2026/05/17 - 2026/05/17
514位(同エリア554件中)
松本伸雄さん
賤ヶ岳の戦いにのぞむ柴田勝家の本陣
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鉄道のトンネルを利用した道の手前を左折
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スタンプを押して出発です
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小さな祠
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堀切 玄蕃尾城(内中尾山城)は、1583年(天正11)4月、賤ヶ岳の戦いにおいて、柴田勝家が本陣を布いた山城である
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道幅は広いです 越前・近江国境の標高約460㍍の尾根上にある。
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右折して、南虎口大手口へ 木之本から北上して今庄へ向かう北国街道とこれより柳ヶ瀬で分岐し敦賀津へ向かう刀根越を同時に扼する位置にある
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知らずに真っ直ぐ行くと、行き止まりです 1582年(天正10)6月の本能寺の変で織田信長が斃れた後、清洲会議を経て勝家と羽柴秀吉とが後継者の座を巡り激しく対立。
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大手郭 この後、畿内および周縁の各地において、秀吉による勝家派への圧力が増していく中、きたるべき決戦に備え、甥勝豊の入った長浜城と北庄城とを繋ぐ要衝として、内中尾山に築城した
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東虎口 翌1583年(天正11)4月、戦端が開かれたが、戦いの帰趨は、武辺噺などで名高い秀吉の大垣大返しなどで劣勢に立たされた勝家が、いち早くこの城を捨て北庄へ退いたことで勝敗が決した
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虎口郭 この城は打ち捨てられたまま、20世紀半ばまで幻の城として、草に埋もれていたのである
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馬出部 玄蕃尾という名は、勝家麾下の将佐久間玄蕃允盛政に因むが、資料には見えない
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馬出 「近江国輿地志略」には「中打尾山・・・柴田勝家陣取りの処也、此処より行市峯迄一里半、幅三間の作道也」とあり、この尾根道を地元の刀根では、佐久間玄蕃が開いた道、すなわち玄蕃ケ尾と呼び、転じて城の名になったのが由来であると伝え、祭りの餅つき唄の歌詞にも歌い継がれてきた
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主郭 本丸
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主郭土塁 左上、木が生えてるところが櫓台
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櫓台、天守台から西側を見る
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馬出 北国街道を見下ろせる尾根に、石垣を一切使わず土塁と堀だけで、曲輪や虎口、馬出曲輪まで造られております
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土塁
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空堀
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搦手郭
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空堀
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空堀
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土塁の上を歩く
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搦手郭 虎口郭
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本丸から張出郭へ
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土塁を渡ります
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張出郭 見張台
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見張台東
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見張台東
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馬出郭から虎口郭へ
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日本海さかな街で焼鯖定食の中の昼食でした おわり
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