2025/10/21 - 2025/10/22
412位(同エリア1482件中)
milkさん
私の今の仕事はちょっと変わったシフトで、月に20日勤務。
10月は2日多く休めるので3泊で大阪・名古屋に住む友達に会いに行こうと計画。
何故かこの辺りに引っ越した友達が多いんです(≧∀≦)
友達に連絡を取ってある程度予定が決まったところで「研修のサポートを手伝って欲しい」と言われてしまい、休む予定だった2日は返上に。
通常週5出勤の契約なので仕方ない...。
急遽、1泊2日で大阪・名古屋となり、その2日間で5人の友達に会うと言う強行スケジュールとなりました。
2日目は朝一番で犬山まで移動し、友達と合流したら明治村へ。
1日堪能した後は名古屋で別の友達と夜ごはんを食べてから帰ります。
明治村が思った以上に見どころが多く、写真も多くなってしまったので前編・後編に分けました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- グルメ
- 5.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 交通手段
- 高速・路線バス 新幹線 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
おはようございます。
今日は大阪から一気に愛知県の犬山まで移動します。
夜明け前に友達のマンションを出て新大阪駅へ。
この空の色、好き。 -
まずは新幹線に乗って新大阪から名古屋まで移動しますよ~。
新大阪駅 駅
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新幹線の中で昨夜買っておいたパンを頂きました。
マラサダ美味しかった~! -
名古屋に着いたら名鉄犬山線に乗り換えます。
初めて乗る電車なので場所が分からずGoogleさん頼り。
無事、乗り場を見つけました。
予定通りの電車に乗って犬山へ。名鉄名古屋駅 駅
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今日の目的地は明治村。
犬山駅でKさんと合流しました。
最後に会ったのはコロナ前なので、久し振りの再会です!
今回は急遽1泊2日のハードスケジュールになってしまったのですが、明治村はKさんも行ってみたいと言ってくれたので行く事に。
行くからにはゆっくり見たかったので本当は開演時間に着くバスに乗りたかったのですが、大阪からではさすがに間に合わず...。
9:20犬山駅発のバスで向かいます。
バス停が煉瓦風で雰囲気出てる( *´艸`)犬山駅 駅
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チケットは移動中にアソビューから購入しました。
通常2500円のところ、14%offの2200円で購入。
ちょっとだけお得に購入出来ました。
★アソビュー 明治村
https://www.asoview.com/item/ticket/ticket0000038834/ -
20分ほどで明治村に到着。
レンガの正門がもう素敵( *´艸`)
今日は雨予報なので、空が暗いのがちょっと残念。
この門は高等学校令により名古屋に開校された第八高等学校の正門でした。
赤煉瓦と白御影石を積み、扉、柵に鉄材を軽やかに使ったデザインは、明治期に導入されたネオ・ルネッサンス様式だそう。
こんな素敵な門を正門にするなんて、さすがのこだわりですね。
登録有形文化財だそうです。
★明治村
https://www.meijimura.com/博物館 明治村 テーマパーク
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入ってすぐのところに記念撮影スポットが。
日付をよく見ると「明治158年」との表記が(≧▽≦)
明治時代がどのくらい前なのか、分かりやすいかも。
明治村は壊される運命にあった明治建築を移築し、保存展示する野外博物館。
その建造物では11件が国の重要文化財、1件が愛知県の有形文化財、歴史資料では、2件が国の重要文化財に指定され、その他、ほとんどの建造物が国の有形登録文化財に登録されているそうです。 -
では、早速見て回りましょう。
明治村は傾斜のある丘陵地に作られていて村内はとても広く、1丁目から5丁目に分かれていました。
正門に近い場所が1丁目で、5丁目に向かって丘を降りていく作りになっています。
私たちはとりあえず一番下の5丁目に向かい、そこから登って来るルートにしました。
