sagaeya.co.jp/c/1128465 -
そして最後に今回の勝利品(?)
大阪万博はもう終わっていましたが...
大阪駅で新幹線に乗る前に立ち寄った売店でサンリオのミャクミャクコラボを発見!
思わず買ってしまいました(≧▽≦)
相変わらず写真が多くて長い旅行記になってしまいましたが、最後までご覧頂きありがとうございましたm(__)m
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