まず目に留まったのはこちらの二重橋飾電燈。
ネオ・バロック様式の植物意匠が美しい電燈です。
皇居造営にともない架け替えられた二重橋には、橋の西側両端に並んで4基の飾り電灯がつけられていたそう。
そのうちの一つが移築されています。
飾り電灯は、高さ5.2mの鋳鉄製でドイツのHARKORT社によって製造。
安定した重厚な基部が軸部を支え、軸部から出た葉文様の丸鋼で出来た4本の枝が軽々と大きなグローブを吊り下げています。
飾り電灯の周りを囲む鉄柵には、二重橋とそのたもとにあった唐草模様の鋳鉄製欄干を利用しているそうです。
素敵ですね~。 -
三重県庁舎(国指定重要文化財) 1丁目13番地
村内の建物には村内所在地として番地が割り振られていました。
本当の村みたいで素敵なアイデアですね。
こちらは三重県令(現在の知事)岩村定高の発案による洋風県庁舎。
明治13年(1880年)には明治天皇も行幸され、1964年まで使用されていたそうです。 -
基壇と礎石、円柱、エンタブレチュアは、古代ギリシャ・ローマの神殿に由来した構成だそう。
出入口や窓も洋風の要素として、半円アーチや円弧アーチの形が取り入れられています。 -
円柱が美しい回廊。
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2階から見学させて頂きましょう。
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こちらのお部屋には明治時代に製作され、実際に使われていた輸入・国産時計が展示されていました。
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こちらのお部屋には博物館明治村が所蔵している明治時代から昭和時代にかけて使用された「くらしの道具」が展示されていました。
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厠(トイレ)コーナー
トイレはどこでも家の隅っこか外にあり、子供にとっては夜は暗くて怖いところだったそう。
溜まった糞尿は汲み取り口というところからくみ出され、田畑の肥料に利用されていたそうです。
今では水洗トイレが当たり前になっていますが、私の家も建て替える前までは汲み取り式だったのでなんだかちょっと懐かしい。
このような焼き物の便器は江戸時代の終わりごろ、現在の愛知県の瀬戸市などで造られるようになったそう。
それにしてもこちらは綺麗な柄ですね。 -
格式の高い知事室。
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暖炉のタイルはウィリアム・モリスのような柄でした。
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当時から使われていた家具だとすると、もうアンティークですね。
扉や窓、開口の額縁は、洋風建築とともに西洋から伝えられた木目塗りという技法で塗装されているのだそう。
木の素地を見せずにペンキを塗り、マホガニーやチークといった高価な木材種の木目を描いているんですって。 -
こちらは応接室かな?
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イチオシ
気品あるお部屋です。
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良く見ると照明の台座部分の装飾が素晴らしい!
金属板をプレスして装飾を打ち出したものだそう。 -
どのお部屋も素敵でした。
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こちらの「彩の間」は貸し出し可能で、会議イベントなどに利用できるそうです。
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それにしても美しい建物。
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1階には「明治の宮廷家具」という展示室が。
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明治42年(1909)に竣工した「東宮御所(現 迎賓館 赤坂離宮)」創建当初の家具が展示されていました。
創建当初に撮影された写真が一緒に展示されています。
こちらは皇太子用の客室としてしつらえられた「孔雀の間」
ちょっとパネル写真が見にくくてすみません。 -
こちらは「紅の間」
狩之間と朝日之間の間に位置する部屋で、控えの間とされたものです。
他の多くの部屋と同じようにフランス 18世紀末様式で装飾され、壁はローズ色に花東模様、カーテンは淡紅色の織物が用いられ、家具はフランスのフールジノアが納めたものだそう。 -
朝日の間
室内装飾は「明治工業史」によるとフランス18世紀末様式。
天井には「旭日に朝霞に昇り桜花に映ずる間において神女が玉馬にち香車を駆るの図」が描かれ、室名の由来ともなっています。
柱はノルウェー産の大理石、壁面には和嘉一郎が納めた草色地洋花模様の金華山織が、カーテンには同じく和嘉一郎が納めた草色の菊の紋が織り出された金華山織が用いられたと記載されているそう。
室内の家具を納入したのはフランス人エンシェル(Hoentschel, Georges)
彼は 1900年のパリ万国博覧会、1904年のセントルイス万国博覧会の内装なども手がけた、フランス有数の室内装飾家で、フランスの勲章・レジオン・ドヌール・オフィシエを受章しているのだとか。
現在の赤坂離宮は参観することが出来るので、いつか行ってみたいと思っています。
キッチンカーのアフタヌーンティーも気になるのよね( *´艸`)
★迎賓館赤坂離宮
https://www.geihinkan.go.jp/akasaka/ -
鉄道局新橋工場 1丁目12番地
三重県庁舎のお向かいにありました。
東京・汐留の新橋停車場構内に東京鉄道局が建てた工場施設の一つだそう。
新橋工場には、旋盤、木工、鍛冶、鋳物など9工場が設けられていて、この建物は木工場であったと推測されます。 -
イチオシ
中には御料車が展示されていました。
御料車とは天皇・皇后・皇太后・皇太子のための特別な車輌のこと。
こちらは明治天皇御料車の6号御料車で、鉄道記念物に指定されています。
天皇崩御後も大正・昭和初期まで使用されていました。車内は明治の工芸品の粋を集めたもので、螺鈿・七宝・彫金刺繍などを駆使した内装は歴代御料車の中でも優雅な車両と称されているそう。 -
車体には五三桐御紋(ごさんぎりごもん)
下の部分の角には菊の御紋が施されていました。 -
こちらは昭憲皇太后御料車の5号御料車。
初の皇后用車両として制作されたもので、こちらも鉄道記念物に指定されています。
室内の天井には当時を代表する画家、橋本雅邦の「桜花紅葉」、川端玉章の「帰鴈来燕」が描かれているなど、芸術品としての価値も高いそう。 -
この空間も素敵だわ...。
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車内が見られるようになっていました。
こちらは御料車5号の室内。
座り心地の良さそうな、豪華なソファーが置かれていますよ。 -
イチオシ
素敵な装飾が施された鏡も見られますね。
流石は皇太后御料車、配慮もぬかりありません。 -
内部は良く見えませんが、パネルが置かれていて内装も紹介されてていました。
こちらは「御座所」の説明。
天井には川端玉章の「帰鴈来燕」が描かれているそうです。
中央の天井には金砂子で雲が表現され、下から見上げると菊文様のランプシェードが取り付けられているそう。 -
ソファーに使われている生地や背掛布の説明。
美しい柄が使われていますね。 -
お隣には寝室と関所(お手洗い)
御料車は夜間走行することはなかったそうですが、体調がすぐれなかった時などに使われたそう。
関所に使われていたのは漆の避箱(便器)です。
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御料車6号の車両。
こちらのソファーは落ち着いたベージュ色。 -
御座所の両側には侍従室があり、天皇陛下御乗車用の引出式階段があるそう。
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美しいソファーが置かれた御座所。
この御料車は装飾などの美しさから「走る宮殿」との異名があるそう。
窓の上には鳳凰の姿も見られます。
溜息の出る美しさですね...。 -
室内の装飾の説明。
天井には蜀江錦と呼ばれる錦が用いられているそう。
蜀江錦はもともと3世紀、三国時代の中国の蜀の国(現在の四川地方)で良質な赤地の絹織物が生産されたところからその名がつけられたそうです。 -
どんなに素敵な室内なのでしょう...。
中に入って実際に見てみたかったな。 -
室内には扇風機も置かれていたようです。
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こちらは寝室。
寝台の上には菊の御紋が見えますね。 -
寝室には御剣御璽(みつるぎぎょじ)をお避ける棚が設けられているそう。
お手洗いは洋式に変わっています。
御料車としては初めての漆塗りの洋式便器だそうです。 -
手前には化粧台も見えますね。
2024年に内部の特別公開があったようです。
またいつか公開してくれるかしら? -
こんなところに小さな神社が。
明治神社だそう。
東京代々木にある明治神宮ご社殿を厳密に10分の1のサイズで作られた縮小社殿でした。 -
イチオシ
建物を出ると、目の前には三重県庁舎と二重橋飾電燈。
明治時代にタイムスリップしたような景色です。 -
出だしから長居してしまいました...。
このペースでは回り切れなくなるので先を急ぎましょう。
2丁目は少し奥まっているようなので、先に見て行くことに。 -
メイン通りとなるのはレンガ通り。
ここには銀行、小学校、医院、電話交換局、派出所など、明治時代にできた施設が立ち並びます。
昔ながらの日本建築と洋風建築が共存する和洋折衷の街並みです。 -
第四高等学校物理化学教室(登録有形文化財) 2丁目15番地
石川県金沢市に第四高等中学校(現 金沢大学)の物理化学実験教場として建てられました。 -
中央の玄関ホールから入り、左右に物理用・化学用それぞれの階段教室を設けているそう。
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化学用階段教室の黒板背面には、石敷きの実験台を備えた換気装置付きの小部屋があるそう。
ここでは、生徒に有害ガスを発生する実験を見せていました。
屋根の上に立つ2本の煙突は、正面から見て左が有害ガスの排出のための化学教室用、右が物理準備室のものだそうです。 -
実験に使われた道具も展示されていました。
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東山梨郡役所(重要文化財) 2丁目16番地
明治11年(1878)に施行された「郡区町村編成法」により、県令(後の県知事)の任命する郡長が郡内の行政を指揮監督することになり、各地に郡役所が置かれました。
東山梨郡では、明治18年(1885)にこの建物が日下部村に落成。
当時の山梨県令であった藤村紫朗は、地元に多くの洋風建築を建てさせたといいます。 -
この東山梨郡役所もそのひとつ。
ベランダの柱は、ゴシック建築に用いられるような束ね柱を模し、凸面のひだが入った胡麻殻(ごまがら)しゃくりの丸柱。
壁面の隅には、隅石を黒漆喰で塗り出す装飾が施されています。 -
漆喰振りの天井には花鳥風月の中心飾り。
落ち着いた室内です。 -
村長室では明治村の村長さんがお出迎え。
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清水医院(登録有形文化財) 2丁目17番地
長野県木曽郡大桑村須原の中山道沿いに建てられた西洋医院。
大桑村須原は木曽路の中ほど、妻籠(つまご)と木曽福島の中間に位置し、木曽ヒノキの伐りだしを生業とした町。
この須原に生まれた清水半次郎は東京に出て医学を学び、地元の木曽谷に戻って医院を開業したそう。
洋風建築を意識した面構えは、旅篭の建ち並ぶ宿場町ではひときわ目立つものだったようです。 -
イチオシ
手前は待合室。
真ん中に置かれているのは七輪かしら?
襖(ふすま)には、健康に長生きするためのさまざまな養生訓が黒々と記されています。 -
イチオシ
奥に続く診療室は板張りのお部屋になっていました。
その奥には病室があり、入院患者は建物背後に建つ和館で過ごしていたそう。
この病院には島崎藤村の姉、園子が入院したこともあり、彼女をモデルにした小説「ある女の生涯」にこの清水医院が蜂谷医院として登場しているのだそうです。
「青空文庫」という無料で本が読めるアプリにこの作品があったので、読み始めてみました。 -
明治時代の診療所を再現しているので当たり前なのですが、レトロ感がたまりません( *´艸`)
でも、当時の医療は今と比べるとなんでも痛そう...(>_<)
それでも当時は最新医療だったのでしょうね。 -
ガラス窓やキャビネットもいい感じ。
視力検査のボードが懐かしいですね。
そういえば私、健康診断で目を機械にくっつけて視力を量る今どきの検査方法だと著しく視力が悪く診断されてしまうんですよね。
このタイプの視力検査だとそこまで悪くないのに...。
アナログの方が正確な気がしてしまう。 -
左は体重計?
重りを使って測っていたのですね。 -
隣のお部屋は薬局。
奥にある階段から2階に上がれるようになっていますが、通常は非公開。
2階は家族の休憩用または地元民の応接室などに使われたようです。 -
薬品の数々。
薬瓶がまたレトロでいい感じ( *´艸`) -
医師の清水半次郎さん。
東京で西洋医学を学んだそう。
当時、西洋医学を修めた医師は珍しく、多くの患者が集まったと言われているそう。 -
赤い煉瓦の道が素敵な街並み。
平日という事もあってか、お客さんは少なめ。
のんびり散策しながら見学できるのは嬉しいです。 -
千早赤阪小学校講堂(登録有形文化財) 2丁目14番地
1階を雨天体操場、2階を講堂として使用していた校舎だそう。
明治中頃から学校教育の中で体操が重視され始めると広い体操場が求められるようになり、このような建物が各地に建てられたのだそうです。 -
この日は開村60周年記念特別展「時代の扉をひらいた装い」が開催されていました。
お洋服大好きな私としては是非見てみたい( *´艸`)
入館料が500円かかりましたが、入ってみる事に。
館内は写真撮影禁止でしたが、昭憲皇太后が着用されていたドレスや明治宮殿の宮廷家具など素敵なものが沢山展示されていました。 -
こちらは頂いた特別展のリーフレット。
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リーフレットには明治・大正期の上級階級が着用したドレスが紹介さてています。
どれも素敵ですよね( *´艸`)
残念でならないのは鹿鳴館が残されていない事。
華々しい鹿鳴館時代の舞台になった場所を実際に見てみたかったです。 -
大きく紹介されているのは大礼服。
主に新年拝賀に着用する最も格式の高いドレスで、腰あるいは方から長く垂れさがる「トレーン」(引き裾)が特徴だそう。 -
こんなドレスの数々、見ているだけでうっとり( *´艸`)
こんな素晴らしい特別展が開催されていたなんて、ラッキーです♪ -
チケットがお洋服のイラストになっていました☆
とっても可愛い( *´艸`)
これは大事に持って帰りましょう。 -
東松家住宅(国指定重要文化財) 2丁目18番地
名古屋市の中心部、堀川の近くにあった町家です。
塗屋造りという江戸時代から続く伝統工法を用いられているこの建物は、間口4間(約7.27m)、奥行き8間半(約15.4m)、切妻造りの屋根をのせた3階建て。
間口が狭く奥行きの深い造りは、町家建築の典型そのものですが、創建以来、何度も増改築を繰り返したそう。
もともと江戸末期には平屋だった建物を、明治28年(1895)に後方へ曳いて移動させたうえ、2階の前半分を増築して現在の店構えに。
さらに明治34年(1901)、3階より上の部分を増築したとされています。
もうすぐガイドツアーが始まるとの事でしたが、所要時間が30分。
非公開部分も見られるとの事でしたが、先を急ぎたいので諦めました。 -
自由見学を褪せて頂きます。
明治20年(1887)代後半までは油屋、その後は昭和のはじめまで堀川貯蓄銀行を営んでいたそうです。 -
店舗と住居を兼ね備えた間取りになっていたそう。
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土間は3階までの吹き抜けになっていて、明かりを取っていたそうです。
開放感がありますね。 -
明治時代の名古屋の商家における正月やお祭りといった「ハレの日の食事」が再現されていました。
ばら寿司や野菜の煮しめなどを召し上がっていたそうです。 -
こんなところに小さな梯子階段が。
そこにはなんと女中部屋があるそうです! -
素敵な中庭もありました。
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札幌電話交換局(重要文化財) 2丁目21番地
明治23年(1890)に東京-横浜間で始まった電話交換業務が北海道で行われるようになったのは、同33年(1900)のこと。
これにあわせて高価な交換機を火災から守るために地元産のを石材を用いて建てられたそうです。
内部の床や間仕切り壁、小屋組は木造。
1階と2階の窓を違った形式で作り、2階の窓下に花紋を連続させた胴蛇腹をまわす手法はルネッサンス以降の西欧でよく見られるものだそう。
花の文様が施された胴蛇腹等には「札幌軟石」、基礎や階段には「札幌硬石」と、目的に応じて石材が使い分けられています。 -
中に入ると美しい階段が。
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昔の電話が展示されていました。
遠く離れたところにいる人の声が聞こえるなんて、当時はどれだけ驚かれた事でしょう。
今ではすっかりスマートフォンが普及し、電波で音声が届く時代。
凄まじい発展です。 -
京都七条巡査派出所(登録有形文化財) 2丁目23番地
京都市下京区七条通りの西本願寺前に建てられた巡査派出所。
建物は木造の平屋建てです
。腰壁の上を赤煉瓦のタイル張りとし、覆輪目地を施しています。
モルタル洗い出しの白色の帯と、窓欄間(らんま)の額縁がアクセント。
まるで等身大パネルのように敬礼して立っているのは派出所に駐在する警察官(の格好をしたスタッフの方)
写真撮影をお願いしたら快くポーズを取ってくださいました。
当時の警察官らしく、腰にはサーベルを携えています。 -
内部には詰所と宿直室の2室があります。
ドアの向こうが宿直室でしょうか。
萌黄色の内装が素敵ですね。 -
京都市電
日本で初めて鉄道が開通したのは新橋‐横浜間ですが、続いて日本で初めて路面電車(市内電車)が開通したのは京都だったそう。 -
電車が来ましたよ♪
村内にある市電名古屋駅・京都七条駅・品川燈台駅(それぞれ4・2・3丁目)の3つの駅を結ぶ路面電車。
この京都市電は開通当初の京都電気鉄道から京都市電へと移り変わっていく間の時代、明治45年に開通した北野線を走行していた車両(製造は明治43~44年)で、国内最古の路面電車だそうです。
★乗車料金
【一回券】大人 500円・小人 300円
【SL・市電一日券】大人 1,000円・小人 700
※2025年10月現在 -
ここまで思いの外時間を取ってしまったので、とりあえず一番下の5丁目を目指します。
六郷川鉄橋(登録有形文化財) 4丁目41番地
土木技師ボイルの設計による英国式鉄橋で、日本初の複線用鉄橋です。
明治5年(1872)に日本で鉄道が開業した当時、新橋-横浜間に架かる22の橋は全て木橋でした。
開通後、複線化の計画により鉄橋への架け替えが進められたそうです。
橋にはお雇い外人、英人土木技師ボイル(Boyle.R.V)の設計で、明治8年(1875)英国リバプールのハミルトンズ・ウインザー・アイアンワークス社が製作し、輸入されたことを示す銘板が残っています。 -
聖ザビエル天主堂が見えて来ました。
5丁目に入ったようです。
5丁目は文明開化を感じさせるレンガ造りのハイカラな佇まいな建築物が多いそう。 -
聖ザビエル天主堂(登録有形文化財) 5丁目51番地
16世紀に来日したフランシスコ・ザビエルを記念し、京都・河原町三条に建てられたカトリック教会堂。
近代の京都でのカトリック布教は、明治12年(1879)、パリ外国宣教会のヴィリオン神父が入洛したことが始まりとされています。
フランスの篤志家から寄付を募って資金を集め、河原町三条にあった旧大名の蔵屋敷を購入してこの教会堂が建てられたそう。 -
素敵なバラ窓がありそう( *´艸`)
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では、入ってみましょう。
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教会って、中に入ると一気に気分がヨーロッパ( *´艸`)
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室内は身廊と側廊からなる三廊式で、大アーケード、トリフォリウム、丸窓のあるクリアストーリーの3層による典型的なゴシック様式。
天井は交差リブ・ヴォールト天井で、4本の柱で囲われた1つの区画の天井を、リブで四分割する四分ヴォールトとしているそう。
柱やリブにはケヤキ材が用いられているそうです。 -
イチオシ
鮮やかなステンドグラスで彩られた主祭壇。
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こちらには7体の聖人がいらっしゃいました。
右から、聖ステファノ(最初の殉職者)、聖ペテロ(十二使徒の第一使徒)、聖ヨセフ(聖母マリアの配偶者)、聖フランシスコ・ザビエル、大天使ミカエル、洗礼者聖ヨハネ(キリストに洗礼を施した人)、アッシジの聖フランチェスコ(フランシスコ会創設者) -
中心にいるのがフランシスコ・ザビエルですね。
その下には美しい天使も。 -
美しい聖母子像やイエス・キリストの像もありました。
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なんだか存在感のある椅子が置かれていますよ。
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入り口の上には外からも見えた大きな薔薇窓が。
側廊の壁側にも美しいステンドグラスが並びます。 -
ステンドグラスの両側にはイエス・キリストの14場面の受難を描いた「十字架の道行き」
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天主堂のステンドグラスは、色ガラスに白ペンキで草花模様を描いているのが特徴だそう。
外側に透明ガラスをはめ、二重になっているんですって。 -
良く見るとひとつひとつに美しい模様が描かれています。
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ひときわ美しい薔薇窓。
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イチオシ
入り口には明治村移築に先立って昭和42(1967)年に解体した際、保管と保存のために取り外した当初の薔薇窓が置かれていました。
こう見ると、とっても大きいですね。 -
広いとは聞いていたけれど、思っていた以上に広い(汗)
先を急ぎましょう。
紅葉にはまだ早いと思ったけれど、山だから?
少し色付き始めていました。 -
金沢監獄正門(登録有形文化財) 5丁目52番地
西洋の城郭にも似たデザインで、赤レンガに白花崗岩の帯状装飾を入れたネオ・ルネッサンス様式です。
移築されるにあたり、レンガ造から鉄筋コンクリート造に改められたそう。
この奥に金沢監獄中央看守所・監房や前橋監獄雑居房もあるのですが、後で見る事に。
それにしても、昔の監獄ってどうしてこんなに素敵なんでしょうね~。 -
お目当ての帝国ホテルが見えて来ました!
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帝国ホテル中央玄関(登録有形文化財) 5丁目 67番地
20世紀建築界の巨匠として名高いフランク・ロイド・ライト(1867-1959)によって設計された、旧帝国ホテルの中央玄関部です。
「昔の帝国ホテルの建物はどんなに素敵だったのだろう...。」と思っていたら、この明治村に移築されていることが判明!
それからずっと来るチャンスを狙っていたのであります( *´艸`)
ここでついに雨が降って来てしまいました...。 -
イチオシ
日比谷公園の前にこの建物が建っていたのですね~。
この池も実際にあったようです。
移築に当たってはライトによる設計理念、寸法体系およびそれらが醸す空間の質を保存する「様式保存」という考え方が採用されたそう。
主構造を鉄骨鉄筋コンクリート造および鉄骨造混構造に変更し、大谷石の一部をプレキャスト・コンクリートおよび擬石で代用、またテラコッタを樹脂製で代用するなど、当初材の再利用が困難な場所には新素材が使われています。 -
この帝国ホテル中央玄関は明治村の中でも目玉となる建造物なのでしょう。
公式HPではかなり詳しい説明が書かれていました。
とても紹介しきれないので、こちらでは抜粋してご紹介します。 -
では、お邪魔させて頂きましょう。
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中に入ると、そこには唯一無二の空間が広がっていました。
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建物には大谷石と「すだれ煉瓦」と呼ばれるスクラッチレンガが多用され、大谷石やテラコッタに施された多彩な幾何学模様がこの独特な世界観を醸し出しているそう。
照明器具もライト自身が手がけたそうです。 -
なんて美しい内装でしょう...。
大きな柱の透しテラコッタから温かい明かりが差し込んでいます。 -
入り口を入って正面にはフランク・ロイドさんのお姿が見えました。
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建物の2階部分。
昔の建物だからか、天井が低い?
こちらの家具も当時使われていたもののようでした。 -
窓も細部まで手が込んでいます。
金箔を挟んだステンドグラスがまたシックで美しい。 -
公衆電話の扉が豪華☆
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ポーツマス条約の机
なんと、明治38年(1905)、日露戦争を終結させるポーツマス条約が締結された際に使用されていたテーブルだそうです!
日露講和会議が開かれたのはアメリカ・ニューハンプシャー州ポーツマスの海軍工廠内。
このテーブルをはさんで当時の外相・小村寿太郎とロシアのセルゲイ・ウィッテが1ヶ月近く交渉を重ね、この卓上で講和条約(ポーツマス条約)が調印されたそうです。
そんな机がここに残されているのですね。 -
実際の交渉の場面などの写真も残されていました。
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上がポーツマス条約批准書。
日本側に手渡されたロシア皇帝ニコライ2世からの条約批准書。
明治38年(1905)11月25日、ワシントンで両国の批准書が交換され、ポーツマス条約が勃発。
下がポーツマス条約調印所。
明治38年(1905)9月5日に調印書に署名されたそう。
最後の部分に小村寿太郎、高平小五郎、ウィッテ、ローゼンの4名のサインがある。
「写真提供」とあるので、こちらは原本ではなく写真での展示。 -
そうそう、この帝国ホテルにはカフェが併設されているので、是非お茶してみたいと思っていたのですが...。
思いの外時間がない事に気付きまして...。
軽食があればここでお昼ごはんを済ませたかったのですが、ケーキセットしかなかったので断念...。 -
帝国ホテルを堪能し、外に出るとオリジナルの柱を発見。
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名鉄岩倉変電所(登録有形文化財) 5丁目66番地
名鉄電車の発展により誕生した変電所だそう。
名古屋市内では京都市電に遅れること3年、明治31年(1898)に開通した名古屋電気鉄道により、市内電車が走り始めました。
同社はその後も尾張地区に路線を伸ばし、大正元年(1912)には犬山線を開通。その時に建てられたのが、この「岩倉変電所」だそう。 -
高台に見える建物が気になる...。
ここまで来たら先に行ってみましょう。 -
隅田川新大橋(登録有形文化財) 5丁目55番地
高台の建物に行く途中に見えたこの橋は隅田川に架かっていた鉄橋「新大橋」の一部だそう。
当時の日本橋浜町から深川安宅町間へ架かる橋として、多くの人々に利用されました。 -
隅田川には江戸時代以来、木橋が架けられてきましたが、明治の半ば頃から次第に鉄橋に架け替えられました。
この新大橋もその一つで、明治41年(1908)に起工され、同45年(1912)に開通。明治村には、日本橋側に架かっていた1径の半分、約23mの部分が移築されているそう。
大正12年(1923)の関東大震災では、他の鉄橋が落ちる中でこの新大橋だけが残り、避難の道として多数の人命を救ったといわれています。 -
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内閣文庫(登録有形文化財) 5丁目59番地
明治政府が中央図書館として建てた内閣文庫庁舎の主屋部分だそう。
内閣文庫とは明治6年(1873)、赤坂離宮内に「太政官文庫」という名で開設された明治政府の図書館。
江戸幕府から引き継いだ古文書に加え、各地の古文書や海外の書籍が買い足され、蔵書の内容は充実していたそうです。 -
設計者は後に国会議事堂の建設を指揮することになる大熊喜邦。
ルネッサンス様式を基調とした石と煉瓦で造られた建築で、正面中央にはドリス式による半円柱4本を構え、隅には角柱を配置。
古代ギリシャ・ローマの神殿建築を思わせる姿になっています。
移築時に構造は鉄筋コンクリート造に変更されたそう。 -
内部がまた素敵なの( *´艸`)
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玄関ホールと階段室の周りの造作はケヤキ材が用いられ、漆拭きで仕上げられているそう。
蔵書を守るための堅牢さを旨とする建築だったそうですが、細部まで美しい内装でした。 -
この日は「世界のミニチュア建築」という展示があり、そこには前回のイギリス旅行で訪れたコッツウォルズにあるウィリアム・モリスの「ケルムスコット・マナー」のミニチュアがありました!
なんだか嬉しくなりました♪
同じくモリスが住んでいた「レッドハウス」も並んでいますよ。
こちらもいつか行ってみたいお家。 -
川崎銀行本店(登録有形文化財) 5丁目57番地
遠くからでも目立っていたこちらの建物は東京・日本橋のシンボルとして永く人々に親しまれてきた川崎銀行本店の正面左端の外壁が部分的。
設計はドイツの大学で建築を学び、帰国後に多くの銀行建築に携わった矢部又吉。
ルネッサンス様式を基調とした本格的な銀行建築です。
鉄筋コンクリート造(一部鉄骨)造の構造に、外壁は御影石積が使われているそう。 -
雨も降ってきたし、お腹が空いたので先にお昼ごはんを食べに行く事にしましょう。
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ランチは「明治の洋食屋 オムライス&グリル浪漫亭」へ。
高台にあるので階段を上っていきます。 -
お昼時だったので並んでいる方がいましたが、店内は結構広かったのですぐに案内して頂けました。
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昔懐かしい洋食メニュー。
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照明が可愛い店内。
大きな窓からは緑の木々が見え、まるで森の中の洋食屋さんです。 -
ここはやっぱりオムライスかな。
デミグラスソースが良く合う、美味しいふわとろオムライスでした。 -
イチオシ
レストランのある高台から見える川崎銀行本店が素敵でした☆
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更に登ったところにも建物があるようです。
行ってみましょう。 -
菊の世酒蔵(登録有形文化財) 5丁目64番地
愛知県刈谷市にあった廣瀬酒造の酒蔵。
もともとは明治初年(1868)頃に、現在の愛知県碧南市新川に穀物蔵として建てられ、明治28年(1895)に刈谷市に移されたそう。 -
内部は見学できるようになっていて、酒造りの道具を工程順に展示してありました。
酒蔵や酒屋のシンボルである大きな杉玉も飾られています。 -
ここからは明治村の5丁目が見渡せました。
地図をよく見ていないと見落としてしまいそうな場所にある菊の世酒蔵。
秘密にしておきたい明治村一番の絶景ポイントかも( *´艸`)
さて、お腹も満たされたので散策再開です。
続きは次の旅行記までお待ちくださいm(__)m
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